episode1.14
一部第十四話
『美しき駒』
クリスは更なる困惑の渦に叩き落された。
アメリアはあろうことか拳銃を片手にダヴィデに向き合っている。臨戦態勢か、或いは脅しでもかけるのだろうか──どちらにせよ明確なのは、”ダヴィデを殺すことも考慮している”と言う事実。
何故──と頭の中で問うクリス、それに丁度答えるようにアメリアが口を開く。
「ところで、さ。」
雰囲気が変わる。アメリアの無邪気だった黒瞳が、うっすらと魔性を帯びて吸い込まれるような宝石よりも深い輝きを発している。ダヴィデはひゅう、と口笛を軽く吹いた。
「私が小さい頃にした約束、覚えてる?」
クリスは一瞬硬直した。
気抜けするにも程がある、子供の約束。アメリアは続けて口を開く。一体何を──
「──いつか貴方が私の部下になって、一緒に世界を支配するんだって。」
そう、アメリアは子供の時でさえ”そう言う”人間だった。さながらQueenのよう、その魔性は誰も彼も惹き付ける究極の蠱毒。アメリアの毒牙はとっくにダヴィデに襲いかかっていたのだ。
ダヴィデはそれを聞くと一瞬遠い目になり、それからふと”思い出した”と分かりやすい表情を浮かべてはアメリアに言葉を返す。
「あ~、したねェ。懐かしいじゃん、良く覚えてんな…こう言うのは年寄りが切り出す話題だろーに、ハハ。」
乾いた笑い声を漏らしつつ珈琲を啜るダヴィデの表情はまだ穏やかだ。それもそのはず、彼からすれば少女アメリアの放った一言は精々”だいとうりょうになるのがゆめです”なんて子供の一時の高望みに過ぎないのだろう。誰だってそう考える。ただ一人、アメリアはそれに当て嵌まらない──
「約束、守ってくれるよね。」
アメリアはにっこりと”あの時”そうであったように満面の笑みを浮かべて、片手の小指を差し出す。”Pinky swear”──あの日した約束の履行は今行われる。
ダヴィデは少し不思議そうな顔をして、アメリアの差し出す白く細い小指を眺めた後にアメリアの顔に視線を移す。どうすりゃいいんだい、なんて言いたげな戸惑いの視線。
アメリアは再び口を開く。
「ダヴィデ。私はあの日から…違うな。生まれた時からずっと、王道を歩んでるんだよ。」
くるり、アメリアの掌の上で踊った拳銃が閃き、堂々と ダヴィデの眉間に銃口が向けられる。窓から差し込む光に照らされるウェブリー=フォスベリー。アルマも腰から銃を抜き銃口を向けようとすると、それをアメリアは片手で静止した。
ダヴィデはまだ、焦りもしない。拳銃の銃口を見詰める視線が、まるで一面の草原でも眺めているかのような異常なまでの穏やかさ──否、ダヴィデの視線にはまるで”撃たれるつもり”が無かった。視線が銃口を突き抜けてアメリアの目を見ている、少しも撃たれることなど考えていないその視線が、アメリアの感情を波打たせる。
「なんでそんな目で私を見るの。ずっとそう──貴方だけが私を”舐めてる”。私はずっと貴方を超えられないような気がしてならない。貴方にとって私はまだ子供だって言うの?だったら、もう違うってところを見せてあげるよ──!」
指を僅かに動かすだけで人が死ぬ殺意と鉄の塊、アメリアがその引き金を引くことを躊躇う筈もなく。告白にも似た台詞を吐き出した刹那、銃口から滑り出た弾丸は確実にダヴィデを仕留めようとしていた──ダヴィデは発砲の直前に頭を五センチメートル程ずらすと、弾丸は浅く彼の皮膚を抉って顔の真横を駆け抜け背後の食器棚を破壊する。
皿が割れて砕けるけたたましい音の中、ダヴィデは一瞬笑った。
ダヴィデの片足が机を蹴り飛ばし、二人の間に在った机が跳ね飛ばされて散乱する割れたクッキーとコーヒー。アメリアはその様子を眺めるのみで、銃を下ろして動かない。素早く立ち上がって少しの間合いを即座に詰めたダヴィデが取った行動は──
──アメリアの空いている片手を取ると、跪き手の甲にキスをした。
王に忠誠を示す騎士の如く、それは厳かで神聖な儀式。血の掟は此処に誓われた。
アメリアの指示に背いてでもダヴィデを撃とうと狙いを定めていたアルマ、既に腰からナイフを抜き飛び出す直前の構えを取っていたクリス、二人共々見惚れてしまうほど、壁画にでもしたいような光景で──そのことに嫉妬心が去来するよりも先に、訪れたのはまたしても困惑だった。
クリスが口を開く。
「何故、そんな唐突に…」
「ナイス質問。」
クリスの問いはアルマも共有していた疑問だったようだ。
ダヴィデはするりと立ち上がると、くすりと笑って返答する。視線はアメリアに向けたまま。
「エメは俺を本気で殺そうとした。言っちゃ難だけど、けっこーお世話ンなったはずの俺を、本気で……ね?」
冗談半分の瞳、そのもう半分に宿るのは覚悟だろうか。
「その恩人の眉間ブチ抜いて進む覚悟があるってんなら、俺は協力するよ。もしワザと外そうとしたりしたら、そのまんま帰らしてたとこだわ。
あァ、ハッキリ言って”舐めてた”さ。こんだけ成長してるたぁね、俺も冥利に尽きるってもんだ…」
アメリアとダヴィデの覚悟が相まみえた刹那の終結。アルマは何処となく納得したような(無論頭ではなく心で、だが)顔をし、クリスは明らかに警戒半分と言う程度に留まった。
そう、あの一発にはアメリアの覚悟が詰まっていたのだ。初恋の、憧れのダヴィデを殺すかもしれないと言う拭いようもない疑念を───
「───どうせ貴方なら避けると思ったから。」
アメリアは吐き捨てるように呟く。この場の誰もが、今の台詞はほんの少しの嘘を孕んでいることを知っていた。不安じゃなかったはずがない。アメリアだって人間なのだから。
結果、ダヴィデへの信頼が勝った。それだけのこと。
「親父さんのイス、奪いに行くんだろう?俺もご一緒させて貰うとするかねェ…てな訳で、お連れさん方はこれから宜しく。こんなオッサンが弟分ってのは釈然としないだろうが、まぁこき使ってくれや。」
「正直遠慮したいところですが。」
「俺最近はめっちゃお前と気ィ合うわ。」
ライバルが増えたとしか思えないのだろう、二人して渋面を浮かべる一の騎士と二の騎士を横目にくすりと笑いつつ、アメリアはふと問う。
「───何で父様を狙ってるって分かったの?それと、その上でどうして父様を裏切れるの?貴方は父様の最初の部下の一人でしょう、最も信頼されている幹部の一人なのに。」
計画立案段階でその心配は無かったのかとクリスは少しぎょっとした。アメリアは自分に自信が有り過ぎるせいか、失敗した場合のリスクを度外視しがちだ。
その問いに対して、ダヴィデはあっけらかんと答える。
「だってエメは昔から言ってたよ、”おとうさまよりすごいひとになる”ってさ。
裏切ることについちゃ…エメが生まれた時、親父さんが───コレツィオが言ったんだよ。”俺がアメリアの傍に居ない時、お前が代わりに守れ”って…」
アメリアは少し目を見開いて、それから溜息を吐いた。
「本当、男って…馬鹿ばっかりだね。」
苦笑するしかなくて、アメリアは静かに口元を弛めた。
それもふと止まると、床を見回して───
「───机、倒すことなかったんじゃないの?」
散らばったクッキーと床を黒染めするコーヒー、逆さのテーブル。
ダヴィデはぽりぽり、指先で頭を掻きながら気不味そうに笑った。




