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因果邂逅のタタリクス  作者: 紅月蓮也
第一章「向こう岸より来たりて」
7/30

第六話「貴方の手には」

 “騎士”。

 爵位に続く貴族階級の一つであり、その大元の意味は「馬を駆る士(武士)」であるが、大多数の者が移動に馬を使用しているこの世界では馬に乗っているだけでは“騎士”とは呼ばれない。


 この世界における“騎士”とは、「唯一人の主に忠誠を誓った士」を指す。




 ■三日目、八月三日、〇六(マルロク)〇〇(マルマル)



 いつも通りの時間に、風花は自室で目を覚ます。

 体内時計は完璧に機能しており、一秒たりともずれた事がない。

 時同じくして“G”も目を覚ます。

 二人は「おはよう」の一言も出さず、ただ視線を合わせて一度だけ頷き合うのみ。

 風花は頭上を回遊する空飛ぶイルカと、普段自分が使っているベッドで眠る潮へ目を向けると、脇に置いてあったズボンに手をかけた。


「“G”、潮を起こしてくれ。昨日の疲れがとれていなくとも、朝の鍛錬には付き合ってもらう」

「わかった」

 “G”はベッドから降りると、潮が眠るベッドの脇に立つ。

「起きろ」

「ぐえっ」

 ドスッとした音と短い呻きが、二人に背中を向けてズボンをはく風花の耳に聞こえ、自然と笑みが浮かぶ。

「起きたか、潮」

「イテテ、起こされました、の間違いです。なんですか、まだ朝食にも早いですよ」

 数少ない安息の時間を強制的に打ち切られた男装の少女は、朝から不機嫌であった。

「いきなり朝食を食べると胃にもたれるぞ、特にお前は。朝食前に鍛錬を行う。顔を洗ってすぐに支度しろ。四十秒だ」

「はい?」

 耳を疑うかのような潮の反応に対し、朝から風花の怒号が部屋中に響く。

「急げッ!」

「ひっ、ハイ!」

 ベッドから飛び起きると、ババッと寝巻きを脱ぎ、下着姿で洗面所に駆け込む。うがいをして、いつもの五倍速で顔を洗うと、部屋上空を浮いているイルカが毛布代わりにしているタオルをひったくり、乱暴に顔を拭いた。

 訓練着に着替え、髪を整えるのに時間がかかり、結局は一分二十一秒が本日の記録であった。朝からゼエゼエ息をついている潮を、すでに身支度を終えた風花と“G”は腕を組んで見下ろす。

「ふん、まあ、蟻よか早い、といったところか」

 風花が偉そうに批評するのに対し、

(そのボサボサの髪くらい整えてください)

 と、潮は思う。

「今、何か良からぬ事を考えていなかったか?」

「いえ、別に」

 疑いの目を向ける風花に、あせって両手をバタバタ振る潮。


 そんな三人の目の前を、Qタローは両手…ではなく両ヒレで目をこすりつつ横切り、洗面所に入っていく。

「まあいい。まずはグランド十周だ」

「ええー!?」

「口答えするな。体力作りは基本中の基本だ。それとも、またオレ達に背負われるつもりか」

「う、わかりました…頑張って走ります」

「よろしい」

 風花が頷くと、Qタローも目をシャッキリさせて洗面所から出てきた。しかも生意気にも、腰? にポシェットを巻いてあり、何気にお洒落であった。

「…Qタロー、お前、そのポシェットはどうしたんだ? 拾ったのか?」

 不思議がる一同に対し、Qタローは自慢げに、ポシェットから唐草模様のガマ口小銭入れを取り出して見せた。

「ギュきゅきゅー」

「なになに?お金を出して買った!?お前、金はどうしたんだ?」

「キュッキュー」

「内緒? イルカがどうやって金策しているんだ?バイトか?」

 風花は不思議そうにするが、潮にいわせればQタローの言葉が解る風花も不思議である。

「まぁいい。全員の準備が完了したところで―」

「待ったぁー!」

 バン! と、許可もないのに勢いよくドアを開けて入ってきたのは桜塚桜子である。

「私も一緒に走るぞ」

 若衆髷に結んだ長い黒髪をたなびかせつつ、いつもながら凛々しい若武者ぶりを遺憾なく発揮している。

 これで思考が常識的であれば、と思う風花であったが、

「なんだ? 今、貴様は良からぬ事を考えていたな?」

 鋭くも桜子は咎める。

「いや、別に」

 適当に応えて、疑わしい視線を送ってくる桜子をやり過ごし、三人と一匹に向き合った。

「くっちゃべってないで、とっとと行くぞ」

「「おー!」」

「キュー!」

「……」

 多少ばらつきもあったが、風花の号令の下、四人と一匹は廊下を駆け出した。




 ■四日目:八月四日、一二(ヒトフタ)一三(ヒトサン)



 昼時の食堂は大混雑を極める。朝・夕食時と違い、同じ時間に訓練兵が集まるからだ。

 出遅れれば、壁際で立ち食いとなる。天気が良ければ外に持っていく者もいる。

 この日、不運にして、桜子たち第五中隊は午前の訓練が少し長引いたので出遅れた。

 桜子はとりあえず昼食のライスカレーを受け取ったが、さてどうしようと、立ちつくした。

 そんな桜子に視線を向ける事もなく、風花と“G”、そして潮は「いつもの」テーブルに座る。

 どんなに混んでいても、ここには誰も座らない。風花と“G”の二人を除いて、であるが。

 風花と“G”の二人が潮を連れて奥のテーブルに行くべく通路を通ると、食べていた他の訓練生の手が一瞬とまり、喧騒も鎮まって、迷惑そうな視線が鈴なりとなる。

 もっとも、この二人からすれば、蛙の面に小便である。

 当然の如く空いているテーブルに、当然の如く座る。

 二人とも妙に行儀良く、手を合わせると焼きソバ定食を食べ始めた。

 周りの訓練兵たちは苦々しく二人を見ていたが、間もなく目をはずした。

 桜子は、このまま立って待つのも嫌だったので、「例のテーブル」に行く事にした。


「お邪魔します」

 食堂窓際一番端の六人掛けテーブルに辿り着くと、テーブルのヌシ達に声を掛けた。

「好きにしろ」

 と、いつもの素っ気無い返事が風花から返り、桜子はありがたく礼を言って同席した。

 桜子は手を合わせて「いただきます」をすると、ライスカレーを食べ始めた。

 訓練校のメニューは、朝は一種、昼は定食とライスカレーの二種、夜は定食三種から選ぶ事となる。ちなみに桜子の昼は、基本的にライスカレーである。

 桜子はライスカレーを食べつつ、気になることを聞いてみた。

「風花、聞きそびれていたのだが、あのイルカだけど」

「Qタローのことか?」

「そうだ、Qタローだが、いつから飼ってるんだ?」

「飼ってなどいない。それこそ一昨日の夜から勝手に居ついてるだけだ」

 風花は定食に付属している生玉子を掻き回しつつ、淡々と洒落て答えたが、横で聞いていた潮は思わず噴き出した。

「風花でもギャグを言うのですね」

 潮は箸を持った手で口元を押さえつつ、クスクス笑っていた。

 そういわれると、風花も若干照れが入る。

「…放っとけ。Qタローなら、夜になれば帰ってくるんじゃないか?」

「話をそらしていませんか?」

 潮はまだ笑っていた。風花も内心失敗したと思い、黙って掻き回した生玉子を焼きそばにかけ、勢い良くすすった。


「風花は、焼きそばがメニューにある時は、必ず焼きそばを選ぶな」

 視認できる程ではなかったが、風花の食べる勢いがわずかに低下したのを、“G”だけが気がついた。

「桜子は風花をよく見てますね」

 潮は感心しているようでいて、どこかからかっている口調である。

「そ、そんなことはない。みんな気がついているだろう」

 桜子は顔を赤くしつつ、あわてて否定するが、

「どうでしょうか? そんなにじっくり見たりはしないと思いますが…好きでもなければ」

 と、潮からあっさり返されてしまった。

 これでは、いつものパターンに嵌ってしまう。

 いつものパターンというのは、第五中隊の面々は何故か風花と桜子をくっつけようとする。

 桜子からすれば全く以って心外な事に、二人はとてもお似合いだと、よく言われるのだ。

 日々、これだけ口論が絶えないのに、どうして「お似合い」なのか理解に苦しむ。

「仮にも同じ中隊にいるのなら、仲間の嗜好くらい心得るべきです」

「ほうほう、なるほど、ごもっともです。ではせっかくなので、“G”の嗜好もお聞きしてよろしいでしょうか?」

「ええっと……」

 ニヤニヤ笑う潮に、冷や汗をタラタラ流す桜子。

「どうしましたぁ?」

「…ぐ」

 必死に考えたところで、分からないものは分からない。

 今の桜子に出来ることは、露骨に話を逸らす事である。


「と、ところで風花は焼きそば定食ばかり食べていて、飽きたりしないのか?」

 毎日ライスカレーしか食べていないお姫様に言われたくなかったが、そこは飲み込んだ。

「別に。ソースの香ばしさが食欲をそそるし、冷えても美味いと思うが」

「焼きそばについてはそうだが、そこにご飯と味噌汁がくっついているのに、私は違和感を覚えるのだが」


 食堂の焼きそば定食は、メインに焼きそばを据えて、ご飯と味噌汁と生玉子で構成される。

 焼きそばやお好み焼きをおかずにして、ご飯を食べる文化は、少なくとも東方大陸北部にはない。東方大陸中部以南ではなくはないが、まさか貴族子女で構成される王下親衛訓練学校の食堂に給されるとは驚きである。


「おかしいか? オレは普通だと思うが」

「いや、おかしいって。何故麺類をご飯と一緒に食べる? 同じ炭水化物だろう」

「美味けりゃいいだろう」

「それに、なんで生玉子がセットになっている? ご飯に食べるためかと思うが、貴様は焼きそばに乗せているな」

 いちいち煩いなと思いつつ、風花は最後の一口を平らげて口を拭う。

「今日はたまたま焼きそばに乗せただけだ。それぞれが好きに食べても構わないだろ?」

「まあ、そうなんだが、私にはいま一つしっくりこないのだ」

 首を傾げる桜子を見て、何故それほどまでに疑問を持つのか、純粋に意味が判らない。

 風花は水を飲み終えると立ち上がった。


「まあ、人好き好きだ。なんだっていいだろ? それよりも今日の午後は『自由鍛錬』だ。いつまでも訓練校にいてもしょうがない。オレ達はもうじき出る」

「時詠様もですか?」

 相手が時詠家当主なので、桜子の物言いは風花に対する時とは違い丁寧である。

「そうですが、風花、どちらまで行かれるのですか?」

「ん? ……そうだな、この前までなら“そよかぜ先生”のトコ行って戦術論を学ぶところだったが、今はいないから、“G”と一緒に堀内先生に稽古をつけてもらう」


 堀内先生とは、風花が『自由鍛錬』時に通っている道場主である。

 王下親衛訓練学校の訓練スケジュールの中には、『自由鍛錬』という時間が組み込まれている。諸侯・譜代武家の子息の多い訓練兵の中には、家重代の流派や術を極めなければならない場合が多い。さすがに訓練校で独自の戦闘スタイルを伝授する事は不可能なので、曜日を定めて校外で修練を積むことが許されている。

 第五中隊でいえば、半数以上がそれに該当しており、該当していない者も外の道場に入門している場合がほとんどである。


 桜子を例にとると、桜塚家は代々《無外流》剣術を学ぶ()(きた)りなので、訓練校より徒歩三十分ほど歩いた四ツ谷にある無外流道場に通っている。

 短期体験入隊の潮にはそういった仕来りはないので、誰かの後を適当についていくか、訓練校で教官達に扱かれるか、どちらかである。


 一応であるが、潮は護衛をされる立場である。普通の護衛であれば、おとなしく留まることを提案するだろうが、今回の護衛役は良くも悪くも風花である。せっかくオフィシャルに外出できるのに、風花曰く「砂糖菓子のような頭の中身をした貴族の坊ちゃん嬢ちゃんのいる訓練校」に閉じこもっているわけがない。


「私もその道場に行ってもよろしいでしょうか?」

「ああ、堀内先生は文句をいう方ではない。快く迎えてくれるさ」

 不安げな潮に、風花はあっさりと了解した。風花は師である堀内先生の人柄をよく心得ている。学びたい気持ちを持つ若侍を追い払う訳がない。

「桜子は、別行動ですか?」

「いえ、私も同行します!」

「えっ?」

 まさかの反応に、潮は驚き、顔には出さないが風花も“G”も意外に思った。

「私も前々から、堀内先生の“闘気”を使った剣術には興味を持っていましたし、風花がちゃんと時詠様のお世話を出来るかも心配なので」

「…そう、ですか」

 何か変に熱意を自分に向けてくる桜子に、潮は引き気味であった。恐らく昨晩の会話が尾を引いているのであろうが、あまり気にされすぎても、正直迷惑であった。

 とはいえ、潮に断る理由もない。

「では、風花と“G”に了解をとっていただいて―」

「勿論、構わないな」

 桜子はズイッと身を乗り出すように風花へ顔を寄せつつ、眼から気合を送り込んでくるのに、風花は半ば辟易して頷いた。

「ああ、もう好きにしてくれ」

「よし、それでこそ男だ! では、すぐに案内しろ!」

「………」

 コイツはいつもいつも学ぶ事がないな、と風花はつくづく思う。どうして、こう、上から目線なのだろうか。

「なにしてるんだ! 早く行くぞ!」

 桜子はすでに席を立ち、トレイも返却して、食堂の出入り口で手を振っている。

 こういった目立つ行動が、周りから「桜子×風花」という噂のカップリングを生み出しているのだが、桜子は全くその事に気がつかない。

 今も食堂の片隅で、クレハ・カエデの双子姉妹がのんびり昼食をとりながら見ているのだが、彼女達の見解ではこうなる。


「桜子さんは風花様と毎日口論をなさっていますが、結局のところ、好きな異性に構いたくなる屈折した心理かと思います」

「同感ですね。毎日の口論やケンカも、ああやって自分の物だと遠まわしにアピールしているのでしょう。桜子さんも可愛いものです」

「ええ、本当に(クスッ)」

 可憐に笑いあう美人姉妹のすぐ隣のテーブルでは、そんな二人の黒い会話を、山吹と雪蘭が苦笑しながら聞いていた。

 その近くに座っていた唐綿と蝶野は、互いに視線を見交わし、桜子達が食堂を去った後、食事のトレイを返却した。




 ■四日目:八月四日、一三:三〇




 稟京西部に位置する不動前。

 この界隈は武家屋敷や町家、商店、飲食店が乱立している。その分だけ活気があり、昼も夜も人の往来が途切れない。しかし、それだけ人通りが多ければ、その往来の激しさに応じたトラブルもまた発生する。


「この、薄汚い野郎がッ!」

「面白い顔をしやがって! どのツラ下げて、歩き回ってんだ!」

 罵声と共に、地面に蹲る男の腹を蹴り飛ばす二人組は、着ている服からして明らかにどこかの大名の家来であった。

 この暴行行為は、肩がぶつかったとか、たまたま隣を通り過ぎようとして目に付いたのか、どちらかであろう。とはいえ、これだけ人通りが多いところで、それもしかるべき身分をもった武士が町人に乱暴を働くのは非常に珍しい。どこの大名でも、自国の藩士を監視する目付は必ずいるが、その目付にこのような乱暴狼藉が聞こえればただでは済まないはずだ。

「町人の分際で、武士に触れるとは無礼千万!」

「おおっ! その通りだ!」

 勝手な理屈を並べ、好き勝手に蹴りを入れ続ける二人組の武士を、遠巻きに見る人々は多かったが、次第に興奮度を高める二人を咎める勇気を持つ者は、その場にはいなかった。


 一人を除いてだが。


 ザッ、ザッ、ザッ、ザッ。

「山田ぁ! もう二度と舐めたマネが出来ないように、腕の一本でも切り飛ばしてもいいかぁ!?」

 ザッ、ザッ、ザッ。

「応よ、鈴木ぃ! 見せしめだ! やっちまえ!」

 ザッ、ザッ。

「よしきた!」

 二人組の片割れである山田は、白昼堂々と白刃を抜き払い、振りかぶる。

 ザッ!

「ん、ん?」

 先程から規則正しい足音が徐々に聞こえてくるような気がしていたが、その足音は刀を振りかぶった山田の背後で突然止まり、山田は怪訝そうに振り返る。

 ガツッと振り返りかけた山田の左顔を鷲づかみにし、凄まじい勢いで壁に叩きつけた。

「ぎゃっ…!」

 山田は手から刀を落とし、壁に顔から流れる血を擦り付けるようにズルズルと倒れた。相方をいきなり倒され、一瞬の自失に陥るもう片方の鈴木は、あわてて腰の刀に手を掛ける。


「無礼者が! 貴様ッ、何処のモンだ!」

「無礼者?」

 まさに笑止というべきか。

 狼藉者を壁に叩きつけた黒の訓練服を纏う少年、真夏屋風花は失笑する。

「オレが何処の誰であろうと、アンタの知った事ではないだろ?」

 澄まし顔で応える風花に、鈴木はさらに激昂した。

「貴様、幕府の訓練兵か? だが、幕府の訓練兵だろうが、我ら平戸藩士に手を出して、タダで済むと思っているのか!」

 平戸藩は最北部の藩の一つであり、北方大陸との最前線の一つである。現在でこそ北方大陸との講和がなり、その脅威は過去になったが、彼らの中には桜濫幕府を守護しているという自負が確固としてある。また、幕府もそれを認めていたので、多少の狼藉は目をつぶる傾向にあった。しかし、世間がどうであろうと、風花の回答はいつも通りである。

「そんなこと知るか。それがオレに何の関係がある?」

「き、貴様、刀の錆にしてくれ……」

 一瞬で風花に間合いを詰められた鈴木は、殺人的な風花の視線を前に、セリフの最後を飾る「る」を口に出来ずに飲み込む。

「ま、待て…」

 ゴッ! と、風花の右ショートフックが鈴木の横っ面に炸裂。勢いで鈴木は吹っ飛びつつ、地面に落下するよりも早く意識を失った。

 周りで見ていた人々からワッと歓声が上がり、到る所で拍手が起こる。

 風花は見物人たちには反応を見せず、先程から蹴られていた男の下に膝をついた。

「おじさん、大丈夫か?」

 風花は蹲ったままの男に声を掛けると、意外に力のある声が返ってきた。

「大丈夫です。助かりました…」

「そうか、それは良かったが、何かあったか?」

 風花は男の服についた埃をポンポン払いながら聞くと、男は苦笑する。

「いえ、私の顔は見ての通りの顔立ちです。この顔が気に入らなくて殴りつけたくなったのでしょう」

 それを聞いて、風花は舌打ちをする。

 確かに男の顔は異相であった。縦に長細く、異様に大きい両目が顔の側面というより外側に寄っている見事な馬面である。しかし、成敗した二人組の顔も人様の事をどうこう言えるほどではない。いっそ、顔の形を変えてやれば良かったかと思う。

「世の中には訳のわからないことで難癖をつけてくる輩が多い。十分に気をつけてくれ」

 風花は男の左手を掴むと、立ち上がりつつ、男を引き立てた。

「はい、ありがとうございます」

「すぐにこの場を立ち去るといい。じゃあな」

 風花は軽く右手を上げると、さっさと歩き出し、人垣は彼の歩く道を空けていく。

 男は一度、その背中に頭を下げ、再びその背中を見る。

 その視線に誘われるように、見物人たちの視線も風花の背中を追いかける。

 同じく、異相の男、遠見目太郎はギョロリとした眼で、その背中を見届ける。

 見物人たちが気づいた時には、すでにその姿は何処にもなく、残ったのは一撃で昏倒させられた狼藉者二人組だけであった。


「世の中、乱暴者が多い。まして立派な武士たる者が嘆かわしい事だ!」

 ぷりぷり怒りながら先頭を歩くのは、凛々しい姫武者たる桜塚桜子。

 桜子の後ろを歩く、がっしりとした体格の女戦士“G”は鼻で嗤う。

「世の中そんなものだ。そもそも、武士だから立派だと決めつけるお前がどうかしている」

 “G”の隣を歩く風花も同感とばかりに頷いていた。

「そういうことだ。だから見つけ次第、ボコってやるのが世のため、人のためだ」

 風花は清々した顔でいうが、その風花にいつもの如く桜子が噛みついた。

「風花、お前があの町人を助けたのはいいが、そのせいで平戸藩と私達の訓練校、ひいては幕府との関係を悪化させるとは考えなかったのか!?」

「考えないね。そもそも、何処の藩だろうと、幕府だろうと、オレには関係のない話だ。気に入らなきゃ斬り伏せる。ただ、それだけ」

 桜子はカッとなり、足を止めて振り向いた。

「貴様、曲がりなりにも将軍親衛隊候補生だぞ。常に上様の御身と立場を考えなければならないのに、その言い草は聞き捨てならん!」

「ならなきゃ、どうするんだ?」

「知れた事! これから道場で、貴様の曲がった根性を叩き直すまでだ!」

 堂々と言い放つ桜子であったが、そのセリフは風花のみならず、“G”と潮まで失笑させてしまった。

「何が可笑しいのです!?」

 顔を真っ赤にして怒る桜子に、“G”が遠慮なく思っていることを口にする。

「別段、お前を馬鹿にしている訳ではないのだが…風花とお前では、やる前から勝負が見えている。根性を叩きなおされる前に、お前の心を叩き折られると思ったまでだ」

 馬鹿にしていないと言いつつ、その内容は侮辱以外何者でもない。

 果たして桜子は激怒した。

「……私の腕が、風花に劣っているとでも?」

 低い声で詰め寄るが、“G”は特に気にもせず、むしろあっけらかんと答える。

「お前、一回も風花に勝った事ないだろ」

 それは潮ですら知っている事実である。

「…そこまで言われたら、武士の一分が立ちません。これから行く道場で風花を叩きのめしてご覧に入れます」


「「「…………」」」


 三人からすれば、桜子の自信は何処から湧き出てくるのか不思議なほどである。

 黙ってしまった三人に、桜子は憤然としつつ、再び先頭を歩き出す。


「桜子」

「…なんですか?」

 多少であるが、呼びかけられた潮に対し、桜子はつっけんどんに返す。

「貴方は先程、幕府と平戸藩との関係について、風花を責めました」

「その通りです。この後、災難が降りかからないか心配です」

「そうですか……では、何故、貴方が助けに入らなかったのですか?」

「え?」

 思わず足を止め、桜子は振り返る。

「そこまで気を回せる貴方なら、上手くあの場を収める事が出来たのではないのですか?」

「そ、それは……」

「確かに風花も乱暴といえるかもしれません。しかし、結果として町人の方を助けました。周りで助けに入れなかった方々の感謝と賞賛を浴びました。ですが、何もせず、遠くから見ていた私達に、風花を責める謂われがありますでしょうか?」

 潮の舌鋒は鋭い。要点のみを突き、突かれた桜子は返答に窮した。

「桜子、貴方の論法では、幕府の外交関係のためなら、町民を多少虐げても許されるということです。しかし、武士であるなら、目の前で苦難にあっている人を助けるべきだと思います。それを行動に移した風花を、私は尊敬します」

「…………」

 桜子は言葉に詰まり、ついに押し黙り、潮から視線をはずして前を向く。

「桜子」

 潮は桜子の背中に真っ直ぐ向かって、声を掛ける。

「いつか貴方の正義を、聞かせていただけませんか?」

 桜子はそのまま黙って歩き始めた。

「貴方の目指す、武士の姿を」




 ■四日目:八月四日、一五:一五




 剣術流派『九月流』堀内道場。

 堀内ほりうち清角きよかどという六十を超えた老人が十年前に開いた道場である。

 訓練校からは徒歩一時間ほどの稟京西部、下目黒に位置する。

 このあたりは民家もまばらな田園風景が広がっており、そこに農家の家を大きくした藁葺き屋根の道場がポツンと建っている。

 こんな場所に建てられた道場によく人が来るものだと、周辺の農家からは思われているが、道場からは毎日のように気合い声と鋭く打ち合う木刀の音が響き渡る。

 入門者は二十名弱であり、そのほとんどが農民か町人たちである。武家出身者は風花と“G”を除けは五人もいない。

 つまりは流行らない道場なのだが、“G”は現在の師である堀内清角を紹介してもらい、ここで『九月流』と呼ばれる剣術と《闘気》を学んでいた。


 《闘気》。

 それは七百年前、東方界廊が異世界と繋がり、通過してきた脅威と共に齎された「新たなる混沌」。

 恐るべき破壊力を持ち、東方大陸を怒涛の勢いで席巻し、人や魔獣を駆逐したモノ。


 その名も、“霧鐘の巨人”。


 全長二メートルから最大二十メートルの大巨人軍団。

 鋼鉄の如き身体を持ち、驚異的な生命力で他の生命体を圧倒する、問答無用の暴威。

 危険な未開の山地を腕力だけで切り崩して、ひたすら驀進するその姿に、多くの者は絶望を覚えた。

 “霧鐘の巨人”は、その巨体だけでも脅威であったが、それ以上に絶望的な力の開きを生み出していたのが“闘気”であった。

 巨人達は溢れんばかりの生命力から莫大な“闘気”を全身から放ち、吹き上がる闘気の勢いだけで突風を起こしたとされる。


 元々の“霧鐘の巨人”の由来が、闘気を放つ際に、莫大な量の闘気が足元と頭部とで温度差と気圧差を急激に作り出し、大量の蒸気を発生させたことに起因する。

 巨人の急所は頭部であるが、人の頭上遥か高くにある巨人の頭部を狙うには、それこそ自在に昇り降り出来る宝具や道具が必要であるが、残念ながらこの世界にはそういった立体的な機動を可能とする装置はなかった。


 しかし、そういった苦難の状況でも、あきらめずに巨人攻略を目指す者達がいた。


 七百年前の当時でも、人類は“気”という概念を持ち、それを戦闘時に活用してはいたが、現在ほど体系化されておらず、また未熟でもあった。

 しかし、巨人との戦いの中で、ついに“気”を“闘気”にまで高める方法に辿り着いた。

 また、閉じかけた東方界廊の彼方より、巨人を追いかけてきた“ガーベラ族”という亜人種達との共闘の結果、ついに巨人の駆逐に成功したのである。

 それ以降、東方大陸は“闘気”の習得と研鑽に励み、南方・北方大陸からの侵略を跳ね返し続けていたが、三百二十年前に、大量の銃火器を携えて攻めてきた南方大陸の軍勢の前に、あえなく破れる結果となる。


「潮も先生に一手教えを請うといい。先生も打ちたがっておられる」

 風花をはじめ“G”と桜子の稽古も一区切りつき、全身から汗を流しつつ、潮に声を掛けた。

 それまで稽古の様子を壁際で正座をして見ていたが、とても自分のような子供と打ち合える雰囲気には感じられなかった。大丈夫かな~と、あれこれ考えながらそっと堀内の方へ目を向けると、堀内自身から声を掛けてきた。

「時詠潮、前に出よ」

「は、ハイ!」

 いきなりフルネームで呼ばれ、あわてて立ち上がる。

「構えよ」

「ハイッ!」

 予め風花から「せめて返事だけは元気よく」と言われており、潮はしっかりとアドバイスを守った返事をしていた。それでもやはりというべきか、木刀を構える姿はおっかなびっくりであり、見事なへっぴり腰を見せてくれた。

「背筋を伸ばせ」

 堀内は自らの視線をまっすぐ潮に向けつつ、厳かにいう。

 その視線に耐えつつ、潮は両足を踏ん張り、背筋を伸ばす。


「そうだ、それでいい。あとは最後まで、前を見続ける事だけだ」


 潮は眼に力を込め、全力で老剣客の眼気を跳ね返す。

 潮の構えは、見様見真似の中段。

 切っ先は細かくぶれ続け、全身の筋力を使い、必死になって切っ先を止めようとする。

 潮の顔といわず全身には脂汗が浮かび、早くも足元を濡らすほどの発汗量であった。

 これほどの緊張を強いられるのは、潮にとっていつぶりであろうか。

 それまで日陰ではあったが普通に生活をし、突然、自分の出自を告げられ、影武者となり死んでみせよと言われた一ヶ月ぶりであろう。

 その時は座っていた畳が抜けたかのような喪失感を味わったが、今日のような緊張とは別物であった。

 死ねと命じられ、死ぬ事を決意する事に比べれば、単に木刀で打たれて痛い思いをするだけでいい現在の方が楽であるはずだ。にもかかわらず、堀内清角という剣客の眼気にさらされる方が、遥かに恐ろしかった。


 桜子をはじめ、道場中が固唾を呑む事、10分が経過。

 いよいよ、切っ先が止まらなくなってきた。

 激しく両腕が痙攣する中、幼い侍は決して眼をそらさない。

 しかし、切っ先が目線よりも下がったその瞬間!

 堀内の木刀は、潮のまさに眼前を一閃。

 その斬撃は、潮の中にあった最後の緊張の糸を切り、潮は気を失う。木刀を持ったまま両腕が下がり、放心したように身体を前後に揺らして、後ろにゆっくりと倒れる。

 床に倒れ落ちる寸前に、素早く飛び出した風花が潮の背中を支えた。

「感心にも」

 堀内は、潮を抱きかかえる風花を見つつ、独白する。

「潮はまだ木刀を離さない」

 潮の右手には、しっかりと握られた木刀がぶらさがっている。

「これは、大変な剣客になるな」

 荒波にも耐えうる岩壁が如きの、不動たる老剣客の口元が綻ぶ。

 それは風花も“G”も、初めて見る師の微笑であった。




 ■四日目:八月四日、一六:五〇




 堀内道場でたっぷり汗を流し、稽古が終った後、道場の清掃を済ませてを辞去した四人は、ゆっくりと夏の明るい夕暮れを歩く。

 それぞれの片手には、今日のお礼にと、桜子が買ってくれた『タイ焼き』があった。

 道場から程近い『武田寿堂』という茶店で、「天然物タイ焼き」とデカデカと看板に書いてあり、桜子は行きにチェックをいれていたのである。

「う~ん、尻尾まで餡子が入っていて美味しいです」

 潮も甘い物を食べてご満悦である。

「まだありますよ。たくさんあるので、ジャンジャン食べてください」

 桜子はタイ焼きを二十個も買い、残ればお土産にしようと考えていた。

「そんなにいっぱい食べると、夜が入りませんよ」

「そんな事はありません。甘いものは別腹です」

「そうですか~?」

「そうです。私は四ツ谷町の『わかば』のタイ焼きを愛していますが、帰りには必ず四個は食べます」

「それは食べすぎです」

「そうだ、今度は私の通う片岡道場に来てください。私の『わかば』と食べ比べてみましょう」

「無外流がメインじゃないのですか?」

「そうでした。無外流を体験した後に、美味しく頂くという事で…」

「はい!でも、私が片岡先生に、『桜子さんはタイ焼きのついでに道場に来ています』と口を滑らせないようにしないといけませんねぇ」

「ちょ、ちょっと、待って下さい」

「口の滑りを止めるには、どうしたらいいかな~?」

「くっ、こうなったら、タイ焼きを詰め込んで差し上げます!」

「もががっ」

 楽しげにじゃれ合いながら歩く二人の背中を、眩しげに風花は後ろから眺めていた。


「今日は連れて来て正解だったな」

「そうだな」

 頷く“G”の視線の先で、タイ焼きを喉に詰まらせた潮の背中を、桜子があわててさすっていた。

「申し訳ございません。大丈夫でしょうか?」

「ゴホ、大丈夫ですが…喉が渇きました」

「ええっと……そうだ! ここから歩いてすぐの場所に、豊泉寺というお寺があります。そこの井戸水はとても美味しいので、それを飲んで、お参りをして帰りましょう」

 桜子が後ろの二人に視線を向けると、風花は軽く頷いた。

「いいんじゃないか。それにしても、よく知っているな。オレは全く知らなかったぞ」

「大分前に、このあたりを散策した時に見つけたんだ。人気もなくて静かで落ち着いた処だ」

 珍しく風花に感心されて、桜子は少し得意気であった。


 門前の階段を昇り、豊泉寺の境内に入ると、そこは別空間のように静かなる空気が夏の夕空の下に流れていた。

 空は夕焼け色に近づきつつあり、静謐の境内を橙色に染めていく。

 寺としての敷地は五千坪であり、その半分以上は雑木林であるが、かなりの広さを持つ。

 風花達は知らなかったが、実は四百年前に建立された古刹である。寺の名称からもわかるとおり、寺が建立される以前から清冽で豊富な水が湧き出ていた。元々は、その水源を管理するために寺が建てられたのが起こりである。

 井戸のある水小屋までくると、沢山の人が水を汲んだ跡がある。

 風花達一行は、まず手を洗い、次いで口を漱ぐと、美味しいと評判の水を飲んでみた。


「…・・っ! こいつは美味いな」

「うむ、俺も二年も近くの道場に通いながらも、全く知らなかったのが恥ずかしいほどだ」

 風花も“G”も、一口飲んだだけで、別格的な味わいである事がすぐにわかった。

「本当に美味しいですね。こんなに美味しいお水でお酒を作ったら、凄い銘酒が産まれるかもしれませんね」

 口元を拭った潮は、素晴らしい事を思いついたと云わんばかりである。

「ふふ、そうですね。でも潮様にはお酒は早すぎま……」

 桜子も潮の思いつきに同意しかけて、尻すぼみになった。

 それは、潮が酒を呑む年齢まで、生きてはいないと思い出したからである。

 風花はジロリと桜子を見たが、口に出したのは別の事である。

「面白い発想だな。誰も造っていないようなら、オレが造ってみようか。それで一山当てたら、この寺の一角に蔵を建てて、何人も酒造りの人間を雇って、大陸展開したいな。勿論、醸造元名は『真夏屋』、酒の銘柄は『風花』で決まりだ」

 すると“G”が、すかさず乗ってきた。

「売れないな。屋号はそれでいいが、銘柄は『“G”より“A”へ』がいいな。他にない名称で、差別化にもなって売れる事間違いなしだ」

「ダサ、なんだよ『“G”から“A”へ』って。“G”はお前のことだろうけど、“A”ってなんだ?」

「いや、違う。“G”はGREATで、“A”はARTだ」

「もっと、わからん」

「あはは」

 呆れる風花の隣で、潮は手を打って笑い出した。


 ・・・・・・・・・後年であるが、実際に二人は、各々が理想とする地酒を造る。

 さすがに忙しい二人なので、それぞれが見つけてきた杜氏に自分の好みと想いを伝えて造ってもらい、たまに手伝い、完成させ、一般流通させる事となる。

 風花は独自のルートを使い、好調に『風花』を酒屋と居酒屋に卸し続けたし、売れ行きも評判も良かった。

 対する“G”の『“G”から“A”へ』は、やはり名前が悪かったのか、なかなか買い手がつかず、当然だが評判の立ちようがなかった。大量の在庫を前にして考えあぐねた“G”は、ついに腕力と家名で、高級士官用の居酒屋に全在庫一括納品するという大技を使うことになる。

 ちなみに、肝心の味わいは、呑んでみると両方とも素晴らしかったとされる。

 風花の『風花』は純米吟醸で酒度マイナス1のちょい辛口だが、甘みもあり、彼の好きな魚介類との相性抜群の、呑みやすい酒であった。

 “G”の『“G”から“A”へ』は純米酒であり、酒度マイナス10の辛口濃厚でキレもあり、“G”の好きな肉料理に負けない、ガツンとしたパンチのある酒であった。初年度は苦戦したが、銘称にさえ目をつぶれば、イケてる酒であると評判が立った。



「待った、風花、あれって」

 建物の影から出かけていた潮は、あわてて後ろに飛び退き、後ろの三人も制した。

 物陰から隠れつつ様子を伺うと、空飛ぶイルカがコソコソ飛んでいた。

「あれは、Qタローか?」

 疑問系で答える風花だが、桜子に言わせれば、空飛ぶイルカが他にいるかと思う。

「何をしているんでしょう?」

 潮が首を捻ったのも無理はない。Qタローは建物の影に隠れ、キョロキョロ周りを見渡し、誰もいないと見極めがつくと、サッと次の柱の影に入り、また周囲を警戒するという、挙動不審を繰り返していた。ここに役人がいれば、まず間違いなく連行されるであろう。

「怪しいですね」

「ええ、怪しいです」

 潮や桜子でなくとも、Qタローは怪しくみえる。

 なおも様子を伺っていると、ついにQタローは賽銭箱に辿り着いた。

 この時点で、風花には大体の予想がついたのだが、あえてそれは口にせず、Qタローを注視する。いや、風花でなくとも、各人、Qタローが何をしようとしているか気がついたであろう。

 すると、Qタローは石畳にポーチに折り畳んでいた唐草模様の風呂敷を広げ、ササッと賽銭箱の上に浮かぶと右手…ではなく右ヒレを賽銭箱の投入口に突っ込む。短くて指のないヒレでどうするつもりかと思ったが、次にQタローが右ヒレを投入口から抜くと、右ヒレには糊で接着したたかのように、大量の小銭がくっついていた。不自然なのは、小銭の上にさらに小銭がくっつき、三角形のヒレの先端が某猫型ロボットの手のように丸くなっていた。そういえば背中が青で腹が白だから、配色も似ている。

 Qタローはそろそろっと下に敷いた風呂敷に小銭を置き、その多さに口元を押さえてウシシと笑うと、再び賽銭箱の上に浮かび上がった。

 これは正しく“賽銭泥棒”であった。


「なるほど。アイツ、金をどうやって調達しているのか疑問だったが、ああやって金をくすねていたのか」

 風花は腑に落ちた顔で何度も頷き、桜子はそれを咎めた。

「感心している場合ではない!でも、どうやってお金を拾っているのだ?」

「引力だ。Qタローは引力を操っている。元々、指もないのに箸を使っていた事が疑問だったが、それがようやく解った。引力を絶妙にコントロールする事で、箸を箸としての機能を持たせていたんだ。たいしたものだな」

 どちらかというと感心している風花であるが、桜子は目の前で堂々と行われている犯罪行為を見過ごせない。まして、自分の知るイルカがそんな事をすることは、断じて許せない。

「そんな事はどうでもかまわん! すぐにやめさせないと…アレ、時詠様?」

 気がつけば、一番前にいた潮がいなくなっていた。

 だが、探すまでもなく、すぐに見つかった。

 潮は、Qタローの真正面に立っていた。


 Qタローが二度目に賽銭を引き上げると、その真正面に大きな瞳に剛い光を湛え、夕陽に右半身を茜色に染めた潮が、毅然と立っていた。

「ギュっ?ぎゅキュ!?」

 悪い事をしていると判っているのだろう。Qタローはあせって空中で後退した。

「Qタロー、何をしているのですか?」

 閑静な境内に、静かな声がQタローに、そして物陰にいる風花達にまで響く。

「ギュ………」

 Qタローは忙しく目を左右に動かし、なんと答えようかと考えているようだ。

「答えてください。貴方は、今、ここで、何をしているのですか?」

 潮は先程よりも強い声で、再び問い質す。

「ギュ…きゅ」

 答えられないQタローは、ヒレにくっつけている賽銭を、潮に差し出した。

「ギュキュキュ」

「ん?私にこれを分けていただけるのですか?」

「きゅーきゅ!」

 我意を得たりと、嬉しげに大きく頭を上下に振るQタローに、潮はニッコリ笑った。

 どうやら切り抜けられたようだと、Qタローはホッと一息ついた。

 しかし。


「バカァ!」


 Qタローは頬を力いっぱい潮に殴られ、手にした賽銭を盛大にぶちまけながら石畳の上に転がった。

「……Qタロー、私が盗んだお金をいただき、それで喜ぶと、本当に思ったのですか?」

「…………ぎゅ」

 ぶたれた頬を押さえながら、Qタローは半身を起こす。

「貴方が盗んだお金は、多くの人が辛い仕事で得たお金に、それぞれの願いを込めて奉納したお金です。貴方はその人たちの、大きくとも小さくとも、でも純粋な願いを、とてもちっぽけな欲望のために踏みにじったのです」

「ぎゅ…………」

 Qタローは頬をおさえつつ、悲しげな潮の諭しに、大粒の泪をボロボロ零れ落とした。

「Qタロー」

「きゅ?」

「覚えておいてください。どんなに馬鹿馬鹿しい願いであっても、人の願いは否定してはいけません。まして、自分の身勝手な欲得のために、他人の願いを汚してはいけません」

「…きゅ」

「神様は願いを叶えるために、日々、一生懸命に辛い仕事をしている人を決して見捨てたりしません。そして、周りにいる人も、自然と助けてあげたいと思うようになります」

 厳しかった潮の顔が、ほんの少しだが和いだ。

「Qタロー。私が貴方に望むのは、頑張っている誰かを助けてあげられる存在になって欲しいことです。世にも稀なる存在である貴方なら出来る事、貴方にしか出来ない事。その全部をしてくれる存在に」

「きゅ?」

「大丈夫。必ず出来ます。貴方なら出来ます。他の誰が信じていなくとも、今、ここで私が貴方の存在を肯定します。だから、今はここで泣いていても、必ず立って下さい。そして、ここから飛びだってください」

 潮はニッコリ微笑みかけた。

「お金が必要なら、仕事を見つけて働いてください」

「ギュキュ?」

 イルカは困ったように首を横に振る。聞いていた桜子も、イルカに酷な事を言うと思った。

「確かに仕事はないかもしれません。ですが、あるかもしれません。探しもしないうちから、あきらめてはなりません。大丈夫です。貴方なら見つけられます。必ず見つかります」

「きゅ~…」

「私は貴方の全てを信じています」

「きゅ!」

「その意気です。頑張ってください」

「ぎゅきゅ!」

 再び元気を取り戻したQタローの声に、潮は優しく頷くと、石畳に散らばった賽銭を指差した。

「さ、落ちたお金を拾い、元の場所に戻しましょう」

「ギュキュ!」

 潮は屈み、Qタローは石畳を這い、一人と一匹は散らばった賽銭を拾い集めていく。

 そして風花は、小銭を一枚一枚拾い集める潮の姿に、胸を衝かれずにはいられなかった。


「どうした、風花?」

 余程ぼんやりとしていたのだろう。“G”に声を掛けられて、自分のいる場所を思い出した。見ると、桜子はすでに潮の下へ駆け出していた。

「いや、どうもしていない。……それより、手伝ってやろう」

 “G”は黙って頷き、ついで一歩踏み出した。

 風花も、その後に続いて歩き出し………、

「風花、思ったよりお賽銭が散らばってしまった。後ろを向いていないで手伝え!」

 桜子から大きな声で呼ばれてしまった。

「……?」

 桜子達がいる賽銭箱に向かおうとしているのに、その行き先にいる人物の声が背中から(・・・・)聞こえてくる。気がつけば、風花は桜子達に背中を向けて、反対方向へ歩き出していた。

 当然、すぐに風花は振り返ると………・そこには桜子も潮もQタローも、そして賽銭箱もなく、寺の三重塔しかなかった。


「これは?」

 風花は不審を口にしつつも、すでに異常事態が起こっていることに気がついていた。

「風花、俺はお前の動きを見ていたが、お前は振り返ろうとして、その場で一回転して、また背中を向けていた」

 “G”も、後ろにいるはずの風花が、いつの間にか自分の正面に立っていた不自然さに気がつき、左手で太刀の鯉口を切りつつ、周辺の気配を探っていた。


「ああ、解っている。この方向にしか(・・・・・・・)向くことができない》」

 風花もいつでも抜刀できるように鯉口を切り、周囲を見渡そうと思うが、もはや三重塔の方向しか見ることが出来ない。


「桜子!潮!警戒しろ!囲まれているぞ!」

「敵!?」

 風花の叫びに、桜子は機敏に反応して立ち上がり、反射的に抜刀した。


「それにしても、今の今まで全く気がつかないとは、無様だ」

 自嘲する“G”の気持ちは風花も同じだが、状況判断だけは的確に出来た。

「もっともだが、見ている奴らと因果を断たれてしまえば、俺も“G”も存在を認識できず、気配も掴めない」

 風花と“G”は闘気を学び、気配探知を行う《鏡見》をある程度だが修得しているので敏感であり、油断なく常時警戒していた。

 しかし、本来なら察知できるはずが出来なかったこの状況。

 考えられるのは二つ。

 宝具とよばれる、特別な力を込められたアイテムを使っているか。

 或いは、東方大陸で最もポピュラーな“力”を使っているか。

 そして、ここが東方大陸なら、十中九の確率で後者である。

 突然、蒸気が湧き上がるが如く、取り囲んでいた者達の気配を全方位から感じ取れた。

「いるぞ!絃律士だ!」

 風花の声に応じたかのように、見覚えのある二人と、その他十人以上の男達が姿を現した。



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