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因果邂逅のタタリクス  作者: 紅月蓮也
第一章「向こう岸より来たりて」
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第四話「七日間の君(きみ)」

 ■二日目、八月一日、〇七:四〇



 明けて八月一日。

 ここは桜濫幕府首都「(りん)(きょう)」南西部に位置する、王下親衛訓練学校兵舎E-0302室。

 自室で鏡を見て訓練着の確認をする、桜子の顔色は冴えなかった。

 訓練着には問題ない。いつもどおり、ピッチリ綺麗に着込んでいる。

 問題があるとすれば、桜色の瞳の目元に出来た隈と、その主たる原因たる今朝の夢見の悪さであろう。

 窓際のベッドに眼を向けると、同室であり第五中隊第二小隊、通称「ムーン小隊」所属の漆原(うるしばら)良子(よしこ)はまだ寝ている。彼女は時間ぴったりに行動するので、あと十五分もすれば、目覚まし時計に頼ることなく目を覚ますだろう。

 別に音を立てても、良子は時間まではキッチリ眠っていてくれるのだが、そこはマナーとして、桜子は音を立てずにそっと部屋を出た。

 真夏ではあるが、早朝の宿舎は人通りもなく静かで涼しい。

 桜子の朝はいつも早い。特に夏は早い。せめて夏だけは涼しいうちに起きて、道場で居合いの練習をするか、お堂で禅を組む。ただし、今日はいつもより三十分も部屋を出るのが遅かった。

 良子ほどではないが、桜子も目覚めはいい方である。目覚まし時計はセットしてあるが、一度として目覚まし時計より遅く起きた事はない。


 しかし、今朝はそうもいかなかった。

 昨日、聞いたような気がする爆発音が夢で再現され、ハッと目を覚ましたのだ。

 目を覚ました後、しばらく半身を起こしたままで、身動きが取れなかった。

 その姿勢のまま、昨日の夕方に見た事を思い出そうとしたが、記憶が混乱しているのか、はっきりと思い出せない。結局、ぼんやりと三十分近くも過ごしてしまい、あわててベッドから降りたものの、いつになく遅い動作で訓練着に着替えたのである。


 廊下を歩く足取りも重く、桜子自慢の長い黒髪も重たげに揺れているようだ。

 桜子の髪は腰に届くほど長く、クセっ毛が全くないストレートヘアーである。この日もいつものように頭の後ろで髪を結び、自然に垂らしている。今日の髪を結んでいる白い絹の紐は、この前の三月一日に、桜子の誕生日祝いとして、サクラ小隊のみんなからプレゼントされたものである。

 プレゼントを受け取った前日は、予科卒業考課試験合格を申し渡された。

 当時はまだ風花が入隊する以前であり、彼が入隊する前に除隊した菊池理亜を含むサクラ小隊六人は飛び跳ねるように喜んだ。

 ちなみに、若干一名は飛び跳ねはしなかったが、珍しく嬉しそうであった。

 次の日の桜子の誕生日は、その喜びに花を添えるものであり、ささやかではあったが、三月一日のお祝いの席は大いに盛り上がったものである。

 プレゼントはその席上で渡され、しきりに恐縮する桜子に押し付けるようにして渡された。

 桜子にとって、十五才になった三月一日の誕生日は、人生でも最も楽しい一日になった。


 その日の事を思い出すと、胸のもやもやも少しは晴れてくる。

 今朝は居合いを抜く気がしなかったし、落ち着いて考えたかったので、宿舎の北側にあるお堂で禅を組む事にした。

 扉に手をかけ、力を込めて押すと、扉は重たげな音を響かせつつ開く。

 お堂の中は薄暗く、またどこか埃くさい。

 しかし、とても重厚で落ち着いた雰囲気である。

 お堂の奥には、この世界の七柱の神が一柱『(てん)(けん)戦神(せんしん)星剣(じょうけん)』の神像が祭られている。

 この闘争と気高さを司る戦神の下は、一人で考え事をするのにうってつけである。

 桜子はひとしきり戦神を見上げていたが、おもむろに座禅を組み、看話(かんわ)(ぜん)を始めた。

 看話禅とは、平たく言うと禅を組み、ひたすら一つの公案(お題)に思考を深めることである。

 呼吸を整え、精神を鎮め、ただひたすらに昨日の出来事を一つ一つ思い返す。

 みんなと歩いた、あの街の雑踏を。

 真夏の照りつける日差しの強さを。

 綺麗に色分けされた、蒼と紅の空を。

 空の狭間を横切る、空飛ぶイルカを。

 そして、そして夢で起こされた爆発を。


 ……そうだ。私は見た。丘の上にたくさんの死体と、二人の男が戦うのを。

 アイツが、「真夏屋風花」があそこに見たハズだ。

 しかし、その時の記憶がどうしてもあやふやで、はっきりとしない。

 何故はっきりしないかというと、丘の上には死体など一体も無かったからである。

 それだけではない。一緒に見た筈の他の三人も丘の上では「何も見ていない」と口を揃えたのである。


 改めて昨日の事を、一つ一つ思い出す。

 桜子は丘の上で混乱し、仲間達が心配するほど取り乱した。

 桜子の記憶では、空飛ぶイルカを見て、途中の帰り道で丘へ続く左の道を進み、丘の上に行くと沢山の死体と、風花と大男の戦闘。風花が敗れて、その後に相手を道連れに自爆した。

 しかし、現実にはそこには何も無く、誰もいなかった。

 自分を心配する山吹達に示せる証拠を探そうと、地面を一生懸命見たが、血の一滴も落ちていなかった。

 おかしかった。

 全てがおかしい。

 自分は幻覚をみたのだろうか?

 しかし、それなら他の三人だって見ているハズだ。にもかかわらず、自分だけしか見ていない。それも幻覚とは思えないほどにリアルだった。

 夕空を横切る空飛ぶイルカも見てないという。


 ……空を飛ぶ?


 いや、イルカは空は飛ばないから、イルカの記憶こそ幻覚の証拠であるともいえる。

 いや、きっとそうなのだろう。

 桜子はようやく自分の中で結論付けると、急激に空腹を覚えた。

 思えば、昨日は夕飯を食べたのに、その献立を思い出せない。

 思い出せないということは、食べてないに等しい。

 桜子は禅を解き、心持ち軽くなった足取りで食堂に向かった。


「桜子ちゃん、おはよー」

 間延びしたような可愛らしい声で呼ぶのは、桜子の所属するサクラ小隊長・姉小路山吹である。

「おはようございます、山吹様。そして、姉小路少佐」

 桜子は礼儀正しく足元を揃え、きっちり右手四十五度の角度で敬礼をする。

「おはよう、桜塚訓練兵」

 サッと敬礼を返したのは、山吹の姉である姉小路吹雪。階級は少佐であり、桜子達の担当教官である美堂軍曹の同期である。

「桜塚、礼儀正しいのはいいが、それも時と場合による。正規軍に入った私も、公式の場でなければ、お前ほど畏まる事もないよ」

「ハッ! しかし、私は訓練を受ける身であり、無位無官の身です。すでに実戦で軍功をあげられた方に無礼な真似はいたしかねます!」

 直立不動で答える桜子に、吹雪と山吹の姉妹は顔を見合わせて溜息をついた。

「ねえ、桜子ちゃん。せっかくお姉ちゃんが、実家から送られてきた絶品のお菓子を理由に私の顔を見に来てくれたのよ。そんな公私混同する不良軍人に、丁寧に振舞う事ないって」

 山吹は金色の瞳でウィンクしてみせると、不良軍人よばわりされた姉は拳で小突く真似する。

「山吹、貴方はも~少し、軍人らしい態度を身に付けなさい」

「はぁ~い」

 山吹は気のない返事を姉に返すと、姉妹揃ってクスクス笑い出した。

 桜子も頑なな態度から固さが抜けて、つられて笑い出す。

「そうそう、桜子ちゃんはせっかく綺麗な桜色の目をしているんだから、それを活かしきらなきゃ、遺伝子を下さったご両親やご先祖様たちに申し訳がたたないよ」

「山吹様、私の瞳など、山吹様の金色の瞳に比べれば物の数ではありませんよ」

「同年代で、様をつけるの禁止~」

 姉小路山吹が身に纏う癒しの雰囲気は、桜子の気分を完全に入れ替えてくれた。



 食堂は常に大混雑を極める。

 にもかかわらず、この食堂には誰も座らない、いわば真空地帯ともいえるテーブルがある。

 そこは、窓際奥の六人掛けテーブル。

 桜子は無意識にそのテーブルに目を向けようとすると、一人の男に呼び止められた。


「桜塚、またあの男の所か? やめとけよ、お前の貫目が落ちるぜ」

 ぶしつけにも耳障りな事を言ってくる男の名は『唐綿からわた市松いちまつ』。

 そして、その前に座っている男は、取巻きの『蝶野ちょうの南水なんすい』である。

 二人とも第五中隊第一小隊、通称「スノウ小隊」に所属している。

「席なら今空けるから、そこに座れよ。南水、どっかに行け」


 桜子から見て、傲慢かつ自分本位な嫌な男である。

 今も一緒に食べていた取巻きの南水を、犬でも追っ払うかのように扱う。南水は南水で黙ってトレイを持って立ち上がった。この男は普段から寡黙で何を考えているかわからないが、何故か市松にくっついている。


「唐綿様、それに蝶野、私は食べている人間を席から立たせる事は嫌いです。どうぞ、私にお構いなく」

 せっかく鬱な気分を山吹が癒してくれたのに、この男のお陰でまた悪くなってきた。

「そういうなよ。見てみろ、誰もアイツらのところに寄りつきもしなければ、話しかけもしない」

 そもそも、窓際一番奥のテーブルが誰も座らなくなったのも、この男が風花の訓練校初日に食堂で絡み、一撃でのされたのが始まりである。

「拳一つで昏倒させるほどの男に、進んで喧嘩を売る人間もそうはいないと思いますが?」

 桜子は最大限の優しさを込めていったつもりであるが、傍で聞いている者達からすれば慇懃無礼のお手本であった。果たして、唐綿は舌打ちする。

「わからねぇな。アイツは平民以下の下民だぜ。あんなのが何でここにいるんだか。桜塚もアイツと同じチームで胸くそ悪いだろ?」

 確かに悪い、目の前の男と口を利くことだが。だから桜子のセリフも自ずと定まる。

「おっしゃるとおりです。ならばこそ、そういった場から距離を取るのが正解かと存じます」

 桜子は会釈一回分を惜しみつつ、呼び止められる隙を与えずサッと立ち去った。

「ふん、あの女も顔に似合わずイロモノ喰いだな」

 見送る唐綿は聞こえよがしに言い捨て、目の前に座る蝶野は変わらず沈黙を守っていた。


 イロモノ喰い扱いをされた少女が、『いつもの場所』に座る風花と“G”を見た。


 驚愕した。


 基本的に風花には誰も近づかないので、“G”と二人だけで朝食を共にするのはいつもの事である。

 そんな風花の左隣に座っているのがいて、一緒に食事をしている事に…………

 ……ではなく、その隣に座っているのが人ではなくて、鮮やかな群青色の背中をしたイルカであり、凄まじい勢いでご飯を掻きこんでいることに驚愕した。

 しかも、その蒼いイルカには見覚えがある。

 遠目でハッキリと姿を覚えていないが、陸の上にイルカなんてそうそういる訳が無い。


「風花! その隣りのコは…」

 桜子の視線の先にいるイルカは、自分達と同じ鯵の開き定食を猛スピードで食べている。

 その姿は、あたかも欠食児童が三日ぶりに食事にありつけたかのようだ。

 口元には大量にご飯粒をつけ、味噌汁をアチアチしながら飲み、二本の箸で鯵の開きを器用に毟っては口に放り込む。

 不思議だった。

 全てが不思議だった。

 桜子はイルカの生態に詳しいわけではないが、そもそもイルカとは陸で生活できる生き物だっただろうか、という当然の疑問にぶつかる。彼女の知識では、海に生息する哺乳だったと思うが。

 いや、それよりも指のない手・・・ではなく、ヒレでどうやって箸を動かしているのだろうか?

 そもそも、何故だれもイルカに注目しないのだろうか?

 普通に考えれば、イルカが目の前で納豆を掻き回していれば、大騒ぎになると思う。

 しかし、周囲の人も、通りかかる人も、そして風花と“G”も、さも当然のようにイルカを受け入れているようだ。


「何を驚いているんだ?」

 不思議そうにする風花に、動揺する桜子。「私がおかしいのか?」と一瞬考え、周囲を見渡すが、誰も気にしていない。少なくとも風花と朝食を共にしている“G”と、もう一人(・・・・)は気にしていないようだ。

 ここまできて、漸く桜子の認識が、風花と朝食に相伴するもう一人(・・・・)に気がついた。


「え、え、このコは?いえ、始めからいましたか?」

「初対面でいきなり失礼な奴だな。始めから一緒にいたぞ。食べっぷりは悪いけどな」

『このコ』とは、風花から見て左前、ズズッと味噌汁をすする“G”の右隣で、山盛りのご飯と格闘をしている子供の事である。

「しょうがありません。この量は多すぎです。こんなに食べたら訓練中に戻します」

 見た目で六才くらいの子供が風花に応えると、視線を桜子に向ける。

「はじめまして」

 ニッコリ笑い挨拶をしてきた子供に、桜子はちょっと気の抜けた声で「はじめまして」と反射的に返答をする。しかし、次の自己紹介で桜子の精神が屹立するかのように緊張が走る。


「私は時詠潮。長鳴藩の太守を仰せつかっております」


 少年は茶碗を置き、膝に手を乗せて軽く頭を下げる。


 長鳴藩。そこは今年一月に反乱未遂を起こし、幕府によって鎮圧された藩である。

 その藩主は責をとり、七日後の八月八日に切腹が決定したと、桜濫中のニュースを賑わせている渦中の人であった。

「わずか七日間ですが、ご指導の程、よろしくお願いいたします」


 爽やかに挨拶をする少年藩主を見つめながら、風花は思い出す。

 三日前に、初めて逢った時詠潮が、真夏屋風花に告げた願い。



「私を、長鳴藩に生きる全ての人のために、無事に死なせてください」



 長鳴藩は反乱未遂の罪を問われ、改易(取潰し)処分になるともっぱらの噂である。

 そうなれば、長鳴藩で生きる百万人の人々の生活基盤が根底から崩れる事になる。

 長鳴藩の藩主である時詠家は、家来とその家族、そして土地に生きる全ての民衆が、次の藩主の下で変わらず就職し、変わらずその土地で生活できる事を望み、山吹の実家である飛騨百万石の姉小路家を通じて切腹の願いを幕府に嘆願した。


 切腹は武士の自己主張であり、詫びの形式でもある。

 自ら死んで見せることにより、命を使って申し開きを行うのだ。

 嘆願の結果、桜濫幕府は切腹を許可し、長鳴藩への処分留保のまま、姉小路家上屋敷にて八月八日に切腹と決定した。

 それにしても、桜子が驚いたのが、長鳴藩の藩主が子供であったことである。

 知らないのも無理はない。前藩主は心労から病を発し、つい一週間前に身罷ったばかりであった。


 もっとも、風花にとってはそんな事情は関係ない。

 関係があるのは、時詠潮についてのみだ。

 時詠潮が自分に告げた言葉。

 長鳴藩六十万人の生活と財産の重みから発した切実な願い。

 その重さに耐える時詠潮に、自分如きがそばにいていいのだろうか?

 明確な答えなどなく、視線を頭と骨だけとなった鯵の開きに落す。




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