4-10
●4-10
「承一! こりゃダメだよ! アタシらだけでも逃げなきゃ!」
ヤミノが僕の腕を引っ張る。
でも、逃げてもどうしようもないよ。あんな連中が追いかけてきたら……。それに、僕らだけが助かっても、街の人達はどうなるんだ? きっと、殺される。男も女も、子供も。
「どうにかしないと! あいつらがこっちに入って来れないようにしないと!」
「アタシらに出来る事は何もないよ! どうしようもないもん! どうしようも……」
ヤミノが下を向いた。僕の腕を掴んだままで。
「アタシは、やっぱり何も出来ない役立たずだ。何の価値もない女だよ。アンタはわざわざアタシと繋ぎ直しちゃったけど、本当にバカだとしか言えないよ」
「ヤミノ?」
「くそお。アタシの唯一の取り柄は魔導兵器が使える事だったんだ。承一、アンタが魔導兵器なんて嫌いだってのは分かるよ。アタシが魔導兵器で悪い事をするのを恐れてるんだ。そのせいでアタシがこの世界でも居場所を失くす事を心配してくれて。そんなアタシだけど、今なら、もしも力があったら……。あんな奴ら薙ぎ払えるのに……! 悔しいよ」
ヤミノの目に、涙の膜が盛り上がっていた。
「あいつらは何でも壊すよ。アンタの家も、学校も……。ああ、でも……。それでもいいのかな……。だって、もうクラスの皆もいないし。どうせアタシも、おやっさんも、……承一もいなくなっちゃうな」
ぼろぼろと涙がこぼれていた。
「悔しいよ。悲しいよっ。せっかく、せっかく……、ここで……」
涙が、頬を伝って落ちていく。
その頬を、涙ごと、僕は両手で包んだ。
「お前は道具じゃない。お前には心があるんだから。僕はそれが信じられなかったから、お前を裏切る事になってしまった」
ヤミノの頬が震えていた。涙は熱かった。
「だけど、今はお前の心を信じているよ。お前は優しい奴だよ。だからお願いだ。魔導兵器を使ってくれ! 皆を助けてくれ!」
「だって! 使えないんだよ! アタシの体には聖縛縄が掛かっているんだから!」
「ヤミノ。僕なら、お前の封印を解ける」
「へ?」
「マスター・キーは僕が飲んでしまった。消化したのか、出てこない。だけど、消化ではなくて、同化していたとしたら?」
ヤミノと見つめ合う。
「僕の体に、マスター・キーの性質が宿ったりはしないか?」
一瞬間を置いて、ヤミノが首を振る。
「……それはないよ。だって、鍵は女神スラーヌが壊したじゃん。だから、その、アンタに触っても何ともなかったもの」
「確かにそうだ。でも、水漬女様に初めて会った時、神力ウォーター・ビームを受けた際に、神力が僕の腹の中の壊れたマスター・キーに作用していたら? 魔力で造られた鍵を、神力で修復出来ていたら?」
あの時、僕は腹痛に襲われた。だがその痛みが治まった頃、腹の異物感も消えていた。
「修復……!? そして、直った鍵が、承一の体と同化?」
頷いてみせる。
「本当なの!? でも、それならなんで早くやってくれなかったんだよ」
「怖かったんだ。お前の封印を解いたら、お前が魔導兵器に振り回される事になるんじゃないかと。お前を信じ切れなかったんだ。だから……」
「承一……」
本当に情けないよな、僕は。だけど……!
「でも今なら、お前を信じられる今なら、僕は全力でお前の封印を解ける! 僕にやらせてくれ! お願いだ、僕を信じてくれ!」
ヤミノの手を掴む。その手を、僕の胸に押し当てる。
「……よし! 分かった! じゃあアタシも承一を信じる!」
「ヤミノ! ありがとう!」
「やってちょうだい! 来な!」
ヤミノが僕と向き合って、顎を上げた。その下、褐色の咽喉に、鍵穴の形の痣が浮かんでいる。すべすべの細い首。
鍵穴が僕を呼んでいる。その誘いを、僕はこれまで拒んできた。でも、覚悟を決めた今は……、恐れず、堂々と……!
「行くぞ!」
僕はヤミノの両肩をガッと掴んだ。
「へ? ちょ、え、手で触るんじゃないの……?」
ヤミノが何か言っていたけど、その時には、僕は、ヤミノの首に唇を押し付けていた。
「なはーっん!?」
僕がヤミノを解放する! お前を縛り付けていた悲しい境遇から。お前が感じてきた悲しみから、苦しみから、そして寂しさから。お前はこの世界で幸せになるんだ。その為に、この封印の印を消す! 僕が吸い取って、吸い剥がしてやる!
「ぢゅるるるるっ」
「ああっふ、あっふ! あ、ちょっ」
ヤミノ、お前は自由になるんだ。その為に、僕がお前の助けになる。分かるか、これが僕の気持ちだ! これでもくらえーー!
「くはーーん!」
僕の頭の上で、ヤミノが叫んだ。
「開く開く! 開いちゃううう! 溜まってたのに! いっぱいになってたのにいい!」
「ぢゅるるっ、ぽんっ」
「飛び出すうう!」
「あう!?」
見えない力に、僕は弾き飛ばされた。
ヤミノは立ち尽くしている。空を仰いでのけ反っていた頭が、ゆっくりと降りてくる。僕を見る。目から涙がこぼれていた。
「ヤミノ! 聖縛縄は」
ヤミノの首に首輪が出現し、直後にガシャンと外れる。足元に落ちて、砕け散った。
「解けたあ~」
ヤミノは目を擦ってぐすんぐすん言っている。首の鍵穴の痣は、消えていた。
「泣くのは後にしろ! 見ろ! もう奴らが!」
滝の「扉」には、既にファンタジースタイルの有象無象が到達していた。銀色の鋼の篭手が、ドラゴンの太い首が、そして数多くの剣と棍棒と魔導兵器が、こちらの世界に飛び出していた。数万の異形の軍勢が、攻め来たる!
「僕らなら皆を救える! お前と一緒なら出来る!」
僕は叫びながら、川へと走った。
「承一!? 何をする気!」
ヤミノの声を後ろに、川に飛び込む。そして、川の中央にある、水で出来た水漬女様の玉座にしがみ付く。
「なんじゃ小僧? 命乞いならノーサンキュー」
「違います!」
僕は水漬女様の傍らまで這い上がった。
そこで、水漬女様の額の目がぎらっと光る。
「うわ!」
神の威光に、僕の着ていた制服が切り裂かれた。シャツもズボンも弾け飛び、僕はパンツ一丁になっていた。
「オホッ」
水漬女様が笑った。
「お楽しみはここからじゃ」
「承一ーー!?」
ヤミノの絶叫。
「僕はお前を信じている! だからお前も僕を信じて!」
僕もヤミノに叫び返し、水漬女様の眼前で両手を上げた。
「お手上げか?」
「バンザイです!」
僕は知っている。僕の後ろで、ヤミノもまた両手を天に掲げている事を。
突如として、僕らは影の中にいた。巨大な何かが僕らに覆いかぶさっている。
「魔導兵器グランド・ペイン」
ヤミノの声。
僕は空を振り仰ぐ。空が見えない。
そこにあったのは、巨大な、機械仕掛けの、船のような形をした、しかしそれは大砲であった。
様々な大きさの部品が組み合わさった凸凹の外観、そのあらゆる部分が慌ただしく動いている。ピストンの上下運動にも見えるし、歯車の回転に見える箇所もある。それは、出現と同時に全力で稼働しているのだ。
僕は、初めて見るそれこそがヤミノの決戦兵器であると分かった。生徒会長に、いやサリーナ・リョクド・ウワに恐れられた、魔導衝撃士ヤミノ・トーゴ・クウの力の象徴だと。
「発射」
ひび割れた、黒い光の束が、一直線に滝の「扉」へと延びた。
黒い光は全て「扉」の中へ注がれ、一滴も洩らさなかった。
一泊遅れて、衝撃波が、周囲の竹林を吹き飛ばした。
そうして、黒い光が消えた後、既にこちらの世界に飛び出していた異世界からの群れは、影も形もなくなっていた。悲鳴一つ上がらなかった。
「扉」の向こうでは、赤い干からびた大地が広がり、その上には一面ずらーっと、騎士やらダークエルフやらオウガやらオークやらドラゴンやらが、のびていた。
「きゅ~」
体をビクンビクンさせ、呻き声を上げている。そして、彼らの遥か後ろにあったはずの山は、形を変えていた。
ヤミノの魔導兵器が数万の侵略者を撃退したのだ。たった一つの兵器が。たったの一撃で。本当に、ヤミノは最凶の魔導衝撃士だった。
だが。それでも滝の「扉」を壊した事にはならない。水漬女様の力を封じない限りは。
こういう風に!
「おへーー!」
水漬女様の悲鳴。
無理もない。今水漬女様は、赤い縄で亀の甲羅模様に縛られているからだ! 例え神様と言えど、緊縛されて平気でいられるはずがない。
なんて言っている僕だって、とてもまともじゃいられない。なぜなら、僕もまた縛られているからだ。
それも、水漬女様と向き合って密着して、体を重ねた形で、そのまま縛られているのだ! 抱き合っている形ではない。お互いに胸と胸を合わせて、しかし手足は後ろで縛られている。言い方を変えれば、「水漬女様ごと」僕が縛られているのだ。
僕が封印を解除したのは、ヤミノの聖縛縄だけで、僕自身の封印は解かれていないのだ。だから、ヤミノが魔導兵器を使った際に、僕にだけ緊縛が発動したのだ。ヤミノがグランド・ペインを撃つタイミングに合わせて、僕は水漬女様に襲い掛かったのだ。
「あひ! あひ! これは何たることか!」
ジタバタする水漬女様。たが、不意に僕らと空の間に、さらに一本の赤い縄が繋がった。
「あ、ちょっと!」
その縄に僕らは宙吊りにされ、クレーンゲームのように、川から引き上げられた。恥ずかしい姿が露わになる。
「承一……」
ヤミノの声。
「見るなー! 見るなー! うっうう」
水漬女様がめそめそと泣き出した。すると、色っぽい花魁のようだった顔が、徐々に年若く、幼く変わっていく。豪奢な着物も浴衣へと変わり、長い髪も短くなっていく。
水漬女様は、元の幼女の姿に戻っていた。神としての力が落ちたのだろう。
「とんまー、うすらとんかちー」
水漬女様は僕の胸の辺りで泣いていた。額の目も閉じていた。と言う事は……。
緊縛宙吊りのまま見下ろせば、小川には、学生服&ふんどし姿の若者が溢れていた。中には生徒会長や校長先生もいた。たもっちゃんの上に今井さんが折り重なっている。
皆、へとへとの表情で、僕らを見上げていた。僕らの、こんな姿を……。
「人間どもー! 見るなー! このバチ当たりめがー!」
「水漬女様! あ、ちょっと暴れないで! 水漬女様が緩んだ分、僕に多めに食い込んで、あっあっ」
「ひああ」