第二十三話「“最初”の雫」
■宴会の始まる十五分前:桜濫暦二四一年十月三日、一八:三〇
西浜津市街地北東部を流れる竜糸川沿いには、多くの船宿が立ち並ぶ。
それでいて、この界隈には酔客が酔って暴れたり騒いだりせず閑静な佇まいであるのは、西側の繁華街よりも客単価が高い設定になっているからであろう。
人通りもあるが、それでいて静かな通りを、上も下も黒一色でコーディネートした少年が早足で歩いていた。
歩くといっても、それは少年の基準であり、常人の速度でいえは走っているのと同義である。
「勇喜鮨…この船宿であっているよな。しかし、船宿で鮨屋とは珍しい」
入口に掛けられたら提灯を見つつ、風花は首を捻る。その理由はなんということもなく、単に現在の主が鮨職人であり、売りに出されていたこの船宿を買い取って居抜きで入ったからである。
「まあ、いいか。それよりも、あいつ等は遅いな。先に行って待っていると言っていたのに。浴衣に着替えるのに、そんなにかかるのか?」
少女達は、川沿いの船宿に行くということで、気合を入れて浴衣でキメると言い出し、風花には先に行けと追い出した。
それならばと、その内に手に入れた首を賞金に換えようと思い、高額の賞金首を専門に扱う賞金首ギルドに赴いた。
時間が掛かっても気にしない積もりで来たが、意外なほどすんなりと賞金は支払われた。
むしろ、気味が悪いほど丁寧にもてなされ、風花は西浜津の接客レベルの高さに満足した。
その後、冒険者ギルドに行き、賞金を自分の口座に振り込むように手形を組んでもらおうとしたが、こちらは非常にごねられた。
自由商業都市連合内だけでしか取引されない四天王寺為替問屋に預ければ、利子も高く、投資信託についても信頼と実績があるローリスクハイリターンだのと色々と説明をされたが、はるばる桜濫幕府から来た少年には迷惑でしかなかった。仕方もなく半分の百両を預け、残りは桜濫にある口座への振込手形を発行させた。
そのために、風花はかなり遅れて船宿に来たのだが、女子軍団は未だに到着していなかった。
「いや、掛かりすぎだろ。ファッションショーでもしているのか?」
ヤレヤレと入口前で待っていると、ポツリと雨の最初の雫が、空を見上げていた風花の額に落ちてきた。
最初の一滴と共に、引き戸がカラカラと軽快な音を響かせながら開いた。
「もー、ヤダー、ソウシさんがオッパイを見せろと言ったら見せちゃいますよー」
キャピキャピした若い女性の明け透けな会話が、この品の良い閑静な通りに響く。
随分と酔った客がいるなと思うと、この店の仲居であった。
「あら、お客様かしら? 随分と若いけど」
まさかと思うが、この鮨屋兼船宿はソッチ系の怪しい店ではないかと、風花は疑った。
すると店内より、紺の着流しに懐ろ手の、如何にもイナセな男が、若い仲居に続いて出てきた。
「若いからといって、この店に来ては行けないこともなく、またお金を持っていないとは限らないよ」
男は穏やかな声で仲居を窘めつつ、視線は風花に合わせる。
男の容貌は、容易に年齢を掴ませないものであり、若そうでもあり、また老人のように沈んで見えるようだった。身なりは非常に簡素だが、雰囲気が大店の主人といった風情であった。
そして、風花は男の右腕が、肩から喪われていることに気がついた。
「人は見た目では測れない。そして、その胸の内も。」
どうやら、男は風花の視線に気がついたようだ。
「あらヤダ。私はソウシさんのことは何でもわかるし、私の胸はソウシさんだかのものですよー」
「入口前で待っているのはお客だけだ。中から人を呼んで来なさい」
「はい、女将さ~ん! お客様でぇす」
するとこのどうしようもない仲居は酔っ払い独特の妙なイントネーションで呼びつけた。
ソウシさんと呼ばれた男も流石に苦笑する。
「すまないね」
「別に」
しとしと降る雨が二人と一人を囲う中で、二人は無言で互いを見合っていた。
「あら、雨足がだんだん強くなってきましたね。」
若い仲居は傘を取り出し、それを開くと男の上に差し出した。
女将が店内より急ぎ足で現れ、風花に向かって頭を下げた。
「お待たせしました。白井様のお連れ様ですか?」
「よくわかったな」
「本日のお客様は二組様だけですので」
その時、二人の会話に若い仲居が割り込んだ。
「それじゃあ女将さん、私はソウシさんを送ってくるから」
風花と女将は、帰る気ないだろ、と同時に思った。若い仲居は二人の心理に頓着することなく、男に身を寄せるようにして囁く。
「じゃあ、早く行きましょ」
「わかった。では、な」
男は、風花に軽く会釈をすると、仲居に差す相合い傘で、ゆっくりと小雨の川通りを往く。
反対側より、ようやく女子軍団がバタバタと走ってきた。
「ごめーん、待ったぁ?」
デート時の定番セリフをいいつつ、山吹が手を降りつつ駆けよってくる。
「待った、言葉どおりに」
「やぁねぇ、こういう時は『今来たところだよ』って言うもんでしょ?」
これは本日の幹事、白井青葉である。
「そういうのは、恋人とやってくれ」
言いつつ店内入る直前に、風花は男が去っていた方向を見る。
小雨が煙る向こう側、男の姿はすでにない。
だが、男の眼が、風花に注がれているのを、何故だかそれを感じた。
■同日、桜濫暦二四一年十月三日、一八:四五
「さて、本日この酒席に辿り着くまでに色々ありましたが、皆が無事に侍ることができた事と、私達の運命の出逢いに、くゎんぱい!」
「「「「「「「カンパーイ!」」」」」」」
ガチッと麦酒の注がれたジョッキをぶつけ合い、まずは一口。
ゴクッゴクッと勢いよく喉を鳴らすのは、乾杯の音頭をとった白井青葉女史である。
「プファ~、お姉さん、おかわり!」
一人だけ大ジョッキを注文し、なおかついきなりの一気飲みである。オマケにこの宴会の支払いは風花持ちとくれば、風花ならずとも一言云いたくなるだろう。
「で、なんで助けられた方のお姉さんが、さも当然のようにこの場を仕切るかね」
「あら、私がイチオシの勇喜鮨を紹介したのよ。その情報料だと思いなさいよ」
「情報料? 勿論、味良し、値段良しなんだろうな?」
「当たり前でしょ。味は食通の著名人や有名俳優が使っていて味良しだし、値段もイイし」
それを聞いて、風花はイヤな予感を覚え、麦酒を呑みつつ問い質す。
「ちょっと待て。値段がイイって…どっちのイイって意味だ?」
「ん、一人一分銀(約一万円)よ。大したことないでしょ」
風花は麦酒を吹き出した。
「わぁ、もったいない」
「バカッ、高い! 高い方のイイって意味かよ」
「まあまあ、君は二百両持ちなんだし、ここで八人が一生懸命食べても一両もしないって」
「うふ、風花、御馳走様です」
「「「「ゴチになります!」」」」
タイミングよく蓮華が合いの手を入れたために、風花はとっさに返し損ね、“G”を除いた他四人の少女達の唱和をくらってしまった。
誰もが気持ちのイイほどにニコニコしていた。”G”はあまり表情を動かさなかったが、早速、この地方の地酒「喜久酔」の純米を言いつけていた。
「く、わかったよ、もう、有り難く好きに飲み食いしてくれ。オレも呑む」
「いゃほーう! じゃあ私、トコブシの煮付け!」
「私も同じので!」
青葉と山吹は年来の親友のようにハイタッチしながら仲居の女性を呼び出した。
「あーあー、トコブシの旬は微妙に終わってるから。でも、あるなら人数分な」
「わかってるって!」
確かにこの鮨屋の出すものは一つ一つが美味かった。
小ぶりのさざえの握りは煮切りが塗ってあり風花の好みだったし、鰺のにぎりには山葵の代わりに青唐辛子が絶妙な按分で挟んでいて、全員がおかわりをした。
玉子焼きは南方大陸のカステイラというお菓子にようにフンワリしている上に、味も濃厚で文句のつけようがなかった。
雪蘭とQタローは、生きているピチピチのヤリイカをご飯特盛りのドンブリに乗せて、掻き込んでは地酒を呑み、桜子に「取り合わせが悪いのでは?」と突っ込まれつつ、米と酒のコンチェルトを楽しんでいた。
「蓮華、尼さんは魚を食べるのか?」
「ふふ、僧侶が肉食を禁じていたのは食料の少ない時代くらいです。それでも、栄養価を得るために隠れて食べていましたよ。矢張り、ナマグサの方が精進よりも美味しいですね」
「精進料理は好きだぞ。以前に南部の豊後で食べた店は生麩を揚げたり焼いたりで飽きさせなかった」
「風花は食べ歩くのが好きなのですね」
「まあな、元々は賞金稼ぎだから金には困らなかったし」
「まあ、ではここにいる間に、また誘って下さい」
「まぁ…いいけどね。そういや、何処に宿をとっているんだ?」
「西浜津には何度も来ていますので、ここにある尼寺にも親しい人は多くいます。この近くの西芳寺におります。門の前に茶店がございますので、そこのおかみさんに呼び出しをお願いしてください。大体、夕方にはおりますので」
「お、おう」
ふわりと柔らかく濡れた牡丹のような色気ある風情に、気のせいかもしれないが、風花は性感を刺激された気がした。
さすがに女達は年齢に関わらず敏感である。
桜子と”G”は面白くなせそうな顔をしていたし、残りはニヤニヤ彼と彼女らの様子を眺めていた。
風花は戸惑っていた。
何にといえば、蓮華から醸し出される色香にである。
風花の日常は、朝起きて”G”の巨乳を見るところから始まる。それを見て何も感じないわけではないのだが、すでに見慣れること百五十三日。
美人は三日で飽きるという言葉もあるが、三日かどうか置いても、言葉自体は正しいようだ。
少なくとも、風花が”G”の巨乳を見て勃起する事はない。
にもかかわらず、蓮華に対して無心では入られない何があった。
頭には毛の一筋もないのに、切れ長の潤んだような瞳を見ていると、背中が震えるような気がする。
「酔い醒ましに夜風に当たってくる。」
一言伝えると、風花は部屋から出て行った。
彼が部屋から出ると、どこか場が静まる。女子の中に男が一人だから、というだけではない。
「ふふ、風花は君達のアイドルといったところね。」
そう青葉は笑うが、桜子は怒ったように酒を煽る。
「バカ言わないで下さい。あの男はいろんな意味で未熟者です。まして人付き合いの出来ないあの男がアイドルだなんてありえません!」
桜子はガブッと酒を煽る。
「そう言いたくなる気持ちはよくわかるわ」
青葉は腕を組み、もっともらしくウンウン頷く。
「何のことですか?」
「だってアナタ、彼の事が好きなんでしょ?」
桜子がその言葉の意味を咀嚼するのに、数瞬、要した。
「そ、そ、それこそバカな話しです! 冗談にもなりません!」
「そお? 見ていて私はそう感じたけど」
「ありえません!」
「ふーん? でも気になるなら今のうちに抱かれといたほうがいいわよ」
「わ、私は桜塚家の長女です。いずれは婿を取らなければならないのに、そういった関係になどなれるわけがありません!」
「あら、男は消耗品よ。戦に出て死ねば新しい男を婿に迎えて子供を作らなきゃならない。また、父親の都合で夫と別れさせられ、別の男を夫として迎えて子供をまた作る。そんな人生が待っているのに、なんで今を楽しまないの?」
「な、そんな破廉恥な事…!」
「破廉恥だろうとナンだろうと、武家の女に生まれれば、結婚と離婚の繰り返しなんて当たり前よ。そんなんで、新しい夫が来た時に、閨で股を開くことができるの?」
内容も言い方も品がないが、青葉は真顔で桜子に問い質す。
桜子は答えることが出来ず、ギリッと歯を鳴らす。
答えない桜子に、青葉が当然のように畳み掛ける。
「夫なんて一時の装飾品。夫と父親を比べれば、取替えのきく夫よりも、一人しかいない父親の方が大事なのが、武家の女が教わることでしょうに」
酒の席とはいえ、また年長者とはいえ、桜子の我慢はすでに限界まできていた。
勿論、桜子も亡き父母からそういった教育、それは閨の作法も含めて教わっている。
しかし、十代の少女に青葉がいうような覚悟を、誰もが持っているかと言えば、そのようなことはない。ないが、身分ある武家の女である桜塚桜子が、反論の許される話題でもなかった。
なかったから、怒りを堪えるだけしかできなかった。
反論は“G”から出た。
「別に俺には関係ない。俺は一人子供を産めば、それでお役目御免だ。あとは夫が死のうが、自分が死のうが、子供が勝手に育つだろうから関係ない」
桜子には、“G”のこの単純さがうらやましい。しかし、彼女も小さくとも北方大陸の一カ国の跡取りである。その程度の考えでいいのだろうかと思う。
「ふーん、そう。それも一つの見識ね。でも、夫婦ともども早死にして、右も左もわからない幼い子が罠に嵌められて家を滅ぼしてもいいの?」
「それならその程度であったと諦めるだけだ」
“G”はさも当然の顔をしつつ、お猪口の酒を飲み干す。
青葉は感心したように頷き、“G”に銚子を差し出した。
「ま、そこまで覚悟があるならイイケドね。でも、君達は身分の高い人でしょ? あまり家を軽く見るのはそれぞれとしても、附いてきている人のことは、忘れちゃダメよ」
“G”は黙って注がれた酒をあおる。
「俺が風花と子を作れば、ソイツは生まれながらにして最強の運命があるはずだ」
“G”は銚子を食卓に叩きつけるように置くと、すかさず青葉が酒を注ぎ直す。
「ヒュー、その齢でよくそこまで言えるわね。結婚式には呼んでよね。このあたりで造っている地酒で一番人気の喜久酔が、独自に作っているお米で醸造した『松下米仕様』を樽ごと買い付けて持っていくから」
「楽しみにしている」
怒り心頭な桜子の前で、“G”と青葉はチンとお猪口をぶつけ合い、酒を飲み干した。
その頃、風花は同じ二階にあるテラスに出ていた。
このテラスは暖かい春や夏に使用される場所であり、川を流れる舟を見ながら宴会を楽しむことが出来る。
現在は秋で肌寒いので、使用されていないが、風花にはそれが静かでとても良かった。
冷たい風が、火照った肌を冷ましてくれる。
「真夏屋様」
後ろから声を掛けてきたのはクレハであった。
「なんだ、お前もきたのか?」
「ええ、久しぶりに呑んでしまったので、酔い醒ましにと」
桜濫では飲酒制限はないが、一般的には十五才とされる。というのも、慣習的に十五才で元服(武士の成人式)をするからである。
クレハは風花と並んで川に目を向ける。
「東方大陸きっての観光地だけあって、川沿いも素敵ですね」
「ああ、オレも旅の中でいくつもの街を歩いてきたが、西浜津ほど綺麗で犯罪も少なく、買物も食べ物も多い街はなかったな」
「では、真夏屋様おススメ暫定一位の旅先は、ここ西浜津でよろしいですか?」
「よろしいな。なんだかんだと、あの姉さんが選んだこの鮨屋はそこそこ高いが最高だ。来て良かったと思う」
「ふふ、私もご一緒できて嬉しいです。貴方が西浜津を選ばなければ、ここに来るという発想すらありませんでした」
「そうか…オレの意見を通してくれて悪いとは思っていたが、お前が喜んでくれたなら、オレも嬉しい」
酔っているせいか、風花はいつになく素直な気持ちで会話をする。
クレハは日々の風花の変化に気づいていたし、その変化を齎した年少の君主の偉大さを改めて思う。
「真夏屋様、仲居さんからお菓子をいただきました。食べませんか?」
クレハが袂から出したものは、西浜津界隈に五店舗持つ饅頭屋「石舟庵」のよもぎ饅頭であった。この饅頭は、午前中にクレハと桜子が食べたのと同じお店のものである。たまたまであるが、この鮨屋でも石舟庵の饅頭を仕入れていた。
「いいな、戴こう」
風花は受け取ると、一口かじる。
「美味い! 饅頭は皮が命だが、ふわっとしていて、なおかつ柔らかい。皮からは蓬の甘い香りが漂い、品の良いこしあんとマッチングして、食べていて倖せになれる」
「うふふ、そこまで喜んでもらえると、お店の方も感激しますよ。帰りにお土産に買って帰りましょう」
「ああ、そうしよう……でも、妹と弟にも食べさせてやりたかったな」
呟くと風花は最後の一口を食べきる。すると、クレハが袂から新たな饅頭を取り出した。
「まだ、ありますよ。というよりも、全員分、私が持っていますが」
サラリとみんなの分を持ってきたことを告白するクレハに、風花は思わず噴き出した。
「はは、いいのか? 散々のんだ後だから、甘いのも一つ欲しがっているんじゃないか?」
「散々のんだ後だからこそ、こんなに美味しい饅頭はもったいないでしょう」
「それもそうか」
風花は受け取り、ゆっくりと味わいながら食べる。
クレハもお替りを出すと、早速パクつく。
「真夏屋様」
「なんだ?」
「昼間にお会いした“十飢神”飛熊燎火様とは、どういったご関係ですか?」
食べていた風花の口が、ピタリと止まる。
「私見ですが、昔からのお知り合い、それも深い関係とお見受けしましたが」
「まあ、誰でもそれには気づくよな……あの男は大昔にオレが稟京で暮らしていた頃にいた兄貴分の男だ」
風花は呟くと、残る饅頭を咀嚼する。
「十年前はよく遊んでもらった。当時は違う苗字だったけど」
字名とは、個人の“銘”でもあり、ステータスでもある。
また、自由に改名できる東方大陸において、字名や銘を苗字に変える場合が多々ある。
二ヶ月前に出会った馬面の忍びである「遠見目太郎」の場合を例にとると、“遠見”とは忍術の一つであり、彼は自身の得意忍術を苗字にしている。
燎火も、それと同じく、自身の誇りある字名を苗字として採用していた。
「あの男はオレ達の七つ上の二十三才だ。オレが六才の時に柳生ナントカっていう旅の剣士に弟子入りして家を飛び出した。以来、十年ぶりだ」
「それにしては、お互い殺伐としたものと見受けられましたが」
「当然だッ。アイツはかつてオレ達に『何かあれば、いつでも助けてやる』と誓い、実際に頼れる兄貴分だった。
だが誓っておきながら、オレ達を見捨てて自分だけの道に進んだ。いや、オレの事はどうでもいい。アイツがいれば、涼も涼次も死ななかったかもしれない! にもかかわらず、一人、出世してのうのうと生きている。それは、涼と涼次への裏切りだ! 生かしては置けない!」
激しく言い放つ風花に、クレハは肯定も否定もしないし、出来ない。いってしまえば、兄弟だけの問題である。他者の見解が入り込む余地もないだろう。
だから、クレハは違う方向を少しだけ、指し示すだけである。
「そうですか。私に貴方を止める意思はございません。ただ、真夏屋様のご無事だけを願うだけです」
「オレがあの男に負けるとでも」
「それは判りません。ただ、“G”と桜塚様の事を忘れないでいてほしい。それだけです」
「どういう意味だ?」
「そのままの意味です。桜塚様は気位の高い方なので素直ではありませんが、“G”と同じく真夏屋様を慕っておいでです。そんな中、蓮華様のようにお美しい女性がそばにいれば、心穏やかではいられないでしょう」
「オレが蓮華に懸想をしているとでも?」
「そうではありませんが、興味がないとは言えないでしょう?」
「……………………」
風花は答えられない。
蓮華に対して性欲を覚えたのは事実であり、衝動的に部屋を飛び出したのも事実である。
「別にそれは男性にとって普通な事です。気に病むことではありません。私が言いたいのは、常に二人の視線が真夏屋様にある、それだけです」
クレハはそこまでいうと、サッと身を翻した。
「ここは少し寒いので戻ります」
風花に反論を許さないほどの機敏な動きで、クレハは中に戻っていった。
残された風花は、かつての兄貴分への怒りと、蓮華への複雑な想いが絡み合い、その足を前にも後ろにも動かせなかった。
■同日、桜濫暦二四一年十月三日、一九:四五
川沿いの船宿で楽しく握り鮨で地酒を嗜みつつ、青少年が旧知と異性の悩みを肴にしている頃。
市街地西部の高級割烹旅館アララギでは、明るさと賑やかさと縁を切った陰気な会話がなされていた。
「ぐはっ!」
巨漢の男、弥陀内大は畳に転がされ、飛熊に顔を踏まれた。
「では、聞こう。子供の胸を掴み、お前が悦に浸っていた理由を」
飛熊は足にぐっと力を籠める。
「や、奴らは陪臣。直臣である俺らに逆らえる理由はない」
「なるほど、確かに彼女らの主は大将軍とはいえ、制度上では我らと同格。つまりは、その配下であれば、立場からすれば、我らの下にある」
弥陀内の頭に乗る足の力が僅かに弱まる。
「では、改めて質問だ。お前は、今このような屈辱を受けても、尚、我が命に従えるか?」
「………………」
「どうした? 正直に答えよ」
弥陀内は床に転がされたまま、左手で素早く腰に装備していた『鎧通し』と呼ばれる分厚い短刀を引き抜く。
次の瞬間、踏みつけていた飛熊の足裏より無形の力が放たれ、弥陀内の動きを縫い止めた。
「お、重い……!」
御堂寺玄は胸の内で刮目する。
(アレが飛熊卿の《負の闘気》!)
「再度問う。大人しく従う気になったか?」
傍で見ている者達が震え上がる程に、その口調は冷たい、というよりも渇いていた。
「………いえ」
「その通りだ。如何に事実はどうであれ、人は侮辱と屈辱に対して反発する。お前には一度、学ぶ機会を与えたが、それが二度あると思わないのが、おまえ自身のためであろう」
飛熊は淡々と伝えると弥陀内の顔を踏みつけていた足を外し、背を向ける。
弥陀内は隙を見せた飛熊に対し、素早く起き上がりつつ襲い掛かる…………事もなく、ただその背を睨みつける。
玄は思う。
もし、弥陀内が問いに対し非を認めなければ、間違いなくこの場で殺されていただろう。
弥陀内にとって、この屈辱は飛熊への憎しみと共に記憶され、行動に一つの枷がはめられた。無論、飛熊にも寝首をかかれる可能性も生まれた。
しかし、飛熊は頓着しない。眼中にないのだろう。
それが自身に絶対の自信を持つ、帝国最強の皇帝騎士団十飢神が一人、“飛熊”たる所以。
「さて、砥部よ、何故あのような子供達に喧嘩をふっかけた」
飛熊の矛先が、今回の騒ぎの元となったスキンヘッドの男、名を砥部菱紀に向いた。
砥部はふてくされたように横を向き、ボソッと答える。
「奴らが、“獅子王”のことを口にしたからだ」
まるで子供のような受け答えに、飛熊は深く溜息をついた。
「あきれたものだな。十年過ぎても、お前は大人になれないようだな。“獅子王”にどのような想いを抱くのは構わない。しかし、すでに評価の定まった人物のことで争っても、誰にもお前の真意は伝わらないだろう」
言われた砥部は、横に向けていた顔を飛熊に向けて睨みつける。
「気に入らないか? だが、お前の行為こそが、世間では獅子王に降された評価を肯定し補強するものだ」
「違う! 俺はなにも知らずに獅子王を語る連中に、真実を知らしめたいだけだ!」
「違わぬ。お前のやり方こそ、獅子王が最も忌み嫌った方法だ。私からすれば、お前もまた、都合よく獅子王の死体を切り取り、醜い部位を飾るだけの幼児の図工だ」
砥部は自覚が多少でもあるのだろう。その目には怒りに燃えていたが、歯軋りをするのみで、それ以上は言わなかった。
「我らがここに来た目的を忘れるな。今回は勅令である。任務の遅滞及び放棄が認められた場合、速やかに処断する。明日より、任務に励め」
「「「「「ハッ!」」」」」
一応であるが、全員応えた。
「して、先程の少年は何者ですか? 飛熊卿のお知り合いのようですが」
藤宮が燎原隊を代表して質問する。
一人で燎原隊の腕利きを五人抜きもされれば、無視する事は出来ない。
「興味に価いしない。子供など、捨てておけ」
「それは、仮に任務に支障がある場合、斬り捨ても興味がないと?」
砥部が揶揄するように飛熊に当てこするが、飛熊は本当に興味がないように頷く。
「好きにしろ」
砥部や巨漢が笑う。
「では、好きにさせてもらいます」
飛熊は一瞥すると、手を叩く。
程なく仲居が静かに戸を開けた。
「話は終わった。酒をもて」
玄と速水から歓声が上がる。
「ヒュー! 待ってました! 鮑と伊勢エビの舞い踊り」
「ああ、西浜津にきて、鮑を食べない奴はモグリだな」
ワザとか天然だか不明瞭だが、玄も速水も気持ちは数秒前までの会話から間もなく出てくるご馳走に飛び、あっさりと場の雰囲気を変えた。
痛めつけられた弥陀内や不貞腐れていた砥部も、酒の匂いを嗅いだのか機嫌を直し、先程まで黙ったままの小男、渡辺完寿も何処からともなくメニュー表を取り出し、地酒を選び始めた。
「鮑は微妙に旬をはずしているぞ。しかし、あるなら人数分オーダーしろ」
飛熊も気分を変えたのであろう。普段の調子に戻った。
「わかっています!」
速水はメニューから目を離さず、返事だけは勢いよくすると、仲居にあれこれ申し付ける。
こちらも、漸く旅先の夜の帳が開かれようとしていた。
■同日、桜濫暦二四一年十月三日、二〇:一五
西浜津西部の高級割烹旅館アララギが、遅ればせながら賑やかさに盛り上がり始めた頃。
風花たち一行のいる勇喜鮨にほど近い、舶来品を一手に取り扱う大商店『青蓮屋』の寝室。
そこはすでに、盛り上がりきっていた。
「旦那様、宜しいでしょうか?」
襖の向こうより、小柄な老人が部屋にいる主にお伺いをたてた。
襖を開けないのは、中の主人が裸であり、同衾する若い女も裸で寝ているからである。
「どうぞ」
「先程、我々の賞金首ギルドに三木様の首を持ってきた少年への手配が完了しました」
「勇喜鮨いる少年だな」
「よくご存知で。お会いされましたか」
「ああ、ばったり会った。不思議そうな顔で私を見ていたよ」
旦那様と呼ばれた男は、風花が鮨屋の入口で会った隻腕の男である。
男は右肩より失われた、かつて右腕のあった場所を見る。
「殺された三木継は、私にとって文字通り右腕であった。彼がいてくれたから、今日まで生き…」
男は隣で気持ちよさそうに眠る女に視線を移す。
「こうして、人生の旨酒を楽しむことができた」
男は目を閉じ、その死を悼む。
「であればこそ、彼の少年をこの手で殺さなければならない。」
「全て手配済みです。ご指示いただければ、すぐにでも打ち込みをかけます」
「止めよ」
「はっ!?」
「止めよと言ってのだ。あの鮨屋は私のお気に入りだ。店にキズのつくような真似は許さぬ」
「では、酔って帰り際に――」
「それも不要だ。私は、この手で殺すと言ったのだ。それに少年も殺される理由を知らなければ成仏も叶うまい」
「承知しました。では監視をつけます」
「それでいい。明日、私が然るべき決着をつけよう」
「はっ」
すると、襖の向こう側にいた男の気配が消え、部屋には女の寝息が音を支配する。
目を閉じれば、脳裏に浮かぶのは出会った少年の黒い瞳。
男に風花への憎悪はない。
ないが、今、成すべき事は、喪われた右腕以上の存在であった配下であり友でもあった三木継を殺した少年をこの手で殺すだけである。
もはや、自分には左腕だけだが、誰が相手でも問題にならないだろう。
“障壁令”、四桜草士にとっては。
草士が閉ざした目を開く。
二つの黒い瞳は、暗闇にあっても輝きを放つ。




