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向日葵と入道雲  作者: 垣間見
上 入道雲が見下ろした世界
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第2話 その童心は誰の

 たくあんを口に放り込み、炊き立てのご飯をほおばる。口の中でポリポリとたくあんを咀嚼する音を聞きながら、次は何を味わおうかと考える。

 湯気を立てる白米に、豆腐とわかめのお味噌汁。まだ手を付けていない熱々のハンバーグや、それらと対照的にキンキンに冷えた冷ややっこ。こんな昼間っからハンバーグなんて、とは思ったが、まだ小学4年生の僕は気にならないようで、むしろ喜んでいるようだった。

 そう、僕は今自宅で昼食をとっている。自宅に到着した時点ですでに12時を回っており、昼食の用意が済んでいた。

 二度目の小学4年生の夏休みが始まって初めて両親の姿を見たとき、思わず涙がこぼれそうになった。実際にはこぼれなかったが。

 どうやら僕の今の状況は、体や精神は小学4年生で、記憶や意識にだけ19歳の僕が混ざっているらしい。

 両親の姿を見て泣かなかったのは、彼らの死を知るのは記憶のみだからなのだろう。

 それに加え、19歳の僕の意識に基づいた行動はとれないということも分かった。頭ではたくまに対して冷めた感情を抱いても、当時の僕が彼に冷めた感情を抱くことはあり得ない。それゆえにあのようなさみしそうな目をしてしまったのだ。

 要約すると、僕は未来の記憶を持ったまま過去をもう一度生きている、というような感じだ。未来の記憶はあくまで持っているのみで、未来が変わるなどということはないというわけである。

 その場の思い付きではあったものの、「最期にして最高の夢」というのはあながち間違いではないのかもしれない。


 結果がわかりきっている世界を生きるというのはさぞかし退屈だろうと思う。意識や記憶のみだからこそ、一度体験した世界はつまらなく感じる。普通なら。

 実は僕は、この時の記憶をよく覚えていない。いや、覚えていないというより記憶が抜け落ちているというレベルだ。

 中学の時、失望を感じると同時に、楽しかった記憶はすべて幻だったんじゃないかという思いが駆け巡った。そしてだんだんと記憶が薄れていったのだろう。そして両親が死んで、僕の中に強烈な悲しみが居座るようになり、自分が不幸であると思えば思うほど、過去がより悲惨に思えてきて・・・


 やがて、僕の記憶は悲劇だけとなった。




 かろうじて小学生のころ、特に4年生の頃は一番楽しかったという情報だけは残った。

 だが残っていたのはあくまで情報のみであり、何が楽しかったのかは覚えていない。空っぽの幸せの記憶。僕は、それだけにすがって両親が死んでからの日々を生きていたのかもしれない。

 だが、もうあの楽しい日々を送ることはできないだろう。楽しんでいたのは過去の僕なのだ。今の僕は、信じていた友にいじめられ、他人を信じることができなくなっている。そんな僕がかつての日々を生きたところで何の意味があるというんだ。

 なんの疑いも不安もなくこの後の虫取りを楽しみにしている過去の僕に腹が立った。感情は共有しているようで(共有というよりかは供給かもしれない。一方的に流れ込んでくる)、そのせいでまるで僕が楽しみにしているに感じてしまう。

 やっぱり「最期にして最高の」というのは撤回しよう。




 「ごちそうさまでした!」


 そんな言葉を言ったのは何年ぶりだろうか。正確には言ったのは過去の僕なのだが。

 高校生になって一人暮らしを始め、一人でご飯を食べるようになってからは言っていない。当然友人付き合いはなかったし、実家に帰ることもなかったため、本当に高校に入ってから一度も口にしていないだろう。

 実家に帰っていないのは、もちろん両親に会いたくないわけではなく、故郷に戻るとどうしても中学時代のことが思い出されるからである。ちなみに今は過去の僕とリンクしているせいなのか、トラウマが思い起こされるということにはなっていない。


 食べ終えてからになった食器を台所で食器洗いをしている母親に渡し、僕は足早に自分の部屋へと向かった。


 僕の部屋は二階の右側に二つある部屋のうちの手前である。ガチャリとドアを開け、中に入る。小学生にしては割ときれい部屋なのではないだろうか。正方形の部屋の右奥にはベッドがあり、その反対側に勉強机がある。正面には窓があり、今は網戸になっていて、心地よい風が部屋に入り込んでいた。

 勉強机に置いてある時計で今の時刻を確認し、机の横にあるかばんを持ち上げて机の上に置いた。

 机横の小さな棚に置いてあった虫かごを鞄の横に置き、棚横にあるタンスの引き出しを開ける。中に綺麗に折りたたまれてはいっているランニングを一つ取り出し、それに着替える。

 着替え終わって、リュックを背負い、虫かごを持つ。タンスに立てかけてあった虫取り網を虫かごを持っている手と同じ手で持ち、余った右手で壁のフックにかかっていた麦わら帽子をとって自分の頭にかぶせて、ドアを開いた。


 「いってきまーす!」


 両親が行ってらっしゃいを言い終えないうちに、僕は玄関からサンダルを履いて家を飛び出した。真夏の午後。日差しは強く、雲は高々と空を泳いでいた。




 僕たちが遊ぶ約束をしているのは、この町と隣接している大きな森だ。森とは言うが、実際は大きな公園というイメージである。普通の森は、木々の枯れ葉や折れた枝などが散らばり、土がむき出しになっていたりする。だがこの森は、木一本一本の間隔が広く、全体的に芝生が生えているため、あまり森っぽくないのだ。

 普通の大人が見れば、子供たちだけで遊ぶには広くて迷子になってしまうような場所に見える。だが幼い子供とは不思議なもので、自分の遊び場では大人以上に迷わないのだ。


 走って森へと向かう僕の視界に、たくまをはじめとする友達が見えてきた。それと同時に、僕の胸の鼓動が高鳴る。この後の遊びに、みんなとの時間に、期待が膨らむ。走っていた足が、さらに速く動き出す。少しでも早くみんなと遊びたいと。だがこれは過去の僕の思いであって、決して今の僕の思いではないのだ。断じて違う。

 第一今の僕は19歳。大人といっても差し支えないほどの年齢だ。虫取りなんかにはしゃぐようなこともないし、それ以前に彼等との友情関係も過去のものなのだ。

 それでも、僕の足が止まることはなかった。




 「よう、あおと!やっと来たか。」


 そう言って僕に笑顔を向けるのはたくまだ。右目下の泣きぼくろとさわやかな顔立ちが特徴の美少年。というのが当時の僕の印象だ。

 たくまの言葉に僕は少し息を切らしながら答える。


 「やあ、たくま。はぁ、ふぅ。もしかして待った?」


 「いいや、みんな今来たとこさ。」


 僕の質問に答えたのはだいきだ。だいきはただの眼鏡君。それが当時のだいきにたいする僕の印象。あと頭がいい。それにしても今のやり取り、カップルのデートの時の会話みたいだな。

 そこで僕は集まっているメンツを見渡す。丸刈りで野球クラブに入っているたかひろ。いつも日焼けしているりゅうじ。そしてたくまとだいき。以上の4人と僕の5人が今日一緒に遊ぶメンバーだ。


 「じゃあ行くか!」


 たくまのその一言を皮切りにみんなで歩き出す。待ち合わせになっていたのは森の入り口だ。森の中にはある程度、簡単に整備された道が通っている。別に森を楽しむためのものではなくて、単なる森を挟んだ反対側にある町との往来のための道である。

 反対側の町へは別の場所にきちんとした道路があり、森の中の道は人しか通らない。わざわざ金をかけて作るほどのものでもないので、町の住民たちで作ったものだ。森自体はこの町と反対側の町共有のもので、基本的に何かに使われているわけではなく、子供たちの遊び場として開放されている。

 森にはいろんな生き物がおり、また広いゆえに遊び場所の取り合いもない。まさに子供たちの楽園のような場所なのである。ちなみにクマやイノシシなどはいないらしい。


 昨夜のテレビの話や今朝の学校の話など、雑談をしながら僕たちは歩いていた。いつも僕たちが虫取りをしているのは森に入って少し進んだところ。道の右側に少し大きめの岩が付きだしているところを道から外れて曲がり、学校で作った木の椅子が並べてあるところの周辺が僕たちの遊び場だ。


 「じゃあ一番かっこいいやつ捕まえた人が勝ちだな。」


 りゅうじがいつものセリフを言って、僕たちは森を駆け回り始めた。

 幼い子供というのは、本当に何でもないことに全力を尽くす。虫なんて捕まえて飼ったところですぐ死ぬし、勝負に勝ったからといって何かがもらえるわけでもない。これが中学生や高校生ならジュースやアイスをかけたりするのだろうが。

 みんなに自慢したい。みんなを悔しがらせたい。そんなことのためだけに目の前の虫に網を振る。その光景は純粋の一言に尽きる。

 目の前のことだけに全力を注ぐから楽しめるのだ。その行動がもたらす結果なんて考えない。そう、どうすれば自分がいじめられないかなんて・・・




 僕は今、少し離れた前方の木とにらめっこをしている。いや、正確には前方の木にとまるカブトムシを、だ。

 見たところそのカブトムシはかなりのサイズである。この大きさならほかの誰かもカブトムシを捕まえてきていたとしても負けないだろう。

 できるだけ音をたてないように、じりじりと木に寄っていく。そーっと手を伸ばし、カブトムシの頭にある小さい角をつまもうとする。


 ブーン


 「ああっ!」


 寸でのところで逃げられてしまった。

 だがまだ諦めるわけにはいかない。網を構えて飛び回るカブトムシを追いかける。

 やがて、カブトムシが再び木にとまった。今度こそと意気込み、また少しずつ距離を詰める。照り付ける日光の暑さはかなりのものだ。僕の頬を汗がつーっと伝う。その汗をぬぐいもせずに、僕は少しずつ歩を進めた。そして、


 「やったぁ!おっきいのゲットだ!」


 僕は大きなカブトムシを捕まえるのに成功したのだった。

 カブトムシを虫かごに入れ、集合場所である椅子のある場所へと向かう。僕が自らが作った椅子に腰かけて待っているうちに、みんなが集まった。


 「じゃあ見せ合おうぜ!」


 りゅうじはそう言って、自分の虫かごを掲げ、みんなが中を見られるようにする。


 「わぁ、すっご!」


 かごの中の虫を見てたかひろが目をキラキラさせた。中に入っていたのは大きなトノサマバッタだった。僕の捕まえたカブトムシもかなりの大きさだが、このバッタもそれに負けず劣らずの大きさだった。

 その大きさに圧倒され、皆虫かごに顔を寄せてしばらくバッタの様子を観察していた。

 虫なんて、儚い命だ。何かあればすぐ死んでしまう。それでも必死で生きようともがくさまを見て、子供たちは生命の素晴らしさを無意識に感じ取るのかもしれない。

 生きよう生きようと足掻くその姿は、自殺した未来の僕にとって遠い存在に見えた。

 なぜこんな不幸に満ち溢れた世界を生きようと思えるのだろうか・・・


 「これはりゅうじ君には負けちゃったな。」


 そう言いながらたかひろは自分の虫かごのふたを開ける。


 「たかひろは何捕まえたんだ?」


 というたくまの質問に対し、たかひろは虫かごの中から出てきた虫をつまんでその虫を見せながら答えた。


 「チョウチョ。」


 「アサギマダラじゃないか!」


 たかひろのつまむチョウチョに、だいきが即座に反応した。僕はチョウチョはどこにでもいるしなあと思った。みんなも同じように思ったのだろう。だが昆虫に対する知識が豊富なだいきにとっては違ったようだ。


 「もしかして珍しいチョウチョなのか?」


 たくまが尋ねる。確かに今のだいきの反応から察するに珍しいんだろう。だがだいきの返答は予想とは少し違った。


 「いや、アサギマダラ自体はそんな珍しくないよ。ただこの森で見るのは初めてだね。一度見てみたかったんだ。」


 そんなやりとりがあって、初めてみんなはたかひろの手につままれているチョウチョに関心を向けた。

 よくよく見るとそのチョウチョ、アサギマダラは面白い模様をしていた。

 翅の内側は半透明の水色をしており、外側は前翅が黒、後翅は褐色という独特な色合いをしていた。なるほど。だいきが一度見てみたいと思ったのもうなずけるかもしれない。


 僕たちがアサギマダラを観察している間、だいきはしゃべりっぱなしだった。ここぞとばかりに手持ちの知識を披露し、皆に「へー」とか「そーなんだ」とか言われていた。だいきとしては自慢のつもりなのだろうが、正直なところ何を言っているのかさっぱりわからないので皆は聞き流していた。

 話の途中でだいきが捕まえてきた別のチョウチョを虫かごから取り出して、今度はそのチョウチョについての話が始まった。そこでようやく、皆はだいきがチョウチョマニアであることを思い出したのだった。


 だいきの話が続いている中、たくまが僕の方に視線を向けてきた。


 「あおとは何を捕まえてきたんだ?」


 ようやく見せる時が来たかと僕は口角を吊り上げる。


 「ふっふっふ。驚かないでよ?僕が捕まえたのは・・・」


 じゃん、と皆の前に虫かごを掲げる。皆の視線が虫かごに集まる。


 「うっおお!カブトムシじゃん!」


 まず、りゅうじが声を上げた。それに続いてたくまたちも驚きの声をもらす。予想通りの反応を得られて、僕は少し鼻高々に胸を張った。あとはたくまの捕まえてきた虫より僕の方がすごければ僕の勝ちだ。


 「じゃあ俺の虫も見せようかな。」


 たくまが虫かごの中をみんなに見せた。

 皆が虫かごの中に目を向ける。僕もつられて目を向けた。そして、僕は中の虫を見て目を見開いた。

 皆から感嘆の声が上がった。中に入っていたのはクワガタだった。しかもオオクワガタ。

 僕は湧き上がる興奮を抑えられなかった。なんたってクワガタだ。一番かっこいい虫なのだ。カブトムシもかっこいいと思う。でも僕の中ではクワガタの方がかっこいい。カブトムシは角が一本で、それがカブトムシを主人公やヒーローのように見せる。それに対してクワガタは二本だ。それがカブトムシの最強のライバルみたいでかっこいい。しかもオオクワガタだ。日本最大級のクワガタで、その顎も大きく内側のギザギザもかっこいい良さの一つ。今でこそネット通販などで容易に入手することが可能であるが、それが普及していない時代はまさに幻のクワガタで「黒いダイヤ」なんて呼ばれもしてた。オスはたくまの捕まえたものを見ればかっこいいのは一目瞭然だが、メス、これもまたなかなかどうしてかっこいい。全体的に光沢があって翅にはオスにはないスジが―――――



 「あおと、すごく楽しそうだね。」



 だいきの言葉に心臓がビクンとはねた・・・気がした。つい先ほどまでチョウチョの話をとどまることを知らず話続けていたのに、今は僕の方を口元を優しく緩めながら見ていた。だいきはクワガタを見てあげた僕たちの感嘆の声に気づいて現実に戻ってきていたらしい。

 その声が聞こえてから、他の皆もだいきと同様に僕の方を見ていた。少し恥ずかしさが浮かび上がってくる。少し頬も紅潮してきているようだ。


 僕が・・・楽しんでいる?


 「ほんとだな。ちょっと鼻息荒いぜ。」


 りゅうじ、それは違う。そんなことはない。もう僕は子供じゃないんだ。全部過去の僕のことだろう?


 「あおと君はクワガタが一番好きだもんね。」


 たかひろ、勘違いだ。今はもう、好きじゃない。君たちのことだって、好きじゃないんだ。だから、


 「やっぱ虫取りは楽しいよな、あおと!」


 だから、もう、これ以上僕にそんな楽しそうな顔を見せないでくれ・・・!!




 「うん!楽しい!」




 これほどまでに否定しているのに、吹き抜ける風も、照り付ける太陽も、すべて心地よく感じる。でもそれはすべて過去の自分の感じたことなのだ。


 本当に?





 その後皆と別れ、帰宅した。夕食はカレーだった。おいしかった。

特に何もなく、風呂に入って歯を磨き、宿題である日記を書いて布団に入った。

 過去の僕は寝たが、未来の僕は起きていた。睡眠に関しては別々らしい。


 『あおと、すごく楽しそうだね。』


 その言葉を聞いてから、ずっと僕は悩んでいた。感情は過去の僕と共有していて、だから友達との時間が楽しいと感じる。未来の僕は裏切られた友との時間なんて微塵も楽しくない。だから流れ込んでくる過去の僕の感情は忌むべきもののはずなのだ。なのに、僕はその感情を振りほどこうとするのをためらってしまった。

 なぜなんだ。無知で、純粋で、無邪気なその童心は、どうしてこうも僕にまとわりつく?童心なんて、とっくの昔に捨てたはずなのに。なぜ僕を見捨てようとしないんだ?こんなにも僕は童心を拒絶しているのに。


 童心なんてもうないはずなのに・・・




 「あおと君は変なところで素直じゃないなぁ。」


 それは誰の言葉だっけ?


未来の僕・今の僕→19歳の僕


過去の僕・当時の僕→小学4年生時の僕


「僕」→???

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