閑話 赤い壁の伝説 中編
「そうだなぁ、防壁の強化をしないといけないね。これだけ多くの魔物相手だと幾ら圧縮したとはいえ石材では心許ないし……何かいいアイテムは……」
少年は防壁の強化をしようと異次元収納の中に入っている素材を確認した。あくまで防壁の強化が目的でありディテールアップがしたいのは内緒なのだ。
「うーん見ず知らずの街にこれ以上ぼくの素材を提供するのも嫌だなぁ……あ、そうだ!」
ポン、と手を打った少年は迫り来る魔物の群に向かって走り出した。
「沢山の方が亡くなってしまった。自分達がやった事の結末ではあるけどこのままでは無駄死にでしかないよね。だったらその血肉を糧に防壁を強化して彼等が生きてきてここで死んだ証にしよう。」
踊り狂う魔物達をサラサラと躱しながら地面に手を翳し散らばる兵士の骸を回収する。赤く染まった大地から肉片と血液が消滅していき元の草地や泥場へと戻っていく。
野営地をざっとまわる事8分、少年は全ての遺体回収を完了した。更にまだ息のある兵士達32名の身柄も救出する事が出来たのである。
「い、生きてる……奇跡だ!」
「奇跡では無いぞ!我々は見たではないか、眼前で身の丈を越すほどの巨大なオーガの群が鯰切りにされて行ったのを!」
「お、俺も見た!灰色のローブを着た黒髪の少年だった……両手に持った眩しく光輝く剣でサイクロプスを縦3つに割ったんだ!」
「私が見たのは地を這うアイアンスコーピオンの群が瞬きする間に甲羅を叩き割られていた所だ!一瞬だったが拳で叩いていた様に見えた!」
「そんな訳あるか!あの甲殻は鉄の斧を受け付けないのだぞ!」
「信じるしかないよ……だって、我々は生きてるし……信じるしかないんだ……」
兵士達は口々に今見てきた状況を自慢話の様に語っている。
「生還を果たされて一息吐きたい所ではあるでしょうが、あなた方にお願いがあります。この街の混乱を幾人かの心ある冒険者や街の男手が収拾しようとがんばっています。どうかそれを手伝ってあげて下さい、お願いします。」
興奮した兵士達に少年は頭を下げて懇願した。
「な、何を言っているのですか!頭を上げて下さい!あなたは私達の生命の恩人です!あなたが望むのであれば助けられたばかりではありますがこの身命を散らす事も厭いません!」
「いやいやいやそれは止めて下さいね……」
少年の慌てた素振りを見た兵士達の表情が和らぐ。
「あ、ふたつ程守って欲しい事があります。今からぼくがこの防壁を更に強化しますがその方法や手段を決して口外しないで下さい。急場しのぎの邪法を使います。それと、貴族街には行かないで下さい。報告も駄目です。彼等は愚鈍なので邪魔しかしませんからね。」
折角和らいだ空気に緊張が走る。
「……あなたは恩人ではありますが、我が上司や主人は疎か王侯貴族に対しての不義な発言は看過出来ません、撤回を!」
「は?30分で数万の部下の生命を失った『馬鹿なオーク』達に気を使う必要なんかないじゃないですか。彼等が魔物を呼び、あなた達が死んだ。街の人を守るため活動したいけど絶対邪魔をするのが分かっている、そんな馬鹿にぼくの存在を伝えては駄目ですよ。仕事が増えちゃう。」
少年はニッコリと笑いながら兵士の背中に手を当てて更なる言葉を放つ。
「『オークの討伐』は面倒なんですよ。アイツら湧いて出て来るし汚いんですよね。それにこのオークは食べれないですから。あ、ぼく食事は要らない身体なんですけどね、ふふふ……」
兵士達を街の中にいた冒険者に引き合わせた後、少年は再度防壁の前に立った。
「……愚かな権力に振り回され、愛する人から引き離されこの地で最後を迎えた英霊達よ、あなた達の霊を弔うと同時にこの地を守る本懐を果たして戴く。どうか一瞬でも永くこの街に住む無辜の民の平安を護り足らしめん事を願う……」
そう呟きながら壁に手を当て、異次元空間に貯留させていた兵士の骸を錬金術で分解、精製し壁に浸潤させていく。
「別に見たからと言って咎めはしませんよ、こちらへ来て下さい。但し、他言無用です。この壁に大量の遺体が入ってるなんて誰も知りたくないでしょうからね。」
「……気になって見に来ましたが、まさかその様な事が本当に出来るのでしょうか?」
先程声を掛け背中に手を触れた兵士が門の傍に佇み少年を見ていた。
「生命や肉体には沢山の魔素が含まれています。それはどんな人にも含まれ、位階が高ければ高い程潤沢です。兵士とは一般人に比べ訓練をしている為位階が高いですから、そのご遺体に含まれる魔素を使って魔法付与と結界の構築をするのです。」
更に付け加えるなら人体や装備から結構な量の鉄分やミネラルが生成出来る。残った物質からも錬金精製を施す事で炭素が取れる。鉄分やミネラル、そして炭素を含有させ精製させれば『炭素鋼』を作る事が出来るのだ。
物魔両面からの補強が可能なのである。
少年は驚異的なスピードで防壁の強化を行なっていく。強化を施された防壁は黒っぽく変色していき、その表面は月の光を吸収したかの様に淡く輝きを放っている。
「美しいですね、まるで闇夜に浮かぶ生命の揺りかごの様です……ああ、魔物が迫っている時に不謹慎なのですが……」
「なかなか詩人ですね、ぼくの友人にも絶望や荒廃の中に美徳を見つけ、勇気に変えて行った人がいるんです。彼も詩人だったなぁ。」
そう言って笑いながら淡々と付与を続けていく彼を見た兵士は、『そんなあなたも大概美しいのですが…….』という気持ちを飲み込んだ。
その行動は彼から見てまさに『神の所業』だったのである。
「よし、何とか間に合った!ギリギリだな。」
たった数分で行った外壁強化だが、接敵まで残り2分を切るというかなりのギリギリになってその工程が終了した。
「もうじき明け方ですね。朝夕の逢魔ヶ刻は魔物の最大活性化の時間です。その時間までにどれだけ数が減らせれるかで被害の大きさが変化します。ちょっと張り切ってきますのであなたは街へお入り下さい。」
少年が兵士に避難を促すと、兵士は当然の様に反発した。
「何を仰っているのですか!幾らあなたが凄腕の錬金術師や付与師でもこれだけの魔物相手にひとりでは無茶だ!」
「ええええ、ぼくひとりであなた方を救ったんですけど……」
「ま、まあそうですが……しかし、あなたひとりを戦わせるのは私の兵士としての矜恃に反します!」
「やれやれ……それならあなたのお仲間や冒険者達とで防壁の上から矢を射って下さい。それなら少しは防壁を守る力となります。幾らぼくが強化したとは言え、モノとは出来上がった瞬間から劣化していくものなのですから。」
「……ご一緒させては頂けませんか?」
「足でまといです。」
「……分かりました、ご武運を!」
兵士は少年に深々と頭を下げた後、踵を返し門へと走っていった。
「いいねぇ、シグの奴やカミーロさんを彷彿とさせるなぁ、死なせたくない人だ。」
そう独り言ちてから、彼は目の前に迫る魔物の大群の中に身を投じていくのであった。
当時の光景を目の当たりにした者が言ったとされる口伝が詩として伝わっている。
『不思議な光沢を放つ灰色の衣を纏いし黒眼黒髪の男。その者たった一人で迫り来る魔の大海嘯に立ち向かう』
『その掌からは民を守りし聖なる壁を、その拳からは魔を打ち破りし撃鉄を放ち、無辜の生命を救う』
『男去りし後に地を守りしは、万の英霊が祝福せし紅に輝く防壁であったという』
また、その口伝には続きがあった。
『男の御業は其の地を治めし王からの妬みを買う。王はその権威を振るい悪意を以て男を追い詰めようとする』
『しかし男はその御業をその悪意に対して振るい、斯くしてその地に住まう悪逆な統治者を全て滅する』
『全てが終わりそこに残りしは、悠々と身を横たえし紅に輝く防壁であったという』
そう、朝日を浴びて煌めくその防壁は真っ赤に染っていたのである。血肉によって力を得た民の護りはその紅の巨躯を堂々と横たえ、その後数十年に渡り外敵から民を救ったのだった。