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緊縛ダークエルフ  作者: クルクルパー
プロローグ
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プロローグ

 戦火に赤く焼け爛れた丘を越えると、突然の絶壁に出くわす。


 見下ろしても闇があるばかりで、底は見えない。絶え間なく不規則に吹き上がる風のせいで、種は根付かず、虫も寄らず、もちろん獣の類も近付かない。人間などは以ての外だ。


 向かいの丘までは八十メートルほどか。そう距離があるわけではないが、渡るには相当の遠回りをせねばならなかった。橋がかけられないのだ。底が見えない為に橋脚が建てられず、吊り橋を作る為にロープを結わえた矢を放っても、吹き上がる風に叩き落とされてしまう。


 谷などという優しい言葉は相応しくない。それはまさに大地の裂け目であった。


 土地の人はこう呼んでいる。「神の大口」と。こんな荒涼とした場所にこそ神はいるのだ。


 そして生物の気配がないからこそ神は命を欲する。土地の人はそう信じている。神を満足させるには、人の手が必要だった。




 そして今、この荒れ果てた地に五百人ほどの鎧姿の人間達が詰め掛けている。だが、神に捧げられるのは彼らの命ではない。


「この風、最悪。これも女神が起こしているの? いびき? しょうもない」


 女が言った。紫に光る長い黒髪が、激しい風に吹き乱される。


「ヤミノ・トーゴ・クウ、口を慎みなさい。女神を愚弄するとためになりませんよ」


「はっ。お堅いこった」


 ヤミノと呼ばれた娘が鼻で笑う。


 褐色の肌に紫がかった黒い長髪。切れ長の目は鋭く、瞳は赤い。しかし唇はふっくらとし、濡れている。鋭さと柔らかさを持ち合わせた、美しい娘だった。


 二十歳にはまだ何年かあるだろうが、ふてぶてしい目付きには年齢以上の凄みがあった。


 長身の肉体もまた同じくメリハリのある体つきをしていた。体に張り付くような薄手の黒い服しか身に付けていない為、胸や太腿の豊かさと、首や腰の細さが際立って見える。


 その肉体は、今、首枷、手枷、足枷によって、一本の丸太にくくり付けられていた。鋼鉄製の強固な枷である。


 丸太は荷車に歯車と縄で固定され、崖の縁から「神の大口」へと突き出されている。


 彼女こそが神への供え物、生贄であった。神を満足させるには、人の手が必要なのだ。


「まったくさ、神を喜ばせる為に人を殺すなんて、正気の沙汰とは思えないよ。そんな神、捨てちゃえば?」


 ヤミノが口の端だけで笑う。覗いた歯は、犬歯以外も尖っていた。尖っているのは歯だけではない。耳もまた尖っている。


 彼女は人ではない。人間と敵対する種族、ダークエルフだ。


「趣味の悪い神だよ。こんな神がアンタら人間に何をしてくれた? 命を食らうだけで何の力もないのさ」


 吐き捨てるように言う。


 体を捻ると、手足の枷がガチャリと鳴った。首枷が咽喉を圧迫したのか、むせる。筋力で壊せるような代物ではない。が、そんな拘束も彼女にさほど効果があるわけでもない。


 ヤミノの顔や腕や腹や足には、褐色の肌のいたるところに古代文字が書かれていた。魔力を封じる呪文である。これが、彼女を縛っていた。


魔導衝撃士(マギノ・ストライカ)ヤミノ・トーゴ・クウよ。黙りなさい。誰であろうと女神スラーヌを冒涜する事は許されません」


 横からもう一人の娘が言う。


 背丈はヤミノよりも頭一つ低く、栗色の髪の下、顔にも幼さがまだ残る。


 娘は、黒尽くめのヤミノとは反対に、柔らかな白い衣に身を包んでいる。僧衣である。


 肌もまた白く、黒く大きな瞳はこの荒涼とした場所で何を反射しているのか、きらきらと輝いている。唇も赤く光り、頬にも朱が差し、顔全体が煌くようであった。


 ヤミノの不敵な美しさとは逆の、無垢な美があった。


 僧衣の彼女の後ろには、銀色の鎧に身を包んだ騎士達が控えていた。鎧には、僧衣と同じ紋章が刻まれている。五百人の聖騎士であった。


「へっ。これから人殺しするってのに、よくもまあそんなキラキラした目でいられるもんだ。人間て奴は恐ろしいもんだな。なあ、聖女様よ」


「サリーナ様に無礼な口を!」


 いきり立つ騎士達を片手で制し、聖女サリーナ・リョクド・ウワはため息をついた。


「あなたがこれまでに我々人間に与えた残酷を思えば、一度の死では到底割に合わないのですよ。あなたの狂気の魔導兵器(マギノ・ギア)が、どれほど惨い事を……、いくつの村を、町を焼いたか……」


 サリーナが目を閉じる。赤い唇が震えていた。


「そりゃまあ、アタシの魔導兵器は特一級品だからね。人間が精錬するような鋼なんか、アタシの魔導兵器(マギノ・ギア)の撃つ炎でバターのように溶けてたもんな。脆いんだよ、人間はよ。心も体も。弱いんだよ」


「貴様ァ!」


 聖騎士が大剣を抜く。


「おうおう、やってみろよ。アタシはこの通り縛られてるぜ。好きなようにしてみろ」


 ヤミノが笑うと、そのたびに胸が揺れた。


 それを見下ろしながら、しかし騎士は動かない。縛られた少女を前に、長身の男が何も出来ないのだ。騎士は、この状況でも未だヤミノを恐れていた。


「やめなさい。彼女も死が怖いのです」


「し、しかし」


 聖女と騎士達のやり取りを、ヤミノが嘲笑う。


「ブリキの木偶が! アンタらの剣が役に立ったか? そこのスカした聖女がアタシの魔力を吸い取らなけりゃ、手前らは今頃消し炭になってんだぜ」


 強力な魔導兵器(マギノ・ギア)を操る魔導衝撃士(マギノ・ストライカ)


 それに対抗できるのが、彼女らの魔力を直接吸収し無効化出来る者、聖女であった。中でもサリーナ・リョクド・ウワは類稀なセンスを持ち、騎士達から崇拝されている。


「まったくよ、アタシ一人を捕える為にいくつの団が壊れた? まあ人間風情がこのダークエルフの中でも最凶の魔導衝撃士(マギノ・ストライカ)と渡り合った事は褒めてやろう。喜んでおけ。今はな」


「貴様……。そうだ、貴様は人間に甚大な被害を与えてきた。貴様こそが我らの目の敵だった。憎んでも憎みきれない悪党だ。だが、それほどの働きをしてきた貴様を、貴様の仲間達は誰も助けに来ないな。それがダークエルフだ。同族であろうと平気で見捨てる、血に狂った不浄な種め。ダークエルフなどこの世から滅ぼさねばならんのだ!」


 一人の騎士の言葉に、周りの騎士達が応える。


「貴様を潰した今、我ら人間がダークエルフの群れを打ち破るのも時間の問題だ。神の元でこれまでの悪行を悔いながら待っていろ。すぐに同族が山ほど落とされるだろう」


「あははっ」


 ヤミノが尖った歯を見せて笑う。


「そうか? 戦ってのはそう甘いもんじゃない。ダークエルフはな、アンタ達人間が想像するよりもずっと……、邪悪よ」


「神の大口」から吹き上がる風が、ヤミノの長髪を紫色の炎のように躍らせる。乱れた髪の間から、彼女の赤い瞳が光る。


 聖騎士が黙った。


「自らの種族に邪悪などという言葉を使うとは、まったくもって救いがありませんね。でも安心しなさい。その不浄な魂も、神の慈愛で洗い清めていただけるから」


 聖女サリーナの澄んだ声は、ごうと鳴る風の中にあってもよく通る。


「ヤミノ・トーゴ・クウよ。あなたの魂を捧げ、我ら人間の守護を祈ります。あなたの命は我ら人間の糧となるのです。その時にこそ、あなたの穢れた魂は浄化されるでしょう」


「あははははっ!」


 凄まじい哄笑。


「サリーナ! そのすかした面、よく覚えたぜ! この体を神に食わせるだと!? アタシの魂を浄化させるだと!? 上等じゃねえか!」


 ヤミノの声と共に、彼女の体中に書かれた古代文字から煙が上がる。封印の呪文が、内側から焼かれていく。


「お喋りが長かったからなあ!」


 笑ったダークエルフの口には、鋭い歯が並んでいる。


「こいつ……、魔力が回復しているのか!?」


「呪印師!」


 聖騎士の声に、人垣の中からローブ姿の男達が飛び出す。聖別されたインクとペンでヤミノの体に封印の呪文を上書きしていく。しかし。


「書くそばから焼けていく。我らの呪印では抑え切れません!」


「どいて下さい。ならば今一度、吸い取るまでです」


 聖女サリーナが両手をヤミノの胸に置こうとするも、


「くっ」


 見えない力に弾き飛ばされる。


「サリーナ様! お怪我は」


「聖女様、枷が!」


 騎士の声にサリーナが目を向けると、ヤミノを拘束していた鋼鉄の枷からも蒸気が上がっていた。溶解しつつある。そして。


「見ろ! あれは……」


 縛られたヤミノの頭上に、巨大な、船ほどに巨大な物体が、現れようとしていた。


 この世界には存在しえない物質が、別次元から召喚されつつある。筒と立方体が複雑に組み合わさったそれは、確かに砲であった。


魔導兵器(マギノ・ギア)……グランド・ペイン……!」


 いくつもの騎士の団を、そして人の街を焼き滅ぼした魔導兵器(マギノ・ギア)が、今、実体化しようとしていた。


「グランド・ペインだ!」


 聖騎士達が恐慌を起こす。ぶつかり合い、甲冑が重い音を鳴らす。


「サリーナ様!」


 聖騎士が叫んだ。


「ここまでです! 早くこの者を神の手に委ねないと!」


 サリーナが頷く。


「ヤミノ。あなたが悔い改めてくれる事を心から願います」


 ナイフを抜く。荷車の歯車から丸太へと張ってあった縄を、ナイフで切った。


 歯車が勢いよく回転し、解き放たれた丸太が大地の裂け目へと倒れていく。


「さよなら、ヤミノ」


「またな、サリーナ」


 ヤミノをくくり付けたまま、丸太が「神の大口」へ落ちていった。


 底の知れぬ闇に飲み込まれ、もう、見えない。




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