episode1.22
一部第二十二話
『机上の空戦』
「確かにJOKER、と言ったね…?」
「えぇ、確かに。」
顎に手を当てて唸るジョシュアの表情が物語る。これは何かありそうだ──今やアメリアは知らぬ間に彼の首を大鎌で刈り取る寸前の死神の様だった。釈迦の掌の上で孫悟空が飛び回るように、誰も彼も一度対峙してしまえばアメリアの玩具に過ぎない。
まるで不安で仕方ないとでも言わんばかりの表情で、アメリアは畳みかける。
「もしかしたら…何か、理由があって、兄たちがマフィアに狙われているんじゃないかって…もしそうなら、教えてください。JOKERってなんなんですか…?」
さぁ吐け、さぁ──!内心獲物が近付くのを今か今かと待ち続ける獣の如く、問い掛け迫るアメリアにジョシュアは心底詫びるような表情で言った。
「済まない、教えられることは無い。」
──予想できた答えではあった。故に想定外ではない。こう言った場合、政府関係者の取る措置は…
「──しかし君と君の家族を危険には晒すまい。どうだろう、MI5に君たちを保護させてはくれないかね?絶対安全を約束しよう、例えマフィアであろうとも保安局への手出しは不可能だ。」
プランB。保安局へ潜入する──!
保安局は国内マフィアや指名手配犯の情報が全て集まる場所。ジョシュアの様相から察するにJOKERの存在は保安局に認知されているのだろう。流石の道化師もMI5の目は誤魔化せなかったと──悪いがその道化の変装をも見破る目、利用させて貰おう。
「良いんですか…?お願いします、是非…!」
安堵の笑みを浮かべた上っ面の僅か数センチメートル奥で、アメリアの頭脳は謀略に向けてフル回転していた。
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「さて…クリス、ヴィレッタに連絡しておいて。会いに行くから時間空けておけって…」
場面は変わってアメリア宅。アルマは闘いの予感でも感じたのか(だとしたら当たっているが)銃の手入れ中、ダヴィデは紅茶を飲みながら新聞を読んでいた。
慌ただしく帰って来たアメリア、エステラとは既に別れ大急ぎで準備に取りかかる。準備が出来たらいつでも、とは言われたが余裕は無い。人を保護する以上MI5は必ずその人物の素性は調べる──そしてそのうちに気付くことだろう、アメリアの戸籍は偽籍であることに。
だから畳みかける。素性を洗われる前に出向き、ジョシュアの力で本部に保護して貰い内側から潜入任務開始…不完全なりには悪くない計画だ。流石のアメリアと言えども、これはワクワクしてしまうような大博打だった。
「そう仰ると思って連絡を入れておきました。今夜、空けておくそうですよ」
「excellent。忙しくなりそうで困っちゃうな──」
──またお嬢は嘘言って。クリスはくすりと笑った。
困ってるなんてとんでもない。アメリアはJOKERと言う目下最大の敵の登場、そして自分の思考が裏切られるこの状況に次第に快感を覚え始めているのだ──彼女の人生には、敵や壁はあろうとも自分と拮抗した思考を持つ”ライバル”は居なかった。なればこそ、勝ち負けに関わらず心躍ってしまうのは自然なことだ。
今や彼女は誰よりも思慮深いバトルジャンキー。熱烈な狂気を孕みつつ冷めた思考は、ナイフのように鋭く冷たいが溶岩のような灼熱の執念をも宿す。
勝ちに拘らない視点を理解してこそ、人間は勝ちを手にすることが出来るものだ──アメリアは飛躍的に成長していた。この18歳の春のクーデター決行によって。
「あぁ、それと──JOKERが私たちの動向を把握してないとも限らない。情報を共有しておこうか。」
何処か楽しげな空気は切り替わり、全員がアメリアに注目する。彼女は一度座ると、全員の目を順番に見据えた。
「この前姿を表した刺客──兄様たちを撃った奴ね。肩につくぐらいの黒髪を靡かせていた、とだけ。現場で見付かった弾丸は50-110ウィンチェスター弾だから、ウィンチェスターを担いだ相手が居たら最大限警戒。そうでなくても、別の武器を使われる可能性もあるから油断はしないで。鉢合わせたらなるべく生け捕りにすること、情報が欲しいからね。」
クリスとダヴィデは頷いた。
アルマは点検中の銃に落としていた視線を僅かに持ち上げアメリアを一瞥する──何か考え事をしているようでもあったが、そんな気配はすぐに彼の中から消えてしまった。
全員が準備に戻る。アメリアがベルトを弄くっていると、アルマがふと声を発した。
「嬢ちゃんよォ。」
銃の点検を終えた彼は、此方に何かを投げて寄越す。
キャッチして見てみると、それは弾丸だった。45LC弾の流線型にきらりと光が反射する。
ふと目に入った、弾丸に刻まれた文字──crucifyの印字。頭に残る単語。
「良い顔するようになッたじゃン、なァ?」
尖った歯を覗かせて凶悪な笑みを浮かべるアルマに、アメリアもまた裂けたような笑みを見せた。
この中の誰よりも戦いの快楽に溺れてきたアルマには、きっとアメリアの表情は一層美しく見えたことだろう──この狂ったヒットマンにお墨付きを頂けるほどの鋭利な狂気ならば、保安局ぐらい食い尽くしてやれるはずだ。
「君がそう言うなら、きっと……いや、間違いなく──」
──眺めてみた弾丸の表面に映る自分の顔は、ぞっとする程悪に染まっていた。
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「──と言う訳で、一人の少女を保護することに決まった。」
「へぇ、最近物騒ね。」
MI5本部、書類が山積みの机が立ち並ぶ広い部屋にて。ジョシュアは椅子に腰掛け、珈琲を啜りながら長い黒髪の女性職員と話していた。明日には本部へやって来るそうで、仕事が増えて困る。
「それにしても、JOKERねぇ…そんな単語が出てくるとは、ね。」
女性職員は無感傷に呟いた。それが感情を見せまいとする計画的な無機質なのか、或いは本音なのか──ジョシュアには区別が付かなかったが、そんな思索もすぐに脳内の片隅に消えて行った。今は仕事をするのみだ。
ふと感じた不吉な予感は、喉に流し込んだ珈琲の安っぽい苦味が誤魔化してくれた。




