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「アンタなにやってんの……」
繋ぎ合わされた赤い縄を見て、ヤミノが言う。
「せっかく切ってもらえたのに、これじゃあ何も変わらないじゃん。誰も得しないじゃん」
「得って……」
「だってアタシなんかと繋がってどうすんのさ! 嫌だろ! アタシだって、嫌がられてるのに逃げられないなんて、そんなのつら過ぎるよ! だから」
ヤミノが歯を食い縛る。
「奴隷だっていいよ。アタシを欲しがってくれるなら」
こんな事を、言うなんて。最凶の魔導衝撃士と恐れられていたヤミノが。図々しく生意気で、僕にはいつも強気だったヤミノが。
「駄目だ!」
僕はヤミノの両腕を掴んで向かい合った。
「どこにも行くな! 川の底にも、異世界にも行っちゃ駄目だ! この世界に、僕と一緒にいるんだ!」
叫んだ。
「お前に奴隷が勤まるのか!? 無理だろ! 元の世界に還って復讐するのか!? 余計不幸せになるだけだろ! でもここでなら、お前は幸せになれるよ!」
「こんな物騒な所で、何が……。それに、アンタにはもう関係ない……」
「心配いらないんだよ! だって、僕がどうにかするもの! 約束しただろ? 僕がお前を助けるよ! 学校でだってどこだって」
「でも、アンタはアタシを騙したじゃん……」
「そうだ。確かに僕はお前を裏切った。卑怯な真似をした。僕は、お前の魔導の力は封印されたままで良いと思ったんだ。お前は魔導に頼ってしまうだろ。魔導兵器なんて呼べなくていいんだ。こっちの世界であんな物を出したら、怖がられて、危険視されて、幸せになんてなれないよ」
「だけど、アタシの唯一の取り柄が」
「それはお前の思い込みだよ。お前は、お前を道具として欲する奴らの為に、魔導兵器を繰り出す道具になろうとしてただけなんだよ。そんな奴らの事なんて忘れちゃってよ! だってお前は道具じゃないもの。お前みたいに心をちゃんと持ってる奴はいないよ。わがままだし、気が強いし、そのくせ弱虫だし。そんなお前が魔導兵器を振り回しても、楽しくなんてなれないよ」
ヤミノの故郷の連中。同族なのに、ヤミノを捨てたり利用したり、道具としてしか見ない奴ら。全員ぶん殴ってやりたい。
「お前はこれまで自分を守る為に魔導に頼ってきた。でもこちらの世界でお前に必要なのは、仲間だ。友達だ。家族だ。それは僕だよ! お前が役に立つとか立たないとか、そんな事は関係ない。強かろうが弱かろうが関係ない。僕はお前の友達だよ。僕がお前を助けるよ。約束したもの。僕がそうしたいからだ。僕ならそれが出来る! だから、どこにも行かないでくれ」
「ここ……に……」
「ここが、お前のいるべき世界だよ」
ヤミノが下を向いた。困っているようだ。
だから、僕が助け船を出す。
「その代わり、ヤミノが僕を助けてよ。僕を助ける事は自分を助ける事になる。だって僕らは、もう一度繋がっちゃったんだから」
赤い縄はもう見えない。だけども、それは確かに、しっかりと繋がっている。
「……うん」
ヤミノが頷いた。
「アタシが、承一を助ける」
「ふう……。どうじゃ? なんか知らんが話し合いは終わったのかえ? わらわにはどうでもいいがのお……。はああ……」
水漬女様の声に振り向く。
「はあん……。気持ちいいわあ……。満たされるうう……」
川の水が盛り上がり、玉座の形になっていた。その上に水漬女様が腰掛け、体を反らしている。
のけ反っていた頭をこちらに振り戻す。かんざしに陽光が反射し、バシッと光った。かんざしも、着物の模様も、あちこちが激しく光っている。それは優しい光ではなかった。目を焼く光に、何度も瞼を閉じてしまう。
水漬女様の衣装はさらに豪華になっていた。着物には雲と龍が刺繍され、しかもそれが生地の上で動き回っている。ただの模様ではないのか。
かんざしを初め、指輪に腕輪と豪奢な装飾具にまみれている。だがそれは、けばけばしくもあり、和服に詳しくない僕の目にも、品がないように見えた。
「これまで神の社会の序列を気にしてビクついていたのが本当バカみたいじゃわあ。今度はわらわが皆の上に立つ番じゃ。楽しみよのお。誰を顎で使ってやろうか。ふふふ……」
ひらひらさせていた扇子を、バチンと閉じる。
「じゃがその前に! さんざんわらわを軽んじてきた人間どもに灸を据えんといかんな! こんな若造どもをちっとばかしゲットしたところで腹の虫が治まらん。ここは久々に洪水でも一発かまして……」
「み、水漬女様……!」
「なんじゃ」
水漬女様の額の目は開きっぱなしだ。神の光を放ち続けている。僕ら単なる生物の魂を、圧し続けている。声をかけるのも、ましてや直視するだけでも、歯を食い縛らねばならなかった。
「洪水だなんて、駄目です」
「そなたもしぶとい小僧じゃ。それに小娘、わらわをまたもコケにしくさりやがって。バチ当たりが。ほんに憎まれっ子世に蔓延るじゃわい」
神の光が、僕の背骨をきしませる。
「水漬女様……。会長を……、皆を、解放して下さい!」
「んー? 会長ってあの異世界から来たという娘じゃな。あやつはなかなか器量良しで真面目そうじゃ。わらわは気に入った。返さんもんね」
それから扇子でポンと手を打つ。
「そうじゃ、異世界の人間も悪くないの。そうじゃそうじゃ。異世界か。わらわも見てみたくなったぞ」
「えっ?」
水漬女様が右手の指先を、クンッ! と上に挙げた。
ズオアッ。
川の水が空高く立ち昇り、そして落ちる。
地響きに、僕とヤミノはたたらを踏んだ。
川の水は、昇り続け、落ち続ける。川の流れの最中に、突如として巨大な滝が出現したのだ。
「開け」
滝が、左右に割れる。水のカーテンが開く。
滝の「中」、「向こう側」。そこには竹林などはなかった。ひび割れた赤い大地が続いていた。大地の向こうには奇怪な形の山が聳えていた。
そしてその地で、何千もの、いや、何万もの兵士が、血みどろの戦いを繰り広げていた。銀色の鎧をまとった戦士の軍団がいた。褐色肌の群れがいた。形容しがたい機械があった。緑色の肌の鬼がいた。空には翼を持つ巨大な爬虫類がいた。そして、怒号と光線と炎と血しぶきがあった。
そこは、ここではない世界。異世界の戦場だった。水漬女様は、異世界への「扉」を開いたのだ。
「ああ、なんてことだ……」
呆然とした声で、ヤミノが呟く。
「また、あの地獄に……」
滝の「扉」の向こうにいた何万もの異形の瞳が、僕らを見た。僕らを見つけてしまった。
「地獄が……、来る!」
異世界の戦士達が、この滝の「扉」へと殺到してくる! 鎧を来た聖騎士が、ダークエルフが、オークが、血走った目の蛮族が、そしてドラゴンが! 雄叫びを上げ、土煙を蹴立てて、こちらの世界へと走ってくる!
「水漬女様! 早く滝を閉めて下さい!」
あれは侵略者だ! 巨大なモンスターに血に飢えた戦士達。そして、拘束されていないダークエルフの魔導衝撃士達! きっと恐ろしい魔導兵器を操るに違いないんだ。
それなのに。
「わーお、威勢が良いのお、異世界のものどもは。こりゃあ洪水よりも景気が良いわい。そら、こっちだこっちだ」
「水漬女様! こっちの世界がどうなってもいいんですか! あなたは、この世界の神様なんですよ!?」
「黙らっしゃい! 愚かな人間め! 今更なにさ! さんざんわらわの事をみそっかす扱いしておいて……。都合の良い事ばかり言うでない! ないがしろにされていたわらわの怒り、とくと思い知るがいい! ま、安心せい。わらわの気が済んだら、どいつもこいつも全部まとめて水に流してやるわい。川だけに、なんちゃって」
「あれに耐えたら助けてくれるって事!?」
「違うよバカ! そなたらも異世界人も皆まとめてアタシの奴隷にしたるって事じゃ!」
やっぱりそういう事か! くそう!