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精神状態に問題ありとされ今日の検査は全て延期された。その間にカウンセラーの人などが昨日はいったい何があったのか教えてほしいと部屋を訪ねてきた。
答えることができなかった。ただの一言も。
炎天下に放り出されじんわりとシャツが汗に濡れていくような心地悪さ。街中でシャツを脱ぎ出せば気持ちも軽くなるかもしれない、それはわかっているのだ。それでも僕が昨夜に思ったこと、そして感じたことを繋がりのない人間に言うわけにはいかなかった。恥じらいなどではない。それは人と人の信頼を鋼鉄よりも硬く踏み固めることのできる一方、錆をまみれさせて脆くすることも簡単にできてしまうから。
今はひたすらに彼女と話がしたい。
ノックの音が畦道を走る少年みたいに部屋を駆け回る。その音は他の人と違う、というよりも、彼女の音だけが白い塔をキャンパスに軽やかな色をつけるのだ。
腹の底から沸々と、しかし爽やかに昇ってきたのは確信だった。滲んでいた自分の気持ちがいま、はっきりと輪郭を得る。
「急にごめんなさいね、私よ」
あの、先生。口から出た言葉は思ったよりも大きくて驚いた。けれどもここで急ブレーキをかけるのはいけないことだと直感的に感じたから、僕はアクセルを力いっぱい踏み込む。
「先生、僕はあなたを好きになってしまったみたいです」
ふたりきりの部屋は他のものを消してしまった。風の音、外を歩く人の足音、話し声。
この地球には僕らしかいなかった。
「説明すると長くなるけど昨日夢を見たんだ。あなたの言い方を借りるなら、普通の暮らしをする僕と普通の暮らしをするあなたとが話す夢。僕はオオカミさえ身体からいなくなってしまえばあなたとの関係は消滅すると思ってた。でも夢の中で当たり障りのない話を僕らはしていたし、こうでありたいと夢から覚めた僕は強く願った」
アダムが一通り話すとイヴはいつもの調子を狂わすことなく返答する。
「なるほど、その気持ちはとても嬉しいわ。私も早くあなたのオオカミをこの手で治せることを願っている」
でもね、と声は低くなる。
「好きというのが恋愛の意味であって私と付き合いたい、結婚したいと思っているのならそれは不可能だわごめんなさい」
部屋に入ってきたときとは違う声色の謝罪だった。特に意味のないような、そんなものでは無くて。
「君と私がそのような関係にあってはならないと言うのは何となくでも理解できるわよね?」
「わかってる。けど、僕にとってはあなたが命を燃やす支えなんだ。オオカミと闘う芯みたいな物があなたと触れると見えてくるんだ」
一度息を大きく吸い込んでそれらを身体の隅にまで届かせる。
「僕はあなたの隣にいたい」