余命80年の子供
猫は賢い。賢い故に気づいてしまう。気づく故に悲しみに襲われる。悲しみから逃げるために、猫は言葉を発する。消えてしまわないように。
我々は現代を生きる猫だ。名前は有るが必要は無い。群れの中には私を含め8匹の猫が居る。
我々は孤独なのである。ここに沢山の仲間が居るだろうって?あぁ、確かにその通りだ。ここに居れば話す相手にも、酒を呑む相手にも、愚痴を零す相手にも困りはしない。ここに居れば、だ。
しかし、皆が帰った後。ついさっきまで群れが有った場所には、今は何も無い。そこにあるのは楽しかった過去という「虚無」だ。そうなってしまえば、目には見えないし、仮に心で感じ取れたとしても、心に伝わって来るのは寂しさのみだ。何故なら、そこにはさっきまで私の心に楽しさを提供してくれた仲間が居ないのだから。
な?私の言った通りだろう。孤独なのだよ。結局は。
我々は孤独故に集まる。酒を呑み心を酔わせ、我々の置かれている真実を捻じ曲げようと必死になっているのだ。決して変わることは無いのに。あぁ、決してだ。
結婚したって、永遠を誓い合ったって、結局はいずれ来るタイムリミットまでの繋ぎに過ぎない。無論、途中で愛が死んでしまえばそれまでだが、愛が生きていても、愛の飼い主は死んでしまうだろう。所詮は余命に勝てない、弱く脆い存在なのだから。
これ以上くどくど言葉を無駄に並べるのは美しくないな。では、私が一番伝えたいことを簡潔に言うとしよう。
生きることを楽しめ。人生に悔いを残すな。楽しかろうが退屈だろうが、人生は必ず終わる。必ずだ。
生まれ落ちた瞬間に余命宣告を受ける人の子らよ。
猫は学んだのだ。死という物の本質を。必要性を。
死ぬために生きろ。それが私が一番伝えたい事だ。
余命80年の子らよ。その命燃え尽きるまで、煌々と光るその火を絶やしてはならない。いいな?
おっと、時間のようだ。
まもなく私の火は消える。
一足先に眠るとしようか。
では、お休み。また数十年後に会おうではないか。
猫は死んだ。この先、この猫の話を聞くことはできない。子供にはまだ未来が残っている。この子供が残りの人生をどのように生きるか、猫に変わり見届けようではないか。