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案内されたのは生徒会室だった、はずなのだが。
「こっちでも良いご身分なようね」
ヤミノがソファにどかっと腰を下ろす。
「元の生徒会室は随分と狭かったので、通常の教室サイズの部屋に変えていただいたの。ちょうど空き教室があったので」
「昨日から、ですよね……?」
「そう。校長先生て素敵なおじ様ね。優しくて助かるわ」
会長が片目を瞑ってみせる。
「うっ」
僕は胸を押さえた。まずいまずい。鼓動が、ちょっと怖いくらいに高鳴る。
綺麗な人のキュートな仕草。あの人の好さそうな校長の事だ、こんな風にお願いされたら、そりゃあ断りきれなかっただろう。でも、どんだけ多くのお願いをされたんだろう。
「普通の教室だったとは、ちょっと思えませんね……」
だって、天井から下がっているのはシャンデリアだよ。こんなのテレビでしか見た事ないよ。それに、壁は一面小さな穴が等間隔に開いていて、これって防音壁だよな。とは言え、校庭側の壁は窓ガラスが並んでいるから、防音と言ってもそれほど効果はないのかな。校庭では昼休みだというのに、運動部の連中だろうか、トラックを走っている生徒がいる。
「ちょっと落ち着かないかしら」
会長が手元のリモコンをいじる。
窓の外は確かに校庭のトラックが見えていた。それが突然、京都かどこかのお寺の石庭に変わった。
「ええ!? あれ、これ、モニター!?」
「そう。カメラで撮った映像を映していただけよ。外壁も防弾鋼板を貼って貰ったし。安全対策ね。昨夜、吶喊工事でお願いしたの」
「安全対策って……」
「生徒会って、学校の頭脳でしょ? 万が一の時にはここが最も狙われやすいと思って」
万が一って、テロリストとか?
「いやいやいや、先生方がいるってのに、生徒会にそこまで学校の支配力はありませんよ」
「そうかしら?」
「……多分、ですけど」
なんてやり取りをしている間にも、業者が様々な物を運んでくる。毛足の長い絨毯。数々の油絵、彫刻。いかにも高級そうな洋菓子やシャンパンなんかも届く。
「良かったらどうぞ」
「はあ」
そんな事言われても咽喉を通らないよ。
そして、部屋の中央に置かれた円卓。会長が円卓の縁を指で叩くと、円卓上に立体映像のビル街が浮かび上がった。指を叩く度に、ビル街は急速に引いていき、都市の図に、日本列島の地図に、そして世界地図へと移っていく。
「安全対策は必要でしょ?」
立体地図の、ある半島から赤い曲線が打ち上がる。と同時に、アメリカ、中国、フランス、ロシア、イギリス、インド……、と次々に赤い曲線が打ち上がりまくる。シミュレーション?
「は、はあ……」
なんだか分からないけど、なんだか凄い。この教室、生徒会室と言うよりも、まるでスパイ映画に登場する秘密諜報部の司令室みたいだ。もしくは宇宙戦艦の艦橋と言うか。
「こういう装置も、校長に?」
「いいえ。これらは理事長にご高配いただいたの。話の分かるおじ様ね、理事長は」
「へー」
ヤミノがソファにふんぞり返り、安全靴をドカッと円卓に乗せた。
「お、おい、行儀悪いぞ!」
「いいの。別にこの女が自分で金を出したわけじゃないんだから。早速パトロンを見つけたってわけだ。相変わらずコスい奴」
「あなたも相変わらず、随分な言い方ね」
「まあね」
なんか不穏な雰囲気だな……。
「資金はいくらあっても困る事はないわ。問題は人材ね。今後は学園四天王に十二学将、親衛七十二士の選抜を急がないと。汚れ仕事の為の裏番凶手隊も作るべきね」
「そんな昔の漫画みたいな……」
「さすが聖女サリーナ・リョクド・ウワ。人こましには余念がないね」と、ヤミノが言う。
サリーナ……? それが、生徒会長の名前か。
「こちらでは緑堂サリナです。以後お見知りおきを」
「で、ありがたい聖女様がなぜこっちの世界にいるの?」
ヤミノが核心を突く質問をする。
そうだ。飛行機で海外旅行に行くのとはわけが違う。世界そのものが隔たっている、らしいのだから。
「ヤミノ・トーゴ・クウ」
「糖獄ヤミノよ」
「糖獄さん。あなたを捕らえ、女神スラーヌへと捧げた事で、両軍のパワーバランスは随分と変わりました。我々人間の軍がダークエルフに勝利するのも時間の問題といったところです。全ては女神スラーヌの思し召しです。これほどの厚い恩恵に、あなたの体だけでは女神への感謝は表現しきれなかった。ですので私は、自らの身を『神の大口』に投げたのです」
「それって……!」
僕とヤミノは絶句し、顔を見合わせた。自分から生贄になったって事?
「私は魂と肉体を女神スラーヌに捧げるつもりでした。この身が朽ち果てて塵に還るのも良し、もしも霊界があるのなら女神に永久に仕えるも良し。ですが」
会長のさりげない操作によって、円卓の上に立体映像の花が咲き乱れた。
「ですがなんという事でしょう。慈しみ深く粋な女神の計らいによって、私は命を救われたのです。女神スラーヌはこの世界へ連れてきて下さいました。まだ死ぬべきではない。こちらの世界で、生を全うせよ、と!」
「なんだ。じゃ、この女も、迷惑した女神に、こっちの世界に捨てられただけじゃんね?」
「自分で人柱になったってのは衝撃だけど、結果的に、そうなる、ね?」
なんて僕らが囁き合っていると、
「いいえ。女神の慈愛の賜物です」
ずいっと会長が顔を突き出す。
「そ、そうですか。それならいいんですけど」
「女神は仰いました。いずれヤミノ・トーゴ・クウとも再会する時がくるだろう、と。『でも、もう喧嘩しちゃだめよ~』と」
「冗談じゃない」
ヤミノが鼻で笑う。
「アンタと仲良くやれっての? バカも休み休みイエイ!」
なんて言いつつ、高級そうなウイスキーボンボンを次々に制服のポケットに入れていく。
「アタシはダークエルフよ。こっちの世界の人間にも虫唾が走るけど、別もんだと自分に言い聞かせて我慢してる。でもよ、アンタは敵だ! ずっと戦ってきた! それにアタシがこっちに飛ばされた全ての原因はアンタだ! アタシを生贄にしやがって……! アンタは人殺しなんだよ!」
「でも生きているでしょ? 女神スラーヌは罪びとさえも斬り捨てないのよ」
「ふざっけんな!」
「ねえ糖獄さん、そう興奮しないで?」
激昂するヤミノの手を、会長が握った。
瞬間。
壁のモニターがビリビリと鳴り、床も、円卓も、ガタガタと揺れた。地震か!?
「わわっ! 大きいですよ! 会長! ヤミノ! 机の下に……」
だが、二人は見つめ合ったまま、動かない。睨み合っている、と言った方が良さそうだ。
「こいつ! アタシの魔力を……!」
天井のシャンデリアが激しく揺さぶられ、今にも落ちそうだ。
なんて思っていると、運び込まれたばかりのいかにも美術的価値のありそうな大きな壺が、ぐらんぐらん揺れて、落ちた! のを僕が間一髪、キャッチ!
「取りました! 取りましたよー!」
僕がアピールするも、二人は無視。
そこで、唐突に揺れが治まった。会長とヤミノは手を離していた。
「アタシの魔力を……盗みやがって」
ヤミノが言う。え? 会長が……? これが聖女の力なのか?
「ほんの少しですよ。いくらこの部屋が耐震耐衝撃強化してあるとは言え、これ以上は保ちませんからね。非常ベルが鳴っても困りますし」
「相変わらず嫌らしい手を使いやがって」
ヤミノがふんぞり返った。
「お陰で熱が冷めちまったよ」
前にヤミノが、魔力を発散出来ないせいで欲求不満になっているような事を言っていたけど、逆に吸い取られたせいで気持ちが落ち着いたのか。
「あなたと私、以前はいろいろとあったわ。でもそれは別の世界の話よ。私達は生まれ変わったの。憎しみの連鎖はどこかで断ち切らないといけないのよ。女神スラーヌはそのチャンスを与えて下すったのよ」
会長が手を差し出すが、ヤミノが握るはずもなく。
ヤミノはシャンパンをラッパ飲みし、
「ごはっ! ぶえっほん!」
と大きくむせた。
会長は苦笑い。
「まあ、急ぐ事はないわね。青春はこれからなんだから」
それから僕へと顔を向ける。
「ところで、恩田承一君」
「僕の名を?」
「ええ、もちろん存じ上げておりますわ」
まあ、校長に聞いたのだろう。昨日の緊縛の一件の言い訳連絡の時にでも。
「糖獄さんとはどういったご関係で?」
「ええと、いとこ同士で……、なんていう嘘設定は、会長には不要ですね」
「ええ」
会長が優しく微笑む。やっぱり、き、綺麗な人だな……! 学園四天王とかアホみたいな役職でも、きっと応募が殺到するだろうな。
「こいつは、まあ、成り行きで一緒にいるだけよ」とヤミノ。
「一緒になられた? と言うと、契りを交わしたと?」
「え!」と僕。
「ん?」とヤミノ。
「それはそれは……」
口を隠して目を細める生徒会長。
「えーと、いや、別に僕はこいつとは、なんというか、事故がありまして。……女神様の計らいってやつです」
「そうですか。どうやら複雑な事情がおありのようですね。女神スラーヌはおちゃめな面もお持ちでしたから。ただ相手が糖獄さんだと、なにかとご心労もおありでしょう」
「そ、そうなんですよ!」
「ちょっとちょっと! 何食いついてんのさバカ! こいつは聖女よ!」
そんな事言われても。聖女とダークエルフの確執なんて僕には関係ないし……。
聖女様か。その肩書き通りの清らかな女性だ。
例え生徒会室を秘密基地に変えてしまうようなぶっ飛んだ事をしていても、元の世界で騎士団を率いてダークエルフの軍と戦っていたっていうなら、驚く事ではない。
……いやいや、そんな簡単に納得出来るわけじゃないけど!
でも、実際にたった一日でここまでやってのけちゃうんだもの、説得力はあるよ。生徒達は元より、校長先生や理事長にまで働きかけて……。
校長も、僕の父さんに睨まれるよりも、会長の素敵な微笑みでお願いされる方が、やる気が出ただろうな。
カリスマって、こういう人を言うのか。
「ばっきゃろい!」
ばちん!
「いてえ!?」
ヤミノに、いきなりほっぺたをひっぱたかれた!?
なんだよこいつ、魔力を吸われて落ち着いてたんじゃないのかよ!
「ア、アンタ、なに真顔で口だけポワ~ってしてんのよ!? しっかりしてよ!」
「え、僕が? してないよ! 何言ってんだよ!」
変な事言いやがって、恥ずかしいじゃないか! あ、ほら、会長が笑っている!
「お二人とも、夕方お暇でしたらまたいらっしゃらない? 私、毎日勉強会を開いておりますの。素晴らしい高校生活を送る為に皆さんの助けになりたいと思いまして。先生方に任せきりでは生徒の自主性が育ちませんからね」
「勉強会……」
そう言えば、今井さん達もそんな事を言っていたな。
「アホかい! なんで授業が終わった後にまた勉強せにゃあならんのよ! しかもアンタに教わるの? 冗談じゃない! ……承一!? アンタなに真面目な顔になってんの! まさか、生徒会長の性の手ほどきとかそういう勉強会だと思ってんじゃないの!?」
「え? ち、違うって! どんな妄想だよ」
ん? と言うか、僕って考え事している顔とエロい事を思っている時の表情が同じって事? そっちの方が由々しき事態だよ!
その時ちょうど予鈴が鳴った。
「午後の授業が始まる。戻らないと。失礼します!」
わちゃわちゃと生徒会室の二重扉から出て行く。
「廊下は走っちゃ駄目ですよー」
優しい声を背中に受けながら。