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母といういきもの

作者:

チャームが外れただのゴムと化した髪飾りを握りしめ、わたしはひとりで家に帰っていた。昨日まではゆうこちゃんと一緒だったけど、今日は違う。一緒に帰れるはずもない。

だってわたしと彼女はぜっこうしたのだ。


きっかけは些細なことだった。ゆうこちゃんの好きな男の子が、わたしのことを褒めていたらしい。

彼女にとっては脳天をかち割られるようにショックな出来事だったらしいが、わたしはそんなこと知ったこっちゃない。何なら彼と喋ったことすらないのだ。激高した彼女になじられた時そう伝えたが、わたしがゆうこちゃんと、その彼のことを馬鹿にしていると思ったらしい。

更に怒りを増した彼女は、わたしの髪を引っ張り、その弾みで髪飾りを引きちぎってしまった。

そうして引っ込みがつかなくなりぜっこうだと泣き始めた彼女を見て、わたしはただただ戸惑っていた。

だって、私は何もしていないのに、今日だってゆうこちゃんとおそろいの約束をした髪飾りをつけて、いつも通りに話しかけただけなのに、気づけば彼女が目の前で泣きわめいている。


泣いているゆうこちゃんと呆然としているわたしを見た先生は、まずわたしに事情を聞いた。当然の判断だ。鼻水をたらしておんおんと泣いている彼女にまともな言葉を期待できそうにない。

だけどわたしは、ほんとうにその時は混乱していて、

「えっと、ゆうこちゃん泣いちゃって、わたしわかんないんです」

としか言うことができなかった。

もっと伝えるべき事がたくさんあった。わたしの髪飾りが壊れたこととか、彼女の好きな人のこととか。でも、好きな人のことは女友達の間でだけ共有される、最大の秘密だ。先生に言うわけにはいかない。でもそのことを隠していると、何も伝えることが無くなってしまったのだ。

泣いている彼女は保健室に、魂が抜けてしまったわたしは教室に戻され、そうこうしているうちに学校が終わった。


ぼうっとしたまま3つめの電信柱を曲がる。もうすぐ家に着くけれど、頭の中がぐちゃぐちゃのままだ。家で待っているおかあさんは、きっと全部知っている。先生が、わたしが喧嘩したって電話しているのを、職員室で聞いていたもの。

どうしよう、何から説明すればいいんだろう。わたしは悪くないと思うけど、怒られちゃうんだろうか。でも、ゆうこちゃんだって好きな人を取られたくなかったんだ。ゆうこちゃんは悪くない。じゃあ、なんて言えばいいんだろう。

インターホンを押せずに指でこすっていると、ういーん、とカメラが動き出した。しまった、と思った瞬間にくぐもったお母さんの声が聞こえる。

「おかえりなさい、今日はクッキーよ」

いつも通り、今日のおやつを教えてくれる優しい声。

もしかしたら、何にも知らないのかもしれない。きっと先生が話していたのは、ゆうこちゃんのお母さんだ。

できるだけ普段の通りに見えるよう、ただいま、と応え、私はそうっとドアノブを回した。


靴を脱いで、手を洗って、鞄を部屋に置く。そしてキッチンにいるお母さんと一緒におやつの準備をするのが学校がある日のルーティーンだ。

髪飾りだったものを拳に隠しているせいでいくらか手間取ってしまったが、今日もキッチンまで辿り着くことができた。晩ご飯の準備をしているのだろうか、鍋で何かを煮込んでいるお母さんのエプロンを引っ張る。

わたしに気づいたお母さんは一瞬目を見張り、ふにゃりと笑って言った。

「今日は特別なおやつだから、席について待っててね」

だめだ、お母さんは知ってる。前に男の子と喧嘩したときにもおんなじ顔で、おんなじ声で特別なおやつがあるんだと言った。


閻魔様の順番待ちをしている気分で、わたしの椅子に座る。閻魔様は嘘がわかる鏡を持ってて、嘘つきは舌を引っこ抜かれて地獄行きだと、図書館の先生が言っていた。前の喧嘩の時は、隠すことなんて何も無かった。砂場を占領していた彼らと取っ組み合いになっただけだったから。

ゆうこちゃんのことを全部話すわけにはいかない。でもそうしたら地獄行きで、お母さんにも会えなくなっちゃう。刻々と近づくおやつの時間にわたしの脳みそは限界を迎え、ティーセットを持ったお母さんが目の前に座った瞬間、渦巻いていた思考が決壊した。

つまりはまあ、ゆうこちゃんに負けず劣らずの勢いで泣きわめいたのだ。

相づちを打ちながら紅茶とクッキーの準備をするお母さんに、わたしはすべて打ち明けてしまった。

好きな人のことも、髪飾りのことも、地獄行きになったらどうしようなんて話も、考えていたこと全部が口から流れ出ていった。

ある程度わたしの泣きが落ち着く時間を計算していたのだろうか、お母さんは

「すみれとさくらのカップ、今日はどっちがいい?」

としゃくり始めたわたしに聞いた。


鼻をかみながら濁った声ですみれ、と応えた私にお母さんは頷き、紅茶を注いだ金縁のカップを差し出した。わたしと話したいことがあるときだけ、お母さんは綺麗なカップを使い、少し上等なお菓子を用意して特別なおやつよ、とわたしを呼ぶのだ。

わたしの話をひとしきり聞いたお母さんは、変わらずにこにこと微笑んでいる。

怒らないのかな。

一体何が悪くて誰が原因なのかもわからない、脈絡もあらすじもない話をしたのに全部わかっているかのような顔で、お母さんは言った。


「明日になればきっと全部解決するから、おやつの後はお昼寝でもしましょうね」

「髪飾り、お母さんが直すから机の上に置いときなさい」


なんでそう言い切れるんだろう。ゆうこちゃんが簡単に許してくれるとは思えないし、わたしだって目を見てお話しできないと思う。いちごのクッキーを頬張りながら、眉間に皺を寄せそう言った。

なぜかお母さんは堪えきれないように吹き出してしまった。

そしてふすふす息を漏らしながら、憮然としたわたしのおでこを指でつつき、

「お母さんの勘としか言えないわねえ」と答えた。

何だかよくわからないが、泣き疲れたうえにおなかがいっぱいになったわたしの頭は鈍りきっていて、「お母さんがそう言うならそうなのかもしれないね」と言うことしかできなかった。

それを最後に瞼を落とした私が起きたのは夕頃で、大好きなハンバーグを出されたわたしは落ち込むことも忘れて晩ご飯を楽しみ、さっさと風呂に入れられ床についた。


あっという間に朝になり、考える間もなく学校に連れて行かれたわたしはゆうこちゃんと対面した。

きっとまた喧嘩になってしまうだろうというわたしの予想に反し、顔を歪めたゆうこちゃんはゴム壊しちゃってごめんね、ぜっこうなんてしたくない、ほんとにごめんねと泣き謝り始めた。

対するわたしも泣いている彼女を見たらなんだか泣けてきてしまって、ゆうこちゃんのこと大好きだよ、馬鹿にしたんじゃないの、かみかざりお母さんに直して貰ったからいっしょにつけよ、と大泣きしてしまった。


あの時は全く理解できなかったけれど今ならわかる。母が笑っていたのは私の成長や、喧嘩する友達ができたことが嬉しかったからだし、次の日になれば解決したのは原因がそんなに複雑な事じゃなかったからだ。おそろいの約束や、好きな人を教え合う行為から私たちの関係性を私たち以上に理解してくれていた母。見守って話を聞くだけ、何故何もしてくれないのかと思ったこともあったけれど、あれは私なら仲直りできるという母の信頼ゆえだった。

電話の向こうでうっすら聞こえてくる泣き声に、とっておきのバームクーヘンまだあったかしらと探しながら、そんなことを思い出した。

小学生の頃を思い出しながら書きました。

久しぶりにお母さんに会いたいなー。

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