第二話「《慈悲三顧》」
■take3:始まりの日、七月三十一日、一八:二〇
丘へ上がった先。
微かな既視感と共に駆け上った丘には、桜子が想像したような屍山血河の「修羅の巷」ではなく、静かな眼差しをした長身の剣客と、見慣れた黒い訓練着を纏った少年の二人だけが佇んでいた。
「……風花」
ポツリと、桜子の小さな唇から黒衣の少年の名が零れる。
「…また、ここに来たのか。何度いえば、お前にオレの言葉が届く?」
「……え?」
桜子をはじめ、桜子と共に丘に上がってきた少女達には、風花の言っている意味が判らない。風花が自分達に忠告めいた事をいったことなど、ただの一度もなかったはずだ。
ただ、桜子の頭には、もどかしい何かがある。
大切な事なのに、忘れてしまっている何かが……。
例えば、丘の上へ走りつつ脳裏をよぎった光景とか、野獣のような大男とか……。
しかし、ここには死体は一体も転がっていなければ、風花の前に立つ男も違う…と思う。
「二度あることは、三度あるという。結局のところ、変わらない事象は変えようがない、ということではないか?」
口を開いたのは長身の剣客。意外なほど知的さを感じさせる穏やかな声であり、どこか学校の先生のように、相手に言って聞かせるような雰囲気であった。
すると、風花が口を開く。
「三度目の正直ともいう。いや、この問答も、千年以上も前から飽きる事無く繰り返された遣り取りだろ?」
長身の剣客が学校の先生ならば、風花の受け答えは聞き分けのない生徒であろう。
「然り。神も三度までしかやり直す事を許さない。とすれば―--」
両者共に見事な鍔鳴りを響かせて抜刀した。
「次の一合が、最後となるわけだ」
手にする白刃は、夕陽に照らされ、ギラリと茜色の輝きを灯す。
桜子達には、何がなんだか解らないうちに決闘が始まろうとしていた。
「ふ、風花、これは一体!?」
桜子は思わず腰の刀に手をやるが、風花も男も反応せず、両者の間には奇妙な沈黙が流れる。奇妙なのは沈黙だけではない。両者の間には、真剣であるにもかかわらず、殺気が全くなかった。真剣を手にして立ち会う姿は、何かの冗談なのではないか。見ている者達に、そう思われるような、奇妙な間があった。
両者、一歩も動かず。
「どうした、こないのか?」
男の問いに、風花は応える。
「考えていた」
「ほう?」
「変えられないのなら、あきらめるのか? 変えたいからこそ、押して通るんじゃないか?」
「…………」
「オレの周りは変えられない事ばかりだ。だからこそ全部が全部ブチ壊してやりたくなる。これで決まりだって云われると、衝動的に叩っ斬りたくなる。例えば……」
「例えば?」
「今は目の前に立つ、アンタの事だ!」
膨ッ! という猛烈な勢いで、風花の全身から闘気が吹き上がり、目の前の敵を圧する。
「私を斬る。それは……」
豪ッ! と、足元から砂埃が弾かる程の闘気!
「十年早い!」
火ッ! と放たれる眼光!
両者の沈黙の間は破られ、火花が如く凄絶な闘気散る殺場と化す。
「真夏屋風花よ。いま、ここより――」
男は呼びかけつつ、するりと前へ足を交互に出す。
「遠き川を渡れ!」
交互に、しかし速度は一歩ごとに倍速、大上段のまま前進にして猛進!
「否! オレこそ彼方の岸より、お前を攫いに来た死神だ!」
号する事、一声。
その瞬間!
真夏屋風花が、消えた。
いや、桜子は見た。
「かッはぁ!」
姿を消した風花は一瞬で男の前に現れ、大上段に構えていた左手首から左肩・右脇腹まで斜め直線に深々と右袈裟斬りを極め、そのまま左側を駆け抜けた。
男は踏み込みの勢いのまま駆けたが、斬られて五歩目で足は止まる。
(瞬間移動!)
桜子は桜色の瞳を驚愕で大きく開く。
「…そうか……お前もまた、“絃律士”だったか…」
苦しげであっても穏やかといえる声が、溢れる血と共に零れる。
“絃律士”。
それこそ、三百年前に東方大陸に齎された『新たなる混沌』。
銃火器で武装し圧倒的武力で侵略してきた南方大陸軍勢を前に、鍛え抜かれた剣技・闘気が一発の銃弾に敗れていく中、東方界廊開通に伴う『未知なる脅威』が齎したもの。
それは、この世の理に介入する力。
人と人。
人と物。
人と時間。
人と空間。
人と係わり合い持つ森羅万象との見えざる繋がり、それは《絃糸》。
《絃糸》を繰り、望む関係性を恣意的に操る力、それを《絃律》。
そして《絃律》を行う者を、“絃律士”と呼ぶ。
絃律士は魔術師のように修行によって魔力を高め、威力や精度を上げる類の術ではない。
それまでの「人生の結果」や「本質的な才能」を明確に認識する事により顕現する力である。
この力は東方大陸生まれの人間にしか発現しない力であり、大本は三百年前に東方界廊から現れた“深遠のヨグ・ソトース”と名乗る、自称“神人”によって齎された。
「《彼岸弓・弐式【一期一会】》。それが、オレが齎した因果。オレはアンタとの『距離』そのものを《乖離》させた」
構えを取りつつ、風花は背を向けたままの男へと振り返った。
男からは急速に生命の気配が失われていったが、代わりに穏やかな気が湧き上がる。
「……見事、だ…三度目の立会いまで、使わずに………いた、こと……そして」
「もう十分だ。その気持ち、受け取った」
風花は静かに太刀を下ろす。
男は最後の力で僅かに頷き、その長身を前のめりにするようにして倒れ伏した。
風花は太刀に拭いを掛け、静かに納刀する。
そのまま暫く男を見下ろしていたが、桜子には逆光で風花の表情が見えなかった。
「……風花?」
桜子には珍しく、風花を心配するような声で呼びかけたが、風花は応えない。
いや、声をきっかけに歩き出し、桜子達の横を通り過ぎて、丘を降りはじめる。
すると、無視された桜子が、いつもの調子で怒り出した。
「…風花! 無視をするな! こちらを向け! あの男は誰だ!? 死体をそのままにしていいのか!? 答えろ!」
しかし、風花の背中は遠ざかるばかり。
いい加減焦れて、ついに先程以上の怒号が桜子の口から放たれ……、
「風花っ……………」
突如、込み上げる違和感。
喪われる時間感覚。
記憶の混乱。
認識の錯誤。
それは、混沌。
明確な言語化を拒み、事実を幻想に変える、事象の迷走。
そして、収束される波動関数が一つの事象に辿り着く。
「………あ、あれ?」
怒号を上げかけた桜子は、戸惑う。
「……ここは……界廊が見える丘?」
「どうしたの? 桜子ちゃん、大丈夫?」
小隊長である姉小路山吹は、心配そうに桜子の肩に右手を置く。
「大丈夫ですが…それより! 今、ここに風花がいませんでしたか!?」
「はぁ!?」
突然、なんの前触れもなく聞かれてしまったため、山吹は思わずすっとんきょうな声を上げてしまう。山吹は、午後から一緒にいる雪蘭とクレハと目を見合わせる。
「えっと、見ての通り、今もさっきもいなかったけど」
「そ、そんなハズは…さっきまで、ここで一緒に…」
桜子は慌てたように反論しようとするが、いないものはいない。
「ねぇ、桜子ちゃん、本当に大丈夫?」
本気で心配されているのは判る。しかし、自分は確かに見たのだ。
空飛ぶイルカを見て、帰り道の途中で丘へ続く左の道を進み、丘の上に行くと沢山の死体と、風花と大男の戦闘。風花が敗れて、その後に相手を道連れに自爆した。
しかし、現実にはそこには何も無く、誰もいなかった。
自分を心配する山吹達に示せる証拠を探そうと、地面を一生懸命見たが、血の一滴も落ちていなかった。
全てがおかしい。
自分は幻覚をみたのだろうか?
しかし、それなら他の三人だって見ているハズだ。にもかかわらず、自分だけしか見ていない。それも幻覚とは思えないほどにリアルだった。
「そうだ! 空飛ぶイルカが…」
「空飛ぶイルカ? 何のこと?」
不思議そうに聞き返す山吹の顔を見て、桜子は愕然とする。
みんなで追いかけたはずなのに……そう、空飛ぶイルカを…。
いや、待て、イルカは空を飛ぶ生き物だったか?
そんなのは、いるわけがない。
とすれば、自分が見たと思ったものは……本当にイルカだったか?
いや、そんなもの、存在していたか?
桜子がどれだけ振り返ろうとも、その記憶は夢の如く薄れてゆくのみ。
確信に到らず、逆に混迷を深めゆく。




