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6.その歌姫は、過去を知られる。

 ルヴァル・アルヴィンというヒトは、世間で言われるような悪名高く偏屈な人間などではないのかもしれない。

 エレナは連れて来られた辺境にある城内で過ごしながらそんな事を思っていた。

 ルヴァルにどんな思惑があって使い物にならなくなった自分を妻にと引き取ってくれたのかは分からない。

 だが、当初身構えていたような事態は何一つ起こらず、彼から妻らしい役割を求められる事もない平穏な日常をエレナは過ごしていた。


『怖がらせて、すまなかった』


 突然ルヴァルが部屋にやって来た日、淡々とした口調ではあったが自分と目を合わせて謝罪の言葉をくれた。

 あんな風に誰かに謝られたのはいつ以来だろうとエレナはそんな事を考える。


(エリオット様のように分かりやすい優しさではないのかもしれない。だけど、きっとルヴァル様は優しい方だわ)


 連れて来たはいいが、どう扱えばいいのか分からない。ルヴァルのエレナに対する態度はそんなよそよそしいものではあった。

 それでも城内で出会えば声の出ないエレナにも、目を合わせてきちんと挨拶をしてくれた。

 言葉数は少ないが、ルヴァルが気遣うような言葉をくれた事は一度や二度ではない。

 ルヴァルは決してエレナに対して暴言を吐く事も暴力を振るう事もしない。

 食事を抜く事も、奴隷のように扱って振り回すことも、気に入らないと当たり散らすことも、嫌がらせのようにお茶をかけて何度も淹れ直しを命じる事もない。

 それどころかエレナのために医者の手配をしてくれ、専属の侍女までつけてくれた。

 清潔で明るい部屋。お腹が満たされゆっくり眠ることの許される時間。奪われることに怯えなくていい生活。

 それらが与えられた事に感謝する一方で、何故という疑問が尽きない。


(私はルヴァル様とどこかで出会っているのかしら?)


 エレナは記憶を辿るが思い当たらない。

 辺境伯であるルヴァルは圧倒的な軍事力で要塞を築き、魔物や異民族から国や国境を守っている。

 国防の要である彼は滅多に最北の地から出る事はないと聞くが、国をあげた大きな祝祭時はおそらく王都に来たはずだ。


(大きな祭事では歌姫として舞台に上がっていたから、その時ルヴァル様の目に留まったのかしら?)


 そんな事を考えて、すぐさまそんなわけないかとエレナは自嘲気味に首を振る。


(あんなに綺麗な方の目に私なんかが留まるわけがない。実際、酷い顔って言われたし)


 まぁその通りなのだけどと思いながら、一方でもしもマリナだったならとエレナは思う。

 マリナは自分とは違い器量が良い。ふわふわと揺れる色素の薄い茶色いの髪に大きくて丸いエメラルドのように綺麗な瞳。手入れの行き届いた透き通るような白い肌に、女の子らしい身体つき。

 エレナに対しては見下した様な態度で接し何もかも奪っていく彼女だが、一方で要領は良く特に男性の心を掴むのが上手い。くるくると表情がよく変わり、砂糖菓子のように甘い笑顔を浮かべる可愛らしい彼女を前に惹かれない男性はいないのだろう。


『君が、もっとマリナのように感情豊かで気持ちを伝えてくれていたら、僕だって』


 不意に婚約破棄を言い渡された日のエリオットの言葉を思い出し、エレナは胸に痛みを覚える。


(子どもの頃からずっと一緒にいて、将来を誓い味方でいてくれたはずのエリオット様だってそうだったのだもの)


 マリナと比べるまでもなく自分のみすぼらしさは分かっている。

 歌姫として舞台にあがる時だけは見られる程度には整えられていたけれど、魔力を込めた歌以外に良いところなど自分にはないのだ。

 それすら失くした自分にルヴァルが何を求めているのか、やはりエレナには理解できなかった。


(私は、ここにいてもいいのかしら?)


 自分に何も求められないまま与えられた生活は足元が安定せず、いつか一瞬で崩壊してしまうのではないかと不安を覚える。

 いっそのこと使用人のように扱ってもらえたのなら、まだ自分の存在意義がある気がする。


(ここにいるために、私には何ができるかしら?)

 

 ルヴァルに愛されたいなんて贅沢は言わない。ただここにいられる理由が欲しい。あの家に戻らなくて済むのなら、それがどんな理由でも構わない。

 エレナは切実にそんな事を願っていた。


 ルヴァルは報告書を読みながら顔を顰める。


「……確かか?」


 ルヴァルに尋ねられた女医のソフィアはゆっくり頷く。


「エレナ様の診察結果という意味なら間違いなくそこに記載してある通りです。魔物討伐による受傷と魔力の過剰使用による限度を超えた身体への負担で、魔力回路が焼き切れたことによりエレナ様は能力を失っています」


「俺が聞きたいのはそこじゃない」


 エレナ・サザンドラのカナリアとしての能力喪失。それに伴うウェイン侯爵家次男との婚約破棄。その話はサザンドラ子爵家に婚姻を申し込む前に把握していたので今更驚く内容ではない。

 ルヴァルは報告書を机に置き、トンっと指を指す。


「原因不明という事は、エレナはもう声を出す事ができないという事か?」


「分かりません」


 ルヴァルの言葉にゆっくりと首を振ったソフィアは、


「医師として不確実な事は言えないため、そのように報告したまでです」


 と静かにそういった。


「私が医師としてはっきり言えるのは、現在エレナ様が言葉を失っている原因は身体的な問題ではないという事です。魔力回路が焼き切れるほどの能力使用。確かに、受傷当初は酷く喉を痛められたのでしょう。ですが、魔物の遭遇による受傷から半年、身体の方の傷はすでに完治しています」


 そう言い切ったソフィアは、


「失語症というより失声症。つまりエレナ様の場合声が出せないのは心因性によるものかと。その原因は不明ですし、根本的に解決ができる手立てが分からない以上今時点でこれから先声が出るようになる保証はありません」


 淡々とした口調で自身の見立てをルヴァルに報告する。

 一度言葉を切った彼女は痛ましいものでも見るかのように報告書を見つめ、


「ここから先は私の勝手な推測になりますが、お聞きになります?」


 とルヴァルに尋ねた。


「珍しいな。お前が憶測で何かを語るなんて」


 ルヴァルの青灰色の瞳がソフィアの真意を探るかのようにじっと向けられる。


「そうですね。お館様の"医師"を名乗る以上、確証のない事は口にするまいと心がけておりますので」


 自分の役割や発言の重さは十分理解しているんですよとソフィアは白衣の襟を正して笑う。


「なので記載はできませんが、あくまで参考程度にお館様のお心に留めておいて頂ければと」


 ソフィアの真剣な声音を聞き、ルヴァルは彼女の目を見ながら頷く。


「俺はソフィアの人柄も仕事ぶりも高く評価している。どんな些細な事でも構わない。エレナに関する事で気づいた事が有れば話してほしい」


 そう促されたソフィアは頷くと静かにエレナの診察で気になった点を話し始めた。


 ルヴァルは足早にエレナの部屋に向かって歩みを進める。

 何を話せばいいのかわからない。

 それでも、ソフィアの話を聞いて今すぐ彼女に会わなければと思ったのだ。


『目立たぬ場所にいくつも古い傷痕が残っていました。鞭で打たれたような痕が』


 エレナの身体に残るそれらは魔物との対峙による受傷のものとはあきらかに年代が違うのだという。


『しつけと称して手に鞭を打つ悪習が残っている地域もありますが、それにしても許容範囲をはるかに超えています。手や腕に残る痕は傷薬でも使ったのでしょう。薄っすらとしか残っていませんが、数が尋常じゃありません』


 かなり高頻度で打たれただろうそれらはまるで、エレナが憎くて仕方がないと言わんばかりの痕だという。


『それにエレナ様は痩せすぎです。サザンドラ子爵領は彼女のカナリアの力で飢えがない事で有名なのに。彼女の手も貴族の子女とは思えないほどに荒れています。彼女は、おそらく』


 ソフィアの話を聞いたルヴァルは怒りを覚えつつも妙に納得もしていた。

 初めて会った時の子どもの頃のエレナと随分印象が違うとは感じていた。

 だが、彼女に落ちる翳りは全て魔物と対峙した事による恐怖や長年想っていた相手との婚約破棄によるものだと思っていたのに。


『長期間に渡り、暴力に晒されていた可能性があります』


 ルヴァルは苦いものを飲み込むように顔を顰める。

 一体、誰がエレナを傷つけた?


『心の傷は目に見えません。その深さはもしかしたらエレナ様自身にも分かっていないのかもしれません』


 ソフィアが言うには心を閉ざすのは一種の防衛反応なのだという。

 笑う事も泣く事も放棄して、抗う事を諦めて、気づかないフリをする。

 そうしなければ、エレナは生きていることができなかったというのだろうか?

 

『お館様。エレナ様は心身ともに深く傷ついておいでです』


 ルヴァルは足をピタリと止める。

 廊下の片隅に今まさに会いに行こうとしていた彼女が一人で佇んでいて、ぼんやりと窓の外を眺めていた。


『我らが同胞、ヒトの形をした歌姫を救って欲しい』


 不意にルヴァルの耳に真摯に訴えていた白狼の言葉が蘇る。

 自分にこの現象をもたらしたあの白い神獣は一体あの後どうなったのだろう?

 こんな奇跡のような力を使って、無事なままとは思えない。


「エレナ」


 ルヴァルがその名を呼ぶと、彼女はゆっくりとこちらに紫水晶の瞳を向ける。

 ルヴァルは彼女を抱き上げたときの感触を思い出す。もうすぐ成人する女性とは思えないほど軽く簡単に折れてしまいそうなその身体はとても儚くて、今にも消えてしまいそうだった。

 エレナはゆっくりとお辞儀をし、そしてルヴァルの許しがあるまで決して顔を上げない。

 誰も、エレナがこんな風になるまで彼女を守らなかったというのか?

 彼女を守るために選ばれたはずの婚約者さえも?

 ルヴァルはぎりっと奥歯を噛み締める。自分に愛想がないのはいつもの事だと、きつい態度でエレナに対応していたことが悔やまれる。


「……ここで、何をしていた?」


 いっそのことエレナに殺したい相手を聞いて根絶やしにしてしまおうかと考えたルヴァルは、自分には彼女を傷つけた人間を責める資格などありはしないと思い直し、違う言葉を口にする。

 ルヴァルの声に反応し顔を上げたエレナは、彼の問いに答えるためにペンを取る。


「あ、いや。責めているわけではなく」


 相変わらず白過ぎるエレナの顔を見ながら、どうして自分はこんな物言いしかできないのかとため息をつく。

 そんなルヴァルを不思議そうに見て、手を止めたエレナはそっと窓の外を指さす。


「景色を見ていたのか?」


 ゆっくり首を振ったエレナは、綴った言葉を見せる。


『雨の音を聞いていました』


「雨?」


 聞き返すルヴァルに、エレナはサラサラと綺麗な文字を綴る。


『優しい音色なので、直に止むでしょう』


「こんなに降っているのにか?」


 コクリと頷くエレナとルヴァルはただ黙ってそこに立ち、窓から外を眺めた。

 それからそう時間が経たないうちにエレナが言ったように雨はだんだんと強さを失い、ピタリと止んだ。


『私、耳には自信があります』


 少し誇らしげにそしてほんの僅かだが笑ったエレナを見て、ルヴァルは僅かに青灰の瞳を見開く。

 その笑い方がかつて、子どもの頃に会ったエレナの面影と少しだけ重なって見えた。


「そうか」


 ルヴァルは静かに頷いてそう言った。


『じゃあ、元気が出るように特別に歌ってあげます! 私、耳には自信があるんですよ』


 紫水晶の瞳を輝かせ、一度聴いただけの音を正確に自身の中に取り込み、のびのびと楽しそうに歌っていたかつての彼女。

 あの幼い少女と目の前にいるエレナが同一人物なのだとようやくルヴァルの中で一致する。


『お館様、エレナ様を癒してあげられますか?』


 ソフィアに言われた言葉を思い出す。それが自分にできるのかは分からない。

 だが、ソフィアの言うようにエレナの心の傷が癒え、いつか彼女が声を取り戻す日が来たら、また彼女の紡ぐ歌を聞いてみたい。

 雲の隙間から何本も落ちてくる光の梯子を眺めながら、ルヴァルはそんな事を考えた。

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