episode1.23
一部第二十三話
『Who are you?』
「珈琲と紅茶はそこそこのものが置いてある。生憎菓子は無いがね。ホテルじゃないので居心地は担保できんが、安全性だけは保障しよう。何か要望があれば私に言うといい。」
狭くも広くもない一室、簡素な作りの部屋の中央には椅子とテーブル。隅にソファー、スカスカの本棚、蛇口の取り付けられたキッチン擬きにはコーヒーポットとティーポット、マグカップも幾つか置かれている。例えるならば独房のスイートルーム、とでも言ったところか。
ここはMI5本部。アメリアはあれから一日経って昼、荷物検査や云々の面倒な手続きが済んでようやく保護されたところだった。”恐らく”ここは地下一階──なぜ確証が無いのかと言えば、此処に来るまでの道のりの殆どは目隠しされていたからだ。流石に国内犯罪抑止の中枢の間取りを見られる訳にはいかないのだろう、形式上でもそう言う対策は必要だ。
真面目だこと…なんて内心せせら笑いながら、アメリアは安堵と不安の混じった笑みを浮かべて見せる。
「はい、大丈夫です…」
その言葉を聞くと、ジョシュアは安心したかのように微笑み部屋を出て行った。不用心なもので、部屋に鍵もかけずに──思わず笑みが漏れる。
女だからと言って、誰しも可憐でか弱いお嬢様ってわけじゃない。気丈な女も居れば悪女も居る…まさかその中にこんな支配的な”女帝”が居ようとは誰も思うまい。
勝利のイメージを今は抑え、さて、と頭脳を働かせ始めたタイミングで、がちゃりと扉が開いた。
「お嬢、似合ってますか?」
部屋に入って来たのは、スーツ姿に灰色の短髪をふわりと靡かせる小柄な女性職員──に、扮したクリスであった。恥ずかし気なような自信あり気なような、複雑な表情をしている。
女をやっているアメリアから見ても、ただの可愛らしい職員にしか見えない。その可憐なまでの女装姿に僅かな敗北感を覚えて溜息を吐きながらも、問い掛けに返答する。
「…うん、似合ってるよ。
例のものは持ってる?」
「ええ、勿論。」
懐から折り畳まれた紙を数枚、取り出して見せるクリス。
紙切れの正体は”MI5本部内見取り図”──数枚の紙にびっしりと敷き詰められた本部の建物の間取り、これがヴィレッタにわざわざ会いに行って手に入れたものだ。
こんなものまで手に入れているとは相変わらず末恐ろしい情報屋、お得意様で良かったと心底思う。
「最初は普通に潜入すれば良いと思っていましたが。私もここを歩いてみて、見取り図が必要になる理由が分かりました。なにせ、私は階段を下りた記憶はないのにここは地下一階だと言うのだから──大層なお化け屋敷です。」
MI5についてリサーチした時に引っかかった情報の一つに、内部は特殊な通路設計が為されており上下や東西の感覚を狂わせられるのだそうな。大分眉唾だったが、ヴィレッタに確認を入れてみて良かった。
東洋、日本ならばさながらここは忍者屋敷、なればこそ万全を期す。惑わされ右往左往した挙句素性を洗われ豚箱行き、なんてケースはあってはならないのだ。
「…よし、大体頭に叩き込んだ。ここが地下一階の何処なのかも大体掴めたよ。」
数十秒数枚の見取り図を眺めたあと、アメリアはそう宣い紙を折りたたんでクリスに返す。
「全員配置についてますので、準備はこれで完了です。
では、改めて──」
アルマもダヴィデも、同じように職員に扮して紛れ込んでいる。準備は整った──クリスは可愛げの欠片もない、イヤに真面目な表情で紙を懐に仕舞い、アメリアに拳銃と無線を手渡しながら言い放った。
「──作戦開始ですね。
”お嬢とのデートを賭けて”……!」
遡ること数時間前。
「さて、皆必要なものは持った?準備はOK?大仕事だからね、チェックは入念に──」
「嬢ちゃん、ちょいとイイかい?」
武装や諸々の道具を整える面々を前に最終確認を取るアメリア。これから潜入、重要任務なのだから何回確認しておいたって損は無い──と、分かり切ったことを一応全員に確認を取っていたところ、アルマが唐突にアメリアに問うた。
「なァ、大事な仕事だからにゃ俺らァガンバるけどさ。100パーのガンバりを300パーのガンバりにする為にゃ…ご褒美、必要じゃねェ?」
「ご褒美、ねぇ。例えば?」
アメリアの問いに、アルマは凶悪なニヤけ面を見せた。
「どうよ、一番役に立ったヤツが嬢ちゃんとデートする…ッてのは?」
──そして、今に至る。
「はぁ…二人とも欲望に忠実なんだから。」
クリスもアルマも、好意がオープン過ぎるのだ。恋愛の本質は駆け引きだなんて、彼らは知らないのだろう──知る筈もない。アルマは殺し屋、クリスは忠実な僕としての人生を全うしてきたのだから。ダヴィデと言う例外も居るが、彼はそもそもアメリアを恋愛的な目で見ていないようだし。
可愛らしい私の駒たち、どちらが報われるのやら。
既にクリスの去った部屋でぽつり、アメリアは呟いた。
「──あれ、私って結構モテるのかな。」
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MI5本部の人気のない通路を、その人影は歩いていた。黒いスーツをすらりとした細い体に纏い、憂いがちな目元にはめ込まれたエメラルドグリーンの瞳は爛々と煌めく。唇は艶やかさをも漂わせる厚みだが、鼻筋には男性らしさを僅かに含んだ威厳を醸し、後頭上部で団子状に結ばれた金髪は女性を思わせる髪の長さを示す──要するに、クリスと同じで男か女か断言出来るだけのはっきりした特徴が無い。
絵画の天使のような神聖な、胡散臭い美しさが其処にはあった。
かつ、かつ。廊下に響く靴音が、次第にうっすらと二重奏を奏で始める。二人分の足音が、お互いに段々と距離を縮めている。二重奏はごく自然に、お互いの息を合わせるようにしてその歩調を合わせた──と同時、二つの人影が出会う。
片や、金髪の天使。片や、長い黒髪の謎の女。
黒髪の女はMI5職員らしい、そうと分かる出で立ちをしている。良く見ると彼女はジョシュアの隣の席でいつもデスクワークを熟している女性職員だった。
逆説、金髪の天使はこの場には似合わない。彼、或いは彼女は、黒髪の女がこの場に馴染んだ雰囲気を自然と持っている様に、MI5にそぐわない雰囲気を漂わせていた。
二人は同時に距離を詰める。
「アル、首尾はどう?」
沈黙は黒髪の女が先んじて破った。
すぐに天使は返答を返す。二人の間には”慣れ”と”理解”があるのは誰の目からも明らかだろう、最も誰もこの場を見てはいないが。
「万事滞りなし。大丈夫、任せて。」
「あら、そう。じゃあ任せるわ。」
軽く掌を振って去っていく黒髪の女に微笑んで、”アムール”経理担当幹部アルフィー・ハーツはMI5本部の通路の更に奥へ歩を進めていった。




