サイン
都内にある個人経営の洋食屋、奥には4人座れるテーブルが5席があり、そのうちの一席に見慣れた顔の男性と初見の女性二人が既に席に着いていた。
「あ、波田さん。大変お待たしてすみません」
深志は見慣れた男性のいる席に近付くと挨拶しつつ、顔の前に手を合わせて謝罪する。
「いやいや、そんなに待ってないし良いよ。君は今一番注目されている議員だからね。しょうがないさ。色々な人が会いたがっている。しかも先程まで会ってたのは、政界の重鎮である赤坂 信夫なら話が長い。ありゃ止められん」
波田は苦笑しながら大丈夫、と軽く肩を叩く。
「ありがとうございます……ところで、会いたいと仰ってくれている方というのは其方の女性の方々でしょうか?」
軽く頭を下げ、再び顔を上げた後に左手を前に出すと、掌を上に向け、顔と共に二人の女性の方向に向ける。
「うん、そうだよ。僕達から見て右手側が村井君、左手側が岡田君」
波田は頷くと女性二人を紹介する。
波田の紹介が終わると岡田が発する。
「ご紹介を賜りました。文藝夏冬の岡田 葉奈と申します。この度はお忙しい中、お話を受けて頂きありがとうございます。お会い出来ることを心よりお待ちしておりました」
岡田は名刺を深志に差し出すと同時に、当選おめでとうございます、の一言を加えた。
「ご丁寧にありがとうございます。深志真琴と申します。宜しくお願い致します」
深志が岡田と名刺を交換をして、御礼を言うと村井も続けて、自己紹介を始める。
「同じく文藝夏冬の村井 珠乃と申します。深志議員とは同じ歳なのですが、もう議員になられて、大臣になられて、大変尊敬しています。サインください!」
岡田は深志に名刺と共にペンと色紙を一緒に差し出す。
「え……あ、はい。ありがとうございます」
深志は困惑を顔に出しながら差し出されたものを受け取り、二人の名刺を机に並べるとサインを書き始める。
「こ、こら……何サインをお願いしているの……申し訳ありません……って、え、深志議員もサインしなくていいんですよ!?」
岡田は村井の肩に手を添え注意するも深志の行動に驚き、待ってください、と止める。
「え、書かなくて良いんですか?」
深志はきょとん、とした表情浮かべる。
「大丈夫です……あ、もし書くならもう一枚……」
岡田は自身のバックから色紙を取り出す。
「え……私に注意しておきながら岡田さんもですか!?私に注意しておいて酷い!可笑しくないですか!」
村井は岡田の行動を見ると頬を膨らませ、抗議する。
「うるさいわね!貰えるなら私だって貰うわよ」
岡田はふん、と顔を反対方向に向ける。
その様子を見ていた波田は思わず、ふふ、と笑い次に繋げる。
「何、2人ともサインが貰いたい為に会いたがっていたの?」
「ち、違います!」
彼女ら二人は声を合わせて否定する。
「楽しい方々ですね」
深志も笑いながら、岡田にもサインを書く。
今回の顔合わせは、このまま雑談、世間話をして解散となった。
「ねえ、岡田さん。何故、個室とかにしなかったんですかね?」
村井は帰りの駅のホームで岡田に質問する。
「そうね、私もそれは疑問に思ったわ。多分、あれは余計な事は聞くな、という事だったのかもね。あれで他のお客さんに話を聞かれたら、こっちもネタにしようと思っても商品価値無くなるし、それを見越してだと思う。やっぱり、危機管理は徹底しているみたいね」
岡田は溜息を吐く。
「やり手ですね。陥れること書くなって条件を前もって波田さんから出されましたけど、これじゃ、条件出されなくてもお手上げな感じがします」
村井も両手を上に上げ、溜息をつく。
「でも、あそこまで二人が徹底しているのなら彼に何かあるのかしら」
岡田はそう言葉にすると、私はこっちだから、とホームに先に来た電車に乗る。