シノロドン
いつもより熱めのシャワーを、頭から一気にかけ流した。
甘く香るベリーの香りは、流れ落ちた泡と共にグルグルと渦を描き排水溝へと吸い込まれていった。
家族が使うシャンプーやリンス、ボデイーソープや歯磨き粉などの生活必需品は全て母の趣味で購入されたものだ。
母は一つの種類に拘るのではなく、色んな種類を試したいらしく、常に我が家の風呂場には二種類以上のボトルが置かれていた。
どうやら今はフルーツの香りにハマっているらしく、シャンプーとリンスはグレープフルーツとラズベリー香り。ボディーソープはレモンハーブとスイートストロベリーの香りが並んでいた。
甘い香りはいまいち苦手で、いつもであれば使わないのだが、今日はそんな事も気にならないくらい頭は別の事で占められていた。
一日目の薔薇の市は、大盛況のうちに終了した。
なんと一日目の来場者数としては過去最高だったようで、町長が町内放送で意気揚々と話していた。
ホワイトローズ種守としても、用意しておいた今日分の薔薇の殆どが完売した。
慣れない接客で疲れた心も体もこの場でさっぱり洗い流したいのに、あの手紙の事がどうしようもなく気になってしまう。
体に泡が付いていない事を確認してから、浴槽に浸かった。
浴槽のお湯も、いつもであれば何かしらのバスソルトで香りや色が付いているが、今日は母がいないため透明なままだ。
風呂の縁に頭を凭れ、体全身をお湯の中に溶かしていくように力を抜いていく。
高校では陸上部に所属して、長距離走の選手をしていた。その為、部活が終わる度に毎回ヘトヘトの状態で帰って来ていた。
家で疲れを取るには、浴槽に浸かるのが一番だ。その時の癖が今も抜けず、疲れた時はこうして頭を風呂の縁に凭れかけ、全身の力をお湯に溶かすように入るのが俺の定番になっていた。
風呂から上がり、火照った体のまま部屋のベットに倒れ込んだ。
髪の毛はドライヤーで乾かしたが、まだ少し湿り気が残っていたようで、髪から滴った水が枕に数滴跡をつけた。
その内の一番大きな水滴の跡が、何だか花の形のようだった。
俺はその跡を指でなぞりながら、もう一度、今日手渡された手紙の事を思い返していた。
──ベットに潜り込んでお尻に悪戯した花は…。
「一体、なんの事なんだよ…」
曽根崎さんから聞いた話によると、暦ノ旅館で大学生くらいの女性に手渡されたと言っていた。
ただ、手紙を渡すとすぐにどこかへ行ってしまい、名前も目的も聞けなかったそうだ。
曽根崎さんはパンフレットで元々うちの店をチェックしてくれていたらしく、種守と名前を聞いてすぐに「ホワイトローズ種守」だと分かったそうだ。
暦ノ旅館といえば、家からも見える山の頂上付近にある大きな旅館で、小さい頃に一度泊まりに行ったことがあった気がする。確か、母が町のくじ引きで宿泊券を当てたのだ。
中庭がすごく綺麗だった記憶がある。
あの頃は分からなかったが、今思えばあの旅館で初めて日本庭園と言う物を見たのだ。
良く手入れされた花や木はまるで作り物みたいで、神様が上から一つ一つ最適な位置にパーツを置いて作り上げた空間みたいだった。
庭に咲いていた白くて綺麗な花の名前を聞きたかったのに、その日じいちゃんは親子水入らずで行ってこいと言って一緒に来なかったのだ。
その旅館からやって来た、この手紙。
考えれば考えるだけ、疑問のみが湧き上がってきた。
まずは、この手紙の目的。白い薔薇を売る種守、だなんて名指しで渡してきているのに肝心の手紙の内容が理解不明だ。
そしてこの手紙を手渡して来たと言う、大学生くらいの女性。彼女は暦ノ旅館に泊まっている客なのだろうか。
だとしたら、どうして直接渡しに来ないのだろう。
暦ノ旅館から茨町までは、女性の足で歩いても十五分位で着く距離なのに。
それに、手紙に書いてある「ベットに潜り込んでお尻に悪戯した花は?」の言葉。
最後がクエスチョンマークで終わっているから、これに対する回答が欲しいのだろうけど…。
「ベットに潜り込んでお尻に悪戯、って一体なんだよ」
俺は仰向けになりながら額に手を当てた。
既に乾ききった前髪は、少しパサパサとしていた。
女性からの手紙。ベット。潜り込む。お尻。悪戯…。もしかして、夜這いとか!?
「いや、さすがに違うよな」
なんだかよからぬ方向に思考が持っていかれそうだ。
偏りかけた思考を修正するように、一度起き上がり頭を振った。
今の時代そんな誘い方があるものか。大体、相手の事すらよく分かっていないのに。
「はぁ。少し冷静になろう」
俺は気を取り直し、もう一度仰向けに寝転んだ。
そして、今度は腹の上で手を組んでゆっくりと深呼吸をした。
とりあえず今は女性の目的より、手紙の内容に重点を置く事にしよう。
内容が分かれば、自ずと女性の正体も見えてくるかもしれない。
お尻に悪戯した花、と書いてあったのだからきっと何らかの花の名前が答えなのだろう。
けれどお尻に悪戯する花なんて、この世の中にあるのだろうか。
そもそも花が悪戯をするのか、それとも花を使って悪戯をするのか。もし花が悪戯をするとしたら、それは何かの比喩表現なのだろうか。
それに、どうしてベットに潜り込む必要があるんだ。
悪戯なんて何処でても出来るのに。
ベットでしか出来ない事なのか、若しくはベットだから意味がある事なのか。
それにお尻…。それは、お尻限定なのか。
「あぁ、ダメだ」
考えた分だけ、思考が泥の沼に嵌っていくようだった。
きっと散り散りで纏まらない思考は、そろそろ体力の限界が近づいている事が影響しているのだろう。
横目でチラリと時計を見ると、短い針は一時を通り過ぎていた。
どうやら、ここが限界のようだった。
意識が思考ではなく、眠りの沼に落ちていく番が来たようだ。
少しの間微睡みの中をさ迷っていた意識は、気づかない内に深い眠りへと吸い込まれていった。
薔薇の市、二日目。
今日も朝から大勢の人が茨町へ集まっていた。
甘美・心地良い・魅惑的。薔薇の香りを表す言葉は無数に存在する。そして、そのどれもが正解で、どれが適切な一つなのかは未だに模索中とされている。
今も店先で展覧用の薔薇の水換えをしている俺の元へ、甘く引き寄せられそうな香りが風に乗って漂って来ている。
花瓶の水は清潔が第一だ。
ずっと同じ水を使いっ放しだと雑菌が繁殖してしまい、薔薇がすぐダメになってしまう。
だからこうして、常に綺麗な水にしておく必要がある。
大きな花瓶だと結構重く、水換えさえ一苦労だ。
一晩寝て、昨日の疲れはすっかり取れていたが、手紙の件は未だに熟考中だ。
朝食の時じいちゃんに相談しようかとも思ったが、もし不審者やただの嫌がらせの手紙だとしたら心配を掛けてしまうかもしれない。そう思い、俺自身がもう少し手紙の正体を掴めるまでは、話さないでおこうと決めたのだ。
ようやく水換えも終わり、既に何人かの客が薔薇を見始めていた。
その中で、熱心にしずくを見ている男の子に目が止まった。
それは中学生くらいの男の子で、もう十分以上しずくの前で悩んでいた。
「あの、何かお探しですか?」
少し気になり声を掛けてみると「あ、えっと、ごめんなさい!」と、慌てて店を飛び出して行ってしまった。
反射的に追いかけようとしたが、男の子は人混みの中へ紛れ込んでしまい、探す事は難しそうだった。
「俺、何かまずい事でもしたのか」
もしかしたら、声を掛けられたくなかったのかもしれない。そうだとしたら、申し訳ない事をした。
その後も、もう一度戻って来ないかと待ってみたが、昼近くになっても男の子が現れることはなかった。
何人かいた客も昼食を食べに行ってしまったようで、いつの間にか店には俺一人になっていた。
ちょうど良いタイミングかもしれない。
男の子の事は気にかかったが、店の入口に休憩中の立札を出し、パンフレットを片手に店を出る事にした。
今日はおにぎりを持ってきていない。なぜなら昼食は、昨日から気になっていた薔薇ラーメンにすると決めていたからだ。
食事処のスペースは町の中央広場にある。
簡易の椅子やテーブルがたくさん用意され、そこで買った料理を食べられるようになっているのだ。まるで商業施設にあるフードコートみたいな感じだ。
目当てとしていた薔薇ラーメンはかなりの人気で、今も数人の行列が出来ていた。
それでも料理が出るまでにそれ程時間は掛からず、すぐに受け取る事が出来た。
俺が注文した薔薇ラーメン餃子セットは一番の人気メニューらしく、餃子の餡にも薔薇が入っているようだった。
トレーを持ったまま空いている席を探し歩いていると、端の方の人が疎らなスペースに先程の男の子が一人で座っているのを見つけた。
店での件もあり、どうしようか少し迷ったが、俺の足は男の子の方へと向かっていた。
「ここ、空いてますか?」
透明なプラスチックのカップにピンク色の液体が入った飲み物を俯き気味に飲んでいた男の子は、返事をしようと顔を上げた。そして一瞬で、驚愕の表情へと変わった。
また逃げられてしまうか。
そう思ったのも束の間「…どうぞ」と言葉が帰ってきた時には、俺の方が少し戸惑ってしまった。
しばし無言で、ラーメンを啜り餃子を食べた。
少しの気まずさが漂うこんな空間でも、美味いものは美味い。
最初の一口は牽制したが、あっさりしたスープに薔薇の練り込まれた独特の麺がよく合う。
餃子も、齧ってみると中に薔薇の花が入っているのが分かった。しかし、味は普段の餃子とあまり変りなく美味しかった。
スープまで綺麗に飲み干したところで、目の前の男の子に声を掛けた。
俺が食べている間、気を使ってか一言も話し掛けて来る事なく、持っていた飲み物を飲んだり辺りを見回したり携帯を弄ったりしていた。
男の子がずっと持っているピンク色の液体も気になったが、まずは別の話からだ。
「俺の店でずっと薔薇を見ていたよね?」
その言葉に男の子は一瞬ビクッとし、小さく「はい」と答えた。
怯えているような態度に、俺は慌てて弁明した。
「いや、別に責めているわけじゃないんだ。薔薇について分からない事があるんじゃないかと思って声を掛けたら店を飛び出して行ってしまったから、少し気になって」
「…」
「あぁ、えっと…。俺はホワイトローズ種守の店主で、種守司と言います。君の名前は?」
返答して貰えないかとも思ったが、少しの間を置き答えが帰ってきた。
「…楠木 陽向、中学二年です」
まだ警戒はされているようだが、ちゃんと返してくれた事は素直に嬉しかった。
「陽向って呼んでいいかな?」
そう言うと、男の子はコクリと頷いた。
「じゃあ。陽向は、しずくをずっと見ていたよな」
しずく、という言葉に陽向が反応したようだった。
「買おうかどうか、迷ってたのか?」
そう聞くと、手に持っていたカップのストローでピンク色の液体をかき混ぜながら「えっと、あの」と、歯切れの悪い言葉を返してきた。
その様子から、やっぱり陽向は何かに迷っているみたいだった。
「あのさ、もし俺で分かる事があるなら相談に乗るけど」
俺の言葉に俯き気味に逡巡していた陽向が、ゆっくりとこちらへ向き直った。
そして、ギュッと結ばれた口が次第に解けていくのが分かった。
「薔薇を買おうか、迷っていました」
弱々しいが、陽向の口から初めて薔薇の話が出てきた。
次の言葉を探している陽向を、俺は手を組み聞く体勢で待った。
「えっと、しずくともう一つで迷っていたんです。でも、もう一つは司さんのお店の薔薇じゃなくて…」
申し訳なさそうな表情の陽向に、俺は大丈夫と頷いてみせた。すると、ホッとしたように次の言葉を続けた。
「迷っていたもう一つは、フラワーショップ唯美に売っているスノー・グースです」
「スノー・グースか。確か白いポンポン咲きの薔薇だよな」
「ポンポン咲き?」
俺の言葉に陽向が小首を傾げた。
「ポンポン咲きって言うのは、花びらが丸く集まって咲く咲き方だよ。丸くなった姿がチアリーダーとかが持っているポンポンに似ているから、そう呼ばれているんだ」
俺の説明に陽向は「確かにそんな感じでした」と納得していた。
「どうして、その二つなんだ?」
「えっと、それは…」
どうやら話すのを渋っていた理由がここにあるようだった。
陽向はカップに残っていたピンク色の液体をストローで一気に吸い上げ、ゴクンと飲み込んだ。
本当にこの液体は、何なのだろう。
「えっと、実は俺の同級生が今、入院していて。その子にあげる薔薇を選んでいたんです」
予想外の言葉に俺は息を飲んだ。
「入院って…。悪い、俺余計な口出ししたか!?」
「いや、全然!命に関わる病気とかじゃないので、大丈夫です」
少し明るめに返してくれた言葉に、そっと胸を撫で下ろした。
「その子、毎年この薔薇の市を楽しみにしていたんです。なのに、今年は行けないって凄く落ち込んでいて。だからお見舞いに薔薇を買っていこうかなって、思ったんです」
少し照れて赤くなりながら、陽向はそう話してくれた。
「そうだったのか。でも、どうしてスノー・グースとしずくで悩んでたんだ?」
すると陽向の顔が更に赤くなった。
「じ、実は、その子の名前が雪希って言うので、名前に因んだ薔薇を買っていこうかなと…。名前に雪が入っているスノー・グースにしようと思っていた時、司さんのお店は白い薔薇ばかりを扱っていると聞いて。もしかしたら、別の薔薇もあるかもしれないと思い、見に行ったんです。そしたら、しずくがすごく綺麗な雪の色に見えて。どっちを買おうか、迷ってしまって…」
陽向が渋っていた理由がこれか。
同級生の女子のお見舞いに持っていく薔薇を選んでいたなんて、恥ずかしくて言えなかったのだろう。
しかもその子の名前に因んだ薔薇だなんて。
それでも陽向は、その子のために真剣に選んでいたんだ。
「参考になるか分からないんだけど。しずくって名前は、雪解け水の混じりっけのない純粋さをイメージして付けられたんだ。だから、あの純粋で純白な色は、陽向が思ったように雪の色で合ってるよ」
力になれるか分からないが、俺はしずくの名前の由来を陽向に教えた。
俺の言葉に陽向は目を見開いた。そして、口元に手を当て、少し考え込んでいた。
二十秒程考えていただろうか。
陽向はパッと顔を上げ「あの、司さん。この後、しずくを買いに行ってもいいですか!?」と言ってきた。
結論を出した陽向の目は煌々と輝いていた。
薔薇を贈る本数にも意味がある。
それを陽向に教えたら「じゃあ、五本にして下さい」と少し照れながら言われた。
五本は「あなたに出会えた事の心からの喜び」だ。
俺的には三本や九本をおすすめしたのだが、恥ずかしいからと全力で断られてしまった。
三本は「愛しています」「告白」
九本は「いつもあなたを想っています」「いつも一緒にいてください」
恥ずかしいだけで嫌ではなさそうだったが、これ以上は俺が口出しする事でもない。なら、影からそっと応援するとしよう。
五本のしずくの束を透明な包装紙で包み、手渡した。
「ありがとうございます」とお礼を言いながら、陽向は大切そうに花束をそっと胸に抱えた。
帰り際、ようやく俺は気になっていた事を陽向に聞く事が出来た。
「あのさ、陽向が飲んでた物って何だったんだ?」
それは陽向があの広場で飲んでいた、ピンク色の液体の事だ。
自分の食事や陽向の話で聞くタイミングを逃していたが、ずっとあの液体の正体が気になっていたのだ。
陽向は直ぐに何を聞かれているのか分かったようで「あれはフローズンローズヒップティーです。スッキリしていて凄く飲みやすかったですよ」と言った。
そして何か思い出したように「あぁ、そうだ」と呟いた。
「あれを買う時、面白い話も一緒に聞いたんです!」
柔らかい笑顔で話してくれたそれは、泥沼に嵌っている俺にとって救いの手だった。
***
大きな松の木の影から、契子はそっと縁側に置かれたお茶菓子と座布団を見ていた。
お茶菓子は両親が旅行のお土産で買ってきた物で、ご当地キャラクターがプリントされたクッキーと煎餅だ。その横によく冷えた麦茶が置かれている。
水滴がグラスの側面を伝う度、喉の渇きを誘起させるようだった。
まだ四月だと言うのに、季節外れの暖かさが連日続いている。
けれど、あと少しの辛抱だ。
私は視線を座布団へと移した。正方形をした小豆色の座布団の上に、薄手の浅葱色をしたカバーが敷いてある。
お茶菓子と座布団は母が用意した物だ。
だが、座布団の上のカバーは私が用意した物だった。
息を潜め待つこと数分、休憩の為に目的の人物が遂にやって来た。
法被、乗馬ズボン、脚絆、足袋に至るまで全身濃紺で固められた仕事着は、見ているこちらまで熱くなるようだった。
当の本人も、額にかいた大粒の汗を首に巻いた手拭いで何度も拭っている。
さあ、いよいよだ。
「休憩頂きます」と家の中にいる母に声を掛け、座布団の上に腰を下ろした。
瞬間「うおっ!」と声を上げ、その場から勢い良く飛び退いた。
大成功だ。
私は、駆け足で彼の元へと向かって行った。
「ふふふ、驚いたでしょ!うおっ、ですって。ふふふ」
彼は苦笑いを浮かべ 「お嬢さん、またですか」と頭を書きながら、座布団の上に敷いてある浅葱色のカバーを捲った。
そこには、小さく真っ赤な実がいくも散りばめられている。
「見事に引っかかったわね!」
得意気な私に、彼は赤い実を手に取りながら「ローズヒップですね」と言った。
その通りだ。私はカバーの下に薔薇の実であるローズヒップを忍ばせていたのだ。
「まったく、ローズヒップのヒップはお尻という意味じゃないんですよ」
呆れながら言う彼に、私は更に得意顔で返した。
「ふっふっふ、そんな事ないのよ。教えて上げるわ、ローズヒップはフランス語でシノロドンって言うの。けれどフランスの田舎では、ベットにこの実を忍ばせてそこに寝た人のお尻をチクチクさせる悪戯があった事から、別名『お尻かき』とも呼ばれているのよ!」
彼を見ると少し驚いたような顔をしていた。それが更に嬉しくてたまらなかった。
けれど直ぐにいつもの穏やかな顔に戻ったかと思うと、ゆっくりとこちらに近づき、そして。
「まったく、こんなに汗をかいて。ずっと松の木の下で待っていたんですか?暑かったでしょうに」
使っていたタオルとは別の新しいタオルで、私の汗をそっと拭ってくれた。
三つしか歳が離れていないのに、何だか凄く子供扱いをされている気分だ。
だけどこの優しさが私は大好きだった。だからもっと構って欲しくて、甘えたくて、つい彼を困らせることを色々としてしまうのだ。
「ねぇ、ローズヒップについて色々勉強したのよ。驚いた?」
そう聞くと、彼の少しゴツゴツした手がそっと私の頭を撫でた。
「はい、驚きました。凄いですね」
優しくて穏やかな彼の声を聞きながら、この時間がずっと続けばいいのにと、心の中で願っていた。
***
陽向から聞いた話は、あの手紙の答えそのものだった。
『ベットに潜り込んでお尻に悪戯した花は?』
これはローズヒップの事だ。つまり、薔薇の実。
この質問の答えとは、薔薇の花だ。
だけど、今は薔薇の市の真っ最中。茨町は、多種多様な薔薇で溢れ返っているのだ。
答えが分かったところで、この手紙の差出人である女性が何を意図しているのか読み解く事は不可能だった。