episode1.4
一部第四話
『傷だらけの花嫁』
「さて、どこから探ろうか──」
所々血に塗れた服を鬱陶しげに眺めながら、ふと空に視線を移す。
校舎の中庭にあたる場所、アメリアはベンチに座り込んで考えていた。
こう言う時、焦って走り回るのは殺しの初心者だ。実際、年端もいかない私が今まで手にかけたのは数人程度だけど──なんて心の内で自虐的なギャグをかます。
「──いや、その前にやることがあったね。」
「お呼びでしょうか………なんて。そんな筈ありませんね、お嬢が呼ぶより私が来る方が早い。有能でしょう、褒めて頂いても構いませんよ?」
「偉いね、クリス。謙虚だったらもう少しポイント高かったんだけど。」
呟きと同時に、中庭にぬらりと一つの影が現れる。トレードマークのパーカーにフードを目深に被ったいつもの姿は、どこからどう見ても例の頼れるお目付け役クリス・アンデルセンだ。口許だけでも明らかにドヤ顔しているのが分かる。とは言っても実際、呼ぶまでも無く現れる本当に有能な第一の駒なのだ。最近小生意気になりつつあるが。
「クリス、ちょっとアクシデント。生徒を抑えておいて、絶対教室から出さないこと。」
「そう仰ると思って、もう教員に対応させました。校内は一先ず落ち着いてます。」
ひゅう、と思わず口笛を吹く。言われたことも言われてないことも完璧にこなす忠実な仔犬──クリスが居なければ、簒奪計画なんて根元から崩れ落ちてしまうのだと実感した。
「流石。じゃあ次は何をして貰おうかな──」
──パァン!と火薬の弾ける音が耳をつんざく。音のした方に視線を向けると、そこには屋上の縁からはみ出た腕が此方に手を振っている光景が。こっちへおいでと、そう言いたいのだろう。
アメリアの額に青筋が走った。
「……野郎、私を舐めるなよ。」
アメリアは何が一番嫌いって、侮られる事であった。
「次の仕事は無し。私は一人でカタをつけるから、学校の外で待ってて。」
神も仏もすくみ上がるようなぞっとする笑みを浮かべて去るアメリアの背中を見送りながら、クリスはふと呟いた。
「──美人は怒らせても美人ですね。」
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「──おう、お出ましかい。」
屋上の扉を開けると、先ず目に入ったのは何者かの背中だった。逆光でぼやけた輪郭が、気の抜けた声を発しながら振り返る。
動脈から垂らした生き血で染めたような真っ赤なシャツに、腰からマントの伸びたレザーパンツ。そして何よりも、その酷く鋭い目付き。如何にも悪人、という面構えの男が此方を向いていた。
「──────」
アメリアは反応しない。ただ冷静にその立ち姿を観察するのみ──距離はおよそ五メートル。先程の銃声の正体、殺意の塊とでも言うべき馬鹿でかい銃は腰に備えられ手元にはない。臨戦態勢にも見えない振る舞い、間違いなく舐められている。
幼いから?女だから?何方にせよ、腹立たしい。
「さァ、かかって来いや。」
片手で”来い”、のサインを発するその様子に、アメリアはと言うと──
「それじゃ、遠慮なく。」
──跳んだ。
華麗な重心移動で瞬く間に詰める一歩目、男がそれを悟った時には既に遅い。
アメリアは瞬く間に空中にふわりと浮き上がり──横薙ぎに放たれた跳び回し蹴りが、軽快な破裂音を立てて顔面に叩き込まれた。澄ました横顔に真っ黒な革靴がめり込み、奇抜な風体を宙に放り出す。
「調子に乗るなよ、変態が。」
軽やかに着地したアメリアは冷淡に言い放つと、侮蔑と爽快感の入り混じった愉悦で僅かに口角を歪ませた。
「お前が私を侮ったぶんの代償はまだ返し切ってないからね。
覚悟はいいか、なんて聞いてやらない。君を叩き潰す、それだけ──」
──刹那、言葉を遮るように今日で三度目の破裂音が炸裂。アメリアの頬を焼けつくような感覚が掠めて、じんわりと温かい液体が伝っていくのが分かった。
「──ッ!」
撃たれたのだ。あれだけ強烈な蹴りを叩き込んでもすぐ意識を回復させ、こちらへ銃口を向けて来た。
見ると、男は吹っ飛んで倒れた姿勢のまま拳銃を握った腕だけを持ち上げている。射撃の瞬間、こちらを見てすらいなかった。
スコープで対象を入念に観察し現場の環境すら完璧に考慮して銃弾を放つ狙撃手でも、数センチの誤差は常に付き纏う──それをこの男は。
背筋を走った緊張感を、アメリアは認める他ない。
「あーあァ、脳ミソグラグラして外しちまったァ…」
ゆっくり上体を起こすその動作の隙にアメリアは再び踏み出すと、銃を握る手に下段蹴りを放つ。
しかしくるりと横に一回転、蹴りは空を斬る。刹那、再び銃口が此方を向いた──耳の痛くなる爆音を散らしながら空を切る弾丸を、アメリアは間一髪で軌道を読んで避ける。距離を取ると、男はふらつきながら立ち上がっていた。
「頭良くて美人で背ェ高くて、乳もでけェしおまけに強いたァ……ンだよ、理想の相手ッてか?好みの女が世界から一人減るッてのは悲しいこッたなァ…」
減らず口にアメリアは顔をしかめた。実力者には違いなくとも、その素行発言はお下品と言う他ない。
獣のような男だ。獣のように愚かで、鋭い。
ペースに乗せられまいと、アメリアも軽口を返す。
「奇遇だね、私も君みたいな人が好みさ。特にその顔、踏み潰してやりたくなるね。」
一瞬”マジ!?”って顔をされたのには笑ってしまうところだった。
アメリアの足は不規則なステップを刻み始める。この十八年で鍛えてきたのは何も頭ばかりではない。格闘技は飽きるほど習ってきた、勿論銃に対する対処法も。クリスや様々な人を相手に磨いた実力、路上の戦いならば格闘家のチャンピオン以上だ。
「よっ、と。」
銃を構えるタイミングを計る男を前に、アメリアは立ち尽くす……刹那、スーツの袖の内から滑り出した小振りなナイフを投擲。腹を狙った投げナイフ、それと同時に足を踏み出し間を詰める。
「──ところで、舐めてんのはどっちだろーなァ。」
時間が圧縮される感覚。ナイフが最小限の動きで避けられる最中、追い討ちをかけるように蹴りを放つアメリア。
とった──!完璧なタイイング、無防備な顔面に蹴りを……と言う、その認識の過ちに気付いた時には、既に遅い。
隙を生み出したと思っていた。思ったいたが、それはフェイクだった。アメリアの放った必殺のハイキックが皮一枚掠めて避けられると同時、軸足に鈍い衝撃が走る。脛を側面から刈られた。
容易く体勢を崩し、躓く──仰向けの体勢。そして視線の先には、スローモーションで此方の眉間へ迫る靴の底面があった。踏みつけ、喰らえば脳震盪は必至。
もしかして、負ける?
そんな可能性が首をもたげたのは、アメリアには初めての経験だった。