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因果邂逅のタタリクス  作者: 紅月蓮也
第二章「“最高”なる価値にて、我は狂い咲く」
22/30

第十九話「“最狂”という呼び名」

 ■八年前、某月某日

 

 

 扉は開かない。

 扉が開かないから、何処にも行けない。

 扉の先に行っても、その先に道はない。

 だから、扉の向こう側に、何の希望も懐かない。

 

 そこは何処よりも(くら)く、何処よりも澱んでいた。

 光も空も空気も人生も、希望も何もなかった。

 鎖に繋がれ、押し込められた船倉の中で、少年は輝きを失った瞳をうっすらと開いているだけで、他にしている事といえば、呼吸をする事と大小便を垂れ流すだけであった。

 自分と同じように鎖に繋がれている多くの男女からは泣き声はすでになく、ただただ呻き声だけが船倉を満たす。

 このむせ返るほど澱んでいる船倉に放り込まれて、何日が過ぎたであろうか。

 しかし、少年にはもう何も関係ない。

 わずか七年の人生であっても、守りたいもののために全力を尽くした。

 でも、もういい。

 もう、あの二人は何処にもいない。

 もう、自分の名前さえもいらない。

 もう、死んでも構わない。

 もう、何もない。

 

 座り込んだ足元に、日に一度だけのスープが乱暴に置かれる。

 少年はスープに手をつけない。

 それはスープを置かれた際に、小便まみれの足枷をあえて漬け込まれたからではない。

 蕪とキャベツをくたくたに煮込み、塩だけの味付けで不味いからでもない。

 ただ、食べる理由がなかったからである。

 どれだけ食べていないのだろうか。

 しかし、あの二人も同じように……。

 いや、もういい……考える力も、もう、ない。

 二人がいないのは凄く嫌だったが、それでも二人がいない世界で生きていくことに比べれば、どんな不快な事でも耐えられる。

 先程も「お前達はこれから牛や馬と同じように死ぬまで働くのだ」といわれたが、それもどうでもいいことである。

 少年は目を閉じ、糞尿に汚れた床に横になる。

 もう忘れるほど水も食事もとっていないせいであろう。

 ガリガリに痩せた体力のない身体は、すぐに眠りにつく。

 少年の望みは唯一つ。

 もう二度と、目覚める事がないことだけを祈って。

 

 そして、出逢った。

 真に“最強”と呼ぶに相応しい存在に。

 

 

 

 ■現代、桜濫暦二四一年九月五日

 

 

 修練祭の後夜祭も無事に終わり、明けて次の日。

 いつも通りの時間に、風花は自室で目を覚ます。

 体内時計は完璧に機能しており、一秒たりともずれた事がない。

 今朝は夢見が悪かった。

 夢の続きが気になるのか、風花は両手首を見る。

 その両手首に痣もなく、痩せてもいない。

 それでも、ジッと見続けていた。

 

「どうした? 腕に不調が見られたか?」

 時同じくして、目を覚ました“G”は、風花の様子を訝しむ。

「いや、ただ時の流れを感じただけだ」

「…そうか」

 二人の会話はそこで途切れ、風花はタオルをもって洗面台に向かう。

 

 顔というか、全身が痛む。

 美堂教官の鉄拳を喰らったせいだ。

 訓練兵には一撃ももらわなかったが、さすがに教導部隊出身の美堂芹の格闘術には学ぶ点が多い。先行して一発殴れば、殴らせたまま右腕を掴み、すかさずボディブローを連撃で喰らわされた。

 “G”も横から救援に入るが、美堂は素早くカウンターを繰り出し“より高みにある者(グルファー)”ですら仰け反らせる程の膂力である。

 二人とも顔にアザが出来ている。

 

 顔を洗い、潮の言いつけどおりに髪を整えて戻ると、“G”は見事な巨乳を惜しげもなくさらしつつ、ズボンを穿いている最中であった。

 それをなるべく見ないようにしつつ、風花も着替えた。

「“G”、オレ達サクラ小隊を含めて、修練祭上位小隊に修学旅行に行かせてくれるらしい。場所も決められるらしいが、お前の希望は何処だ」

 “G”はスポーツブラに巨乳をしまいつつ、興味薄げに答えた。

「特には。オレは稟京以外では行った場所は少ない。行った事のない場所であれば何処でもいい」

「そうか。オレは少し足を延ばして自由商業都市連合を希望しようと思う」

「お前が普段からよく読んでいる『“獅子王”戦争』の舞台だからか?」

「よく見ているな。一度は行きたいと思っていたんでね。機会をくれるなら、そこに行きたい」

「好きにしろ。オレもそこを希望する」

 相変わらずぶっきらぼうな“G”であるが、先月の潮との邂逅から、独特の不器用な優しさと思い遣りが見て取れる。

「ありがとう、“G”」

 そして、風花も潮との出逢いから、素直に礼がいえるようになっていた。

「……」

 “G”が無言で眺める風花の口元には、微かであっても笑みがあり、“G”も釣られて同じように少しだけ笑みを浮かべた。

 

「起きているか! 二人とも!」

 ノックなしに乱入してくる桜色の姫様により、“G”の貴重な笑みも瞬時にして霧散し、代わりに普段と変わらない不機嫌な表情が浮かぶ。

 それまで部屋上空で寝ていたQタローが目覚め、目をヒレで擦りながら迷惑そうにしていた。

「桜子、お前はいい加減にノックを覚えろ。それと狭い部屋だから見りゃわかるだろ」

「フン! 私が起こさなければ寝坊する可能性があるだろう」

「あるか!」

「まぁ、それはいい」

「よくねえよ」

「さぁ、今日も走るぞ!」

 朝から無駄に元気な桜色の瞳をしたお姫様に、風花と“G”は溜息をつきつつ、空飛ぶイルカを引き連れ、今日も朝一番からグランドを走る。

 

「いつつ、昨日殴られた顔がまだ痛い」

 桜子は普段は白くすべすべであるはずの腫れた頬に手をあてつつ、風花と“G”を追いかけていた。朝は風花も“G”も飛ばさないので桜子もついていく事が出来る。

「お前は真正面から闘い過ぎだ。一旦、退く事も戦術の一つだぞ」

「将軍のおそばで親衛隊になろうという者が退けるか!」

 今までの風花であれば呆れてアドバイスはしないし、桜子も意固地になって反論するだろう。

 しかし、“G”からみても、二人のやり取りは、先月からあきらかに違う。

「とはいえ、確かに私も不用意に攻撃を受けすぎた感が無きにしも非ずだ。その点は反省せねばなるまい」

「……何故にそこまで上から目線でいうかね。まぁ、そう思えるだけ進歩ではあるが」

 ただの事務的連絡ではなく、会話として成立していた。

 それが誰にとって良いのか悪いのか、それは“G”にも判らない事だった。

 そんな三人の頭上を、半眠り状態でQタローがランニング…ではなくフライングで追いかけていた。

 

 

 この日の午前は座学であり、教室にいる第五訓練中隊を前に、顔を腫らした美堂教官が不機嫌そうに連絡事項を伝えていた。

「此度の修練祭、皆よく頑張った……無論、それに続く『後夜祭』も、な」

 後半から声が極端に低くなっていた。

「特に…真夏屋は“当代最強”の呼び名を得て重畳である。誠に…めで、たい」

 あきらかに嫌々である。

「ありがとうございます」

 言われて恐れ入る風花でもなかったが。

「そんな貴様とサクラ小隊に朗報だ。修練祭の上位3チームに修学旅行が許可されるが、貴様達にもその権利が与えられた」

 

 風花たちのサクラ小隊は上級生の小隊と比べても、こと運動能力に関しては極端に高い。

 小隊別リレーで圧勝し、綱取りレースでも頭脳戦で勝ち抜き、極めつけは剣技トーナメントで風花が優勝するほどの小隊である。一部ではメンバー構成が不公平だといわれている。

「往復二週間の範囲内で希望を出せ。大概は通るはずだ」

 美堂教官の言葉に、サクラ小隊のメンバーは絆創膏を顔中に貼り、笑うと痛む頬に苦労しつつも歓声を上げた。

「いやった! 二週間のオフィシャルな休暇だ!」

「どこに行こうか?」

 山吹と雪蘭はアレコレ夢を膨らませているようだが、クレハがやんわりとたしなめた。

「姉小路様、香上様、今回の件は真夏屋様の活躍が大です。真夏屋様に決める権利があるかと思います」

「う、それもそうね。“G”と桜子ちゃんはそれでいい?」

「オレは問題ない」

「私も公平に考えて、妥当だと思います」

 二人も同意すると、全員の視線が風花に集中した。

「風花くんは、何処に行きたい」

「ここから運河を船で下った西南方向の自由商業都市、西浜津だ」

 

 

『自由商業都市連合』。

 正式名称を中心となる寺の名前から『四天王寺評議会』という。

 四天王寺は、この世界の七柱が第六神“運命の裁神ジャスティ”を信仰する寺である。

 ジャスティは契約と秘密、恋愛と婚姻、裏切りを司る二重人格の女神とされる。森羅万象、法と裁きを司り、右手に裁きの錫丈、左手に法典を持つ。

 しかし、欺きや隠匿を好む面を持ち、法曹関係者や商人達の信仰対象であると同時に、盗賊にも信仰される。

 第一神“始炎の一神アエイカ”の最初の妻であるが、ジャスティの持って生まれた裏切りの業のため、第四神“天剣の戦神星剣”と密通した結果、離婚したと伝えられる。

 

 東方大陸は地政学的にはおおまかに北部、中部、南部の三エリアに分かれている。

 北部の桜濫幕府と中部の東方神楽帝国は『暗黒山脈』と呼ばれる魔境が隔てており、両者のアクセスするポイントは、現在のところ三つに限定される。

 一つ目が、かつて巨人が大型魔獣や未知なる亜人種が無数に割拠する暗黒山脈を、力ずくで北から南まで一直線に縦断して作り上げた“驀進する巨人回廊”とよばれるルート。

 二つ目が、東方大陸西岸からの船による海路。

 三つ目が、東方大陸西岸、暗黒山脈が途絶えた最西部に位置する自由商業都市連合を通過する陸路である。

 ちなみに、東方大陸東岸側の海路は、ここ数百年、海人族により封鎖されている。また、東側の境界線陸路は暗黒山脈が完全に陸路を遮断しているので通行できない。

 桜濫幕府から東方大陸中部に行く方法は事実上、二つ目と三つ目しかない。一つ目の“驀進する巨人界廊”は、帝国によって支配されており、現状では通行不可であった。

 二つ目の海路は、世界の中心部である竜央海から回遊してくる竜たちと接触する可能性がゼロではないし、また海難事故も決して少ないわけではないので危険が伴う。

 一番安全なのが、三つ目の自由商業都市連合の中立エリアを陸路で通る事である。

 

 自由商業都市連合は中立エリアであり、中立性を保てるのは資金力と技術力、そして“獅子王”戦争という歴史的経緯である。

 

 十五年前の開門暦九七五年。桜濫暦二二六年、獣人族・獅子族出身の若き族長であった“獅子王”牙神レンジと呼ばれる男が、暗黒山脈最西端と隣接する自由商業都市連合最大の城塞都市『小田原』にて、獣人族・魚人族などの亜人種を中心に『全種族を包括した法と理性による独立国家』を宣言した。

 国家名を『天秤合衆国』とした上で、東方神楽帝国・桜濫幕府・水穣幕府に対しては独立国家の承認を求めた。

 地理的に離れている水穣幕府は、慢性的に戦争状態である帝国への対抗策の一つとして『遠交近攻』を採っている都合上、天秤合衆国の国家成立を承認し、軍事同盟を締結した。

 一方、天秤合衆国が『領土』と宣下したエリアと隣接、あるいは重複していた帝国と桜濫幕府は国家成立を無効とし、速やかに宣戦布告を発布。ここに五年に渡る“獅子王”戦争が開幕したのである。

 “獅子王”戦争について、長くなるので概略のみ述べれば、“鳳の姫”と呼ばれた一人の少女と、東方大陸最強の“猛虎剣聖”が中心となり、五年の激闘を経て戦争は終結した。

 しかし、ここに禍根が残った。

 “鳳の姫”は敵対関係にあった帝国と桜濫幕府の長きに渡る戦争状態を憂えており、共通する敵が出現した状況を奇貨に見立て、友好関係にしようと文字通り命を懸けて立ち回った。

 その結果、連合軍結成に漕ぎ付け、最終的には“獅子王”を討ち取る事に成功したが、最後の最後で頓挫した。

 “獅子王”戦争終結を祝う戦勝式典にて、三十万の将兵と、その倍以上の民衆が見守る中、壇上で最初の一声を発するべく喉を鳴らすと、口から出たのは言祝ぎではなく、迸る血潮であった。

 “鳳の姫”はその場で絶命した。

 

 死因は「過労死」。

 “鳳の姫”は戦場に出続けていたが、特に訓練を受けた武人ではなかった。士気高揚のために武装し、将兵と共に激戦区に立ち続け、何度も殺されかけながら、勝利を掴んだ少女でしかない。

 十二才の時に温室であった城から飛び出し、苛烈な戦場を五年間も生き抜いた少女には、もう命数が残っていなかったのだ。

 しかし、この上ない目出度き日に絶命する、当代きっての英雄の死は様々な憶測を呼び、帝国と桜濫幕府の友好関係成立という少女の生涯を懸けた夢は、少女の死と共に失われた。

 

 少女の死は連合軍の瓦解を意味し、まとまるはずであった自由商業都市連合の領土配分も、互いに「“鳳の姫”との約束」を連呼した結果、以前よりもさらに険悪な関係となった。

 長引く不毛な交渉と自由商業都市連合を新しくとりまとめた四天王寺評議会の裏工作の結果、自由商業都市連合はほぼ戦争前とかわらない勢力圏を手に入れた。

 

 状況の変革を望み、その生涯を懸けた“鳳の姫”の夢は、歴史の漣の一つとして消え去り、記憶の泥濘の中で眠り続ける。

 

 

 

 ■桜濫暦二四一年十月一日

 

 

 修学旅行許可を申し渡され、行き先の許可と日程調整及びかかる準備を終えて、姉小路山吹が率いるサクラ小隊プラス空飛ぶイルカは自由商業都市連合でも屈指の港町である西浜津に向けて、船で大河を下っていた。

「わぁ~、風が気持ちいい~」

「ぎゅきゅー」

「せっちゃん、そんなに身を乗り出したら落ちるわよ」

 雪蘭と山吹の幼馴染コンビは船の先頭付近で身を乗り出すようにして、全身に風を受けていた。

「ひさしぶりの船だよ。でも便利よね、馬だと十日もかかるのに、船で下ればわずか二日だもの」

「せっちゃん、それは多くの人が血と汗と涙の結晶とも言うべき『紅花べにばな運河』の賜物よ」

 

 紅花運河。

 桜濫幕府開府以前に計画及び建設が開始され、三十年の歳月をかけて完成した大運河である。桜濫幕府首都・稟京南側に北東から南西へ向かう大河であり、人的・商的流通活動の大動脈である。

 現在でこそ商業活動をメインとしているが、当然であるが当初は軍事的必要性から莫大な予算を投入して完成させた。完成に到るまでに費やされた費用・人命は莫大であり、山吹の言う通り血と汗と涙の結晶である。

 

「ねぇ、風花くんは西浜津を決め打ちしていたけど、そこは初めての街?」

 山吹は少し離れた所で同じように景色を眺めている風花に声をかけると、風花はチラリと視線を向けて、また戻す。

「……一度、行った事がある」

「そうなんだ? それって何時の話?」

「…………」

 それに対して返答はなく、風花からは拒絶の雰囲気を出していた。

 そばにいた桜子が噛み付こうとしたが、それはクレハが強い目線で止めた。

 かわりに“G”が口を開く。

「行く事にはかわりない。初めてだろうとそうでなかろうと、どちらでもいいだろう」

 桜子がなんとなく腹が立つのが、この“G”のフォローだ。別に構わないのだが、風花のことをなんでも知っている態度は理由も無くイラつかせる。そうなると口調も荒くなる。

「確かにどちらでもいいが、だからといって周りにいる人間もどうでもいいような態度は見逃せない。それとも第十三期“当代最強”になると、人の価値が変わるとでも思っているのか」

「変わると思います」

 クレハは素っ気無いほどサラリと言う。桜子はガーベラ族の貴人であるクレハから言われて、とっさに反論を口に出来なかった。そんな桜子に構わず、クレハの綺麗な声はなおも続く。

「価値が変わっても真夏屋様の根っこの部分は変わりません。同じように真夏屋様が心を開いても馴れ合うような方ではないと、始めから判っている事ではありませんか?」

 そのクレハの言葉に、桜子を除く全てのメンバーが頷き、桜子は言うべき言葉がなかった。

 しかし、そんな気まずさも、風花が右手をヒラヒラさせることで落ち着いた。

 

「“当代最強”だなんてどうでもいいことさ。オレが修練祭で剣技トーナメントに出場したかったのは、まさに今回の修学旅行のためさ。

 お前達には、西浜津につき合わせて、悪かったと…………思っている」

 風花はそういうと視線をそらした。

 桜子も風花の性格は理解している。また、この男にここまで言われて悪い気がするわけではない。機嫌を直した桜子は、雪蘭が差し出したパンの耳を揚げて砂糖にまぶした御菓子を食べ、仲間達と流れ行く大運河の景色を楽しもうとしたその時、

 

「「「「「!」」」」」

 

 五人の少女達は、気づかぬうちに間近で立っていた男に、戦慄を覚えた。

 

 その男は船の甲板に上がった時から目に付いていた。

 それは甲板に座り、独り昼間から酒をあおっていたからではない。酒を呑んでいる客は他にもちらほらいる。観光客の中にはもっと激しく呑んで騒いでいるのもいる。

 しかし、この男がどんな人間にも気づかれ、同時に無視されるのは、男の周囲に漂う排他と暴力の匂いである。

 目が合っただけで相手に暴力を振るうような、独特の気配を放っていた。

 

「何か御用ですか?」

 代表して、代表者である山吹が男に聞くが、男は山吹には一顧だにせず、その視線の先にいる、物憂げに男を見た少年に釘付けであった。

「お前が“当代最強”?」

 男は山吹の質問にも無視し、首から上だけを向けている風花に声をかけてきた。

「“当代最強”を名乗るなら、俺の事も知っていて当然だな?」

 

 山吹が思うに、この手の絡みをしてくる男は知能が足らない獣が如き愚か者というのが相場であるが、何故かこの男からはそういったいわゆる『三下』的な雰囲気がなかった。

 例えるならば、山で突然であった羆が如き狡猾で最強の獣。

 逃げる事を許さない、獲物を殺戮する危険な状況であると感じた。

 

「知らないな」

 一方の風花は、気にした様子も無く、淡々とした態度であった。

「思い出してほしければ名前を名乗ったらどうだ? 相馬の“狂犬”さん」

 風花のその言葉に、山吹はすぐに目の前の男が何者か悟った。

「相馬の“狂犬”! 去年の『長鳴藩反乱未遂事件』での出陣時に、隣りの蘆名家と些細な事で喧嘩騒ぎになり、蘆名家の精鋭部隊“五拾人首狩り隊”を僅か三人で皆殺しにした“最狂( ・)”の片割れ!」

「はは、詳しいじゃあないか、“当代最強”とその女共は。

 いかにも、お前達の言う“最狂”の看板を背負う俺こそが伊丹十佐、“皆狩り”の十佐だ」

 

 桜濫幕府南東部にある相馬藩出身であり、二十歳そこそこであるが凶悪な強さは広く知れ渡っていた。山吹のいうとおり、喧嘩騒ぎを起こした結果、どのような審議があったかは不明であるが、五十人もの剣士を斬り殺したにもかかわらず御家取り潰しと放逐処分だけで済み、現在は浪人であった。

 

「もっとも俺の方はお前の事は全く知らないが、“当代最強”というのは何処の世界の話だ? 一つ俺に教えてもらおうか」

 すっかりやる気になっている十佐に対し、風花は面倒そうに身体を向けた。

「悪いがオレがそう名乗っているわけではない。オレ達は井の中の蛙と同じ、甘っちょろい連中の中での話しだ。アンタが気にするようなことは何もないさ」

「悪いことはない。ただ“当代最強”と聞けば、その呼び名に相応しいかどうか、試さずにはいられないだろ?」

「気持ちは判らなくないけど、こちらの都合を聞いてからにしてほしいね」

「お前の呼び名こそ、こちらの都合を考えてほしいところだ」

「……以外に面白い事をいうな」

「そうか?」

 双方、会話を進めつつ、十佐は後一歩という距離まで詰める。

 桜子や“G”達はいつでも加勢できる態勢をとりつつ、二人の勝負の成り行きを見守る。

 もっとも、風花は相変わらず物憂げであり、身体を向けようともしない。

 

「その気になれないか」

「なれないね」

「なら、しょうがない、か!」

 

 ダンッ!

 

 伊丹十佐が大きく右足で甲板を踏む。

 すると船の重心が踏んだ足元が中心となり、船内から盛大に音を立てつつ彼らのいる右舷側に傾いた。

「なッ!」

 桜子の驚愕を宙に残し、傾く船に乗っていた人々は近場の物をとにかく掴む。

 

「キャァアアア!」

 

 甲板上から、そして船内から悲鳴が木霊し、船は右から左へ復原し、それに伴い船内の荷物が盛大に崩れ、再び大きな音を鳴り響かせた。

 

「風花!」

 

 “G”が叫び、風花は黒い瞳に火を燈らせながら、この揺れの中でも悠然と立つ男へ正対する。

「その気になったか?」

 さらりと聞いてくる伊丹に、風花は船の揺れをものともせず、一歩踏み出す。

「いいんだぜ、全力で」

 

 少女達の眼前で、両者の姿がブレた。

 二人は同時に踏み込み、わずかに十佐の方が速く拳を繰り出したが、風花はギリギリで回避しつつ、右フックを相手の左頬に炸裂させた。

 十佐はその勢いで顔を強制的に右側に向けられ、しばらく動かなかった。

 

「決まった!」

 桜子は歓声を上げたが、風花はむしろ緊張の度合いを高めていた。

 すると、十佐はゆっくりと顔を正面に戻してきた。

 その様子に、風花は蛇がとぐろを巻く姿を連想させた。

 十佐は殴られた頬を一度なでると口を開く。

「これが“当代最強”?」

「!」

 驚愕する間もなく、一瞬で間合いを詰められ、伊丹の右正拳が風花の顔面に直撃した。

「ぐッ!」

 目から火花が散るほどの威力で仰け反り、風花が舷側へ覚束ない足取りで後退する。

 と、思いや否や、伊丹の延ばしたままの右腕を掴むと同時に掻い込み、左のフックをわき腹に決めた。桜子は、その技に見覚えが会った。

「あれは後夜祭で見せた教官の技!」

 修練祭の夜、食堂で繰り広げられた大乱闘ともいうべき後夜祭で、風花の拳を喰らいつつ反撃してみせた美堂教官のテクニックを、風花はコピーしていた。

 しかし、

「効かないな」

 伊丹にはまるで効果が無く、平然と嗤う。

「井の中の蛙とはよく判っているようだな。世の中、上には上がいる、ってことが」

「しつこい、いわれなくとも、知っているッ!」

 風花は右アッパーを相手の顎をめがけて放つが、伊丹は仰け反るようにしてかわし、そしてその態勢から上半身がバネではじかれたかのような速度で上体を戻し、右正拳突きを放った。

 風花は左腕でブロックしたが、その勢いだけで上体が浮かび上がり、舷側を乗り越え大河に転落していった。

 

「風花ッ!」

 桜子が叫び、“G”が舷側から身を乗り出すようにして落ちた先を見るが、船は流れのままに進み、落下ポイントから一秒ごとに遠ざかる。

「ぎゅきゅー!」

 Qタローが飛んで風花の落ちた場所へ向かっていった。桜子はその後姿をしばらく見ていたが、視線を左に転じた。

「伊丹、十佐殿といいましたか」

「いかにも」

 伊丹は悪びれることもなく、ケロリとした顔で応える。

「他の乗客に対する迷惑行為、及び航行の妨害。船内での私闘行為の上に、他の乗客を船から突き飛ばす事は殺人未遂、場合によっては殺人罪です」

「心配するな、アイツが船から落ちたくらいでは死にはしない」

 地の底から響くような桜子の物言いに、伊丹はまるで気にしてはいなかったし、屈託もなかった。

「貴公が起こした年初の事件ではろくな罪に問われませんでしたが、今回はそういう訳にはいきません」

「ほう、誰が、どうやって俺の罪を問うのだ?」

「決まっている! この場で私が断罪してやる!」

 桜子は刀を抜刀しようとしたが、それは“G”が柄元を押さえて止めさせた。

「“G”! 何故止めるのです!?」

「止めてなどいない。ただ、刀を振り回すのはやめておけ。相手は後で『抜いていない』ことをアピールしてくるぞ」

 いわれて、桜子は舌打ちをする。しかし、相手は犯罪者である。そのまま見過ごすわけにはいかない。風花の事もある。

「なら素手で制圧するまで」

「その通り」

 桜子と“G”は構え、雪蘭が素早く後ろに回りこむ。

 船の動揺は収まり、乗客はホッと息をつく間もなく、次なる戦闘の予感に固唾を呑む。

 が、

「はじめから、お前達では相手にならない」

 伊丹はあっさりと言い捨て、睨みつける桜子と“G”を他所に身を翻した。

「何処へ行く!」

 桜子の誰何に、伊丹は笑って流す。

「やめておけ。何人束になっても俺には勝てない。じゃあな」

 伊丹はそれだけを言うと、サッと舷側を乗り越え、自分から大河に落ちていった。

 ザッパーンと、音を立てて伊丹は消え、恐らくはこの有様を見ていた全員が、ホッとしたに違いない。

 少なくとも、山吹は安心した。安心して、風花の事に気を回すことにした。

 

「桜子ちゃん、“G”、風花くんを助けるわよ。私は船長にかけあって船を止めてもらうから、みんなは甲板から探していて」

 山吹はそれだけを言うと、船尾へ走り出した。

 

 船長は一旦船を止め、捜索と周辺岸への連絡のために二隻の小舟を出してくれた。

 不満げな乗客に対しては、船長と山吹達が説明をし、とりあえず一時間だけ停船をとりつけた。

「風花が水に落ちたくらいでどうこうなるとは思えない」

 “G”は呟き、桜子も頷いた。

「ま、その点は心配していないけど、かといって何もしないわけにはいかない」

 桜子は置きっぱなしになっている風花のリュックから、一羽の青い折鶴を出して持っていた。

 桜子は青い折鶴を掌で挟み、祈るような所作をとる。

だから(・ ・ ・)、風花からの無事の連絡(・ ・ ・ ・ ・)を待つ」

「だな」

 “G”はニヤリと笑い、桜子も微笑みつつ掌を開いて折鶴をみせると、その色が赤に変わっていた。

「来た」

「ああ、無事に来た」

 

 それは風花の乖離調絃律《彼岸弓・壱式【苧環】》。

 離れている相手と心が通じた時に、互いの持ち物を交換する事象を導く。

 

 桜子はニッコリ笑うと、折鶴の翼に書かれた文字を読む。

 そこには「先に行け。すぐ追いかける」とあった。

 

 船は間もなく、目的地に向かって動き出した。

 

 

 

 同刻。

 伊丹十佐は岸に泳ぎ着いた。

 岸に上がり、一呼吸を入れる。すると、

「破ッ!」

 全身から放たれた闘気が、濡れた服から一瞬にして水分を飛ばし、あたりには飛ばされた水分が霧のように舞っていた。

「それにしても、アイツ」

 伊丹の思考は自分に二発いれてきた風花に飛ぶ。

 すると、突如として疲労感に襲われ、思わず膝をつきそうになった。

「たかだか二発だけで、俺に《闘価交換式》を使わせた挙句、二割もの闘気を持っていきやがった。打撃だけなら《硬気功》で防げるレベルだが、それをぶち抜いてきたアイツの闘気。魔属性でも持っているのか?」

 伊丹は急激な揺り戻しに耐えつつ、風花の顔を思い浮かべる。

 

「くくく」

 すると、何故だか笑いが込み上げてくる。

「おもしれぇ、アイツら西浜津に行くっつってたな」

 

 伊丹には目的地はない。

 ただ流れ行くだけの流浪人るろうに

 その彼に、数ヶ月ぶりの目的が生まれ、そこに向けて歩みだす。

 

 


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