第三話「“G”」
■始まりの日、七月三十一日、一八:三〇
門限が差し迫り、地面を舐めるようにして見詰める桜子を、山吹達は半ば無理矢理手を引き、駆け足で丘を下った。
桜子は浮かない顔で走っていたが、途中で決心をすると、全速で訓練校に走り出した。
全力疾走すること二十分。
肩といわず全身で息をしつつ門限五分前にすべりこむと、目的の人物の部屋へ向かった。
途中で同じ第五中隊所属メンバーとすれ違い、彼女達は挨拶しようと手を上げかけたが、桜子のあまりの形相に驚いて思わず道を開けてしまった。
桜子の行き先が「いつものカレ」の方向であり、この凄まじい形相から、いつもの喧嘩がまたはじまるのかと、予想を超えた確信を抱いたものである。
桜子が部屋の前に走り着くと、その勢いのままドアを破壊するのかと思われるほどの力で叩き始めた。
「風花!いるか!? いたら開けろ! というか開けるぞ!」
一方的に通告すると、ドアをガチャリと開けた。
誰にとって幸いだったか、ドアには鍵がかかっていなかった。鍵がかかっていたのなら、間違いなくドアの取っ手は破壊されていただろう。
「風花!」
桜子が部屋に踏み込むと、広くも無い二人部屋の中には、ベッドに横になりながらホビージャポン刊行の刀剣雑誌『月刊ホビーじゃ剣』を読んでいる一人しかいなかった。
「“G”! 風花はいませんか!?」
いきなりドアをけたたましく叩いた上に勝手に開けて、あまつさえ踏み込んでくる桜子に対し、風花のルームメイトである“G”は当然ながら友好的ではいられない。
「オレが知るか」
視線だけ向けてぶっきらぼうな返事をし、再び雑誌に目を向けた。
もっとも頭に血が上っている桜子は“G”の心情を斟酌する事も無く畳み掛けた。
「最後に見たのはいつです!? 至急で探しているのですけど!」
あまりに上から目線な桜子に、辛抱強い“G”もさすがに腹を立てた。
雑誌を持ったまま半身を起こすと、元々の低い声を、さらに低い声で桜子に言い返す。
「悪いが、あの男の世話をしているわけではないので知らないな。桜色のお姫様も年頃で男の股ぐらを追いかけたくなるのは判るが、その都合をこちらに押し付けないでくれないか」
「なっ!?」
品のない言い回しに、潔癖な桜子は羞恥で顔が真っ赤になる。
「桜色のお姫様があの男にご執心なのは、みんな知っているさ。そんなに大きな声で、改めて誇示しなくてもいいだろ?」
内容の下品さもさることながら、それ以上に謂われ無き事実を言われて、黙っているほど桜子の堪忍袋の緒は長くない。
「“G”! 聞き捨てなりません。事実無根な事を口走るようであるなら、私は名誉を懸けて立合います」
「……上等だ」
まさに売り言葉に買い言葉であろう。普段の“G”であれば無視したであろうが、休憩中にいきなり部屋に入ってきて、訳のわからないことで怒鳴る桜子には心底頭にきたようだ。
“G”はベッドから降りると、桜子と睨みあう。
そもそもこの二人は三年四ヶ月もの間、同じ小隊で訓練していたが、仲が良いとは言い難い。
“G”は北方大陸から留学してきた、『ストレリチア家』の次期当主である。
十年ほど前までは、東方大陸北方部割拠する桜濫幕府と北方大陸(正確には北方大陸九十カ国による大連合体『ガネシス』だが、東方大陸では便宜上「北方大陸」と呼称する)は、慢性的な戦争状態にあった。しかし、現在の第九代目桜濫幕府征騎大将軍に代替わりした際に北方大陸と講和し、以来、積極的に修好を結んでいて、“G”の留学もその一環である。
北方大陸は強兵を産み出す事で知られ、特に強力な身体能力を持つ者が稀に登場する事でも有名である。
それは、二百年前の北方界廊開通に伴い、北方大陸を壊滅状態に追い込まれた中で齎された『新たなる混沌』。
常人に比べて、より強く、より頑丈で、より若さを保てる存在。
その名も“グルファー”。
「より高みにある者」を意味する。
北方大陸で生まれた者であれば、五千人に一人の確率で登場し、“G”はその恩恵を受けた稀少な一人である。
“G”は金色の髪を短く切っており、後頭部は刈り上げている。
身長はすでに一七〇センチを超えている上に、碧色の瞳は東方人には神秘的であり、顔立ちも整っているので、外見だけならば人気も高い。
しかし、一匹狼な性格であり、協調性に乏しいので孤立している。
今回のように、“G”が桜子のような負けん気の強い訓練兵と睨み合う事は珍しくない。
しかし、今日の一触即発の雰囲気は、あずかり知らぬところで事の発端となった人物により一旦鎮められた。
「桜塚、お前、人の部屋の中で何してるんだ?」
シャワーを浴びていたのか、頭にタオルをかけた真夏屋風花が、水筒を片手に登場した。
「“G”もどうした? 怒っているのか? それに周りのお前らも何か用か?」
騒ぎを聞きつけたのだろう。風花と“G”の部屋の前には、いつの間にか人だかりが出来ていた。風花は人だかりに視線だけで道を開けさせ、自分の部屋の前に立つ。
“G”はフンと鼻を鳴らすと、
「さっきから、そこのお姫様はお前をご所望だ。いつものように、どっかで乳繰り合うがいい」
くるりと背を向けベッドに横になり、再び『月刊ホビーじゃ剣』を開いた。
「“G”! 私を無視しないでください!」
桜子は吼えるものの、もはや“G”には取り合う気はない。
パラリとページをめくる音だけが、桜子に対する返事であった。
ニキビ一つないきめ細かい肌をした額に、桜子はビキッと青筋を立てる。
どれだけ桜子がわめこうと“G”が答えないのなら、必然的にお鉢は風花に回ってくることになる。
「で、なんだ? 人様の部屋で」
風花は溜息をつき、いかにもヤレヤレと云わんばかりの、投げやりな調子で問いただした。
「そうだ、私は貴様に用があってきたのだ!」
桜子はいつもの如く居丈高な物言いに、早くも風花の『話を聞く気ゲージ』が激減する。
「風花、貴様は先程、界廊が見える丘公園にいたな!」
「いきなりナンの話しだ?」
「ふざけるな! 二十分程前だが、私は確かに見た! お前が決闘しているのを!」
「本当に何を話しているんだ? お前の言いがかりは今に始まったことじゃあないが、今回の言いがかりは、いつも以上に言っている事が判らないんだが」
「とぼけるな!」
「なあ、桜塚。オレはたった今までシャワーを浴びていたんだ。ここから丘まで馬を使っても軽く十分は掛かる。言っとくけど、オレは余裕で十五分位前から風呂場にいたぞ」
風花はまだ乾ききっていないボサボサの髪をそのままに、手にした水筒をあおった。
「嘘だ!」
桜子は少し怯んだが、全く信じていないようだ。
風花は大分イラついていたが、自分の言葉では効果が無いので、事実を述べてくれそうなルームメイトに応援を頼むことにした。
「“G”、お前の記憶にある範囲で説明してくれ」
かなり気分を害してベッドに寝っ転がる“G”に頼むのは気が引けたが、“G”は勿体付ける事も無く即答してくれた。背中を向けたままではあったが。
「風花は十五分ほど前に、部屋から風呂場に向かった。間違いない」
風花はそれ見ろ、と桜子を睨む。
“G”が嘘を言わないのは、桜子も認めている。
しかし、自分は確かに見たのだ。
「わ、私は、貴様があの大きい男と決闘して、敗れて腕を切り落とされて…」
「はぁ? 腕ならここにあるだろ?」
風花は左手で持った水筒で右肩をトントン叩いて見せる。
「う…でも私達は、お前が」
「私達って?」
風花が聞き返したタイミングで、ようやく一緒に街へ繰り出していた三人が、息も絶え絶えに帰ってきた。
「桜子ちゃん、どうしたの一体!? いきなり走り出したからビックリしたよ」
姉小路山吹は両膝に両手をつくようにして、必死に呼吸を整えている。
体力が多少劣る龍居クレハは、門限ギリギリに門を突破すると力尽き、香上雪蘭に背負われて宿舎に帰ってきた。
「お前達、今日は一緒だったのか。いや、それより大丈夫か?クレハの奴」
「……、ぃじょうぶです」
「あそ。で、さっきからこのお姫様に絡まれているんだが、お前らもオレが誰かに腕を斬られたとこでも見たのか?」
「いえ」「全く」「…見ていません」
山吹・雪蘭・クレハの三人は、横に首を振るだけである。
「…………………」
その場にいる全員の視線が、一斉に桜子に集中する。
ぐぅの音も出ない桜子に、全くもって理不尽な容疑者にされた真夏屋風花氏は、極力感情を交えずに淡々と口を開いた。
「桜塚、お前が何を見たかも知らないし、何に怒っているかも判らないが、一方的な言いがかりはやめてくれ。そもそも、お前はオレの意見をはじめから聞く気がないのだから、議論を吹っ掛ける事に意味なんかない。自分一人で完結しているんだからな」
「………」
桜子の桜色の瞳が炎の如く揺らいでいるかのように、怒りを湛えている。
それでも反論しないのは、多少でも自覚があるからである。
しかし、次の言葉が再び桜子の感情の扉を全開にすることになった。
「ま、お姫様からすれば、生まれすら知らない平民以下の野良犬風情が、同じ小隊にいる事が大いに不満だろう。その気持ちだけ(’’)はよく判るさ。安心しな。士官すればオレはすぐに最前線で即死するのがオチだろう。その時は指差して、お仲間達と笑い転げるといいさ」
ゴォッ!
桜子の右の正拳突きが風花の顔面に炸裂…せず受け止められ、逆に風花の右下段突きが桜子の腹に決まった。桜子は反射的に腹筋を締めて威力に耐えつつ、左手で相手の右腕を掴み、風花の額に頭突きをかました。
頑丈な風花も、まさかの姫様頭突きに意表をつかれ、不覚にもクラッときた。
「ッ、なんのマネだ!」
「貴様こそ、なんだ、その言い草は!」
額と額をぶつけ合い、視線と視線が零距離でぶつかり合う中で、風花は桜色の瞳が先程と違う感情を映しているのを見た。
「私が、私達サクラ小隊が、貴様の出身の事で、ただの一度でも腐した事があったか!?それを理由にして、貴様を攻撃した事があったか!? 共に同じ小隊で戦う仲間として、私達は貴様を迎え入れた。だが、肝心の貴様がいつまでも心を開かず、そうやって不貞腐れていては、隊は隊として機能しない。前回の小隊別模擬戦闘でも、勝っていながら敗北判定を受けたのは隊として成り立っていなかったからだ。せっかく勝てるだけの技能がありながら、くやしくはないのか!?」
額で押し合い圧し合い、桜子は唾を飛ばしながら純粋に怒っていた。
無論、先程までの得体の知れない状況に対してではない。
風花の自分自身を傷つけ、相手に不快な思いをさせ断絶に導く、その言動と態度の全てに対して怒っていた。
風花は四ヶ月前に、現在の本科に進級する直前に、小隊から抜けた菊池理亜に替わりに編入してきたばかりである。時間的なつきあいは短い。そして、生まれも平民以下だ。
しかし!
自分と仲間達は、同じ小隊の一員として受け入れてきた。同じ釜の飯を食い、同じ地獄の訓練で地面を転がってきた。共に同じ物を食べて、同じ痛みをこらえて、今日ここまできておきながら「死ぬのを見て笑え」だと!? 冗談でも聞き捨てならない!
もう一方の風花も、やはり怒っていた。
自分の身分について、熱く怒る桜子に怒っていた。
正直今更感があるし、何より本質的に生まれが違えば、違う生き物と認識しているのが貴族である。少なくとも、風花の抱く貴族イメージであり、実際にそのイメージを裏切らない訓練兵が大多数だ。
無論、平民以下という風花が、貴族子女が入隊する王下親衛訓練学校に入隊したのも、特別な事情があるからである。そこに彼の意思は無い。あくまで命令であり、任務である。それ以上でもそれ以下でもない。どの道、三年経過して卒業して任官すれば、進む道は完全に別れる。これは確定事項だ。そんなことは風花のみならず、桜子も他の小隊メンバーをはじめ、訓練兵全員が判りきっている事だ。
にもかかわらず、何故こんなにも必要以上にかかわってくるのであろうか。
訓練でもなんでも、適当に調子を合わせておくだけでいいではないか。
「出身など関係ない。ひとたび同じ小隊となったなら、生ある限り剣を並べて闘い、死ぬ時も一緒に死ぬ。それが出来ないというのは、貴様には兵としての覚悟が無いからだ!」
「言ってくれるな。綺麗事は貴族様のお好きなお題目だな」
「……貴様、私が口先だけだというのか」
「違わないだろ? オレに言わせれば、お前らの自慢するご先祖様たちは平民を使い潰していいように犠牲にしてきた味方殺しの大量殺人者だ」
「それ以上は許さん!」
掴まれている右拳を振り切ろうと、間合いをとろうとしたその瞬間、
「なんの騒ぎだッ!」
雷鳴が如き怒号が鳴り響き、見物していた訓練兵達は一斉に直立不動となった。
怒号の主は、第五中隊選任教官である美堂芹軍曹。
王下親衛訓練学校第一期生であり、十三期生である桜子たちからすれば大先輩である。
桜濫幕府最精鋭ともいえる教導部隊所属の女傑であり、一年ほど前に不慮の事故によって殉職した前任者に替わって出向中である。
訓練時を除けば、とても話の判る教官であるが、こういった揉め事の際にどういった判断を下すかは、状況によりけりである。
果たして美堂教官は、周りを眼ねつけながら、騒ぎの中心たる風花と桜子へ足を向ける。
「また貴様らか! 今度は一体なんの騒ぎだ!」
二人ともその場でそっぽを向こうとして、おでこがぶつかり合っていたために、思わず見詰め合ってしまう。
「桜塚・真夏屋両訓練兵がいつものようにイチャついて、場所もわきまえずキスしようとしていたので、やるなら早くやれと囃し立てていたところであります!」
答えたのは、いつの間にかドアの前で直立していた“G”である。
「その通りであります!」
見物人達も一斉に唱和し、美堂教官は「ほぅ?」と唇の端を上げた。
なるほど、確かに風花と桜子は、おでこをあわせ、互いに互いの右腕を掴みあって、目と目を合わせている今の体勢は、恋人同士の愛の語らいに見えなくもない。
言われて、桜子は一瞬で顔が真っ赤になり、渾身の力で風花から身を離した。もっとも力をこめずとも、すでに風花の方から手を離していたので、勢いがつきすぎてしまい、山吹とぶつかりかけた。
「いえ、これは決してそういった訳でなく…」
「ふ~ん、違うのか?」
美堂教官の一言に、震え上がった。桜子の見たところ、美堂教官の口元はニヤニヤ笑っているように見えて、眼は全く笑っていなかった。
恐らくは、この場を「下世話な痴話喧嘩」として処理しようと考えてくれているようだが、そのためには桜子自身が「下世話な痴話喧嘩」をしていたと認めなくてはならない。
しかし、そうすると「いつものように」噂が第五中隊どころか訓練大隊全体にまで広がるだろう。ただでさえ、そういった噂が訓練学校中を走り回っているのに、これ以上言われてしまえば婿取りにも影響を与えるかもしれない。
早い話が、これは罰なのだ。この場を収めるために、桜子に恥をかかせるという罰で相殺する、美堂教官流の「粋な」計らいなのだ。
桜子としては非常に無念であるが、この場を穏便に済ませてやると、暗に提案をしている教官の温情を無為にしたくはなかった。非常に悔しい。しかし、怒りを捨てて頷いた。
「…はい、いいえ、違いありません。廊下で申し訳ございませんでした」
神妙に頭を下げる桜子。
一方の情事の相手となった風花はというと、
「廊下で申し訳ございません、は良かったな」
笑いをこらえていた。
途端に桜子の『怒りゲージ』がMAX近くまで上昇するが、その反面、美堂教官も含めて周りの雰囲気が笑いを含んだものに変わった。
「ん、んー? 女に謝らせておいて、男はふてぶてしくも悪くないと言うつもりか?」
「ハッ!全て自分の不徳ゆえであり、桜塚訓練兵には責任はございません。申し訳ございませんでした!」
ビシッと敬礼を決めて滔々と述べる風花に、桜子は本気の殺意を覚えたが、美堂教官の笑いが、かろうじてそれを抑えた。
「その通りだ。全てお前のせいだ。総じてこういう時は男が悪い。きっちり躾けろ」
「了解!」
右手をヒラヒラ振って、教官は背を向けた。
「今日はここまでだ。真夏屋と桜塚は、今日一日、逢引するのを禁ずる……いいな」
最後の一言は、桜子だけでなく風花も背中にヒヤリとした何かを感じさせるのに十分な気を含んでいた。
「「了解!」」
「よし、お前達見物人共も解散しろ」
「「「「「「「「「「了解!」」」」」」」」」」
美堂教官は立ち去り、見物していた訓練兵達も散っていった。
桜子はギリッと歯軋りをしながら風花を睨んでいたが、プイッと顔を背けて、風花と“G”の部屋の隣にある、自分の部屋に戻っていった。
風花は表情を消して桜子の背中を目で追い、“G”もまた無表情に風花を見つめていた。
桜子は自問自答する。
今日の夕暮れに見た、あるいは見たと思う風花の決闘や死に様は自分の幻覚や白昼夢だったのだろうか?
確かに何も証拠は無い。それとも自分は風花に死を望む程の悪感情を抱いていて、それが白昼夢にでもなったのだろうか?そうだとすれば桜子は自分が嫌な人間になった気になり、自己嫌悪に陥る。
桜子が悩む姿を見て、同室の漆原良子は気遣わしげ夕食に誘い出したが、話しかけても上の空であった。
しかし、そんな桜子の悩みの一部は翌日の朝に、奇妙な形で解決することとなる。




