第八話「“獅子天秤”」
■四日目:八月四日、一七:四一
「歩ける者は倒れた者を助け帰還せよ」
門より現れた涼やかな男が指示を出すと、取り囲んでいた男達は速やかに倒れた者を背負いつつ、寺外へ出て行った。
反対に近づいてくる男は、薄暗いかわたれ時で顔が見えづらかったが、近づくにつれその容貌が見え、桜子が息を呑んだ。
男の背丈は一八〇センチほどの中肉中背、年齢は二十代前半であり、とても整った、気品のある顔立ちをしていた。
「ほ、北辰殿、このことは……」
唐綿は剣を突きつけられた無様な姿を晒したまま言い訳をしようとするが、“北辰”と呼ばれた男は唐綿を無視したまま潮の前に立つと、静かに頭を下げた。
「時詠伯にお目通り願います。手前、五月川八千石を賜る旗本、北辰薫と申します」
「承りました。して、今回の件は、貴公が仕組んだ事でしょうか?」
「はい、その通りです」
まさかの犯人宣言に、潮だけではなく風花達も絶句する。
「時詠伯は年少であれど、そのご器量は桜濫幕府にも鳴り響いております。貴殿ほどのお方を死なせる事は幕府にとって非常な瑕疵となりましょう。最後の一週間を訓練校で過ごされると聞き及び、そこにいる唐綿殿を通じて貴殿をお助け差し上げたく存じました」
その穏やかな声に、思わず信じたくなるが、友人とも仲間とも思う者達を殺されかけて、ハイそうですか、とは頷けない。そもそも、頼んでもいないことである。
「信じられません。というよりも、ありがた迷惑です」
「これは弱りました」
北辰は本当に困った風情で、首を振った。
「まあ、多少手荒であったのは確かですが」
「あの強い剣士と弓使いですか?」
潮は間髪いれずに、鋭く反駁する。
「ええ、よくお分かりで。二人とも殺さずにしてくれて、感謝しております」
「二人とも?」
潮は思わず聞き返したのは、派手に倒れた剣客の方は殺したように見えていたからだ。
「筧、死んだふりをしているのなら、もうやめて起き上がれ」
「!?」
潮が瞠目する前で、筧は頭を撫でながら起き上がってきたためだ。
「いつつ、こいつぁ、頭に瘤が出来たな」
胴体は斜めに斬られ、血を流し骨も見えてはいるが、命に別状はないようだ。
風花を見上げて、筧はニヤリと笑った。
「これが真の《硬気功》だ。それでも防ぎきれず身体を斬られた。まったく、大した男だ」
筧は心底感心しているが、風花には屈辱である。タイ捨流に泥を塗ってしまったと思う。
「さて」
再び北辰は注目を集め、全員の視線が集まるのを確認すると、続けて喋り出す。
「怪我人こそ出たが、死者はゼロだった。この場は唐綿殿の負けである。どうでしょう?私に免じて、今日の事は水に流せないでしょうか?」
北辰の提案に、風花は即座に反対した。
「どの顔だかは知らないので乗れないな。そもそもこの局面で、そちらの提案に乗る道理があるのか?」
「少年よ、私は双方にとって最良かつ最善の結果を与えたいと考えているのだ。もし、唐綿殿を人質にして役人に引き渡すとなると、こちらは全力で阻止する立場である」
「阻止できるか? 今の闘いを見て」
「見たからこそ、提案しているのだ。其方の齎した瞬間移動には驚いたが、私には通じない」
「何?」
風花は色めきたち、場を仕切る男の下へ跳躍する構えを見せる。
「世にも稀なる“乖離調絃律士”。このような場で、軽々に朽ちさせるものではない。本来なら姿をみせる必要もないのに見せたのは、私が其方の力に惚れたからだ」
「それはありがとう。せっかくなら、自分の身で試してみるか?」
風花は低い声で問う。
「やめてください!」
しかし、潮が大きな声で割って入った。
「判りました。唐綿さんを解放し、我らは此度の件について、沈黙を守ります。北辰殿、我等の命を、貴公の言葉で保障出来ますか?」
真っ直ぐに自分より身長の高い北辰に対し、潮は怖れる事もなく目を合わせる。
「無論、保障いたします」
北辰は静かに頷くと、正門方向へ身体ごと振り向き、無防備な背中を“G”と桜子に背を向けた。
「私に不審があるならば、遠慮なくお斬りになられるが宜しいでしょう。私は貴公らが完全に立ち去るまで、この場を動きません」
そういうと、腰にさしている二本の刀を外し、優雅ともいえる動作で地面に置き、再び立ち上がる。
潮は少しの間、北辰の背中を見ていたが、一度目を閉じると、風花へ視線を向けた。
「風花、もう門限もギリギリです。今日は帰りましょう」
「………わかった。だが、オレは後詰として、お前達が完全に立ち去るまでここにいる」
「わかりました。お願いします」
潮が頷くと、“G”も唐綿から太刀を引き、石畳に転がったままのQタローを拾い上げ、矢を半ばで折って、二本とも抜いた。
「ぎゅキュ~」
Qタローは弱々しい声ではあったが、自分で浮き上がり、潮たちと共に門へ向かう。
風花は土蔵より飛び降りると、歩き出した潮達と北辰の間に入る。
正門方向に向く北辰と真っ直ぐに目を合わせた。
風花の立ち位置は、不測の事態が起きれば即座に斬り殺せるが、隣りに立つ色黒の、恐らく空手使いの男がどうでるかが疑問である。特に先程の遠隔攻撃は恐ろしい。
潮たちは後ろを気にしつつも急ぎ足で門の外に出た。
風花は北辰の前に立ちはだかりつつ、潮たちが遠ざかるのを待つ。
「少年、名はなんという?」
「……真夏屋風花だ」
「ふうか、良き響きである。また逢おう」
それには応えず、風花は背を向け門の外へと消えた。
少年の背を見送った北辰は、いつまでのその方向を見続けながら呟く。
「いずれも素晴らしかったが---」
「特にあの少年、風花は凄い奴です」
筧は無礼にも、北辰の言葉をひったくる。
すると、それまで気配を断絶していた絃律士、相良当麻が怒りつつ姿を見せた。
「筧、いつもいっているが…」
「当麻、構わんよ」
「しかし……」
北辰は笑って当麻を制すると、蔵の上を見上げた。
「それよりも須一を降ろしてやれ。一人では危険だ」
「…は」
当麻は筧を睨むと、蔵に向かう。北辰はいつもの遣り取りを見て微笑むと、石畳の上に置いた二本の刀を拾う。
「闘いたくなったか?金城」
北辰は隣りで控える色黒の男に水を向けると、呼ばれた男は嬉しそうに頷いた。
「ええ、勿論。私の《百歩神拳》と彼の瞬間移動。対決は見物でしょう」
「ふむ、私も楽しみだ。是非、相伴させていただこう」
北辰は呟くと、もう一方の卑屈な表情でこちらを伺う男に目を向けた。
その男、唐綿は恐る恐る伺う。
「北辰殿、今回は少し油断しただけだ。まだ日はある。次の機会を待って――」
「次などない」
北辰はバッサリと切り捨てた。
「今の様子を見たところ、貴殿の力量では全く勝負にならない。奇襲は最初で最後だからこそ効果がある。時詠伯の言う通り、貴殿に大名たる器ではなかった」
「い、いや、今度こそ必ず攫ってみせる」
見苦しくも食らいつく唐綿から視線を外し、正門へ歩き出した。
「これは貴殿の事を思って言っているのだ。次に何かすれば、彼らは決して許しはしないだろう。何もしないのが、貴殿の命脈を保つ一番の手段だ。さ、右腕の手当てをしてお帰りなさい」
「そんな、待ってくれ……」
唐綿の言葉は北辰には響かず、ゆっくりとした歩調で豊泉寺から去った。
後に残ったのは右腕を押さえながら脂汗と屈辱に塗れる唐綿と、相変わらず無言で何を考えているか判らない蝶野の二人だけであった。
蝶野が右腕の手当てをしようと近づいたところ、唐綿は左手で殴り飛ばした。
「“G”、周辺に不審な気配はありますか?」
「いや、俺には何も感じられない」
「ならいいのですが……」
“G”は潮にペースを合わせて走りつつ、《鏡見》で周囲を警戒する。ただ、《鏡見》は走りながらでは精度が落ちる。潮がいなくとも、走るペースは加減しなくてはならない。
潮にはもう一つ気になる事があった。
「桜子」
「えっ、えっ!?」
突然、声を掛けられて、思わず素の声で聞き返す。
「どうかしましたか? 貴方は北辰殿をご存知のようですが」
それは質問ではなく、確認であった。
「はい……『あの方』が保障したなら、決して約束は違えません。だから、走る必要はないかと思います」
いうと、桜子は速度を落とし、歩く速度になり、そして立ち止まった。
潮と“G”と、ついでにQタローも立ち止まる。
桜子の表情に陰が差しているのは、黄昏のせいだけではないだろう。
“G”は焦れたように直接的に質問をぶつける。
「何者だ」
桜子の応えには、ためらいがあった。
「……名乗られた通り、五月川八千石の大身旗本、北辰若狭守薫様。絃律士だけで編成された流蝉騎士団を率いる、将軍直轄“獅子天秤”の一人だ」
「“獅子天秤”!」
“G”も、潮も、そして知っているかどうか怪しいQタローも驚愕した。
“獅子天秤”。
それは桜子の言う通り、桜濫幕府筆頭である征騎大将軍直轄の腹心。
征騎大将軍の第三子であり、有力な次期将軍候補である桜神流雲が筆頭を務める東方大陸最強の絃律騎士団である。
その任務は、重要案件の処理や隠密活動、そして暗殺と幅は広い。
“獅子天秤”の権限は非常に大きく、いわば将軍代理人である。
時として将軍に代わり軍を指揮し、戦地にて独自の判断で決裁することも可能である。将軍は腹心たる“獅子天秤”の決定を追認する。
桜子が落ち込んでいるのも、先程の件は“獅子天秤”である北辰薫が仕切っていたならば、それは将軍の意思でもあると解釈できるからだ。そうなれば、正義がこちらには無い。
また、北辰薫は桜濫幕府五指に数えられる剣士であり、世界でわずか十七名しか与えられない“剣候”の称号を持つ最強剣士である。
「威厳のある方ではありましたが、とんでもなく大きい人が出てきましたね」
潮の目にも、暗い影が差した。
三人と一匹の間に、重い沈黙がわだかまった。
「ここで悩んでいても始まらない」
“G”はあっさり断じる。
「その通りです。さしあたって、今日は何もありませんでした。それだけです」
「とりあえずは急いで、訓練校に戻り風花を待つぞ」
“G”の声に、三人は重たくなった足を踏み出し、その後ろを空飛ぶイルカが追随した。
■四日目:八月四日、一八:三〇
「遅いな、風花は。もう十分も待ちぼうけだ」
桜子は訓練校に帰り着き、荷物を部屋に置くと再び正門まで戻り、イライラとしながら風花を待ち構えていた。
「風花に心配など要りませんよ。かえって喜ばないので、大人しく中で待っている方がよろしいかと思います」
同じく帰り着いた潮も、落ち着かない桜子のそばにいた。“G”も風花から潮のそばから離れるなと頼まれた手前、黙って二人に付き合っていた。
「別に私は心配などしていませんよ」
あわてて否定する桜子に、潮は口元を押さえて「ぷくく」と笑う。
「潮様、いつも言っていますが、私は…」
「あ、山吹さん達が帰ってきました。先程までの件はひとまず黙っていてください。おーい!」
潮は桜子のセリフをバッサリ切ると、正門の向こうから帰ってくる仲間達に大きく手を振った。
姉小路山吹に香上雪蘭、龍居クレハ・カエデ姉妹の四人は、潮に応えて手を振りかえした。
「たっだいまー!」
元気よく返事をするのは雪蘭だ。返事をすると、持ち前の瞬発力で駆け出し、門を抜けて潮の目の前で止まった。
「とーちゃく! えい」
「えい!」
雪蘭と潮はハイタッチで挨拶を交わし、続いて三人ものんびり門を超えてくる。
「せっちゃんはホント、元気のかたまりよね」
山吹のセリフはどこかオバサンくさい。隣で口元を押さえて微笑むのはクレハである。
「うふふ、先程まであんみつを食べて元気百倍と叫んでおられた姉小路様はいずこに去りましたか?」
「帰るために必要な糖分を補給するとおっしゃっていましたから、帰り着いたと同時に、使い切ったのでしょう」
クレハと双子であるカエデの思考も言動も、ほぼ同一である。おまけに声までそっくりなため、二人の会話だけを聞くと、二人の区別がつかない。
「皆様、おかえりなさい」
「ただいま。潮くんの笑顔を見ると、疲れもとんでいっちゃうわ」
「あは、そうですか? 嬉しいです」
潮も先程までの重たい空気が俄かに払われたような気持ちになり、山吹や雪蘭の能天気さが嬉しかった。
潮と山吹がほんわかとした会話をしているのを、桜子は横目で見ていたが、再び不機嫌そうに溜息をついた。
「…で、そちらの桜色のお姫様は、旦那様が遊び歩いているので、おかんむりと」
「ええ、そうです。大人しく中で夕飯を食べてればいいのに。さっきから、気になる気になると、何度も繰り返して…」
潮と山吹の二人はコソコソ話しているつもりのようだが、丸聞こえである。そうなると、いつものパターン通り、桜色のお姫様の頭に血が昇る。
「気になどしていません!」
閑散としたグラウンドに怒号が響くが、怒鳴られた方は夕凪程度にしか感じていない。山吹は手で口元を押さえながら、潮の耳元に何やら囁いている。その姿を見て、桜子はさらに頭に血が昇りかけたが、少しクールになる事にしたようだ。彼女は声を落として呟く。
「ただ、その……ちょっとですが、気になります」
何が、と聞こうとした潮よりも早く、“G”が聞き返した。
「風花の何が気になるというのだ」
「えっ?」
「潮の言う通り、風花に心配などいらない。また、お前に心配されるいわれはない」
“G”の翡翠色をした瞳が、この茜色の夕暮れの中でも強い光を放つ。桜子はその瞳に一瞬だが気圧されたが、持ち前の負けん気を桜色の瞳に灯す。
「“G”、何故、貴方にそうまで否定されなければならないのです? 貴方が私を嫌っているのは知っておりますが、貴方こそ風花の事であれこれ言うのは筋違いではありませんか?」
両者のちょうど中間地点に立っている潮の眼前で、両者の視線が火花となってぶつかり合う。この場に居合わせた山吹達は、突如はじまった口論を、心配そうに、あるいは興味深げに見ていた。
「別段、俺はお前を嫌ってなどいない。ただ、意見が合わないだけだ」
「左様ですか。その割には、私に突っかかる度合いが強いと思いますが」
「人の獲物に手を出されれば、獣は怒り狂うものだ」
「獲物? なんのことです?」
「知れた事、真夏屋風花だ」
「え……」
戸惑う桜子に、“G”はこれ以上ないくらいに明快な回答をだした。
「俺は風花を北方大陸に連れ帰るつもりだ」
「な、なんの話しですか? 北方大陸は別名『傭兵大陸』とも呼ばれていますから、兵員の補充でもするつもりですか?」
桜子自身も、みっともないと思うほどに言葉が震えて出てくる。何故、こんなにも震えているのか、理由も解らないのに。
その時、不在にもかかわらず話題の中心を攫っている真夏屋風花が帰ってきた。
「……どうした? みんなそろって門の前で。ひょっとして、オレを待っていたのか?」
意外そうな顔で聞く風花に、クレハは含み笑いをしつつ応えた。
「ええ、皆様、真夏屋様をお待ちでした」
「そうかな、その割には様子がおかしいが」
早くも桜子と“G”の雰囲気が違う事に気がついた。
「ちゃんと潮を連れ帰ってくれたことに礼をいう。で、何かあったか?」
改めて聞き直すと、“G”が風花の正面に立ち、翡翠色の瞳を真っ直ぐ向けた。その様子を横で見る桜子は、嫌な予感しかしない。
「風花、お前に伝えたい事がある」
「どうした? なんでも言ってくれ」
「ではいうが、三年後、訓練校を卒業したら、俺と共にストレリチアにこないか?」
「ストレリチアはお前の実家の北方大陸だな。傭兵として雇ってくれるのか?」
「違う。俺の配偶者としてだ」
「な!?」
今度こそ、桜子の中に衝撃が奔った。その衝撃は桜子だけではない。この場にいる、“G”を除く全員にも奔り抜けた。
“G”は再びハッキリと伝える。
「俺は風花を夫として国許に連れ帰りたい。お前は斜に構えていて、その本質は情熱と信念でのみ動く男だ。情熱は誰かを守りたいという切実な願い。そして信念は守りたいものを最後まで守りきるという強固な意志。俺の生涯のパートナーに相応しい男だと思っている」
断言する“G”に、山吹や雪蘭、クレハ・カエデ姉妹も頷いた。
「さすが“G”ね。風花くんの事をよく見ているわ。風花くんは、貴方の期待を絶対に裏切ったりしない。私も風花くんが“G”の横に立てる男だと思うわ」
山吹は、驚きで目を限界まで開いている桜子を横目で見つつ、断言をする。
「同感です。真夏屋様は絶えず時詠様を想う様に、“G”を守り、“G”の守りたい人々を共に守るでしょう」
「勿論、“G”の女性としての倖せも、です」
クレハもカエデも太鼓判を押して同調する。周囲の反応に、桜子は何故だか裏切られたような気持ちである。
「女としての倖せがどういうものか、俺にはよく解らないが、風花とならずっと闘えると思う」
「ダメよ、そんなの!」
桜子は動揺しているのか、珍しく女子の口調で反駁したが、そこには理屈がなかった。
「「「「「「「………………」」」」」」」
なかったから、桜子以外の六人からも、沈黙以外の反応がなかった。
「ふ、風花は親衛隊として上様に仕え…」
「忠義なき仕官など、百害あって一利なしだ」
“G”はバッサリと斬り捨てる。
「う……」
苦し紛れの言葉など、“G”の意思の前では和紙よりも薄い。つまらない事を云うなと、“G”の視線は告げている。桜子にしても、何がダメなのか明確に出来ない。
“G”は再び風花に視線を向ける。
「どうだ? 風花」
「本当にいきなりだな。十五にして人生設計を決められてもな」
普通そうであろう。十五才でなくとも、三十才を過ぎても人生を決められない人間が多い昨今、“G”の申し出はなかなか首肯しがたい。
「でも、悪い話ではない」
「な!?」
その言葉に、桜子は絶句する。
「ただ、この場で答えるべき問題ではないと思う。真剣に考えるから少し時間をくれ」
「了解した。卒業までは時間はある。それまでに回答をくれればいい」
「ああ」
“G”は言うべきことを言うと、背を向けて校内へ去っていく。
桜子の胸の内は敗北感で一杯である。
誤解の無いように言わせてもらえれば、別に桜子が風花に対して恋愛感情を持っているわけではない。
ないが、隠し様の無い、理由不明の苛立ちがあった。
「…桜子」
気がつくと潮は、黙ってしまった桜子を心配そうに見上げていた。心配してくれるのは有難いが、今はそれが煩わしい。
「……いえ、別に……」
「どうしたんだ?なんかお前、おかしいぞ」
風花にしてみれば、この言葉は純粋な気遣いであった。しかし、これがアダとなり、かえって桜子の憤激を招いた。
「おかしい!? “G”に告白され、舞い上がっているお前に言われたくない!」
「舞い上がる? オレの事か?」
いきなり怒鳴られた風花は言われている言葉の意味が理解できず、それ以上に突如として激昂した桜子の気持ちが解らない。
無理もないことだ。
何故なら桜子本人にも解らないのだから。
「何を怒っているんだ?」
なので、風花はキョトンとしていた。
「とぼけるな! お前も所詮男だな。“G”の巨乳を毎晩触れると思えば、三年後も待ち遠しいだろう」
「はぁ!? 何いきなりキレてんだ? オレは巨乳になんか興味はないぞ」
風花は真顔で応えたが、それがかえって桜子の逆鱗に触れた。
「笑わせるな。毎朝毎晩見ていることは知っているんだ! よかったな! ついに自分のモノにできて!」
桜子は怒鳴っているうちにヒートアップし、風花も次第に怒り出した。
「桜塚……それ以上、訳のわからないことで喚くなら矯正するぞ」
「フン! 色ボケした男に何が出来る!」
「上等!」
「わぁ~、待って!」
風花が詰め寄ろうとしたところで、山吹と雪蘭があわてて風花を掴み、クレハとカエデが桜子を睨むような配置で割って入った。
「桜塚様、どうしたのです? “G”が告白したのが気に入りませんでしたか?」
「桜塚様は真夏屋様の事を想ってはいないとおっしゃられております。であれば、何も問題はないのではありませんか?」
クレハとカエデが同じ顔、同じ声で交互に桜子を責めると、桜子が珍しくクレハの肩を突き飛ばした。
「さ、桜子ちゃん!?」
山吹がそれを見て声を上げる。
「…クレハ様もカエデ様も、いい加減にしてください。私は恋愛とかに興味はありません」
桜子はキッと風花を睨みつけて叫ぶ。
「そして! 私の周りで、恋とかに現を抜かす事をゆるしません!」
言うだけ言うと、桜子は走って校舎に消えていった。
一方、言われた風花には桜子の言っている意味が何一つ解らないし、一方的に怒鳴られて腹も立てていた。
「さっきから何を喚いているんだ? オレは恋とかなんとか言ってないだろうが」
風花がイライラしつつ吐き捨てると、周囲からは一斉に溜息をつかれた。
「なんだ?」
「真夏屋様、確かに桜塚様に非がありましたが、貴方に全く過失がないとはいえません」
「だから、どういう意味だ?」
風花がクレハに聞き返すと、クレハは教え諭す調子で答える。
「真夏屋様は、桜塚様と“G”のどちらがお好きなのですか?」
なんてストレートな質問だと山吹は思った。
しかし、風花は考える間もなくあっさり回答する。
「それは恋愛という意味でか? そうだとすれば何もない。オレとでは身分が違いすぎる」
「真夏屋様、人の気持ちは身分では区切られません。だとすれば、貴方にとって、二人はその程度の存在なのですね」
「…………何を、そんな事……」
クレハの強い眼光に、その言葉の重さに、風花は思わず視線をはずして斜め下を見て、そこでも見上げる潮の瞳とぶつかり、視線を彷徨わせた。
「今の真夏屋様に何をいっても伝わらないでしょう。桜塚様も“G”も口が上手い方ではありません。ですが、殿方がその心を汲み取って差し上げても、いいと思います」
クレハは周りに目線で帰ろうと伝えると、校舎に戻っていった。山吹達も何か言いたげであったが、黙って後に続いた。
独り残された風花は正門前で立ち尽くす。
先程までの怒りは最早ない。ただ、クレハがぶつけてきた恋愛という概念に、戸惑いを覚える。伝えたとおり、身分格差がありすぎる中で成立する話ではないと思う。
しかし、桜子が去り際に向けてきた視線は、風花に屈託を生み出した。
この日の夕飯時に、ここ二日は一緒に食べている桜子が顔を見せる事はなかった。




