episode1.15
一部第十五話
『日常?』
雑巾で粗雑に拭かれた床の上にテーブルがみし、と音を立てつつ設置される。正確には元の位置に戻った…と言うべきか。
「ふぅー…ダヴィデ、貴方って珠に変なところあるよね。」
珈琲の匂いが染みついた雑巾をきつく絞りながら、少し面白そうな声色で言葉を発したのはアメリア。背後では気不味そうに笑うダヴィデと、クッキーをちりとりに集めるクリス、机の位置を調整するアルマ。仲間が増えたはいいものの、机が吹っ飛んでしまってはくつろげもしない。皆で手分けして片付け中だったと言う訳だ。
「まァまァ、そう言わんでくれよ…夕飯は気合い入れて作るからさ、許してな?」
ダヴィデの言葉にアメリアは振り返って珍しく見て取れるほどの喜色を瞳に浮かべる。
「本当?楽しみ。昔を思い出すなぁ…」
アメリアがダヴィデの元で過ごしていた頃は彼が三食作っていたのだろう。わざわざアメリアが喜ぶほどとは相当のものに違いない。
「私もお手伝いします。」
「今晩はパーティーッてか。楽しくてイイねェ…」
クリスは劣等感からか或いは焦燥感からか調理の手伝いを申し出る。アルマの方はただただ何が出てくるのか楽しみなようで、手伝う気はさらさらないようだが。
「じゃあそろそろ準備しなくっちゃ。クリス…っつったっけ、ついて来な。」
窓からは若干赤みがかった陽光が差し込んでいる。先んじて歩くダヴィデに連れられて、クリスは足早にキッチンへ向かった。
「さァて、と…」
アルマは立ち上がると、二人が去るのを尻目にそこらの棚を開けて片っ端から漁り始める。アメリアは怪訝そうな表情でその様子を眺めている。
ふと、アルマが”おっ”と軽く声を上げた。
「嬢ちゃんよ、飯出来るまで暇だよなァ?」
アルマは棚から取り出したワインボトルを掲げて見せる。
アメリアは呆れるように笑った。
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「私に料理を教えてください!」
「はァ…?良いけど、どーしたよ?」
キッチンでは調味料を並べるダヴィデにクリスが完璧直角の礼をして頼み事をしていた。
クリスの切な願い───ずっとアメリアの傍に居るには完璧でなくてはならない。確かにクリスは何でも出来る。暗殺諜報何でも御座れ、しかし料理だけは駄目なのだ。
自信もないままに料理を振舞った数年前、”炊事は私がやるよ”───アメリアの言葉は今でも記憶から甦るたびにクリスの心に尋常じゃないダメージを与える。どうしても経験に左右される料理を、人生の大半をまともなものを食べずに過ごしたクリスが上手く作るなんて無理な話だった。
「これ以上…お嬢だけに炊事を任せられません。せめて手伝えるぐらいにはならないと…!」
ダヴィデはくすりと笑った。
「愛、だねェ…
いいよ、教えたるから先ずは見てな。」
シニカルな微笑みには、何処か人生への達観が感じられる。これが大人の余裕と言うものなのだろう。
クリスは認めざるを得なかった。確かに、凄く頼りになる男だと───
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──その頃、壁一枚隔てた向こう、リビングはと言うと、つんと漂う果実の匂いと楽しげな話し声に満ちていた。机の上には随分と減りの早いワインボトル、グラスになみなみ注がれる音。
アメリアとアルマは案の定、二人になると飲んだくれてしまった。話も盛り上がっているようだ。
「私も色々試したんだけどねぇ、やっぱりウェブリー・フォスベリーは良いよ。すぐ次発が撃てるし、威力も十分だし、精度もいい……難題はコッキングだけど、それは改造済みでさ。ちゃんと片手でできるようにしてあるんだ。」
「俺ァ狙撃手でねェ。遠間で仕留めるにゃァそれじゃ足りんのよ…コイツは最高だぜ、C・S・A・A…男ならリロードのことなンざ考えずにキッカリ六発以内に仕留めてこそだろォがッてなァ?ま、俺も改造はしてッけど。」
二人の共通の話題と言うと、やはり武器。アメリアは先程ダヴィデの眉間に向けていたウェブリー・フォスベリーを、アルマは相変わらず化け物じみた銃身の長さを誇るC・S・A・Aをお互い見せ付ける様に腰から取り出して見せる。
「君らしいけど、私にはそんな芸当できないもの。君の腕と握力があって初めて出来ることでしょう、そんな銃で遠くの敵を狙うなんて?私にはとてもムリだよ…」
未だ短い付き合いだが、これはハッキリしていること。彼は超一流のスナイパーだ。自分を殺しかけた女の尻を追っかける変態かつ狂人なのは間違いないが、彼の狂い方は戦いにおいては獣のように鋭く頼もしい。
アルマとの戦いを思い出す度にアメリアは思う──認めたくないが、勝因のうち大きな要素を運が占めていること。運も実力のうちだと割り切ることは簡単だが、彼女はそれを選ばない。
ふと、アメリアの頭を一つの疑問がもたげた。
酒とは不思議なものだ。普段なら言わないようなことも、酒の力にかかれば次々滑り出す。
「……ねぇ、アルマ。君って結局、学校で時計塔から私を狙った時──当てるつもりで撃ってたの?しっかり、少しの侮りも躊躇もなく私の頭を狙って、引き金を引いたんだよね?」
アルマは目を見開いた。小さい黒目が少し揺れ、驚いたような表情。唇の隙間から覗く尖った歯が、言葉を手繰り寄せようと上下するのをアメリアは暫く眺めた。
あの時、姿勢は撃ち下ろし。仰角により射程は延びる。窓一枚を加味しても──
「──まッさか。俺でもあの距離、窓までヌいて百発百中ッてワケにゃイカねェよ。幾ら嬢ちゃんが美人だからッて躊躇うわきゃねーだろ、ッはは!」
乾いた笑いと共に酒をちびちび呷るアルマに、アメリアは目を細め少し笑った。納得したのか、興味を失ったのか。
アルマは言葉を続ける。本来のCSAAのそれより長い銃身を軽く指先で撫でながら。
「最大射程百五十メートルってトコだな。絶対当てられるのは五十メートル以内……嬢ちゃんもちょッと持ってみろよ、ホラ。」
愛銃をアメリアに手渡すアルマ。アメリアは片手で受け取り、”おっと”と小さく驚く。
「これは……やっぱり重いね、凄く…」
アメリアは両手で銃を支え銃身のブレを抑えようと努める。アルマはけらけら笑った。
「あッは!嬢ちゃんには重いかい?」
アメリアは少し悔しそうな顔をしては、何を…と片目を瞑り狙いを研ぎ澄ませるような様子を見せる。これぐらい自分にだって…とでも言いたげだ。
そんなことをしているとアルマの背後でがちゃ、と扉が開いてダヴィデが顔を出した。
「おいおい、煩いと思ったらなにやってんだい。勝手にボトル開けちゃって…」
「わぁ!?」
突然の襲来に驚いたアメリアの指が、うっか。引き金を引く。炸裂した火薬が、今日二度目の弾丸を弾き出しダヴィデの顔面の横を再び駆け抜ける──
食器棚に空いた二つ目の穴が何とも悲壮だった。アメリアも少し気不味そうだ。
「……はァ。」
溜息をついてやれやれと呆れるダヴィデの背後で、敵襲かと勘違いしたクリスがナイフ片手に猛スピードで飛び出した。
後日、ダヴィデは近所の人に家に狼が入って来たもので…等と言い訳に奔走したらしい。
最も、そんな話は誰も信じなかった。これから詰み上がる死体の山に使う銃弾の数を考えれば、おかしなことでもない。




