ただいま
勝利
勝太
「勝利はまだ帰って来ていないのか?」
風呂から上がってきた夫が、勝太にお乳を与えている紗代に聞いてきた。
「もうすぐ帰って来ると思いますけど、先に食事にしますか?」
「否、もう少し待っていよう」
「はい」
紗代が夫に返事を返したとき玄関の引戸がガラっと音を立てて開かれる音が聞こえ、続いて廊下を走るドタドタという音と共に長男の勝利が居間に駆け込んで来る。
居間に駆け込んで来た勝利はカブトムシが数匹入った虫かごを高々と掲げ、自慢気に話し出した。
「見て! 見て! でっかいカブトムシ3匹もとれたんだ」
夫が虫かごの中を覗き込み声をかける。
「ほう、でっかいな」
「でしょう」
父親の言葉に得意満面とした表情の勝利に紗代が声をかけた。
「勝利! その前に言うことがあるでしょう」
「遅くなってごめんなさい」
「違う、違う、何時も言っているでしょう。
帰って来たら何て言うの?」
「ただいま」
「はい、おかえりなさい。
ご飯にするから手を洗って来なさい。
今日は玉子焼きよ」
勝利は卓袱台の上に並べられている皿の上の玉子焼きを見つけ、歓喜の声を上げながら井戸の方へ駆け出して行った。
玄関の引戸が荒々しく開けられ、玄関の前の廊下で青ざめた顔で家族の帰りを待つ紗代に近所の消防団員の青年が声をかける。
「全員無事に見つかりました!」
紗代は手を合わせ、消防団員の青年を拝みながら礼を言う。
「ありがとうございます。
ありがとう、ありがとう」
「勝利は旦那さんと一緒に帰って来ます。
私は他の家にも見つかったことを知らせに行きますので、これで失礼します」
青年は紗代に頭を下げ出て行く。
勝利を含む中学校の同級生10人は五日前、日帰りの予定で山登りに出かけて行きながら夜になっても帰宅せず、四日前の早朝から町の消防団や青年団の大人たち総出で捜索が行われ、紗代の夫も近所に住む同級生の親と共に捜索隊に加わっている。
消防団の青年が出ていってから2時間程経った頃、玄関の引戸が開けられた。
開けられた音に気がつき紗代が玄関に駆け寄る。
玄関には汗まみれの夫と疲労困憊といった様子の勝利が立っていた。
夫が紗代に持っていたリュックサックを渡しながら声をかける。
「ただいま」
「おかえりなさい。
お風呂沸いてます」
「ありがたい」
夫を風呂場に送ってから、紗代は玄関に立ったままの勝利の顔を見た。
勝利は声を震わせ侘びの言葉を口にする。
「ごめんなさい、ご心配おかけしました」
「勝利、帰ってきたら何て言うのです?」
「た、ただいま」
「おかえり。
お腹が空いていると思うけど、先にお父さんと風呂に入ってきなさい」
「はい」
紗代は廊下で勝利の帰りを待ちわびていた。
戸が開けられる音で玄関に向かった紗代の目に、直立不動で立つ軍服姿の勝利の顔が映る。
勝利は背筋を伸ばし敬礼してから紗代に声をかけた。
「ただいま帰りました」
「おかえりなさい、勝利。
お父さん! 勝太! 勝利が帰ってきたわよ。
あなたの大好物の玉子焼きを始め好きな物を作ってあるけど、先にお風呂に入ってきなさい」
紗代がそう声をかけると勝利は紗代にしがみついて来た。
「お母さん! お母さん! お母さん! お母さん! ……………………」
遊びに出かけていた紗代の孫の昇平が玄関の戸を開け家の中に入ると、婆ちゃんが近づいて来た。
「婆ちゃん、ただいま」
「おかえりなさい、勝利」
「え? 俺、昇平だよ。
あ! 婆ちゃん!」
間違いを正そうとした昇平の方へ婆ちゃんが倒れ込んできた。
「お父さん! お母さん! 婆ちゃんが倒れた!」
居間から両親が駆け寄って来る。
父が倒れている婆ちゃんを抱きかかえ、昇平に指示を出し婆ちゃんに声をかけた。
「救急車を呼べ、お母さん! お母さん! お母さん! お母さん! ……………………」
父に指示され消防署に電話を掛ける昇平の目に、廊下に散らばる横井正一さん帰国と書かれた見出しの新聞や、表紙に小野田少尉おかえりなさいと書かれた雑誌が映っていた。