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因果邂逅のタタリクス  作者: 紅月蓮也
第二章「“最高”なる価値にて、我は狂い咲く」
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絶章「“至強”の生物」

 ■八年前、某月某日



 夥しい奴隷を運ぶこの船の名は『紫雲丸』。

『紫雲』とは死者が乗る雲のとされるので、生きながらにして人としての人生は終っている奴隷を乗せているのは、命名者のセンスを示すものであろう。

『紫雲』は『死運』とも書き換えることも出来るので、その意味でも『紫雲(死運)丸』という名称は、奴隷を運ぶという意味でも的を射ている。



 暗い地底のような船倉は地獄である。

 しかし、その外も地獄であり、どこにも希望は無かった。


 怒号の次には悲鳴が響き、船は揺れて傾ぎ、襲い掛かる巨大な生物と吹き荒れる暴風雨により、頑丈なマストが轟音と共にへし折れた。

 甲板に出た少年に誰も注意を払わない。すでに神経はマヒし、異常を認識するキャパを越えていたからだ。

 少年は、この巨大な生物を見る。

 全長約二十メートルの魚のような姿をしており、黒から銀へのグラデーションをした鱗で全身を覆っていた。

 この魚は荒れる海からイルカのようにジャンプし、どういう原理か宙に浮きつつ、船と船上の人間に襲い掛かる。


 ドゴッ!


 今また、尾の一撃で舷側が砕かれ、船が衝撃で揺れた。その揺れは、反対側の舷側にいた三人の男を海へ落とした。この荒れる海に落ちればもはや命はない。

 だが、この状況では船の上だろうと海の下だろうと関係ないだろう。

「畜生! 鱗が頑丈すぎて矢が通らねぇ! かといって、早すぎて武器を当てることも不可能だ!」

「じゃあ、どうするんだ!?」

「知るか! 逃げるしかないだろ!」

「何処にどうやって逃げるんだよ!?」

「自分で考えろ!」

「もうダメだ~! 俺は泳いで逃げる!」

「お、俺も!」

「馬鹿! よせ!」

 二人の男が血迷い波濤の中に身を投げる。その姿は生への渇望というより、死への甘美な退避と云えよう。

 少年の目が魚に向けられると、突如として魚の動きが止まり、その七つの視線が一点に注がれる。

 その先にいる少年は、真っ正面から魚の七つの視線を受け止める。


 七つの眼。

 頭部の中心に一つ、左右ともに、横と斜め上と下に赤く燃える眼が配置されていた。

 あらゆる生物を前にしても揺るがない強烈な眼力。魂の次元で屈伏させる、強者の権化。

 不思議な事に、少年はこの巨大な魚に畏れは抱いても怖れなかった。

 逆に思った。

 なんて素晴らしいのだろう、と。

 凶悪無惨な海賊だか奴隷商人だか知らないが、あれだけの強面の男達が無様に逃げ惑い悲鳴を上げ、遂には自殺する。

 少年は改めて思う。

 これこそ真実の力、本当の恐怖。

 こんな凄いのに出逢ったんだ。

 もう何も怖くない。


 少年は、もうここから行こうと思った。

 小舟があればそれで、無ければ筏でも作ろうと思った。製作時間も航行距離も関係ない。方向は何処でもいい。

 その時、船員が漸く少年の存在に、魚の気を惹いていることに気がついた。

「このガキ、どうやって出てきたんだ!? いや、どうでもいい! ヤツの気を引けるなら海に放り出して船から離す!」

 大男の船員は無造作に少年の胴体を片手で掴み、振りかぶって海へ投げようとしたその時!

 魚の七つの眼が輝き、気づけば衝撃と共に大男の下半身と足元が吹っ飛び、少年も爆風で宙に舞い上がった。

 少年は舞い上がりつつ、マスト頂上付近から船上を俯瞰する。

 見れば怒り狂った魚が甲板上の船員をなぎ倒し、見えざる力で甲板を木っ端微塵に砕く。

 落下する少年は着地すべきポイントを失い焦りかけるが、魚の背鰭に節があることに気がつく。一か八かで右手にぶら下がったままの手鎖を節に目掛けて振り回す。すると、左手を繋いでいた手錠部分が節に引っかかった。

 少年は右手首に掛かった自重プラス落下エネルギーに顔をしかめたが今はどうでもよかった。素早くよじ登り、節に腕を通して捕まる。

 この時である。

 少年が乗る魚が、何かを感知したかのように身を震わせた。

 少年から見て右側、方角にして西側より壁が迫っていた。

 高さ二十メートル、横は地平線に広がる程の大長城!

 それは波と言う名の壁であった。

 少年が捕まる魚は、波濤壁を七つの眼で確認するや、速やかに身を翻し、船を放り出し南西方向の東方大陸側に海の上を滑空する。

 振り返ると波濤壁は高速で迫り、置き去りにした大船をあっさりと呑み込み、超水圧にて押し潰す。

 波濤壁は少年から見て右後方の北側から崩れ、凄まじい速度で迫る。

 魚は時折、海の上を跳躍するように低空ギリギリを疾走する。

 少年が思うに、潜れば波濤壁の猛威から逃れられると思ったが、この魚はそれをしなかった。

 勿論、少年はその理由は解っている。

 それは、その背に、少年を載せているから。


「お前はオレのために、一緒に死んでくれるのか?」

 少年の問いに魚は応えず。

「オレはお前に何もしてやれないのに」

 やはり無言。

「だとすれば、オレ達は一心同体。オレがお前で、お前がオレで。オレは、これから一生、お前の背だけを見て、お前ただ一人を神として見る。だから、見せてほしい。オレだけの神様の力を」

 波濤壁は迫り、間もなく魚の尾付近で崩れる直前であった。

 しかし、今となれば、少年にとって何でもない。興味はただ一つ。


「それを見れば、オレはきっと、これから一生、何も恐れず生きていける!」


 その瞬間!

 少年の捕まる背鰭の頭部より手前の部位が、突如として開かれた。

 それは、

「眼!?」

 八つ目の眼。

 この魚は八つ目であった。


 波濤壁は頂上から倒れかけ、北から南へ巨大なチューブを形成し、次第に細くなる中を、少年を載せた魚が疾走する。

 チューブを抜けるまであと少し。

 しかし、後少しが絶望的に遠い!

 この水圧では、少年はおろか、鋼が如き鱗を持つ黒から銀の魚も耐えられない。

 波濤壁は崩壊を始め、あと三秒で少年と魚を飲み込む。

 だが、少年は恐れない。

 少年にとって、もはや恐れ畏れるべき存在は、自分を乗せ、背にある眼で自分だけを見てくれている八眼の神のみ!

 少年は、八つ目の眼に言葉でなく想いで伝える。


 行こう、あの細い先にある、壁の向こう側に。


 八眼が赤く輝き、少年の身体に神に触れている箇所から何かが瞬時に流れ込む。

 少年は感じる。


 たった今、僕は、オレは生まれ変わった!


 そう思った。


 少年の中が、音無き音をたて、何かが組み変わり、先程までとは違う自分がいる。

 少年は確信する。

 今こそ自分が神の一部であり、神が自分の一部と。

 崩壊し圧し掛かる波濤壁の最初の飛沫が少年の頬に掛かるその時、自分でない自分の一部が震える、迸る!

 神の全身より無形の力、即ち闘気が超音速で放たれる。

 それは、本来であれば吹き飛ばされるはずの少年の身体も神の一部となり、少年の身体を透徹して爆ぜた。


 波濤壁は爆散して飛沫となり、微塵となって消滅した。


 暫し、少年は驚くほど静かになった海の上で、神の背で放心する。

 この時、地平線の彼方より、最初の陽光が黎明を貫いた。


「朝だ………」

 少年は無意識に、どこか呆然と呟いた。


 その後、少年を乗せた神は、海岸近くまで飛び、海の上に建つ社の下に少年を下ろした。

 少年はこの時は知らなかったが、この社は龍を祀る社であり、干潮時には陸となり、海岸まで歩いて渡れる。

 神は少年を降ろすと、八眼で少年を見つめる。

「ありがとうございます。約束通り、オレは一生、貴方の背中を追いかけます」

 少年はこの時七才。

 同年代の子供の中では語彙力が発達しているが、今いえるのはここまでだった。

「オレの名前は真夏屋風花。貴方の事は忘れない」

 八眼の神は巨体を舞上げ翻す。


 ――龍巴りゅうは


 声ではなく念で、耳ではなく心に、少年の神がその名を告げた。


「龍巴、さま」


 その時、鱗だと思っていた黒から銀の胴体側面が背に沿って二つに割れ、羽に変態して広がった。鱗は先端に行くほど透明になり、朝陽を浴びて美しい瑠璃色の光彩を放つ。

 鱗だと思っていた羽の下には藍色の胴体に、折り畳まれた二本の手と二本の足があり、それぞれ六本の指に鋭い爪を尖らせている。


 美しかった。


 船を襲う巨大で獰猛な魚の魔獣ではなく、壁画で見た竜の如き神々しさがあった。

 神は朝陽の向こう側へ、海の上を滑空する。

 時折、海を蹴りながら高度を維持しつつ加速し、彼方の海へと消えていった。


 真夏屋風花は、神が消えた先を何時までも追い続ける。


 それは、突然、頭上からだった。

「ほう、“破棄竜はきりゅう”か。まさか今際になって、この目で見ようとは」

 風花が驚きつつ頭上の社を見上げると、そこには背の高い、枯れ木のような老人がいつの間にかに立っていた。

 その男こそ『丸山まるやま蔵人くらんど』。

 風花にとってタイ捨流の師となる者であり、風花に生きる術を伝えた男として名を遺す。


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