くじら
「今日はできるだけ早く家に帰ってください」
何か大変なことが起こったに違いない。滅多に送って来ない母親からの短いメッセージを見て、僕はそう予感した。
当たり前の日常が一瞬にして終わってしまう日。誰にでもそれは起こりうることなのだろう。僕にとってはその日がそうだった。
お父さん、胃がんで余命半年だって。
母は声を震わせ、帰宅した僕にすがりつくようにして言った。
父が、半年後にこの世からいなくなる。僕はその事実を聞いて茫然とするしかなかった。
両親が仲睦まじかったことなど、僕の知る限り過去に一度もなかった。
毎日を生きることにとても疲れていた父は、自分がそれほど疲れなければ生きていくことが出来ないこの世の中の全てを恨んでいた。
ありとあらゆることに不満を感じ、身体のなかを愚痴でいっぱいにしていた父は、自分が金を稼いでいるというだけの理由で、妻に毎日際限なく当たり散らしてもそれを当然と信じて疑わない人であった。
日々の家族の生活の様子にも、子供の学校の成績にも何の興味もなく、自分がストレスの海に溺れぬように、それを吐き出すことだけに執念を燃やしていた。
父は帰宅してすぐ飲み始める酒がすすむにつれ、その憎しみの対象を母親へと移すのが常であった。父は「俺が働かなければどうなる」という言葉を脅しにして、理不尽にも母に一言の反論や弁解の余地を与えなかった。
毎夜のそれは、母にとってはもちろん、それを傍らでずっと聞かねばならない僕にとっても、苦痛の時間であった。
母を責める理由は何でもよかった。むしろ責めるために理由を探し続けているような陰湿なやり方であった。母はさぞかし辛かったであろう。
過去に思いつめた母が、自分と一緒に死んでくれるようにと僕に頼んだこともあった。父の存在は、母と僕の苦労の全てであった。
だから父の余命宣言は、僕たちにとっては普通の家族の人たちとは少し違う理由を伴った大事件のはずであった。
その言葉を聞いた時に母は最初に何を思ったであろう。
おそらく母の心の天秤には、近い将来自分が解放される喜びと、これからの生活の不安との二つがのっていたに違いない。母にとってはどちらがより重く感じられただろう。
「きーちゃん?」
母が不審がり顔を覗き込んでくるまで、僕は焦点も定まらないような目線をどこかに向けていたらしい。
「半年?それは確かなの?」
僕の質問の意図を受け止めかねて、母親は困惑した表情で「さぁ」と言い、「お医者さまのおっしゃったことだから」と呟いた。
だが僕の感情はあいにく母と同じではなかった。僕の心の天秤には実は全く違うものが乗っていた。
決して人に自慢できるようなレベルの大学ではなかったが、僕は大学生になっていた。自宅にいる時間が極端に以前より少なくなったためか、僕は家族から解き放たれた自分だけの充実した日々を送る楽しみを見つけていたのだ。生きることに貪欲になり始めた僕は、人並みな幸せが欲しくなり、それを得るために日々夢中だったのである。
先週、以前から好きだった彩夏の手をとうとう握ることが出来た。
その日、僕はこれまで生きて来た自分を祝福したいくらいの悦びを感じた。
誰も僕を馬鹿にすることなど出来やしないだろう。そのくらいそれまでの僕の人生には楽しいことなど何もなかった。
だが彩夏の手を握ったその喜びは、一週間も経つと僕の中で次第に変化し始めた。
彩夏の手の感触を思い出すたびに僕の胸は苦しくなり、その気持ちは日に日に高まっていったのである。
父の話を聞いた僕の胸に、これで母親に気遣いなく僕自身が幸せになってもいいのだ、という身勝手な安心感があったことは否定出来ない。
胃を切り取ることもなく抗がん剤治療も受けなかった父は、医師の診断が間違いだったのではないかと思うほど、最初の数か月元気な様子を見せていた。だが三か月を超える頃から、父の容体は驚くような速度で悪化の一途をたどった。
短期の入退院を繰り返したのち、とうとう父にとって最後になるだろう入院の日が訪れた。
父は十六年間自分が過ごしたアパートを見上げた。
落下防止のための鉄格子がはめられたアパートの窓を見る父の心の中には、何があったのだろう。
僕は父の古ぼけた白い国産車の運転席に座った。
病院へ通う母の送迎のために、僕が実はこの車を既に何度も運転していることを知らない父は、いつまでも車の癖についてくどくどと説明した。
僕は了承の意を示すために父に何度もうなずいてみせた。父の息は始終切れてとても苦し気だった。
それなのに僕は、近いうちに僕のものになるこの車で彩夏をどこへ連れて行こうかなどと、そんな事ばかり考えていた。
病院で最期を待つ日々が始まった。
僕は一度だけ新幹線に乗ったことがある。
停車駅が近づくとそれを知らせるアナウンスが入り、それと同時に下車予定の客たちは一斉に立ち上がって準備を始める。停車時間は短いからその時間を逃さぬように、と繰り返されるアナウンスを聞きながら乗客たちは少し緊張して停まるのを待つのである。
僕たちの今の時間はそれに似ている。停車する時間は、きっと短い。
父の生からの下車の瞬間を見逃さないため、母と僕は交代で病院に通い続けた。
病院での父との時間は僕にとって気まずいばかりであったが、父にとってもそれは同じだっただろう。何時間経っても白けた表情しか自分に見せることのない息子に、父が何を考えていたのかは分からない。
父もまた、母をよろしく頼む、だとか、お前の将来が不安だとか、月並みなことは何も言わなかったし、軽い冗談を言って看病する者の気持ちを和ませるような気遣いも見せなかった。
滅多に口を開かない父が、西日の差し込む病室で時折話すのは食べ物のことばかりであった。
田舎の貧しい家庭で育った彼は、食べることに対する執念がひときわ強かった。もうほとんど何も喉を通らなくなっているにもかからわず、父はこれから食べてみたいもの、過去に美味しかったもの、などの話を僕に飽くことなく繰り返した。
「くじらが食いたい」
ある日父は、骨と皮ばかりになった腕で僕の腕を掴んで殺気だった眼つきで言った。
父の子供時代に安価だったくじらは近年すっかり手に入りにくくなった。
「最後にもう一度くじらが食いたい」
母と僕にとって常に人生の脅威であった父は、実は気の小さい男だったのだ。この時僕はようやく気が付いた。
自分の病状を実は正確に理解していた父は、最期の日が遠くないことを自分自身でよく知っていたのだろう。だが怖ろしくてそれを自ら口にすることは出来なかったのである。
父の手は、どこにそんな力が残っていたのかと思うほど僕の腕に食い込んだ。父は自分の口から思いがけず出てしまった、最後、という言葉に興奮していたのかもしれなかった。
「・・・探そうか」
僕はようやくそれだけを言った。
それほどの執念を見せたにもかかわらず、手を下ろした後、父は僕の言葉には返事を返さないまま目線を病室の天井のどこかにさまよわせ続けた。
スーパーのパートの仕事を最近始めた母が病院に来るまで、僕は父の側にいなくてはならなかった。それにも関わらず、僕は突然椅子から立ち上がると言った。
「俺が、探してきてやる」
父は驚いたのか目を少し大きく見開いた。
僕は父の目の中に喜びの感情を確かめると、力を込めてもう一度言った。
「俺が、絶対に父さんにくじらを食わせてやる」
僕は大きな使命を持った走者のように、病室を飛び出して廊下を走り出した。看護師に注意されても僕はまだ廊下を走り続けた。
まずは近所のスーパーからあたってみようと思い、僕は道をめちゃくちゃに駆けた。早く探さないとその間に父が息を引き取るのではないかと恐怖にかられ、僕はさらに速く走った。
くじらは五軒目のスーパーでようやく見つけた。
家の近くには病院がなかったから、自宅から離れた下町の病院に入院していたのも幸いしていた。付近にはスーパーが何軒もあった。
ようやく安心して病院への道を戻るため歩き出した時、僕は汗だくになった自分の姿をショーウインドーの中に見つけた。
平凡な十九歳の青年がそこにいた。
父の背は三年前に超えた。足のサイズもとっくに僕の方が大きくなっている。腕力も、元気な時の父ですら僕に到底かなわなくなって久しい。
アスファルトの道路に、何滴かの水が僕の顔から落ちた。
僕はこんなにも成長したのだ。
時が経てば成長するのは人間ならば当たり前と今まで思っていたが、それは本当にそうだったのだろうか。
スーパーの袋を下げて歩く僕の顔からは、汗なのか涙なのか、病院までの道を歩く途中何度も地面にしたたり落ちた。
病院に戻った僕は病室までの廊下を今度はゆっくり歩いた。
汗を掻いた僕は臭かったのだろうか。通り過ぎた同じ年くらいの女の子が、僕と通り過ぎる時に少し眉をしかめた。
病室に入ると四人部屋の窓際のベットに横たわる父の側に母がいるのが見えた。
父の目には母しかうつらないらしく、どこかうつろな父の目は、僕を全く捉える気配はなかった。母もまたドアに背を向けていたので僕には気付いていないようだった。
僕はくじら肉のはいったビニールを下げたまま、入り口で棒立ちになった。
二人の間から、確かに夫婦しか出すことのできない独特の空気が出ていたからである。
父の唇はほんの少し動いており、母は耳を近づけてそれを聞き取ろうとしていた。
僕は自分が急に小さな子供になったような気持ちになった。
親を今にも亡くそうとしている不安に震えている幼子だ。涙の匂いが鼻をついた。
「くじら見つけたよ」
僕はわざと少し大きな声で言った。
母が驚いた顔で僕を見た。何故くじらを、と問う母に、先ほどの父との会話を説明して、今夜これを料理してくれるようにと頼んだ。
明日これを持ってくるから待っててよ、と僕は父親に繰り返し言った。
その日僕と母は珍しく二人そろって帰宅した。
帰宅すると母は早速父がかねて大好きだったくじらのショウガ煮を作り、それをタッパにうつすと宝物をしまうようにそっと冷蔵庫に入れた。
だがその日の夜、父の容体は急変した。
彼はくじらの煮込みを口にする事はないまま逝ってしまった。
母も僕も、父の下車の時間には結局間に合わなかったのだ。
くじらの煮込みは、父の葬式を終えてもまだ冷蔵庫にしまわれたままだった。母は僕にもったいないから食べれるようにと何度も言ったが、幼い頃に間違って父の好物を食べてしまい、母が何時間も父に叱られるのを泣きながら見ていた記憶が消えない僕は、どうしてもくじらの煮込みを食べる気分にはならなかった。
翌日、講義のない僕は昼前に目を覚ました。
母と二人きりの生活が今日から始まるのだ。台所でぼんやりと座る母の姿を見て僕は思った。
コーヒーを飲んでいると母が冷蔵庫からくじらの煮込みを出して来た。
「食べるの?」
僕はそれほど肉が好きではない母にしては珍しいと思い聞いた。
「きーちゃんも食べないし、捨てようかと思って」
母は残念そうな顔で言った。
父の不在に慣れるには時間がかかるに違いない。
「白いご飯ある?」
僕の言葉に母は「今朝炊いたばかりだけど」と言った。
今にも父が玄関を開けて帰って来そうな気がする。
そうしたらきっと父は、僕が食べているものをのぞき込んでから僕の気の滅入る一言を言い、その夜はずっと母を言葉で責め続けるだろう。
火葬場の煙突から上がる煙の景色を思い出した。
僕は台所に入り、ご飯を茶碗に山盛りによそった。それから温かいご飯の上にたくさんのくじらの煮込みをのせ、ご飯と一緒に口に放り込み、ほとんど噛まないまま最初の一口を飲み干した。
母が驚いた顔で僕を見ていた。
しばらくすると母は、自分も茶碗にご飯をよそって僕と同じようにくじらの煮込みをのせて食べ始めた。
母も何も言わなかった。知らぬ間に僕の目からも母の目からも涙がこぼれていた。
僕たちは黙ったまま、煮込みがなくなるまで夢中で食べた。