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●2-5
「うう、乱暴者め」
川の神は尻餅をついたまま、地面を小さい手で悔しそうにペチペチ叩いている。
僕は膝をつき、目線をこの小さい子供のような川の神に合わせる。
神様、なんだよねえ? 和装とはいえ、浴衣姿っていうのが、どうも神様というよりも妖怪ぽいという気がしないでもないんだよね。もっとこう、大和時代の人の姿とか、平安貴族みたいな恰好とかしているもんかと思ったので。
「ったくよー」
ヤミノも横で濡れた髪をかき上げている。
「あの、大丈夫ですか? 水漬女……様……」
「久方ぶりにハッスルしてみたが、いかんせんこの体じゃなあ、パワー不足じゃ」
しょんぼり顔の幼女。額の目は閉じると瞼も何も見えなくなるようだ。つるんとした子供の額でしかない。
「わらわとて、全盛期はそれは素晴らしい肉体美を誇っておった。神のパワーに溢れておった。じゃが、時代よのお、人の信仰心が薄れ、わらわのパワーも落ちていった。今じゃこんなにキュートなザマよ」
「全盛期……」
「以前は洪水が多かったのじゃ」
あ、やっぱり。
「その度に、ここらの住人は頻繁に生贄を川に沈めておった。神の力に縋るしかなかったのじゃ。お陰でわらわはウハウハじゃった。パワー満点でな」
「ほれみろ。信仰心があるから身を捧げるんだ。神がいるからだ」
ヤミノが怒った顔で言う。怒っている相手はこの川の神だろうけど。
「元気爆発状態のわらわは四六時中額の目も開きっぱなしよ」
毛穴開きっぱなしみたいな言い方だな。
「あ、もしかして水漬女様の名前って、三つ目ともかけてあったりするんですか?」
「んー? あー、いや、へへ」
なぜか照れる幼女神。
「じゃがのお、最近は灌漑が整備されてのお、洪水など全くないじゃろ。土地の者もわらわの事をないがしろにしくさって、たまに近所の婆様がお供え物をするぐらいじゃ。もちろん生贄などここ百三十年ばかりない」
「でも自殺者はいるって話じゃん」とヤミノ。
「たまにな! ドボンと来ると待ってましたってな感じでな、ウキウキものじゃよ。とは言え、あまり見た目に難ありの輩の場合は、下流へスルーしてたよ? 活きの良いそなたのような娘は大歓迎じゃぞ! そうしてわらわのそばに侍らせて仲良く暮らすのじゃ!」
「え! それだと、ヤミノは元の世界に飛ばしてもらえないって事だよね?」
「そうなんだって。だからアタシは逃げ帰ってきたわけ」
やれやれと両手を広げるヤミノ。
「だって嬉しかったんだもん。でも、永久にってわけじゃないぞ!」
「と言うと?」
「いやの、身投げする者ってさ、そもそも負の念を抱えておるじゃろ? わらわ自身、神のパワーが強くないのでな、その者の穢れの進行を抑えられんのじゃ。そうするとだんだん気持ち悪い顔になってしまってなあ。あんまり一緒にいたくないな、もういいや、ってなるんじゃよ。そしたらお役御免じゃ」
「なんか凄い勝手な!」
「あ、別にそこらにポイするわけじゃないぞ? 黄泉へと送ってやったり、仏教徒の場合は閻魔の元へ送ったり。とは言え、死後の世を司るのは超大物じゃから、わらわのようなキュートなペーペーはまともに口などきけん。会った事もない。使いの鬼に引き渡すだけじゃよ。はは……」
しゃがんだまま、指先で土をいじる水漬女様。
「じゃが、そなたは別の世界へ飛びたいらしいのお? あいわかった。わらわが送ってやろう。他の世界の神になど気を使う必要はないからの。怖いのは身内だけじゃ」
うわあ。女神スラーヌはあれほどこっちの神に目を付けられないようにって気を使っていたのに、水漬女様は逆の考え方なんだな。どっちも結果的に相手に迷惑かける事は同じだけど。
「飛ばせるの!? じゃあ頼むよ!」
ヤミノが食らいつくが、
「そなたが老いて、もういいやって顔になったらの」と水漬女様。
「なあにい~」
ヤミノが水漬女様の襟に手をかけようとする。神様相手に、そんな事を!
だが水漬女様は、流れるような体捌きでヤミノの手を躱すと、逆にその手を掴み、捻る。
「あいてえ!?」
ヤミノはバネ仕掛けの人形のように、ぴょこんと立ち上がった。
水漬女様はヤミノの手を掴んだまま、彼女の背中にスルッと回り込み、しがみ付く! 合気道とかレスリングの技のようだ!
ヤミノは両足を踏ん張ってのけ反った姿勢のまま、身動き出来ない。
「パワーに劣ってもサブミッションが極まれば負けはせん。ふんっ」
水漬女様が体重をかけると、その方向へよろけていくヤミノ。もちろん川の方へとだ。
「水漬女様! そいつは死ぬつもりじゃなかったんですよ! ただあなたと話したくて、ヤミノは飛び込んだんです!」
「知らんわ、そんな事! この娘は一度わらわの下へ身を捧げたんじゃ! もうわらわのものじゃ!」
「そんな! ええとええと、そいつ女ですよ! いいんですか?」
異世界の女神スラーヌは、女なんか捧げられてもありがた迷惑だって理由で、こっちにヤミノを捨てにきたんだ。だったら水漬女様だって……。
「女と女。だからどうした? まさかそなた、今どき性の同異が云々とかのたまうつもりか? 感心出来んなあ。そもそも日本の神は性をやすやすと飛び越えるのじゃ。人間だってそうじゃろう。歌舞伎とか、タカラヅカとか、日本の風土的に自由なのじゃ。大陸の融通の利かぬ神の事は知らんが」
やっぱり駄目か。
「しょ、承一~」
苦しそうなヤミノの声。
「ヤミノ!」
「そう言えば小僧、そなたはこの娘と繋がっておるようじゃったな。この娘を取ればもれなくそなたも付いてくる。こりゃお得じゃ。つがいでゲットとは嬉しいのお」
そうなんだよ! ヤミノと一緒に水漬女様のそばに縛られるのも嫌だし、年季明けで解放されたとして異世界に飛ばされるのも困る!
やっぱり、聖縛縄を解く前に神様に飛ばしてもらうって計画自体が間違っていたんだ!
「ちょっと待って下さい! タイムタイム!」
水漬女様を乗せてヨロヨロしているヤミノにしがみつく。
「ほら、水漬女様も降りて下さいって!」
ピンクの浴衣を掴んで引っぱる。
「ぬ! サブミッションは一対一の技。二人掛かりとは卑怯ぞ! ちょ、小僧!」
後ろから水漬女様の手を掴み、引っぺがす。やはり幼女の体、単純な腕力で高校生男子の僕に敵うわけがない。そう、本当は今日から高校生だったんだよね、僕……。
「離せい、離せい!」
後ろから抱えられ、暴れる水漬女様。小さく柔らかな裸足で太もも辺りを蹴られたが、痛くもなんともない。
「人間風情が神に乱暴とはとんでもない奴! それなりのところに訴えるぞ!」
あ、自分でバチを与えるとかじゃないのか……。
「いっつつ……。にゃろ~。アタシの腕を捻るとはいい度胸してるじゃないのさ~」
水漬女様から二度も痛い目に会わされたヤミノが、ゆらりと振り返る。そして、空中に、例の謎物質の部品を出現させる……! それも大量に!
「あほー! だから魔導兵器は駄目なんだろ!」
「あ、そうだった! あ、じゃ、どうしよ。どうやって折檻したらいい? ぶったら手が痛いし……。アタシ、肉弾戦とかずっと避けてきたから」
手を擦って目を泳がせるヤミノ。いやいや、折檻なんてしちゃ駄目だろ!?
「わらわをぶつとな? 愚か者!」
水漬女様の額の目が開き、光る三つの目がヤミノと、振り返って僕を見た。
「う!」
「ひやあ!」
神の気を当てられ、僕は手を離した。
「小僧、貴様は人の子の分際で、恐れ多くも川の神を抱っこするとは、不届きな奴! 神の力をそのひょろい体の芯に刻み込んでやる! 二度と盾突く事のないようにな! 食らえ! 神力ウォーター・ビーム!」
水漬女様は両手をパンッと合わせ、その手を僕へと突き出すポーズを取った。
「え、ちょっと!」
僕は水漬女様から顔を庇うように手を上げた、のだが。
「うわっぷ」
水漬女様とは別の方、川から、水がぴゅーっと飛んできて、僕を濡らした。え、なにそれ! 水漬女様の構えた手の先から発射されるわけじゃないのね!?
「びしょ濡れだよ……」
「ざまあみろ! 神の力を思い知ったか!」
確かになんかピリピリする。でも神の力にしては微妙過ぎるんじゃないのかなあ。
「たわけが! この、あんぽんたん!」
水漬女様が罵ってくる。
「すっとこどっこい! 脳たりん!」
さんざん悪口を言って、しゃがみ込んでしまった。膝に額を付けて、息をついている。疲れたのだろう。
「五分休憩な。五分……。トイレに行くなら今だぞ……。五分後に再戦じゃ……」
顔を伏せたまま、弱々しい声で呟く水漬女様。
僕とヤミノは顔を合わせる。頷き合い、足音を忍ばせ、水漬女様から遠ざかる。このまま、そおっと、逃げよう……。