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「なんだ、このオオカミは」
僕に力強く噛み付いて離れないオオカミを見て、誰もがこう発するのだ。そして大概こう続ける。
「申し訳無いが私にはこのオオカミをどうすることも出来ない。他を当たってくれないだろうか」
稀にオオカミに噛まれて産まれてくる子どもがいるのだ。それは風格をもって銀の毛を風になびかせるようなやつなどではなくて、美しさの欠片も無いような、例えるならどぶに浮かぶゴミの塊のような色だろうか。そいつらが子どもの命を餌にしようと、二つの眼球をギラリと光らせている。
そして、僕もその一人なのだ。聞いた話によると僕に噛み付いているオオカミの牙は類を見ないほど特に鋭利で、今にも内蔵にそれを刺してやろうと、隙あらば体を食い散らかそうとしているらしい。
オオカミを体から離してやる、つまりは普通の体に戻すことのできる人もいるのだけれど、僕の前例のないオオカミを見た途端に彼らは首を捻る。そして諦めてしまう。自分よりもオオカミについてよく知っている人がいるからそこを訪ねてくれ、と残して。
今日もまた、そんなやつに会いに来ている。初めてくる場所だがこれまでと同じ反応であるに違いないのだ。僕のオオカミを見て驚かぬ人などいなかったのだから。
「どうぞ、入ってください」
声の鳴る方へドアを開ける。
「話は聞いていますが君のオオカミがどのようなものなのか私に見せてくれるかしら」
僕はいつものようにオオカミの牙が刺さる箇所を見せる。
「なるほど、これは。これは、想像よりもずっと凶悪ね。少なくとも私は聞いたことも見たこともない」
ここまでのやり取りは慣れている。そして向こうが諦めて、僕はありがとうございましたと言って帰るのだ。
「このオオカミ、私に任せてくれないかしら」
予想もしていなかった一言に──むしろ、それは誰かにかけてもらいたかった一言だったのに、皆それを発することがないからいつしか予想もしなくなった一言に──言葉を失ってしまった自分に気がついた。見たことのない物を目の前にして、なぜこの人は自分の能力に失望しないのだ。初対面の人間に対して、なぜ自分を信じてくれと言えるのだ。
「自信があるんですか、自分の腕に」
嫌味な言い方になってしまったけれど、質問するしか無かった。この人は僕のまだ見たことのない景色を見せてくれる。そんな気がした。
「もちろんそれもあるわよ。こんな不思議なオオカミ、そこらの人間じゃ対処しようがないだろうし」
でも、と続ける彼女の声は僕にひとつ、眩しいくらいの光の粒を見せる。
「何よりも君に普通の暮らしをして欲しいのよ。オオカミのいない、いたって普通の生活を。こんな不気味なオオカミに噛み続けられて命を蝕まれて、むしろ君にはこれが普通の感覚かもしれないけど、皆と同じように暮らしてみて欲しいの。それで仮にオオカミのいる暮らしのほうが良かった、と思うのであれば私が責任を背負うから」
僕は。掠れた声は喉で擦れて、潰れてしまう。
「僕は、あなたを、信じても良いんですか」
彼女は花の咲くような笑顔で暗闇を照らす。
僕は知らぬうちに泣いていた。