教室
あの絵、は――
気になって授業の後にもう一度見てみたが、名前は書いていなかった。
一体誰が描いたのだろう。
去年、作品展に展示していたのと同じ人だろうか。確か、隣の小学校の児童だった。ということは、今は絵麻と同じ中学一年ということになる。あの時、名前をちゃんと見ていなかったことを後悔した。
それからというもの、絵麻はその絵のことばかり考えていた。授業中も、部活中も、気付くとそちらに意識が行ってしまっている。
美術部の人、なのかな・・・?でも、美術部に知り合いいないし、いきなり美術室へ行くのも、と思い悩ん
でいる時、ふとある考えが頭をよぎった。
(そうだ、朝早くに教室に行ってみよう。
あの景色が好きなんだったら、きっと早く登校してるはず。それにたぶん一年なんだろうし、各クラス覗いてみたら、会えるかもしれない)
次の朝、絵麻は頑張って早起きした。
着替えてリビングへ行くと、お弁当の用意をしていた母親が驚いていた。
「あら絵麻、珍しく早く起きたのね。小学校の時はいつもこのくらいだったけど」
「うん、今日はもう行くね。行ってきます」
母親の言う通り、こんなに早く家を出るのは小学校以来だった。気温も、空気も、光も、いつもの登校時とは違う感じがする。
(朝早いって、こんなに気持ち良かったんだっけ。なんですっかり忘れちゃってたんだろう)
いつもと違う静かな下駄箱を通過し、まず絵麻のクラスを、開いていた後ろの扉からそっと覗いてみる。
―――あ。
ほんとに、いた。
同じクラスの、あまり目立たない男子。おそらく会話したことは一度もないだろう。
一番後ろの席に座って、手にしたスケッチブックに教室の絵を描いているのが見える。
やっぱり、あの絵だ。
朝日を受けて逆光になっているその真剣な横顔に思わず見入ってしまっていると、その男子がこちらに気付いた。
「あ、ごめん、ここ朝霞さんの席だった?」
急に話しかけられて、思わず「ひぇっ」と声を上げてしまった。
「い、いや、違うよ、大丈夫!」
そう言って絵麻は自分の席に鞄を置き、座った。
絵麻は先ほど変な声を出してしまったことがめちゃくちゃ恥ずかしくなり、彼の方を向けなくなってしまった。
(えっと、成瀬くん、だよね。確か、成瀬 秋輝。同じクラスにいたんだ・・・あの美術室の絵、去年の作品展の絵、やっぱり彼が描いたのかな。聞いてみたい、けど、「ひぇっ」って、「ひぇっ」て・・・私ったら――ああもう!あ、しかも、おはようって言いそびれたし・・・今更言うのも変だし・・・)
絵麻は悶々としながら、そのままの姿勢を変えることができずにいた。
彼の走らせる鉛筆の音を聴きながら、その朝の時間は終わった。
しばらくすると他の生徒も続々登校してきて、いつもの賑やかな教室に戻っていた。
「おっす、今日は遅刻してないじゃん」
顔を上げると、翔真が自席に着くところだった。
「へへっ凄いでしょー」
「いや、それ普通だから」
「うぅー」
恐らく少し早く来た程度だと思われているのだろう、と絵麻は安心した。
なんとなく、今朝のことは人に知られたくないと感じていた。