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翌朝、美穂たちはまた直樹さんの運転手たちに送られて会社へと向かう。
会社の前で車から降りると、またしても受付嬢たちから好奇心の目で見られる。
『やっぱりいろいろと噂が立つのは、受付からなのよねー』と思いながら、「おはよう」と一応挨拶をする。
すると、受付嬢たちから「おはようございます」と挨拶が返ってくるが、受付嬢の一人が「それと、おめでとうございます、坂無ダイレクター」と、あいさつの後に意味不明の言葉が返ってきた。
『え?おめでとうって、何が?』聞きたかったが、もし重大なことだったら知らなかったとは言えない。なので、ここは彼女らに笑顔で対応しエレベーターに乗り込む。
エレベーターの中でも、何人かに注目されているような視線が感じれれたが、送り迎えのことだろうと思い気にしていなかった。
しかし、エレベーターを降りた目の前にある掲示板に大勢の人が集まっていた。美穂の部下たちも、ほぼ全員その中にいた。
「あら、おはよう。何をしているの?」部下たちに声をかける。
沙織が後ろを向き、美穂がエレベーターから降りてきたのを見つけ次第、「あ、坂無ダイレクター、ご昇進おめでとうございます」と祝いの言葉が...
「あ、ありがとう沙織」と言いながら、掲示板を見ると
「辞令
坂無美穂様
令和2年10月1日付けにより、シニアダイレクター・シニアコンサルタントを命ずる。
更に、シニアコンサルタントとしては副頭取の直属部下とする。」
『何やっているのよあの頭取は!!!』
「あの、坂無ダイレクター、私たちのセクションを置き去りにするとか、ないですよね」恐る恐る聞く部下たち
「ええ。心配しないで、絶対にありえないから。ただ、責任が増えたような感じね」と部下たちをなだめながら『これって、増えたどころじゃないでしょ!』と嘆く美穂。確かにあのランチ中に、仕事の管轄が増えるようなことは話したが、いきなりの辞令だけは予想外だった。
「ほら、こんなところで掲示板なんか眺めていないで、仕事仕事!」部下を引き連れ皆を持ち場へと引き連れていく美穂。部下たちがデスクに戻った場で、一応自分はどこにも動かないことを伝えた後、仕事に戻ってもらう。
昼になると、藤本副頭取がまた美穂のセクションにやってきた。「ちょっとお昼に付き合ってくれないかい?」と誘われたので、「そうですか、では、ご一緒しますね」と、仕方なく同行することに。
「副頭取、すみませんが、私の部下たちにこのセクションは相変わらず私が担当だと、一応念を押していただけると助かります」
「ああ、すまなかったな、あの辞令のことかい?」
「ええ、まあ。いろいろと部下たちの不安をぬぐうのも大事なことなので」
副頭取がセクションの社員たちに美穂の管轄は変わらず、現在のセクションを取り締まって行くと宣言。これで何とか皆も安心するだろうと一息つく美穂。
そして、またたどり着いた昼食の場が、またあの料亭。なまえは「さいち」。ひらがななので、意味が分からないが、確かに料理は美味しかった...と思う。
『あの時は食べた気がしなかったわ、だけど今回は!』と意気込む美穂。
今日は、料亭のお任せコースだった。副頭取が前もって予約しておいてくれたのだろう。
サザエの旨煮や牛タンの前菜と吸物で始まり、鯛と勘八の造り。それに続く煮物、焼物と揚物のトリオ。そして最後の洋風のブルーベリータルトの甘味とミント風の紅茶。
『うん。おいしかった』やっとここの料理が味わえたと満足な美穂。
「以前はろくに料理も味わえなかったようだからな、今日はゆっくりできたようで何よりだ」
「ありがとうございます、本当に美味しかったですわ」
「ところで、また仕事の話なんだが。この頃君につなげてくれという電話が受付嬢のところに初中後入っているようでな、受付嬢が皆断っているが」
「え?何のことでしょう?」
「いや、私としては、ヘッドハンターと思うが」
美穂が成程と思う。彼女は、個人的な情報をほとんど公開していない。スマホの番号やEメール、住所、その他の個人情報を知っている人物は片手で数えられるほどだ。おまけに会社のEメールアドレスは、美穂と直接的に仕事の関係を持った人物でないと、ブロックされるようになっている。もしヘッドハントを企んでいるとしたら、接近戦しかない。
「どこの会社かが私を引っこ抜いて、ついでに直樹さんも、という流れでしょうか?」
「まあ、そうなるな」
「でも、どうして私と直樹さんのかかわりが知られたのでしょう?」
「神海さんといっしょにいるのを、だれかに目撃されたかな?」
「その可能性はないとは言えませんが、だいぶ低い確率だと思います」美穂が長い間直樹さんと一緒に同行したのは、美香が入院した時だ。可能性がないとは言えないが、それをこの企業の誰かに目撃されたのは低いと思う。
「もう一つの可能性は、私も考えたくなかったのだが...社内から情報が洩れている可能性もあり得る」
「まさか。私と直樹さんの情報は社内でもだいぶ限られていると思ったのですが」
「そこなのだよ、問題は。まあ、今こちらでも調べているところだ。もし何か手掛かりがあったら、知らせてくれれば助かる」
「はい、わかりました」と美穂が返事をしながら、『やっぱり面倒ごとなのよね!私のセクションが関わっていなければ良いけど』と思いながらも、彩衣と沙織の顔が思い浮かんでしまった美穂だった。




