episode1.1
一部第一話
『父様』
「ばいばーい!また明日ねー!」
校門の前、正反対の道の向こうで大声でぴょんぴょん跳ねながら手を振るエステラを尻目に、アメリアは手だけ振って振り返らずに学校を後にした。あの無邪気な少女の隣に私が居ることは果たして許されるのか──マフィアの首領の末娘、アメリアがこの世界で生きることは。
少し足速に石をブーツで踏みしめる。大通りから外れた小道から裏路地へ、入り組んだ構造を進むにつれ陽光は闇に飲み込まれイギリスの暗部に踏み入っていることを実感させられる。
ふと、路地の角から黒い影がぬらりと眼前を横切った。
「お嬢、こちらに。」
黒いパーカーを纏ってフードを目深に被った、アメリアより20㎝ほども目線の低いその人影は高めの声色で言葉を発した。なじみ深い声色。
「もう道は覚えたから付き添いは要らないって言ってるだろう?過保護が過ぎると思うよ、クリス。」
影は僅かに此方を見上げて朧げな口元を歪ませた。
「私にとってはあなたはまだ、小さなお嬢のままです。行きましょう、ボスが待ってます。」
子供扱いも程々に、と言おうとしたところを彼は踵を返して歩き出してしまった。
────────────────────────────────
「エメ!いやぁ、長いこと会えんで俺は寂しかったぞ。何せホラ、幹部連中が俺を机に縛り付けやがるもんだから…あァ?お前、背ぇ伸びたなぁ!前は俺の肩辺りだったろう、今は顎らへんか?」
あれこれ経緯があって、今アメリアは人でごった返して騒がしいパーティー会場の中で大男と向き合っていた。大体の相手を見下ろせるぐらいにアメリアは身長が高いが、その男はそんなアメリアから見ても”大男”である。
やはり遺伝子か──なにせ彼はアメリアの父、コレツィオ・ジャックハートだ。ヨーロッパ最大のユーロマフィア『アムール』を仕切るボスの中のボス。彼の名は堅気だって知っている、そんな外聞も図体も大きい男を父に持つアメリアの気苦労は、長文句を前に浮かべている苦笑いから簡単に読み取れる。
「うん、久しぶり…父様、積もる話はあとにして、みんなと顔合わせしなくて良いの?兄様達とか、さ…」
「ボスは止めろっての……あァ?おう、あいつらとはもう会って来た。ルイもオーウェンも馬鹿面してこっち見やがったよ。男ってのは駄目だな、可愛げがねぇ…もちろん俺みたいなジジイにゃ可愛げは要らねぇけどな!ハハハ!」
逃げる口上も無くなってしまった。彼は何時も何時も、自分でギャグかまして自分で笑う。しかも全く面白くない、お陰で部下は笑みを作る練習をしなくてはいけなくなる。それでも皆、彼の事を慕っているのは偏に彼のカリスマ故だろう。娘のアメリアから見ても、父親の背中は大きく頼もしい。
時々思う事だが、私は本当にこの人から生まれたのだろうか。背格好はともかく、気性は正反対とすら思えるほどの差だ。
「で、父様。南部の仕事はどうだったの?」
冗談をこれ以上振られても困るので、と仕事の話を持ち掛ける。
父コレツィオはつい昨日までフランスに遠征していた。向こうのマフィアと話でもしてきたに違いない。
「戦争だ。あのフランスパン野郎共、強気に出てきやがった。前にうちのアソシエイトがくたばったろう、アレも大方奴らの仕業だろうよ。だからマッドレス──戦争だぜ、久々の」
コレツィオの表情には憤りがあった。組織間で揉めることは良くあるが、それも中小ならでは。アムールのような大組織は”今のところ”敵なし、どこも表立った争いは避ける雰囲気だったのだが。
「……てことは、父様また仕事?」
「おうよ、寂しいか?」
コレツィオが部下に信頼され敵に恐れられる理由、それは抗争で自分が先頭に立つからだ。ついた通り名は”タイタン”、彼にピッタリだ。今度の戦争も、何時ものように巨人はマシンガン片手に最前線で笑うに違いない。
父の傷だらけの背中を思い浮かべて、アメリアは微笑みを溢した。
「寂しいか、って。そりゃあ──」
──瞬間、甲高い破裂音がして、血飛沫が飛び散った。
眼を見開いて振り向いているコレツィオ。見えないが分かる、怒りに燃えた表情をしていると。
コレツィオの背中を狙って炸裂した9ミリ弾を代わりに数十発受け止めた部下は、殆ど千切れた上半身から崩れ落ちるようにコレツィオの胸に倒れた。
瞬く間に光を失う瞳、ぱくぱくと魚が溺れるように何か言いたげな口許。主君を庇った部下の死に様を見る表情は、憤怒。
「──Kiss my ass!!」
"クソったれ"───と、英国で最悪の罵倒語を向けた相手は、レストランの窓からマシンガンの銃口を覗かせているマフィア。
マッドレスの、開戦合図。