2-13
●2-13
「ふいぃ~。お、お風呂ご馳走さん……」
よろけながらヤミノが戻ってきた。僕の部屋に、だ。頭にはタオルを巻き、体にはパジャマ代わりにスウェットを着ている。
「随分早かったけどちゃんと温まったのかよ?」
そんな母親みたいな注意を意味も無くしてしまうのは、自分自身の意識を誤魔化す為だ。
だって、湯上りのヤミノの肌は赤くて艶々しててほかほかしてて……。顔も赤くて目は半眼、口さえも薄く開いていて、なんかハァハァしてる。とても艶っぽくて、それでいてヤバい感じがして、僕のようなボーイには、なんともはや……。
「だって~。承一ん家の風呂、超熱いんだもんよ~。茹っちゃうよ」
ヤミノはあぐらをかき、ふうふう大袈裟に言いながら手で顔を仰ぐ。鍵穴の痣を、汗が一滴、伝う。やはりお風呂で血行が良くなったくらいじゃ消えないよな。
磨いたように艶のある褐色の首筋に、濡れた痣が浮いていて、なんか、僕、なんだか……。いかんいかん!
「すっごい汗かいたと思うよ……。あっちじゃ熱い湯になんて滅多に入らなかったからさ。寒くても水浴。これダークエルフの矜持ね。それがこの張りのあるお肌を作るのよ」
ヤミノがスウェットのお腹をまくって、そのままパタパタする。おいおい! ヘソ、見えてる!
「ほら、この引き締まり……」
本当かね。まあでも、サウナの後に水風呂に入ると肌が引き締まってアンチエイジングだとかってテレビで観たような気もするな。ダークエルフに人間と同じ法則が通用するかは知らないけど。
「ほらあ。ね?」
ヤミノがお腹をペチペチ叩いてみせる。
「うん……そうだね……」
褐色の引き締まった、お腹……。すべすべしていて、磨き上げたようだ。はっきり言って、とても魅力的だった。いやらしかった。それでいて清潔だった。
僕はこれまで、健康的なお色気という言葉を鼻で笑っていた。そんなものあるはずがない、矛盾している、と。でも、ここにそれは存在していた。おっぱいでもお尻でもない、お腹という部分にこれほどまで引きつけられるとは。僕は高校一年生。お腹に惹かれるのは、ちょっと早い気もするが……。
なんていう僕の葛藤に応えるように、スウェットの裾が少しずつ上にめくれていって、おお、なんてこと、このままではあのむちっとしたお胸に達してしまうではないか!?
「って、ヤミノ!」
「承一ってさ、真顔で見るよね、女体。ニヤニヤするよりも、なんか危ない感じがするよ」
「え、本当?」
それは……気をつけよう。変態的だもん。自分でも気付かない事って結構あるもんだな。
「し、しかしあれだね。僕ら聖縛縄で繋がっちゃってるけど、片方が部屋にいてももう一方はお風呂に行けるぐらいの距離的余裕があって、助かったね。日本の狭い住宅事情に感謝だね」
「嘘でしょ。本当は残念だって思ってるでしょ」
「お、思ってないよ! そうやって人をエロ小僧みたいに言うなよ!」
「エロくて結構! おつむが健康な証拠よ。ジジイじゃないんだから」
なんて言いながら絨毯の上に寝そべるヤミノ。
「まあでも、風呂は良いもんだね。新陳代謝が捗るよ。こりゃ腹も空くね。明日の朝食が楽しみだ」
だらしない。
「風呂、寝床、飯、とりあえずは生きて行く為の必要設備は手に入れた。上々だよ」
寝たまま足を上げ、自転車を漕ぐような運動をする。余裕綽々だ。
なんだよ、つい数時間前まで父さんの帰りをビクビクして待ってたくせに。魔導衝撃士だか何だか知らないけど、魔導兵器が使えない今はとんでもないビビリのくせに。
「ヤミノ。お前、よく父さんにあんな啖呵を切れたな。怖かっただろ」
父さんは外見もあんなだし、仕事でもそれなりに「荒っぽい捜査」をしているらしい。
そもそもヤミノは肉体的暴力をひどく恐れていた。ましてや目の前で僕と父さんが殴り合っていたんだ。逃げ出していてもおかしくないのに。
「んー。怖かった。でも承一ぶたれてたじゃん」
「だからだよ。僕が殴られているのに、よく逃げ出さなかったな」
言いながら、頭のコブを撫でる。いっつつ……。父さんと喧嘩すると、コブは出来るけど痣は出来ない。そういうのも刑事の技なんだそうだ。
「んー。でもなんかさ、なんで承一ぶたれてるのかなーって」
「なんでって、おい! お前の事で殴られたんだよ!」
「んー。それは分かってんだけどさ。でもそもそもなんでアタシの為にぶたれる事してんのかなーって」
「はあ?」
なんだよこいつ。ここまですごいバカなのか。
「なんでも何もないだろ!」
「いや、もちろんアタシだって分かるよ。アタシと繋がっちゃって、困るもんね。でもさ、別にぶたれなくてもいいじゃん。アタシを外にでも出しておけばいいわけだし」
「何言ってんのお前」
「おやっさんもおやっさんだよな。なんかアタシを幸せにするには云々みたいな事言って。なんなの」
「そんな事……、はあ、なんか無駄なやり取りだな、これ。当たり前の事を説明するの、バカらしいよ」
「なによ! またアタシがバカだって言いたいわけ!?」
ヤミノの声音に、カッと来た。なんで僕の方がヤミノに逆ギレされなきゃならないんだ。
「バカだよ! そりゃ僕は困ったけど、お前だって困ってただろうが。外で寝たいのかよ? 今時犬だって部屋で寝るよ。先に言っておくけど、お前が困ると知っててそれをやるのは僕は嫌だ。それは男のやる事じゃない。お前の面倒を見るって父さんに言ったのも口から出まかせじゃないよ。お前は自分の生きてきた世界とは全然違う場所に放り出されて、これからももっと困るだろ。お前、自分で思っているよりもずっと大変だぞ。一人じゃどうにもならないぞ。魔導兵器も出せないし、ヘタレだし。うろうろして警察に逮捕されるかもしれないし、ヤクザに捕まって酷い事させられるかもしれないぞ。聖縛縄がいつ解除されて、お前がいつ元の世界に戻れるか分からないけど、それまではここにいるのが一番安全なんだよ。昼間だって、僕が学校に行ってる間、一人でブラブラしてても仕方ないだろ。一緒の教室にいれたらお前も怖くないだろう。だから……、そういう事だよ!」
「でも!」
「もうこの話はおしまい! でもとかだってとか、女とそういう話をするのは面倒だ!」
中学の時も何度か女子と何気ない会話から口喧嘩に発展した事があった。大概はなぜ、どうして、意味わかんない、の無意味な返しにまともに応えての事だ。そして最後は女の子の方がキレたり泣いたりして、僕の方が悪いみたいな空気になる。ヤミノもあの手の女なのかよ。
「でも」
「あー、ほらぁ!」
「ありがとって、思ったの」
「だからさあ、……え?」
「なんか承一がアタシの為にぶたれてたからさ、アタシもぶたれても良いかなって。本当は嫌だけど。でも良いかなって」
「僕が、人間のくせにって事? 同族の、ダークエルフでもないのにって」
「ダークエルフは最初からそんな事しないよ。この話は終わりなんでしょ。アタシ、疲れた。湯当たり。寝る」
ヤミノは寝転がったまま、むこうを向いてしまった。
「おい、寝るならベッド使っていいぞ。僕が床で寝るよ」
繋がりの距離的余裕ならあるんだけど、部屋の余裕がないもんで、同じ部屋で寝る事になったのだ……。他の部屋も片付ければどうにかなるんだけど、今日はまだそこまで出来ていないから。
「硬い床の方が寝られるからこっちでいい」
「そうなの? じゃあ、枕を……」
「使わない主義」
「毛布は置いとくからな? 風邪ひくといかんから……」
ヤミノは黙っている。もう寝たのか?