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「行っちゃった……」
僕は寝転んで雲を見上げていた。縛られて、放置されたままの姿で。
……この荒縄どうするんだよー!?
「ふぐーっ! ふぐぐーっ!」
傍らで、褐色肌の女が抗議の呻きを上げている。僕を見ながら、何か言おうとしている。
僕は寝転んだまま横に二回転ぐらいして、彼女のそばに寄る。
とにかくまずは彼女の猿ぐつわを外してやらないと。穴の開いたゴルフボールぐらいの球を口に噛まされている。これってあれだ、ボールギャグってやつだ。本格的だな!
外してやろうにも、僕だって後ろ手に縛られているので、口でやるしかない。
「ちょっと、動かないでよ」
なぜだかこの娘は僕に顔を向けてくるので、正面からボールギャグを固定する紐を噛むかたちになる。と言う事はつまり、彼女の口のすぐ横に僕の口を押し付ける事になってしまうよ……? あの……、いいの?
「ふごぐ! ふごぐ!」
早く! 早く! って言っているのか?
「わ、分かってるって」
何をビビッているのだ僕は? 堂々といけ! 何もやましい事はないんだから!
人を助けようとしているのだ。人工呼吸に照れるバカがいるか? それと同じだ。
「行くよ!」
彼女が頷く。真剣な顔で。汗をかいていた。
覚悟を決めて顔をくっ付ける。いやはや、本当に顔と顔をくっ付けてしまっているわけで。
彼女の口のすぐ脇に僕は口を押し付ける。彼女の濡れた肌は、汗の味がして……。
頭がくらくらしてきた。なんだか僕が僕じゃなくなってしまったようだ。僕の体が溶けて、液体になって、彼女の中に飲み込まれてしまいそう。
溶け合って、混ざり合って、なんだか分からない、一つになって……。それはとても素敵な事で、でも恐ろしい事で。
……って! 何を妄想に落ちそうになってるんだ僕は!
考えるな! 感じろ……も駄目だ! 何も感じるな!
紐を噛む。くう~っ。彼女の肌が、熱い……!
感じるなって言ったって! これ、もう、どうよ! あああ、どうしようどうしよう。
ダークエルフと言ったって、幻想世界の住人と言ったって、女の子は女の子だよ。嘘の存在じゃないんだ。血と肉と肌と汗と吐息と女の子の匂いを持っているんだ……。
顔と顔をくっ付けたまま、彼女を見る。
彼女の目が、僕の目の五センチ先にある。黒く長い睫に縁どられた、切れ長の目。赤い瞳。気の強そうな目が、今は涙を湛えていた。涙がこぼれ落ちそうになっていた。瞬きをする。僕に、力を与えるように。
「よし。待ってて」
君は僕が助ける! 咥えた紐を、引っ張る。
「ふん! ふん!」
ま、まずい、鼻息が出てしまって、恥ずかしいい。
「ふっご! ふんがげ!」
聞き取れない檄(?)を飛ばしてくる褐色娘。その度に、ボールギャグからこぼれた液体が紐を伝い、それを僕が飲んでしまう。これって……?
「ふわわわ」
これ以上もたもたしていたら、僕の理性が保たぬ! 決めろ!
「ふんぬ!」
改めて、深く、紐を咥え直す。
その時には、完璧に、しっかりと、彼女に僕の唇が押し付けられる形になっていて……!
脳みその中でパシャーって何かが溢れ返る音がして。痺れるような多幸感が体中を駆け巡り。肉体がビクビクってして、僕は後ろにのけ反ってしまった。
それが功を奏し、カポッ、とボールギャグが彼女の口から外れ、首までずれる。やった!
「もたもたもたもたしてんじゃないよ!」
「いてえ!?」
褐色娘が頭突きをしてきた!
「人間風情が、なに顔を赤くしてんのよ!」
「な、なにい!?」
なんだこいつ! なんて偉そうな物言いだ。もっとこう、可愛い娘だと思ったのに!
そう言えば女神様が言っていたぞ。こいつ、異世界では相当なワルだったとか何とか。
「顔が近いのよ!」
「うわっと!」
褐色娘がガチガチと歯を噛み鳴らす。犬かよ!?
しかも、なんかこいつの歯、全体的にギザギザして見えるし。犬歯以外も尖ってるのか? ダークエルフってそういうもんなの!?
「アタシは泣く子も黙るダークエルフの魔導衝撃士、ヤミノ・トーゴ・クウよ! 人間どもから恐れられるダークエルフの中にあって、最凶と言われる逸材! 数えるのも面倒なほどの人間の街を、騎士団を、指先一つでうち滅ぼしてきた殺戮魔導の落とし子! 生ける伝説! アンタのような小僧っ子が顔を寄せていい存在ではなーい!」
何やら偉そうに吠え猛るが、いかんせん未だ全身を縛られて地面に転がっている姿なので、間抜けさを際立たせるだけだった。
「マギノ? トーゴ? どこが名前なんだよ?」
「ヤミノ!」
「そっか。僕は恩田承一」
「オンダ?」
「承一でいいよ、もう」
「よし、承一、何ぼさっとしてんだ! こちとらまだ縄がギチギチしてんだぞ! 休んでんじゃねえ!」
「この野郎! 何様のつもりだ!」
むかつく女だな! まあでも、仕方ない。縄を外さない事にはどうにもならないからな。
「ええと……」
きっちりと亀甲縛りにされたヤミノ。その姿を改めて見ると、凄いな……。
ぴっちりとした黒いスクール水着のような服の上から、幾何学模様を描くように緊縛されたその体は、胸やお尻や太ももをムッチリと際立たせ、とてつもなく、肉感的だった。
その締め上げられた肌の上に、艶やかな長い髪が落ちている。日の光の下で紫がかって見える髪は、美しく、幻想的だった。
そして下から僕を見上げるヤミノの顔は、褐色の汗ばんだ肌で、黒くすっと伸びる眉の下に、まつ毛の長い目、気の強そうな赤い瞳。しかし濡れて光る唇は妙に柔らかそうで。じっと見ていると、なんだか吸い込まれそうで……。
「おい! 早くってば!」
「あ、ああ!」
いかんいかん。予想以上にエロくて綺麗な娘だから、動揺してしまった。エロくて……、綺麗で……。くそお!
「……ん?」
この縄、よく見ると首輪から直接生えているぞ? 結び目はあるけど、縄の先端はどこにもない。首輪から生えた縄が、全身を縛った後、再び首輪に戻る、そういった形になっているようだ。
どうしよう。力任せに引っ張ってみるしかないのかな? ……でも、手は使えない。
「あのさ、縄を解くのもさ、やっぱり、口で頑張るしかないんだけど」
「だろうよ」
「そうするとさ、やっぱり、僕の唇がさ、お前の肌とかにさ……」
「何をモニョモニョ言ってんだ! とんでもないエロ坊主だな! これだからあらゆる事が未経験のモヤシっ子は困るんだよ。女に触れるのにいちいちビビッてんじゃないよ! そんなんだと自分で自分を慰めるだけで一生が終わるぞ!」
「べ、別にビビッてなんかないよ! お前なんか、別に、どうって事ないよ」
「ったくよ~。人間の分際でダークエルフ様にむらむらするなんて身の程知らずにもほどがあるってんだよ。こっちは人間なんぞにゃ何も感じやしないっつーの。犬に鼻を舐められるようなもんだ! いやいや、蚊に刺されるようなもんだな! むしろダニに……」
「ちぇりゃ!」
僕は意を決して、ヤミノの首輪のすぐ下辺りの縄に咥えついた。首と胸の間の辺。なぜそこを狙ったかに、特に意味はない。
縄だけを咥える。そんな器用な真似は出来なかった。僕は、ヤミノの褐色の肉肌ごと、唇で「はむむっ」と咥えついたのだ。縄は歯で噛む。だが、唇は肉肌に押し付けたままで。
「んあっへ」
頭の上で変な声が聞こえたけど、僕はそれどころじゃなかった。
バッシャアーー。脳みその中で、脳内麻薬のダムが決壊した。
っくうう! 荒れ狂う脳内麻薬に意識が溺れる!
なんだこれなんだマジですか! ああ、僕は、これほどだとは思わなかったんだ!
さっきも確かにこの娘の頬と僕の頬をくっ付け合わせていた。だけど、彼女の肉体を改めて見てから触れる事で、僕は真に理解したのだ。こんなに、女の子の肌が、柔らかいなんて……! これでは、まるで、宇宙が……!
……ええい! しっかりしろ承一! 情けないぞ!
「ふんぐー!」
女肉の引力に魂を引かれるのを踏ん張って耐え、逆に、咥えた縄を強く引っ張る。
「んあっへ」
「駄目だ、解けない。ならば、こっちだ!」
寝転んだヤミノの後ろに回り、腕の縄に歯を立てる。
「ふんぐー!」
「んあっへ」
「駄目だ! 次!」
背中。
「んあっへ」
「駄目だ! 次!」
太もも。
「ふんぐー!」
「ほげえ」
これ以上ないだろってほど間抜けな声に、思わず口を離してしまう。見れば、ほとんど白目を剥いているヤミノの顔があった。
ヤミノは眼球を震わせ、口をだらしなく開き、よだれを垂らしていた。
「お、おい!?」
ヤミノは縛られたまま上半身を起こそうとして、ぷるぷる震え、力尽きたのか、ゴンッと音を立てて地面に頭を打ち付けた。
「しっかりしろ、ヤミノ!」