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そして、朝。僕の部屋。
「ふんふ~ん、頭蓋骨を~陥没させた男は~、ふふう~ん、おとなしい~」
姿見の前で、鼻歌交じりにプロテクターを装着していくヤミノ。
昨夜はボウリングで負けた事を長い事悔しがっていたのに、一晩寝たらこの通りだ。
「サリナの奴め、首を洗って待ってろってんだ」
「喧嘩するんじゃないからな! 逆だぞ。こっちがお願いするんだから!」
「分かってるっつーの。こいつめ。心配屋さんだなあ」
「なんだお前、浮かれてるのか?」
今日は、放課後に生徒会室へ出向き、聖縛縄の解除を会長に頼んでみるつもりだ。
昨日喧嘩腰のボウリング対決をしたのに、今日はお願いにあがる。しかも会長とヤミノは、元の世界では戦争相手、敵だったのだ。そう簡単に事が運ぶとは思えないのだ。
「この窮屈な生活も今日で終わりかー。へっへへ」
それなのに、なぜかこいつは会長が引き受けてくれるものと確信しているようなのだ。
「あいつは腐っても聖女だからな。人の頼みを無下には断れんよ。バカな奴だ。あははっ」
「おいおい。お前、向こうで聖女と敵対していたくせに、そういう事は信用してるんだな」
そう簡単に行くのかなあ。
それに、もしも会長が引き受けてくれたとして……。ヤミノの聖縛縄が消え去り、それと同時に僕とヤミノの赤い縄の繋がりも無くなり……。
僕は、二日前に突然この厄介な女と出会い、とばっちりで呪いをかけられた形で、こいつと繋がってしまった。そして生活は一変。思い描いていた高校生活とは全く違うスタートを切るはめになってしまった。一刻も早くこんな生活から解放されたい。
全てはこの聖縛縄のせいだ。
だが……。だからと言って、聖縛縄を解除すれば以前の生活に戻るのかと言うと、そうはならないだろう。僕はもう、一度、この異世界から来たダークエルフと繋がってしまったのだから。もう、こいつがどんな女だか知ってしまっているのだから。
「どったの、承一」
「……え、いや別に」
「おーい、テンション低いなー! 希望の朝だってのによー!」
肩をガツガツぶつけてくるヤミノ。お前が朝からテンション高すぎるんだよ!
「どうしたんだよ承一~。あー、分かった。アンタ、寂しくなったんだろ」
「え、なんだよ」
「そりゃ寂しいよな。アタシと離れちゃうんだもん」
「ちょっと、お前、何言ってるんだよ……」
あ、あれ? 顔が熱くなってきて……。ヤミノのバカ野郎! 変な事言うな!
「分かるよ。アンタもさ、何度も聖縛縄で縛られちゃって、満更でもなかったんでしょ。でも、それももうお仕舞いだからね……。寂しくなっちゃったんだな、承一」
「……お前、本当に何言ってんの」
「どうする? なんだったら魔導兵器出してやってもいいけど、最後に一回ぐらい、縛られとく? アンタがその気なら付き合ってやってもいいよ? とびきり強力な魔導兵器があるんだ」
「いいよ! なにそれ! どんなありがた迷惑なんだよ! 怖いよ!」
なんか前に、魔導兵器の使う魔力の強さによって拘束の強さも決まる、みたいな事言ってなかったっけ!?
「なーんてね。アタシもそこまでアレじゃないよ」
「だ、だよな。脅かすなよ」
「大丈夫、心配しなくてもいいよ。けどさ、アタシも承一には世話になったからさ、お礼はしたいわけでさ」
「あ、おい」
ヤミノが僕の胸に手を置いた。
「へへっ」
すぐそばにヤミノの顔があって。意地悪そうな笑顔があって。濡れた吐息が、僕に……。
「ヤ、ヤミノ……?」
ヤミノの手が、僕のお腹まで下がり、それから背中へ回り、腰へと……。
「ちょ、ちょっとヤミノ、あ」
褐色の細い指が僕の体をなぞって行く。
僕はどうしていいか分からず、体を強張らせるばかりで、逃げる事も出来ない。
女の子に体をまさぐられている。朝から。
そうして、なす術もなく石化していた僕は、すっかり体中を縄で縛られていた。……え?
「な、なんだこりゃー!? 緊縛されてるう!?」
それはもうしっかりと、亀の甲羅の模様に、ばっちりと。
「わ、何驚いてんの。大人しく縛られていた癖に。しかもアタシが縛りやすいように、腕を上げたり腰を屈めたりしてくれてたのに」
「え、え、そうなの? そうだった?」
「この縄、聖縛縄じゃないよ。こっちの世界の、現地品。おやっさんにもらったんだ」
「父さんに!? 父さんの私物だとか!?」
ショックー!
驚いた拍子によろけまくる。手は後ろで縛られているし、膝も揃えたまま固定されているので、動けやしない。本当に、聖縛縄で縛られているのと同じだ。
「いやー、上手く縛れて良かった! 昨夜承一が風呂に入っている間にさ、習っといたんだ。優しいよな、おやっさんは。アタシに縛られながらも的確に指示してくれてさ。先生になれば良いのにって思ったよ」
って事は何かい!? 僕と父さんは、親子そろってヤミノに縛られたって事になるのかい!?
「一応覚えたからさ、緊縛。アンタも安心だね。いつでも言ってくれよ。縛ってやるから。ま、それなりに焦らしたりはするけど。じゃ、アタシは先に朝ご飯食べてくるね」
「お、おい! これを解いてからにしろよ!」
追いかけようとして、ずだんと転んでしまう。
ヤミノが扉を開ける。
「よっ」
そこには父さんが、当たり前のような顔をして立っていた。また覗いてたのー!?
「なんだよー、なんなんだよ父さーん」
僕は床に倒れたまま、泣いた。もう泣くしかなかったのだ。
「うんうん。お前も成長したなあ。俺の息子として立派になった。泣くのもいい。その涙の意味を履き違えるなよ……」
「見るなよ……。出てってくれよ……」
僕は泣きながら身悶えする。
「恥ずかしいよお。死にたいよお」
「こいつ、なんか恥ずかしがり屋なんすよー」と、ヤミノが言う。
「そんな事は男の恥ではなーい!」
突然、父さんが大声を上げた。
「これが恥ずかしくなくて何を恥だと思えばいいんだよ!」
「承一、お前は考え違いをしているぞ」
「だって恥ずかしいもん! それに、父さんだって何さ、人の部屋を覗いたりして! 父さんこそ、覗きなんかして、警官として恥ずかしくないの!?」
「恥ずかしくない。保護者として、父親として、先駆者として、初心者のお前を見守る義務がある! お前を男に育て上げるという、その目的の為にやらねばならん事だ」
「なんと」
「それに俺は警官だ。仕事の目的は正義だ。盗撮も盗聴も大いなる目的の為の必要悪だ!」
あ、言い切った!?
「承一。お前にはいつも言っているだろう。男として恥ずかしくない生き方をしろと」
「そうだよ! それなのに、僕も、父さんも、こんな情けないざまに……」
「見た目の恥ずかしさなんてどうでも良い事だ」
「どうでもよくないよ! だって、僕……」
「ヤミノちゃん、やってくれ」
「ほいさ」
ヤミノが僕の脇にしゃがみ込み、僕の背中側に張られた縄を持ち、引っ張った。
「あいててて! 食い込む! 食い込むって!」
「よく聞け承一。恥ずかしくない生き方とは、一本すじの通った生き方の事だ。それは何も頑固者になれという事じゃあない。真の目的を見据えて、それを見失わない事だ」
「いててて! ちょっと、ちょっと、本当にやめて!」
「そこへたどり着く途中では、いくらつまずいても、回り道をしても良いのだ。バカにされ、後ろ指を差されるような事があっても、どれだけ泥を啜るような真似をしても良い」
「いっぐぐぐ……。食い込んでるから……。きゅうってなってるからさ……」
「そんな事は恥ではない。真の目的、一番大切な事、それを見失う事が恥なんだ。そういう弱い男にはならないでくれ」
ヤミノが縄から手を離した。
「うっうう……」
そんな僕の頬を、父さんが両側からパンと挟む。
「分かったな、承一」
「うう……。はい……」
「一番大切な事を見据えて、それを決して見失うな」
父さんはそう言って、部屋を出て行った。
「あ、アタシもごはーん」
ヤミノも行ってしまった。
一人部屋に残された僕。僕を縛る縄は、聖縛縄と違って、時間が経てば自然に消えるわけじゃない。亀甲縛りのまま、寝返りを打つ。
「恥か……」
縄の食い込みに泣かされた僕だけど、そんな状態で聞いた父さんの説教は頭に鮮明に残っていた。縄の刺激が脳を活性化させていたのか? そんなバカな。でも……。
「大切な、事」
それは、ヤミノを助けて、守って、面倒見て、そして幸せにする事だ。あいつがこっちの世界で、楽しく、にこにこと、幸せになる事だ。寂しい思いをしない事だ。
「その為に、僕は……」