第五話「山吹のくれた わらび餅」
■物語二日目:八月一日、二〇:〇五
少年少女は走る。
ひたすら走る。
走った、くたびれた……
……では済まない。
毎日繰り返される苛烈な訓練の中で、食事の時間が一番くつろげる時である。特に夕食時は一日の終わりであり、その日の疲れを癒し、明日への活力を産み出すもっとも楽しい時間である。
しかし、そんな癒しや活力、楽しい時間と全く縁がない者達も稀にいる。
それは、第五中隊第三小隊、通称サクラ小隊の面々である。
この日、時詠潮の体験入隊初日は散々であった。
午前の座学はまだしも、午後の鍛錬ではひたすら走らされ、遅れれば教官からありがたい怒号をいただき、組み手をすれば散々に関節を極められた。
挙句には、小隊別対抗戦では桜子がいつものように猪突猛進したのをきっかけに敗れ、罰としてグランド二十周を命じられてしまった。
ただ潮の限界は目に見えていたので、途中から風花と“G”が交代で背負って走った。美堂教官は最後まで見ていたが、それについては何も言わなかった。
訓練から開放された風花は潮を食堂に連れて行き、自分と同じ『肉野菜炒め定食特盛り』をとってきてやり、いつもの定位置に座った。
“G”も黙って同じ定食を持って、席に着き、両手を合わせると黙って食べ始めた。
風花も肉野菜炒めをガッツリ箸で掴むと、大口を開けてバクリと一口で食べた。
もりもり食べながらも風花の目は、箸を手にしただけで動かなくなった潮を見ていた。
潮は初めての訓練でボロボロであり、食欲は全くなかったがカロリーを失っている状態である。何がなんでも食べさせなければ、明日にも死んでしまうだろう。
「潮、きついだろうが無理して食べろ。ゆっくりでいい。急ぐと吐くからな」
吐くといわれて、潮は腹をおさえる。そして、意を決して味噌汁に手をのばした。
この日の味噌汁はなめこ汁であり、粘っている部分がひときわ熱かったが、不思議なもので飲むと身体は熱い汁を受け入れた。
潮の箸が動き出し、少しずつではあったが肉野菜炒めを食べ始めた。
風花はそんな潮を見て、そっと微笑む。だが、“G”がジッと自分を見ているのに気づき、表情を消した。
それからは無言であった。
もっとも普段から一緒に食べている風花と“G”の間に、会話はほぼ皆無である。いつもであれば無口な二人だからであるが、今回の場合は会話する気力がなかったからであろう。
潮も二人の気持ちには気づいていたが、それでもあえて今日の事についての二人の感想を聞きたかった。
「風花、“G”、今日の小隊別対抗戦について、二人はどうお考えですか?」
聞かれた二人の食事の手が止まる。
“G”が目線で風花に、先に答えろ、と伝えてきた。
「…………」
ただ、風花は即答しなかった。
通常であれば「別に」の一言で済ませただろう。それに聞かれたくない質問であったのもあるが、それ以上に間もなく死ぬ運命にある潮にどう答えるのが最適か、風花なりに真剣に考えていたからである。
「オレは一兵卒だ。だとすれば結果を受け入れる以外にない」
潮はジッと左斜め前に座る風花の眼を、黙って見続ける。その姿は、風花に妙な圧迫感と、そして想い出の彼方にある瞳を想起させる。風花はそれを振り切り、続ける。
「勿論、他に言いたい事は山ほどある。しかしソレを口にしても、きっと口の穢れだ。それに今回は演習だ。誰も死んでいない。それでよしとするさ」
「では、もしこれが実戦でしたら、風花はどうしていたのですか?」
潮の眼はあくまで真っ直ぐ風花の眼を捉えている。風花はその眼に宿る力強さを受け止めきれず、思わず視線をはずした。
あるいは潮の質問こそ、風花を現在進行形で思い悩ませている事柄であったからか。
風花の視線が、チラリと“G”を見た。
普段、滅多に感情を表に出さない“G”も、質問の答えに対して興味深そうなのは、断じて気のせいではない。
兵士であれば、如何なる命令であれ遂行するのが本分である。しかし、いくら自分の命を懸ける職種であっても、そう簡単に命を投げ出せるわけではない。
今日の桜子のように、明らかに自殺としか思えない無謀な作戦に従事すべきか、自殺志望の指揮官を殺して状況を変えるか。
いや、風花であれば、どんなに酷い戦場であっても脱出できる算段は立てられる。
しかし、例えばそこに“G”がいたなら、潮がいたとするならば、二人を置いて逃げられるか。
風花は“G”に対して友情や、まして親愛の情を抱いた事はない。しかし、同室の誼というのはある。集団心中に、“G”を混ぜる必要は無い。
今日のように、桜子が敵の待ち構える陣地に突撃命令を出したならば、桜子を殺してしまうのではないか、という結論に達してしまう事に苦しんでいた。
確かに風花には、同じ中隊・小隊メンバーに対する仲間意識は希薄である。それでも味方であるはずの指揮官を、今回であれば桜子を『殺す』という結論のおぞましさは、風花の中にある矜持とは真逆のものだ。
では、どうすればいいのか?
結局、口にできたのは「いつもの」風花らしいセリフだった。
「本当にやばくなったら即退散だ。オレはオレで好きにする。他の奴らも好きにすればいい」
しかし、潮は間髪入れずに鋭く要点を突いてくる。
「“G”を置いて、ですか?」
「…………」
そうだ、と答えるのは簡単であったが、どうしても答えられない。
「……オレは」
風花の中で揺れ動く感情が言葉に変わろうとした時、
「~♪」
ヘタな鼻唄を鳴らしながら、トレイを持った空飛ぶイルカが上機嫌に登場した。
イルカは断りもせず、風花の左隣に『肉野菜炒め・ご飯スペシャル盛り』の乗ったトレイを置くと、両手…ではなく両ヒレを合わせ、箸を器用に動かしつつスペシャル盛りのご飯を勢いよく食べ始めた。
「……元気がいいですね」
潮は正面に座った、食べっぷりのいい空飛ぶイルカを見ながら呟いた。
風花は内心ホッとしながら、素早く話題を変えた。
「朝も見ただろうが、Qタローっていうんだ。オレ達のルームメイトでもある。見知りおいてくれ」
「私達の部屋は、とても人数が多くて賑やかですね」
「まあな。それよりも元気が出てきたなら、残さず喰え」
「う……はい」
潮は意を決して箸をとり、“G”は相変わらず何も言わず、静かに食事を再開する。
また無言の行が始まり、三人と一匹のテーブルには、Qタローがカチャカチャと忙しく食器を鳴らしながら食べる音だけが響いていた。
潮がようやく食べ終わり、風花は黙ってお茶を入れ替えてやると、“G”に向かっておもむろに呼びかけた。
「部屋に戻ったら話がある。大事な話だ」
「わかった」
「助かる」
“G”はいつもながら、くだくだしく聞いたりはしない。風花の事を信頼しているのであろう。
ポンポン。
風花の隣りで、忙しく食べていた空飛ぶイルカが風花の腕を叩いた。
「なんだ?」
「ギュキュ?」
Qタローは左手…ではなく左ヒレで、自分の顔を指差す…ではなくヒレ指す。
「…ああ、お前にも色々と働いてもらうぞ。いいか?」
「キュ!」
Qタローはポンと胸を叩くと、頼もしげに大きく頷いた。
「ぷっ」
潮は思わず噴き出し、おかげで場の雰囲気が一気に和らいだ。
「楽しそうね」
招かざる客、とまでは言わないが、今晩はあまり話したくない一人であるサクラ小隊長である姉小路山吹嬢がトレイを片手に寄ってきた。
風花がトレイに目を向けると、そこには見た目も涼しげなわらび餅が五皿乗っていた。
「私のお姉ちゃんからの差し入れ。甘いものを持ってきたから、これで仲間に入れて?」
と、返答を聞くよりも早くQタローの隣に座った。
「ギュキュー、ギュキュッ」
Qタローは葛餅を見て歓声を上げ、満腹のはずの潮の瞳にも隠しようのない喜びが浮かんでいた。まさに甘いものは別腹である。
「好きにしろ、って、もう座っているか」
呆れた調子で風花は返したが、山吹はどこ吹く風。
「うん、ありがとう!好きにするわ!」
山吹はいつもの調子でサラリと流すと、素早く黒蜜ときな粉がかかったわらび餅の乗った皿を配り始めた。
「このわらび餅は私の実家の飛騨から取り寄せたものよ。『いわきの早蕨』といって、安くてとっても美味しいの。いっつもお客さんが並んでるよ」
山吹の実家、「姉小路侯爵家」は飛騨一二〇万石の大大名である。
飛騨地方は、元々は十一万四千石の一地方であったが、飛騨地方を中心にして六県を姉小路家が支配する事となり、飛騨藩一二六万八九〇〇石が成立した。藩名が飛騨と呼ばれるのは、六県を結ぶ街道の交差点が飛騨高山にあたるためだ。姉小路家は飛騨高山を藩庁に定め、ここに桜濫屈指の三十万人都市が作られた。
「さっ、どうぞ、食べて食べて。ああ、そうそう、お茶を入れるね」
パッと急須に手をとると、山吹は立ち上がり、お湯を入れに行ってしまった。
風花たちが若干唖然としている中で、Qタローだけが口に入れたわらび餅を美味しそうにモグモグさせていた。
「私達も遠慮なく頂きませんか?」
潮は控えめに提案してきたが、特に風花にしても断る理由はない。
「そうだな。ありがたくお姫様の施しを受けるとしようか」
「なあに?その皮肉な言い方?」
早くも山吹はお湯を入れて戻ってきた。
「いーえ、別に。小隊長殿の気遣いに、素直な感謝の気持ちを述べたまでです」
風花はそんな悪たれ口を叩くが、山吹には通じないようだ。
「うふふ、褒めても今晩はわらび餅しか出ないわよ♪」
褒めてねーだろが、と思ったが、あまりに子供じみていたので、黙ってわらび餅を食べる事にした。
「……!」
一口食べて、驚いた。
「美味しいでしょ?」
驚く風花に、山吹がお茶を入れつつニッコリ笑いかけた。
「とっても柔らかいこの食感は、他のわらび餅にはないものよ。こんなにも美味しいのに、とっても安く気取らずに販売しているの。飛騨高山に来た時にはチェックを入れてね」
くやしいが、今まで食べたお菓子の中で二番目に美味いと思った。
「こんなに美味しいの、生まれて初めて食べました!」
「喜んでもらえて嬉しいわ」
山吹のふわっとした周りを包み込む笑顔が食卓に温かい空気を産み出し、会話が出来る雰囲気になった。
「ねぇ、風花くん」
「なんだ、わらび餅なら確かに美味いぞ」
「わかってるでしょ?」
「……何のことだ?」
「桜子ちゃんのことよ」
「…………」
またその話か、と思った。せっかく収まりかけていたのに、改めて一石が投じられた。
山吹は表情を締めて続ける。
「確かに桜子ちゃんの言動は独善的で硬直的、他の人の気持ちを汲んだものじゃあなかったわ」
みんなの手が止まる中、ズズッとQタローがお茶をすする音だけがテーブルを支配する。
風花は、美味しくわらび餅を食べて、熱いお茶で一息ついている空飛ぶイルカが羨ましくてしょうがない。
「でもね、それを止めきれなかった私達チーム全体にも責任は被さってくるわ。勿論、一番悪いのは、チームをまとめきれない無能な小隊長にあるわ。それでもあえて云わせて欲しいの。桜子ちゃんが悪い方向に進もうとしたら、それを全力で止めて欲しい」
果たして風花は激昂し、激しくテーブルに拳を叩きつけた。
「ふざけるな! アイツにそこまでしてやる義理がどこにある!? アイツはアイツで好きにやればいい! そうすりゃ、今日みたいにとっとと殺られて、部隊は健全化するだろうよ!」
怒鳴りつけられた山吹は動じる事もなく、静かに首を横に振った。
「部隊はより混乱するわ。そうなる前に、止めるべきは止めなければならない。私は今回の演習で、それがよく判ったわ」
「そりゃよかった。是非、次回からはブン殴ってでも止めてくれ」
「風花くん、貴方は本当に桜子ちゃんが死ねばいいと思っているの?」
風花は舌打ちをしたい思いをこらえて答える。
「当ぜ」
「嘘ね」
山吹は皆まで言わせず、言下に否定した。
「四ヶ月の間、私は貴方を見ていた。私だけでなく、せっちゃんもクレハもカエデもずっと見ていたわ。勿論、貴方の同室の“G”もね」
風花はとっさに反応しきれず、とりあえず話を聞く事にし、山吹は風花が聞く態勢に入ったと見て畳み掛ける。
「自分の事を平民以下だと卑下して周りと壁を作るのは、相手に気遣いをさせないため。小隊の危急時に命令違反の単独行動をとるのは、後の咎めを恐れず私達を守るため。そして、決して仲間を見捨てたりしない気持ちの表れ。私達は貴方が悪人ではなく、他人の気持ちを思い遣れる優しさを持った優秀な兵士だと思っているわ」
「………買い被りすぎだ」
山吹の真面目な顔が、ふわっとしたいつもの笑顔に戻った。
「少なくとも私はそうおもっている。この事実はかわらないし、でなければ“G”が貴方を認めたりはしない」
“G”は何も反応を見せなかったが、潮は人知れず頷いていた。
「風花くん、もし桜子ちゃんが自分から謝るようなら、彼女に何を言っても構わないから許してあげて欲しいの」
「ハッ、アイツが自分から殊勝な行動をとるのか?」
「多分だけど、桜子ちゃんは自分の正しさは捨ててなくても、今日の結果については責任を感じていると思うわ。でもね、貴方の言うように自分から謝れないのなら、見捨ててもいいと思う」
風花の認識だと、普段の仲良しこよしの山吹を見ていたので、突き放したような冷たいセリフは意外である。
「でも、自分で過ちを正そうとする人を頭から否定する事は間違っていると思うし、プライド高い貴方のするべきことじゃないわ」
勝手に人様の性格を決めるな、と思ったが、山吹の金色にキラキラ輝く眼を見ると何も言えなくなる。
「もし、今晩中に貴方を訪ねてくるようだったら、話だけは聞いてあげてね」
山吹はそこまで言うと、さっと立ち上がった。
「そうしろって、桜塚に言ったのか?」
「私は言っていないし、誰も言っていないと思うわ。クレハにも、この件については何もいわないでって口止めをしたし」
そういうと、食堂を見渡した。
「桜子ちゃんはまだシャワーを浴びているようね。まあ、風花くんたちがいると食堂に来づらいでしょうけど」
あえて考えないようにしていたが、未だに桜子は食堂に姿を見せない。一応、食堂は二一:〇〇(マルマル)までである。そろそろ限界だ。
「くだらない! 馬鹿馬鹿しい」
いうないなや、風花は勢いよく立ち上がった。
「“G”、潮、Qタロー、わらび餅は食べたろ? 部屋に帰るぞ」
「……」
「ハイ!」
「ギュキュ!」
各人トレイを持って立ち上がり、山吹を置いて早足で歩き去る。
トレイを返却口に戻す過程で、クレハと雪蘭が座るテーブルの横を通り、微笑みかけるクレハと手を振る雪蘭も無視して行く。
しかし、山吹は信じている。
風花は決して冷酷でもなければ薄情でもない。
思い遣る心があるから、食堂に入れない桜子のために、今こうして食堂から足早に去る。
口ではなんと言おうと、見捨てきれない優しさがある。
“G”もドライに見えて、その実、熱い魂を持っていると知っている。
今はバラバラでも、必ず一つにまとまり、天下無敵の最強チームになると確信している。
山吹は素直になれない仲間達の背中を、いつもの全開な笑顔で見送った。
■ 同日、二一:〇〇
王下親衛訓練学校兵舎E-0303室。
ここは昨日までは“G”と風花の二人部屋であった。
しかし、今晩からは“G”と風花とQタローと潮の三人と一匹部屋となった。
狭いし、ベッドが二つしかないので、必然的に誰かが床で寝ないといけない。取り敢えずは装備室から布団一式を持ってきたので、床であっても寝心地は保障された。まあ、軍人なので、そのまま床に眠る事も厭わないが。
「風花、私が床で寝ても構いませんが」
潮はしきりに申し出たが、風花は煩そうに手を横に振った。
「先任担当が決めたんだ。大人しくそれに従うのも兵士の務めだ」
「わかりました。ベッドを使わせていただきます」
「よろしい。“G”もそれで構わないな?」
“G”は黙って頷くと、シャツを脱いで上半身裸となった。
潮もそれに倣い、シャツを脱ぎ始めた。
「“G”、さっきオレが言った事を覚えているか?」
「大事な話って奴か?」
“G”は着替えの手を止めて、振り返った。
「その通りだ。お前の協力なくして遂行できない事だ」
「判った。話せ」
風花は頷くと、潮に目線を向けた。
「潮の事だが――-」
遡る事、二分前。
桜子は、風花たちがいなくなると食堂に入り、残り時間十分をきる中で『肉野菜炒め定食・ご飯特盛り』を最速で平らげた。
ずっと考え事をしていたので、味など全く判らなかった。
当然、今日の小隊別対抗戦についてである。
結果について深く反省もしていたし、悔いてもいた。風花の云う様に、これが実戦であれば桜濫親衛隊は無能だと、いいように嘲笑されていただろう。
今日の対抗戦で採るべきだった作戦については話し合う必要があるが、自分に過ちがあるならば率直に謝らなければならない。桜子は愚直なまでに思考が硬直した面を持ってはいるが、過ちを正す事に躊躇いを覚えるほど無能ではなかった。
決心したからには、早く行動に移す方がいい。そこまでは判ってはいたが、いざ行動に移すとなると、それなりに勇気が必要である。
風花のいる部屋は自分の部屋のすぐ隣りである。
一度、部屋で心を鎮めてから行こうか。
いや、今、すぐに行動に移さなければ。
でも、風花は許してくれるのだろうか。
そもそも、話しを聞いてくれるのだろうか。
グルグルと考えていたが、ついに桜子は意を決して、あまり深く考えず、行き当たりばったり体当たりでぶつかる事にした。
「風花! 入るぞ!」
部屋の外で宣言すると、桜子は勢いよくドアを開けた。
いきなりドアを開けられ、秘密の話しをしていた三人と一匹は驚き、風花は鍵をかけ忘れていた自分の迂闊さを責めた。
桜子が部屋に来る時は、いつもながら唐突であり、いい加減、相手の返答を聞く事を覚えろと言いたくなる。事実、言っているのであるが。今回の場合は、桜子が風花に話しかける事しか頭になかったためだが、それにしても成長がない。
しかし、驚いたのは中にいる三人と一匹だけではなかった。
「なぁっ!?」
ドアを開けて、部屋の中を見た桜子も、また驚いた。
「桜塚、貴様はいつになったら中の人間に許可を貰う事を覚えるんだ?」
風花の声には怒りがこもっていたが、どこか呆れている調子があり、潮からすると怒っているようには聞こえなかった。
「は、裸…」
呆然とした様子で桜子は呟く。
「早く扉を閉めろ」
桜子はあわてて部屋に入り、バタンと大きな音をたててドアを閉め、鍵をかけた。
「…たく、見てしまったならしょうがない。こうなったからには桜塚にも協力してもらうぞ」
「は、裸だ」
まだ呆然としたまま見詰め続け、徐々にプルプルと体が震えだしていた。
「その通りだ。見ての通り、潮は…」
少し困った様子で、風花は核心を口にしようとしたが、瑣末な事であっさりと無視された。
「ちょ、ちょっと、なんで“G”が服着てないんですか! ていうか、早く着てください! それでも淑女ですか!」
桜子は動揺して、口調が少女のものに戻っている。
桜子の眼には潮の姿が全く映らず、ただただ“G”の見事な巨乳に釘付けであったのだ。
「どうでもいいだろ、そんなこと」
何をつまらない事をいっているのだと、“G”は素っ気無くもバッサリ切り捨てた。
“G”のフルネームは「レティシア・“G”・ストレリチア」という名の女性である。
三年前に予科に入学した当初はファーストネームの「レティシア」で呼ばれる事もあったが、現在は“G”で通っているので、誰も呼ばなくなった。
「どうでもよくありません! 目の前に殿方がいるのに、む、胸を晒すなんて眼の毒です! はしたなさすぎます!」
「そうか?眼の保養になると思っていたが」
“G”がわずかに首をかしげると、そのわずかな動作で巨乳が揺れる。巨乳が揺れるたびに、桜子の頬が瞳の色に近づいてくる。いや、それ以上に赤くなってきた。
「とにかく、隠すなり着るなりしてください! すぐに!」
噛みつく勢いで叫ぶも“G”への威嚇としては弱すぎたが、話が前に進まないのでシャツを着る事にした。
よせばいいのに、風花が含み笑いをしながら、茶々をいれてきた。
「桜塚、せっかくだから“G”の胸をみて眼福しろよ。お前にはないものだろ?」
それは完全無欠の事実である。桜子の体型はスレンダー型であり、女性としては珍しく武人として均整のとれた理想的なものである。しかし、それはあくまで武人としてであり、女性としての魅力とは別物であると云えなくもない。
桜子の胸のサイズは『Aカップ』であり、十年後も二十年後も、もっと先の時代でも変化はなかった。
遥か後年であるが、桜子も婿を娶ることになるが、その夫の遺した有名な言葉が後世に伝わっている。
曰く、「まな板に干し葡萄。挟むどころか、掴む事すら適わない」と、桜子の容姿(というかバスト)を極めて率直に、しかも判り易く伝えることとなった。
ちなみにこの後、桜子の夫は大変な目にあわされる事になるが、このシナリオには全く関係はない。
しかし、桜子にとってはコンプレックスであり、過剰な反応を引き起こす事は未来も現在も変わりなかった。
「な、な、な、下賤だぞ、風花!」
頬といわず顔から首元まで真っ赤にして怒鳴る桜子に、風花と“G”は呆れたように互いに見交わす。その二人を見て、桜子は理由の知れない怒りを自覚した。
「なあ、桜塚」
「なんだ!」
「落ち着けって」
「私は落ち着いている! お前達がおかしいんだ!」
唾を飛ばしながら桜子は怒鳴るが、一方の風花は、桜子が何故こんなにも動揺して怒っているのか理解不能であった。
もし風花が桜子の夫や恋人であれば、不倫の現行犯と決めつけられて、叩っ斬られても致し方ないだろう。しかし、桜子は当面の同僚でしかなく、“G”に対しても不埒を働いたこともない。
とりあえず、風花は軍人としての常識を口にしてみた。
「何を怒っているか知らないが、戦場では風呂もトイレも一緒だし、特に同衾なんて当たり前だ。それとも、お前達お姫様方は風呂もトイレも寝床も、全部違うのか?」
そういわれて、グッと詰まる桜子。
無論、桜子もそのくらいの事実は知っている。とはいえ、年頃の少女は知ってはいても、理解に到達できるレベルには達していなかった。
「い、いや、しかしだな、気をつけるべきことは、気をつけて……ええっと」
「もういい。それより許可もなく、なんでオレ達の部屋に来てるんだ?」
いきなり核心を突く質問に、桜子は再び詰まってしまった。
「それなんだが…・・」
桜子はいつものような歯切れのよさを発揮できずにいたが、グッと腹に力を込めて、真っ直ぐ風花に顔を向けた。
「風花! と“G”」
「なんだよ」
桜子は緊張しているようだ。
それは別にして、オマケみたいに呼ばれた“G”は眉をしかめた。
「昼間の小隊別対抗戦では悪かった! 敗れたのは私のせいだ! 許してくれ」
思いのほかスパッと謝り、スッと頭を下げる桜子に、風花と“G”はやや見直す思いである。
「何を悪いと思っているかは判らないが、もう頭を下げなくていい」
風花も別段謝って欲しいわけではなかったので、あっさりと許した。
桜子は頭を上げつつ、
「戦闘は綺麗事ではない。時として卑劣な手段も厭わず、悪評に屈しない強い心を持たなかった私が部隊を全滅させてしまった」
「……なんでお前は、そう上から目線なんだ。改めて喧嘩を売ってるようにしか聞こえんぞ」
「風花、私の能力に疑問を持つのは仕方のないことだ」
「まあな」
嘘を云わない風花は全面的に肯定し、“G”と潮と、おまけに見てもいないはずのQタローまで頷いたため、桜子は凹んだ。
「……それでも信じて欲しいのは、私は仲間が死んで、それをよしとするような殺人者じゃないってことを、わかって欲しい」
「そんなこと…」
「えっ?」
「なんでもない。もうそれ以上は言わなくていい。ただ、お前のミスは名前も知らない誰かの命を必ず奪う。それだけは、忘れてくれるな」
桜子は、許してもらえた喜びに綻びそうになる顔を引き締めつつ、力強く頷いた。
「ああ! 私は、もう絶対に忘れない!」
それを聞いて、風花の表情も僅かにだが和らぐ。
勿論、最初から風花には判っている。
自分とは違い、桜塚桜子という少女が人殺しではない、ということを。
「……で、大切な話とはなんだ?」
シャツを着た“G”が、待ちくたびれた様子で本題に戻した。
「悪い、話が途中でそれた。改めて聞いて欲しい。桜塚もだ」
そういうと、風花は潮へ目を向け、他も注目する。
「桜塚はちゃんと見たかはわからないが、実は潮は男ではなく、女だ」
「何?」
桜子は耳を疑った。突然、何を言い出すのだろうと思ったが、風花の顔は真剣そのものだ。そもそも彼は嘘を吐かない。
「潮っていうのも、本名じゃない。というか、本人でないのだから当たり前か」
桜子は、“G”も少しだが、その告白に驚愕した。
目の前にいる少年が、いや少女が『時詠潮』でないのなら、この少女は一体だれだというのだ? そもそも、本物の『時詠潮』はどうしたのだと思う。
その疑問は、あっさり風花が喋ってくれた。
「この子は影武者で、双子の妹だ。本物がどこにいるかは知らない。潮も…ああ、オレも本名を知らないから潮と呼ぶが、潮も兄には会った事もないらしい」
「はい、私は生まれてからすぐに城を出されたので、兄の事は存じません。『今回の事件』で混乱している最中に入れ替わりました」
潮は淡々と事実だけを述べていたが、聞いていた桜子は腑に落ちないこと甚だしい。
「よくわからないけど、何故、妹の貴方が出てきたのですか?」
「それは時詠家の跡取りである兄を守るためです。兄はとても聡明と伺いました。父亡き今、倒れかけている時詠家を再興するために、十年後の兄の力が必要なのです。しかし事件の責任をとるために、現当主が死ななければ多くの命と財産が危険に晒されます。兄が死ねない立場なら、私が替わりに死んでみせます」
年下の少女に、改めて「死んでみせます」といわれれば、心に重くのしかかる。
桜子は軍人を志した時点で、死に対する覚悟は決めているつもりだが、自分の半分も生きていない少女の覚悟は辛い。
「桜塚、潮を憐れむのは仕方の無い事だが、潮も一個の漢だ。その選択は尊重しろ」
桜子は、まるで自分の心を読んだかのように言われたので、内心ドキリとした。
「わ、わかっている。憐れんでなどいない」
桜子は憐れんでなどいない。ただ、その覚悟を聞いて動揺しただけだ。
「続けるぞ。潮のことをお前達に伝えたのは、六日間と短い期間であるが、正体を隠さなければならない潮のフォローを頼みたいからだ。はじめに事情を知っていれば、お前達も変に勘繰ることもなく、機転を利かせてくれると思ったからだ」
内容はよくわかったが、気になったのは風花のいつにない殊勝な言動である。
桜子の印象でいうと、普段であれば「オレには関係ない」の一言で済ませる身勝手な男というイメージが先行している。しかし今の言葉を聞く限り、深く潮の事を考えているようだ。
「まかせろ! 今度こそ、期待に応えてみせる!」
桜子の中で、風花の評価を少しだが上方修正し、それとは別に幼い少女の覚悟に全力で付き合うことを誓った。
また、共に聞いていた“G”も気持ちを同じくしていた。
「風花、それに潮、俺も小さいながら領土と領民を持つ身だ。自分の土地で生きる者達を思う気持ちも、そのために命を懸ける気持ちは良く解る。遠慮なく頼ってくれ」
“G”がこれだけしゃべるのは珍しい。それだけに、その言葉には真に心がこもっていた。
風花と潮は目を見交わし、潮は深く頭を下げた。
「桜塚さん、“G”も、ありがとうございます」
「私の事も、桜子って、呼んでください」
「…ありがとう、桜子」
「ギュキュ!」
忘れるな、といわんばかりに、Qタローもポンポンと潮の肩を叩く。
「Qタローにも頼ります。よろしくお願いします」
「ギュキュー!」
器用にも両腕の替わりに両ヒレで力こぶを表現するQタローに、風花と“G”は微笑し、桜子と潮の笑い声が漣の様に連なり、
「キュー」
そこにもう一匹、嬉しげな声が加わった。
■ 同日、二三:〇〇
話が終わって、およそ一時間後の王下親衛訓練学校兵舎E-0303室。
それぞれの寝床で、三人と一匹は眠りにつく。
初めての訓練で心身ともに限界だった潮は、ベッドに横になった途端に眠りについた。
“G”も必要に応じてすぐに眠り、すぐに起きるスキルを持っている。部屋の中心にある行灯以外の灯りを消すと、すぐに眠りについた。
Qタローは背中にタオルを掛けると、宙にフワフワ浮いたまま眠りについた。せわしない事に浮いている間も右に左にゆっくりと動いていて、壁にポコンと当たるたびに、ビリヤードのように方向を変えて浮き続けていた。
一人、眠らずにいるのが風花である。
風花も、寝付きの良さは人後に落ちない。
ただ眠らないのは、やはり潮の境遇が気になっていたからである。
風花の頭上で、Qタローはポコンと壁に当たり、再び跳ね返り、潮の頭上を越え、奥の窓際で寝る“G”の直上に差し掛かる。
潮の願い。
その願いを聞いたからこそ、「あの人」を斬ったのである。
悔いなどない。
そこまで思考が辿り着くと、急速に眠気が襲ってきた。
全てはまた明日。
Qタローが窓際の壁にぶつかり、再び跳ね返る。
今日も色々あった。
昨日とも今日とも違う、明日が作る新しい混沌に備えて、目を閉じる。
Qタローが風花の頭上を越えた時には、すでに風花は深い眠りについていた。
こうして、少年少女の初日が終わりを告げた。




