無人島の肉食男子
昔馴染みの男二人が取るに足らない話をしていた。のどかな街、駅のほど近くに建った一戸建てには電車の音が微かに届いた。まだ昼の三時、二階から道路を見下ろすと下校途中の小学生が罵声を浴びせあって遊んでいた。
「松田美雪っていただろ。小中と一緒の。あいつこの前の同窓会で会ったらスゲー可愛くなってたよ」窓際の花村が振り返って言った。
「そうなんだ」座椅子に腰かける草野が相槌をうった。
「お前はこの前来てなかったもんな。みんな結構変わってたよ」
「花村はイケメンだから、同窓会でもモテたんじゃない?」
「モテねえよ。それにイケメンでもねえし」花村は首を振る。
「でも俺よりはモテるだろ」
「まあ、草野よりはな」花村が微笑んだ。
「俺もモテたいなあ」
草野は天井を見つめて少し考えた。
「なあ、もし花村が無人島に流れ着いたとする。生き延びるために何か食べないといけない。そんな時、花村なら何を食べる?」
「えー、どうすっかな」
花村は草野の前に座る。テーブルに置いたペットボトルの炭酸飲料を口にした。
「動物でも捕まえて食べるかな」
「そうだよな。お前はきっと肉を食べる」
草野は目を閉じて数回うなずいた。
「俺ならきっと落ちてる木の実とかを食べる」
「俺だって美味そうな果物があったら、それも食べるよ」
「そんな物は無いんだ。ある物は不味い木の実と植物だけ。動物もイノシシとかウサギみたいな野生の動物しかいない」
人差し指を立てて、自分が想像する無人島での生活を説明した。
「動物を捕まえるのはきっと大変だ。武器を作って、罠を作って、追いかけて、それでも素人に捕まえられるかは分からない」
「そうだな」
「万が一、捕まえられたとしてもだ。その肉はすぐには食べられない」
花村は首を傾げた。
「殺して、血抜きして、毛をむしって、皮をはいで、内臓を取り出して。もちろん生では食べられないから火を起こさなきゃならないし、焼いたって完全に殺菌できたとは言えない。グロテスクだし、獣の臭いはこびりつくし、何より胸が痛む。俺にはそんなこと出来ないよ。そうするくらいだったら、俺は不味くても木の実を食べる」
二人は息をのんだ。
野菜を積んだ軽トラが家のそばを走った。エンジン音は二階の部屋まで届いた。白い車体に太陽の光が反射して散歩中の野良猫は目を白黒させた。
花村は眉間にしわを寄せた。
「黙って聞いてりゃあよう」
花村は片膝を立て、草野の胸ぐらをぐいっと掴む。
「お前、ジュンのこと馬鹿にしてんのか!」
「ジュン?誰?」草野は目を丸くした
「中学一緒の牛島純だよ。あいつ今、屠殺場で働いてるんだよ。」
「牛島君?屠殺場?」
草野は慌てていた。どうして相手が怒っているのか理解できなかった。牛島純という名前を頭の中の名簿から探すだけで手一杯だった。
「お前、あいつの仕事を馬鹿にしてんだろ。グロテスクとか言ってよ」
「いやいや誤解だよ。牛島君の仕事のことも知らなかったし、そういった仕事を馬鹿にしてる訳でもないよ」
首元を圧迫されて声が出しづらかった。それに震えていた。
「俺が言ってるのは無人島の話で、仕事のことは関係ないよ」
首を小刻みに横に振った。
「ほら、花村だって実家のラベンダー農家で働いてるだろ」
「おう、そうだよ。俺ん家はラベンダー畑だよ。それがなんだよ」
「いや、だから現実の仕事と、肉食草食は関係ないんだよ。仕事と性格は必ずしも一致する訳じゃないっていうか…」
「なんだよ。俺がラベンダー嫌いみたいじゃねえか。俺は花、好きだよ。」
「それは知ってるよ。そういうことじゃないよ」
「言ってることが良く分かんねえんだよ」
草野はどう説明すべきか頭を悩ませた。花村の目を見ることも出来ず目線がうろうろした。それを見た花村は相手を少し可哀そうに思った。
「まあ、別に純の仕事を馬鹿にしてる訳じゃないんだな」
草野が頷く。
花村は草野から手を放した。草野はほっと胸をなでおろす。
「馬鹿になんてしないよ。それに俺、無職だよ。人の仕事にとやかく言える状況じゃないだろ」
「ハハハ。そうだな」花村が笑った。
「俺が言いたいのは無人島で肉を食う人は、男としても肉食なんじゃないかってことだよ」
そう言って、額に滲んだ汗を袖で拭った。
「だから無人島で俺は木の実を食うし、花村は肉を食う。現実でも俺は彼女いないし、花村は二股してる」
花村はたじろいだ。
「いや、それは違う」
「ん?」首を傾げる。
「二股じゃなくて、今は三股なんだ」
「え、どういうこと?」
以前から二股中とは聞いていたが、三股なんて初耳だ。
「松田美雪。小中と一緒の。今はあいつもなんだ」
「あ、そうなの」
なんて言っていいのか分からなかった。今更、責める気にもならない。
「じゃあ、俺の説は合ってるってことかな」
「うーん。まあ、そうなるな」
そう言って苦い顔をした。
「じゃあさあ…」
気を取り直して花村に尋ねる。
「肉を持った花村と木の実を持った俺が無人島で出会ったとする。俺が肉を分けてくれって言ったらどうする?」
「そりゃ、分けてやるよ。でも、お前が持ってる木の実と交換かな。タダって訳にはいかない」
「よし。肉と木の実を交換だな。だったら今の話を現実に置き換えてみよう」
花村は意味が分からず、ポカンとした表情を浮かべる。
草野は引き出しを開け、ゴソゴソとDVDをいくらか取り出しテーブルに置いた。
「俺の木の実はこれだ。俺の厳選したエロDVD」
「エロDVD?」
「そう。まあAVだな。労力と金をかけて集めたコレクションの中から選びぬいた物だよ」
草野は噛みしめるように言った。
「これをお前の彼女。つまり三股してる内の誰かと交換するんだ」
「は?」
「だから、女っていうのは俺らにとって肉に等しいんだよ。俺は口から手が出るほど欲しいのに、中々、手に入らない。彼女を作ろうにも色々とリスクもあるし、失うものも我慢することだってある」
花村は訝しい顔をした。
「さっき、花村は肉と木の実を交換してくれるって言ったよな。それは現実に置き換えると本物の彼女とAVを交換するってことなんだよ。交換って言葉は曖昧だけど、要は何回か、やらせてってことさ。先方には花村の方から上手く説明してくれよ。そしたらきっと分かってくれるから」
花村はため息をついた。
「お前さあ」立ち上がって相手を見下ろした。
低い声で尋ねる。
「それ本気で言ってんのか?」
草野が頷いた瞬間に花村の右手が頬に目掛けて飛んできた。避ける暇はなかった。手のひらは空気をかき分けブンと音を立てる。バチンと破裂するような音が大きく響いた。重いビンタに草野は声も出なかった。手で左頬を抑える。爆発するような痛さだった。
「冗談でも言っていいことと、悪いことがあるだろ」
花村は少ない荷物をバッグに詰め込んだ。
「てめえ、そんなんだから童貞なんだよ」
そう言い残して部屋を後にした。
両手で頬を抑える。下でバイクのうなる音がして、あいつが本当に帰ってしまったんだと思った。部屋には時計の秒針の音だけが小さく残った。
草野はうな垂れた。
「俺はなんてことを言ってしまったんだ」
膝を抱える。
「俺には花村しか友達がいないのに、その唯一の友達も失ってしまった。なんて馬鹿なことを言ってしまったんだ。俺はクズだ。欲求不満だったとしても越えてはならない一線があるだろ」
床に転がったスマホを手に取る。花村に謝ろうと思った。メッセージを打ち込んで、やっぱり消して。また書き直して。送信ボタンが押せずに時間だけが過ぎていった。
座椅子にもたれて天井を見つめた。放置したスマホの明かりもいつしか消えてしまった。
四時ごろ、草野のスマホが点滅する。着信音が鳴った。
慌てて電話を取った。
「もしもし…」
「おう、草野」
「うん」
「さっきはごめんな。殴っちゃたりして」
声が詰まった。
「いや、こっちこそ、ごめん」
その声はかすれていた。
自分から謝るべきだったと後悔した。勇気が出なかったのが情けなかった。こういうところが駄目なんだろうなと感じた。
「俺、さっき考えたんだ」花村の声はいつも通りの穏やかなものだった。
「え?何を?」
「草野と俺、それと純をいれて…」
「うん」
「どっかの繁華街にでも出て合コンしよう!」
「合コン?」草野は大きな声をあげた。
「っていうのは嘘で…」
「嘘なの?」
「じっくり三人で日取りを決めて、計画を練って、無人島に遊びに行こうって思うんだ」
「え…」
草野は抱えた膝に頬杖をついた。
「嫌か?やっぱり合コンの方が良かったかな…」花村が言った。
「いや…」
草野が微笑む。
「良いよ!最高だよ!無人島!」
「そうか!」
「俺も丁度、行きたかったんだよ。行こうよ」
「いや、俺も無人島の話を思い出してたら、行きたくなってきてさ」
「無人島で良かったよ。俺、合コン行ったことないからさ、本当は嫌だったんだ」
「そうか。それなら良かった。前にも純と話してたんだ。三人でどっか行こうって」
「え、俺も一緒にってこと?」
「そう。俺が草野も誘ってみるって言ったんだ。そしたら純も了承してくれてさ」
「そうなんだ」
「で、俺は今から駅前の本屋に行くから。色々旅先の情報を集めとくよ」
「ちょっと待って。俺も今から行くよ」
「お、本当か?」
「うん。待ってて」
「了解。じゃあまた」
電話が切れる。草野は家から飛び出た。サンダルでアスファルトを走った。