2-10
●2-10
「おう、ただいま」
「おかえりなさい」
父さんが、やたらと凝った刺繍のしてあるネクタイを弛めながら居間に入ってきた。
頭は角刈り。額には縫合痕。眉間に深い皺が刻まれ、ティアドロップ型のサングラスを外すと、これまた眼力に溢れた一重の目が現れる。お人好し扱いされる事の多い僕とはえらい違いの、これぞ強面って顔だ。
父さんは警視庁の組織犯罪対策第六課の刑事だ。ヤクザにも恐れられているらしい。父さんと一緒に繁華街を歩くと、いろんな人に挨拶されるぐらい。
と言うか、父さん自体が、今時こんなヤクザはいないだろうってくらいにヤクザっぽい風体なんだけど。
「入学式はどうだった? ビシッと決めてきたか?」
「あー、うん、そうね……」
全校生徒の前で激しい痴態を晒したなんて、言えるわけがない。殺されてしまう。もしくは父さん自身が憤死するよ。
父さんは警察官だけあって、厳しい。母さんが死んで、一人親の責任を感じているからだろうな。厳しいと言っても、それは別に勉強を強制するとか門限が早いとかじゃなくて、男として、人として、恥ずかしくない人間になれって事だ。
「そうかそうか。滑り出しは順調ってわけか。結構じゃないか。友達は出来たか?」
ちゃぶ台の前にあぐらをかく。
「それなんだけど……」
僕は、パチンと指を鳴らした。
「へい、ただいま」
キッチンから、ヤミノがお盆を手に、そろそろとやってきた。慣れていないのか、お盆はぷるぷる震えて、乗せてあるお茶が今にもこぼれそうだ。
「ど、どうも~」
ヘコヘコするヤミノ。父さんの厳しさ、仕事の荒さを伝えてから、この怯えようだ。
「へ、へへ……。粗茶です。……ヒイッ!?」
父さんの顔をまともに見て、ヤミノがのけ反った。
「オウガの処刑人!? あの、ナチュラルボーン・キラーな……、決してアヒャヒャ的な笑い方なんてしない、淡々と、当たり前のように残酷な事が出来ると言う……」
「何言ってんだよ! うちの父さん!」
そりゃあこんな七十年代の実録ヤクザ映画に登場しそうな風体だけど、いくらなんでもオウガってのは酷いんじゃない?
「で、父さん、この娘、ヤミノって言うんだけど……」
「おお! 友達どころかこんな綺麗な子を連れてくるとは! でかした!」
父さんは三白眼をくわっと見開き、それから糸のように細める。
「承一が女の子を連れてくるなんて初めてだからなあ。実は心配してたんだぞ。そうかそうか……。こいつはめでたい。はっはっは」
膝を叩いて笑う父さん。なにもそんなに喜ばなくても。そういうもんなの?
「ヤミノ・トーゴ・クウですう。搾り立ての果汁が好きです~。よ、よろしく、オッサン」
「おい! 人の親をオッサンとは何ごとか!」
気に入ってもらわんといけないのに、このバカ!
「ひっ。な、なんだよ承一。なに怒ってんだよ、怖いなあ」
「まあいいって。ヤミノちゃんかい。外人さんだろ? 日本のしきたりなんてそりゃ分からねえよな。留学生かい? ジス・イズ・ア・ペン! うわっははは!」
「え? え?」
キョトキョトするヤミノ。
「アイ・アム・ファーザー! コップ! デカ! 分かんないかい? 仕方ないな。オウ・マイ・ガッド!」
「ちょっとちょっと父さん」
「任せておけって。ようはフィーリングだよ。俺だってこんな感じでも、結構な数の外人犯罪者をパクってきたもんだ。なあ、ヤミノちゃん」
「あ、はあ……」
「ところで」
不意に声のトーンが落とされる。
「おい承一。お前、この娘と結婚する気はあるのか?」
ええ!?
「ちょ、ちょっと、何を言い出すのさ!? まだ家に連れてきただけなのに……」
だが、父さんは茶化すような顔ではなかった。僕を見て、それからじっとヤミノを見つめる。目が、据わっている。
「どちらの国から来なすったんです? 親御さんは? そのジャージ、うちの苗字が入ってますな? お住まいは? 家族は多いんですかい?」
あれ? これじゃ取調べみたいじゃないか。やっぱり家出を疑っているんだ。
「あの、父さん……」
「お前が何を聞いているか知らんが……」
「あのさ! ヤミノは家出少女ってわけじゃないんだ!」
「家出ならいい」
「え?」
父さんは、ヤミノが運んできたお茶を口に含んだ。湯呑を置いて、息をつく。
「まあ二人とも気を悪くしないでくれ、なんて言うのも空々しいが……。別に俺はヤミノちゃんを責めるわけじゃない。ただ、最近はブローカーが跋扈してるからな」
「ブローカー?」
「仲買人だよ。人間のな」
「それって」
「人買いや人攫いから仕入れた外国人を、日本で結婚させるのさ。ブローカーには金が入るし、娘の方にゃ日本の国籍が入る。未成年でも多いんだ。嫌な話だがな。それに旦那になる方は何も知らないって場合もあるんだよ。自分は恋愛してるつもりでも、結局のところははめられたも同じよ」
「父さん!? 何言ってんの!?」
僕は立ち上がっていた。
「違うよ! ヤミノはそんなんじゃないよ! いくら父さんだって、僕は怒るよ!?」
父さんは、いつも僕に恥ずかしくない生き方をしろと言ってきた。僕もそれに応えたくて、胸を張って歩ける一丁前の男になりたいと思ってきた。それなのに、なんだよ、これじゃあまるで僕が人身売買の客みたいじゃないか。そんなのってないよ。
「お前が怒るのも当然だ。俺も失礼な事を言っているのは百も承知よ。ま、座れ。お前が女の子を連れてくるなんて、嬉しいんだがよ。これまで一度もそんな事がなかったのに、いきなり外人の美人ときたからな。でだ、ヤミノちゃん」
父さんは僕が激昂してもまるで動じない。当然だ。それは僕が息子だからとかそういうんじゃなくて、普段から暴力団を相手にしているからだ。今更未成年に凄まれても何とも感じないんだろう。
「承一に気兼ねする事はないからよ、俺に頭に来たんなら怒鳴ってくれて構わんぜ。承一は承一、俺は俺だ。話せる事だけ話してくれんかい。嘘なら嘘でもいいからさ」
それはつまり、話の内容ではなくて、話す行為そのものから、ヤミノという娘を探ろうって事だ。
「正直なところ、どこの生まれなんだい?」
ヤミノは答えない。
「一人で来たのかい?」
「……………………」
「言えないならそれでもいいが」
「父さん!」
僕は怒る代わりに、畳に膝をつき、手をついた。
「こいつ、家出じゃないんだ。でも、しばらくでいいから、うちに泊めてやりたい」
「そう来るよな。そうだろうとも。そんでもって理由は聞くな、か」
「うん……」
「俺はお前の保護者だし、この家の家長だ。勝手な真似は許せねえ。それに」
ヤミノを見る。
「外国人かどうかは別にしても、ヤミノちゃんにゃあ、カタギ者にはない匂いがしてな」
ドキリとした。確かに、ヤミノのいた世界ではダークエルフと人間が戦争をしていたのだ。そしてヤミノは、魔導兵器を操る魔導衝撃士として、前線で戦っていたらしい。街を焼いたと、騎士団を滅ぼしたと、そう言っていた。戦場にいたんだ。血と炎の中にいたんだ。それを、刑事の勘だろうか、父さんは感じ取ったのかもしれない。
「うちの甘っちょろいガキにゃあ、荷が重そうでな」
「そんな事ないよ! 僕だってもう高校生だし、男だよ! ヤミノの面倒は僕が見るから、父さんには迷惑かけないから」
「承一、悪いがちょっとコンビニ行ってかち割り氷買ってきてくれんか。切らしてただろう。あとビーフジャーキーでも」
カッと来た。
「このお!」
父さんに掴みかかる。と、左目の横でガーンと音がして、直後に右目から畳に倒れ込んでいた。張り手をかまされたのだ。
「どうしたどうした」
父さんがのそっと立ち上がる。
その足に組み付くが、即座に頭を一発二発と殴られる。
「んっ、ぐっ、よいしょお!」
殴られながらも、父さんの片足を掴んで立ち上がり、そのまま向こうの壁へと突進する。どすんと家が揺れ、壁掛け時計が落ちた。
久し振りの親子喧嘩だが、そこまでだった。二、三発腹を殴られ、怯んだところで背負い投げされる。
「ぐっはぁ!」
背中からもろに落ち、息が詰まった。立ち上がろうとして、力が入らない。
父さんに襟首を掴まれ、ぐいと引っ張られる。
「もう終わりか」
手を振り解こうとして、もう一発殴られる。
そしてもう一発、……は、来なかった。
痺れた瞼を開ける。父さんの振りかぶった拳を、ヤミノの褐色の手が抑えていた。
「おうおう、おやっさんよ! 承一に乱暴するのはお門違いだぜ!」
やめろ、ヤミノ。父さんは舐めた口をきく奴には容赦しない。返り討ちに会うぞ。
「アタシのだんまりが気に食わないならアタシを殴りゃあいい。つってもよ、答えたくなかったわけじゃねえ。答えたくとも、話せるものがなんにもねえから、困ってただけよ!」
口振りは威勢がいいが、声は震えていた。
無理もない。魔導に通じている者の弊害らしいが、こいつは肉弾戦を相当恐れている。今だって目の前で僕が父さんにボコボコにされていたんだ。内心縮み上がっていただろう。
それなのに。
「アタシにゃ紹介できるような家族も故郷もねえ。アタシは捨て子さ! 二度も捨てられた。親に捨てられ、神にも捨てられた!」
……え。ヤミノ、そうだったのか。家族自体がいなかったのか。捨て子って、そんな。
「それだけよ。そこに金なんか動いちゃいないぜ。買われも売られもしてねえからな。誰がアタシなんかに金を出すかよ。ただ捨てられたのさ!」
父さんが手を離し、僕はよろけながらも自分の足で立ち上がった。
その僕の腕に、ヤミノが手をかける。
「承一には迷惑かけてるよ。アタシだって出て行けるならすぐに出て行くよ。でも離れられないんだ。もう、繋がっちまって、どうにも体が言う事きかねえんだよ」
ヤミノの手は震えている。その手に、僕の手を重ねる。
「アンタの大切な息子だもんな。アタシみたいなどこの馬の骨とも知れねえ女とくっ付かれちゃたまらねえってのは、そりゃもっともだよ。それでも……離れられねえんだよ!」
だが父さんは動じない。顔色一つ変えない。ただ、やれやれと首を振っただけだ。
「ヤミノちゃんよ、お前さんの言葉を嘘だとは思わんよ。けどなあ、ま、若い時分はすぐに運命なんてもんを感じてしまうもんだ。舞い上がって、これぞ一生に一度の愛だ、なんて信じてしまう。悪い事じゃないが」
「そんなんじゃねえよ! 見ろ! これが……」
ヤミノが両手を上げた。え、おい……。
まるで天井からこぼれてきたように、様々な部品が現れ、次々と組み合わされ……。
「魔導兵器ボム・メッセンジャ!」
それは、ドラム缶を二つ繋げて横倒しにしたような、円筒形の物体だった。て言うか、お前、なに魔導兵器を出してんだよー!?
「え? なんだ? どこから出したんだこれ?」
父さんも突然の事にきょとんとしている。
円筒形の表面から、数え切れないほど多くの小さな円錐が、ジャコっと生えた。
「これが、アタシと承一の繋がりだー!」
「わ、バカ野郎ー!」
魔導兵器ボム・メッセンジャの表面に生えた数百本の小さな尖がりが、ビカッと光った。
そして。
ガシャッ。
ビシッ。
どたっ。
「あんっ」
魔導兵器ボム・メッセンジャは消え失せていた。
「う、うぐう……」
代わりに僕とヤミノが赤い縄で緊縛された恰好で、畳の上に倒れていた。
「ひやあーー!」
父さんが悲鳴を上げた。亀甲縛りな僕を見下ろして。強面で、厳しくて、男らしくて、頼もしい父さんが、叫んでいた。恥ずかしくない生き方をしろと僕を育ててくれた父さんが。角刈りの頭を抱えて、目を剥いて、一人息子の痴態を見下ろして。
「どうよ。よく見てくれよ、おやっさん」
僕と同じく赤い縄で亀甲縛りにされたヤミノが、不敵な笑みで言った。
「お、お前ら、びやあーー!」
仲間から慕われ、ヤクザから恐れられる父さんが、こんな、壊れた警報サイレンみたいな声を上げるなんて。
「これが、アタシと承一の繋がりってもんよ!」
ヤミノが、緊縛されたまま、畳の上をゴロゴロ転がる。
父さんは足を払われて、ズダンと音を立てて転んだ。
死ぬしかない。そう僕は思った。