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二人は現在、美香が送られた病院に向かっていた。美香を車に乗せた直後に、精神的な疲労のせいか意識を失ったと直樹さんに連絡が入り、病院へ直行ということに。美穂も彼女はもう大丈夫だとわかっているが、美香と再会出来るまで不安は拭えない。
しかし...
『うん、直樹さんのことだから大体察してたけど』いま乗っているのは、メルセデス・ベンツのG-クラス。美穂は彼と一緒に後ろの席に座り、前には護衛たちが二人。ここまでは、まあわかる。だが美穂たちが乗っている車の前と後にも全く同じG-クラスが一台ずつ。一台それぞれに護衛が二人ずつ乗車している。
全く同じ車体と色のG-クラスが夜の道を3台揃って護送をなしていると控えめに言って、目立つ。現に交差点で信号待ちになると好奇心で車中を覗こうとする人々が後を絶えない。それに、なぜ文京区までこなくては...
「あの。直樹さん、どこの病院なのでしょうか?」
「私がいつもお世話になっている大学病院ですよ。あそこでしたら安心して診断してもらえるので」
とんでもない予感がした美穂が「...大学病院って、どちらの病院でしょうか?」と恐る恐る聞くと...
「東大病院ですよ」と答える彼。
『分かっていた、分かっていたわ、こうなる事は』美穂は彼が美香のことを大切に思っているのが手に取るようにわかる、ただ、なぜかはわからない。初めて直樹さんに会ったときに、彼は既に美香のことを特別に思い始めていた。
愛情のような感情ということは確かなのだ、だが美穂がほかの男性たちから感じ取った性的な意味の感情とは全く違った、純粋な愛の感情。
『直樹さんが美香に抱いている感情はいったい何なのかしら』など美穂がもやもやと考えてるうちに、病院に到着する。二人が車を降りると、美香の救助に向かった護衛二人組が控えていた。
「美香さんを安全に確保してくれて、ありがとう」と頭を下げ、彼らに礼を言う直樹さん。
「ありがとうございました。美香が危ない時に助けていただいて」
「いえ、お気になさらずに、仕事ですので」そう言いながらも、内心では彼女に何事もなくよかったと喜び、共感してくれている護衛たち。
「それでも、美香は私の最大の友です。本当にありがとうございました」護衛さんたちの思いがうれしく、つい涙ぐんでしまう美穂。
「私たちが部屋へ案内します。こちらに」二人は護衛たちの後をついていく。
3階の奥に美香の部屋があった。彼の護衛が一人ドアの前に立っている。美穂たちが部屋に向かってくるのに気が付くと彼が「医師が診断したところ、身に及ぶ負傷はないようです。ただ、精神的な疲労が激しかったらしく、まだ睡眠状態です」と報告。
「ありがとう。できれば彼女を呼んできてくれないかい?」
「承知しました」と言い、彼がその場を去る。
「さあ、どうぞ」と言い、直樹さんがドアを開け部屋に入るように示す。美穂が最初に美香と会えるように考慮したのだろう。
部屋に入るなりベッドに横たわって静かに眠っている美香が目に入る、美香のベッド際に駆け寄り、彼女の手を取った。美香の手の温かさが、美穂に伝わってくる。
「美香、美香...よかった...私も怖かったよ...美香に何かあったらと思ったら...う......ううう...!」美穂もついに今まで胸の中に張り詰めていたものがぷつんと切れ、泣き始めてしまう。
彼は、黙って美穂の隣に座り、美穂の背中を優しくポンポンとたたきながら彼女たちを見守っていた。
時間がどのぐらい経ったのかわからない。やっと落ち着きを取り戻した美穂。直樹さんが黙ってハンカチを美穂に渡す。
「あ...すみません直樹さん。お見苦しいところをお見せしました」涙をぬぐいながら、彼に謝る。
「謝る事などないですよ美穂さん。寧ろ友があんな事件に会って、動揺しない方のほうがおかしいでしょう」と美穂に微笑む。
「でも、なんか、恥ずかしいですわ...」とほおを赤く染めながらもじもじとする美穂。
「いいんですよ、友情の証です。美香さんは素晴らしい親友がいて幸せですね」寂しくつぶやく彼。
「あの。直樹さんはなぜ...」と美穂が彼に何かを問おうとした時に、ドアをノックする音が聞こえる。
「どうぞ」と彼が声をかけると、40代半ばの女性医師が部屋に入ってくる。
「失礼しますね、神海さん」と静かな声で話しかける。
「美穂さん、この方が私がいつもお世話になってる黒沢先生です」
「美香がお世話になっています。このたびは色々とありがとうございました」
「美香さんと美穂さんは私のご近所の人たちでね、いろいろとお世話になっているんだ」と彼が足し加える。
「そうですか。有山さんに何が起こったのかは、護衛の方たちから大体伺いました。本当に大事にならなくて幸いでした」
「それで、彼女の状態は今のところどうなんですか?」彼が改めて心配そうに聞く。
「大丈夫ですよ、損傷とかはまったくないので。ただ、精神的な負担がだいぶ大きかったようですね。しばらくの間、心のケアが必要になると思います。周りの方々が彼女を日常的に支えられたら平常に戻るのもより早くなるかと」
「美香は今夜、私のマンションへ引っ越してくる予定だったんです。退院後、私が美香をサポートします。」
「それを聞いて安心しました。こういう事件の後は一人で生活している方にとって最もつらいので。有山さんをお願いしますね」美香のカルテをチェックしながら、美穂にそう述べる。
「はい。それで、彼女の入院費用の自己負担額とかは...」
「美穂さん、ご心配なく。そちらの手続きは私が済ませました」
「え?直樹さんが」
「私が彼女をここへ勝手に連れてきたので」
「何から何まで、本当にありがとうございます...あの、失礼ですが直樹さん、何故これ程まで気を使っていただけるのでしょう?」
すると黒沢先生が「神海さん、まだお話しされていなかったんですか?」と彼をジト目で見る。
ビクッとした直樹さんは、「いや、その、タイミングがなかったというか、時間がなかったというか...」と言い訳をしている様子。
「せめて今の内に、美穂さんには説明しないといけないと思いますよ」先生がくすっとわらう。
「そ、そうですね」と頭を掻き、困ったようなしぐさをする彼。
「それでは、私は失礼しますね。お大事になさってください」
「ありがとうございました」と美穂が礼を言うと、彼女はニコッと笑顔を返し部屋を出て行く。
しばらくの沈黙の後、「美穂さん、ちょっと外に出ましょう」と彼が美穂を誘う。
彼についていき少し歩くと病院内にある小さな中庭に着いた。月明かりが淡い光で中庭を照らしている。もう八月に入り深夜でもまだ外は少し暑いが、外の空気の肌触りが美穂には気持ち良く感じられた。
「わ、病院にこんな中庭があったんですね」
「ええ、私も定期的な診断の時など、ここにきて一息ついていますよ」
近くにあるベンチに座り、彼が話始めるのを待つ美穂。彼が大きなため息をつく。
「ああ...どこから話したらいいのか、まずこれを」と言い、彼はスマホの写真を見せる。
直樹さんの家族写真だろうか?だいぶ前の写真のように見えた。直樹さんの両親と思える二人、それに直樹さんと...
「え?!美香??」直樹さんの腕に絡みつき、笑顔で彼に寄りかかっている女性。彼女は美香と瓜二つだった。
「私の妹の香音です。これは、10年前に撮った写真です」
「え?直樹さんのご家族は今どこに?」
「......その写真を撮った一週間後、私を残して家族全員、飛行機墜落事故で...助かりませんでした」
妹の生まれ変わりのようにそっくりな美香に出会い、そして更に彼女が直面した危機...彼がなぜ美香をこんなにも大切に思い、あんなに感情的になっていたのか、美穂はようやく納得した。
だが美穂が見えるそのまだ奥にある彼の心の闇。彼は自分だけ生き残った罪悪感と大きな後悔を今まで背負ってきている。10年間も閉ざしていた感情だけに、それを閉ざしている心の壁も固く、高い。
彼の心中を読んでしまった美穂はショックのあまり頭の中が真っ白になった。彼の感情にあおられ涙目になる。しばらくして彼の肩にそっと手を置く。
「美香が無事で、よかったわね」と涙ぐみながらも微笑んで彼に接する。
彼は、手で口を隠し、声を出さずに涙を流し始めた。いくらつい最近に出会った他人とはいえ、10年前に亡くした妹に生き写しの美香。彼が美香と香音を重ねてしまうのも仕方がないだろう。
「本当に、本当にによかった」なんとか泣き止んだ彼。今度は、美穂が黙ってハンカチを彼に渡す。
「お相子ですね」と彼の肩をやさしく撫でながら、笑顔で言う。
「全く、美穂さんには敵わないな」と弱々しく笑いながら彼が返す。
しばらくの間、二人はベンチに座ったまま中庭で佇む。
「そろそろ美香の部屋に戻りましょう。目が覚めた時に一人では、あの子がかわいそうですわ」
「そうですね。行きますか」
二人は寄り添いながら中庭から去っていった。