episode1.20
一部第二十話
『Dear my…』
「──ルイは僕を庇った。奴らしいお節介であるよ。」
病院の一室、特有の薬品と死の気配の香りが漂う手狭な個室でアメリアとオーウェンは佇んでいた。二人の前には、全身を包帯で覆われたルイが意識を失ってベッドで眠っている。
アメリアとオーウェン、二人の弟妹を彼は守りきった。オーウェンは軽く腕に穴が空いたものの傷は大したことはなく、応急処置を受けたらすぐに動き回り出した。
ただ凄惨なのはルイの外傷──ざっと十数箇所の弾痕、これでまだ息があるのかと医者に驚かれたぐらいの重体だった。これでは当分彼は動けないだろう、或いはこのまま衰弱し死ぬかもしれない。オーウェンの目には責任感が、アメリアの目には困惑が宿っていた。
「兄様、刺客の顔は…姿は見えた…?」
しかし、この状況下でもアメリアの頭脳は回転を止めない。今何としても知らなければならないのは恐らくJOKERの刺客として遣わされた者の姿形だ。間違いなくこの先でも大きな障害となるに違いない、何せアメリアですら殺気に反応することは出来ても顔を見る事さえ許されなかったのだから──相当な手練れなのだろう。
オーウェンは静かに答えた。
「……肩ほどまである黒髪を靡かせていた。僕にはそれを見るので限界だったが。」
「肩ほどまである黒髪……」
心当たりは無かった。洋服店のあの女性店員の顔が一瞬脳裏を過ったが、彼女には明確なアリバイがあった。何より、人を殺すような雰囲気ではなかったし……では、誰が?
刺客の正体について考えても仕方ないと悟ったアメリアは、次にこの襲撃の意義へと思いを巡らせる。口封じ?それとも警告?或いは──
「──エメ。」
思考に割って入るオーウェンの声に、アメリアは視線を彼へ移す。そこには神妙な面持ちで眼鏡の向こうから瞳を覗かせる彼の姿があった。瞳に含まれる色は……疑心?
「あの時、お前は銃弾を避けた。今思えばその後の判断も冷静過ぎる。何者なのだ、お前は…」
アメリアは少し眉を動かし、困惑したような表情を浮かべてオーウェンの瞳を見詰め返す。何を言っているのかわからない、そう瞳で伝える完璧なる”嘘”──裁判官も欺けてしまいそうなその真性の嘘吐きの表情に、オーウェンは理知的な瞳を少し見開いた。まるで全て見抜いているかの様に。
「エメ──」
ゆっくりと言葉を綴る彼に、嘘吐きの表情を崩さずにただ見つめ続けるアメリア。
それ以上言わないで、兄様。それ以上言われたら、貴方を──
「──お前は」
「アメリアちゃーん!!」
唐突に開いた扉とエステラの大声で二人は完全に硬直した。最悪で最高のタイミング。
言葉をまくしたてるエステラには状況は目に入っていない。興奮しているようだ。
「あのね、アメリアちゃんが何と戦ってる?襲われてる?かはわかんないけど……あたしなら力になれるかもしれないよ!」
エステラのブルーの瞳が燦々と輝く。ずいっと間を詰めて両手を取り握ってくる彼女に、アメリアは内心追及を免れる雰囲気となったのを安堵しつつもエステラに問う。
「力にって、何が…?どうやって…?」
エステラは即答する。
「あたしのお父さん、MI5の偉い人なの!悪いやつと戦ってるなら、あたしのお父さんがきっと助けてくれるよ!」
エムアイファイブノエライヒト。鼓膜を通じて脳内で反芻される音声に、流石のアメリアも呆けた表情を浮かべた。きっと兄も似たような顔をしているだろう。
MI5、大英帝国保安局。国家内での対テロ、及び対犯罪組織任務を統括するエージェントの集まり──聞き間違えであるか聞くまでも無く、ハキハキ喋るエステラの言葉は一字一句違えよう筈も無いが、それでも尚聞き返そうかと思う程にはアメリアは動揺した。
何せ、今やマフィアの最大の敵は奴ら保安局なのだから。
「え、あー……う、うん…?」
どうにか捻り出した迷いがちな声に、エステラの明るい顔は更にぱっと輝いた。
なんて可愛らしいんだろう、私の愛しの表側。彼女が言うからには何とかなる、なんて気がしてしまう。自分がエステラに向ける感情は複雑で、語るに尽くせないが──存外、彼女を頼りにして、甘えている部分もあるのだとアメリアは気付いた。
そんな惚気も他所に、エステラはアメリアの手を引いて立ち上がる。
「じゃあ行こっ、あたしの家!」
「えぇ!?今から!?」
つられて立ち上がったアメリア、そのまま可愛らしい協力者に引かれてずるずる後を追う。大声を出し過ぎたようで周囲の看護師の視線が痛い中、廊下を引き摺られるように歩くアメリアに背後から声が。
「エメ!」
振り返ったアメリアはの目には、オーウェンの姿が映った。表情に垣間見える感情は、恐らく怒りか。
「僕は…僕は此処でルイを守る。話は…後々で構わないが…何時かは、話して貰うのだからな。」
「──うん、いつか。」
振り返って微笑する。兄の顔は心なしか地獄行きを見送る天使の様だった──否、地獄で上等。
使えるものは何だって、保安局だって使ってやる。それがエステラでも──ごめんね、エステラ。君が助けてくれるって言ったんだから、頼っても良いんだよね。
エステラはアメリアの守りたいもの。関わらせるつもりはなかったが、これは運命なのだと思う──しか、なかった。
部屋の外で待っていたのであろうクリスがアメリアの隣に並んだ。
「お嬢、良いのですか?」
「うん。良いよ、今は。」
訝しげな表情を浮かべるクリスに、アメリアは軽く微笑みかけた。




