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 毎日、当たり前のようにオオカミを調べて貰った。今までたくさんの人に見られたけれど彼女が見ると噛まれている場所に微かな温かさを感じた。


 「今日はここまでにしておきましょう」


 「ありがとうございます」


 いつしか僕は胸の奥からありがとうと言えるようになっていた。感謝の言葉を頭に浮かべては形式的になぞるというのは彼女の前で出来なかったし、しようなどとも思わなかった。


 だって、彼女は任せてくれと言ったから。そして僕は彼女を信じようと思ったから。


 「毎日言っているけどゆっくり休みなさいね」


 「はい、わかってます」


 「それじゃあお休みなさい」


 「ありがとうございました、お休みなさい」


 白き聖なる塔からは人がいなくなって行く。塔は白さを残したまま暗くなって行く。僕も部屋に戻って寝ることにした。


 それはすぐに夢とわかる夢。彼女とふたり草原に立っている。太陽は裸のまま、背の低い草たちは爪先で立ったりなんてしない。僕らを邪魔する者はいないのだ。


 「無事に成功して良かったわね」


 成功。もしかしてと身体を見回す。オオカミは、いなくなっている。嬉しい、嬉しい、嬉しいけれど喜びが大きい反動だろうか、夢であることが虚しさもまた膨らませていた。瞬きをしたら破裂しそうなほどに。


 夢だとわかっていながらも話を合わせる。


 「先生のおかげですよ」


 「いいえ、あなたが命をかけて私を信じてくれたからよ」


 この人はきっと夢でなくてもこう言うのだろう。自分は力を貸しただけだと。


 直立する彼女を見ていて気がついたことがある。僕は彼女の後ろに土のにおいのする緑を見ている。ということは、僕の背中の奥には空が薄く広がっているのだ。普段話しているときはむしろ彼女を見上げているような気分にさえなるのに。彼女の優しさは、彼女を大きくしているのだろうか。


 「どうかしたかしら?」


 初めて等身大の、普通の彼女を目にして僕は多少の興奮を覚えていた。透き通った瞳や吸い込まれそうな黒髪が僕を刺激する。


 「大丈夫?さっきから黙ったままよ?」


 動く唇につい目線が行く。濃い化粧をしているわけではないが、その唇は少し煌めいている。彼女は唇が乾燥しやすいらしくて、たまにリップクリームを塗りながらそのような話をしてくれるのを思い出した。


 あなたの唇を僕の唇で潤してあげたいと、そう思った──。


 目を開けても白い塔は闇の中にあった。苦しいまでに暑さの漂う夜。突然大切な人を失ったみたいな不安に襲われる。いなくなってしまう、信頼できる人間が。



 暗闇からゆっくりと産まれた静寂は僕のひとつしかない心臓に爪を立てる。気温とは裏腹に鳥肌が僕を覆う。自分の心音がはっきりと聞こえる。長く鋭い爪は僕の胸の縫い目をほどいていく。縫う時と同じくらい丁寧に。


 張りつめる糸がついに刃物で切られ、真夜中に佇む白と黒の狭間で僕は叫んだ。

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