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因果邂逅のタタリクス  作者: 紅月蓮也
第二章「“最高”なる価値にて、我は狂い咲く」
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第十八話「“最強”という称号」

 “最強”

 その言葉の通り、『最も強い者』を意味する。

 問題はその意味する言葉から連想される固有名詞。

 

 ここ東方大陸にて、“最強”を標榜する、あるいは呼ばれている存在は幾つか在る。

 

 東方大陸北部、桜濫幕府の絃律騎士団“獅子天秤”。

 東方大陸中部、東方神楽帝国の皇帝騎士団“十飢神じゅっきしん”。

 東方大陸南部、水穣幕府の仙術使い“六歌仙”。

 

 上記の三集団は桜濫暦二〇〇年(開門暦一〇〇〇年)頃、物語の時代に活躍した者達であり、ほんの二十年前には“六歌仙”を除き全く別の顔ぶれであった。

 

 過去・現在・未来を貫き、大多数の人々による共通認識として“東方最強”を冠する事が許されるのは僅か三集団に限定される。

 南方大陸からの侵略軍に対し、圧倒的火力を前に剣技・体術・闘気で挑んだ“剣蘭業火ノ衆”。

 そして、南方大陸の力の象徴たる『銃火器』に対し、世界の理に《禁銃》という概念を織り込み無力化した“十二交響詩篇”。

 残る一つは、この時代にはまだ未登場である。

 いずれにせよ“最強”と呼ばれた存在たちは、全身から迸る血と散らした命をもって、時代の先駆けとなり、新たな時代の呼び水となった。

 また、“最強”と呼ばれる存在が同時代に揃うということは、戦乱の事実を未来に伝える一つの指標である。

 

 

 

 ■桜濫暦二四一年九月四日

 

 

 

 王下親衛訓練学校校庭中央部に設置された決闘区画において、二人の男が静かに睨みあっていた。

 一人は三月に卒業する第十一期生、氷上剣理。

 そしてもう一人は、第十三期生、真夏屋風花。

 氷上は溝口派一刀流と無外流を学び、十三期に渡る訓練学校の歴史でも五指に入るレベルであり、すでに“剣豪”の称号を正式に授与されていた。

 氷上は刀を大上段に構え、切っ先に到るまで気を充填している。

 相対する風花は東方大陸南部で伝承されているタイ捨流を修め、愛用の太刀を右肩に乗せて、寧ろ身体から力を抜いたような風情であった。

 

 『修練祭』

 十三年前に王下親衛訓練学校が開校して以来、9月第一週の土曜日曜の二日間にわたり開催される、いわば体育祭である。

 土曜と日曜の午前は、全校全訓練兵が参加し、それぞれ複数の競技に挑みポイントを競いあう考課測定の一環であるが、実質的にはお祭である。

 考課測定としてきっちりと機能しているのは、日曜午後の部からはじまる、剣技トーナメントであった。

 

 剣技トーナメントは基本的に卒業を控えている本科三回生がメインであり、事前に総当りで試合をしてランキングが発表され、修練祭当日のトーナメント出場者が決定される。

 ただ、本科三回生でなくとも、剣技に優れた訓練兵はいるわけであり、希望者の自薦と教官からの推薦によってエントリーは可能である。

 毎年、三回生以外の出場者はいて、特に第三期卒業の『不知火百合子』は本科一回生で出場し、対戦相手全員を開始一秒で倒した実績がある。

 ちなみに風花たちの選任教官は桜濫幕府のエリート中のエリートである教導部隊から派遣された美堂芹であるが、教導部隊から出向されるようになったのも、不知火百合子が強すぎて当時の教官では一秒たりとも闘えないための処置である。

 

 風花は自薦と教官の推薦を取り付け、本科一回生だけの予備トーナメントにて、準決勝で“G”を破った桜子を決勝で降し、修練祭当日の出場権を手にした。

 そして当日、決勝まで勝ち上がり、訓練校当代最強といわれる氷上剣理と相対する事となった。

 目指すは優勝。

 この修練祭トーナメントの優勝者に与えられる“当代最強”を得るために。

 

 

 両者は周囲で勝負の成り行きを見守る数百の人間の視線の中、深く静かに戦闘思考を巡らせ、大気の震え、瞬きの瞬間を狙い、刹那の邂逅を待つ。

 二人の緊張感は観戦する数百の人間に微動たりとも許さず、しわぶき一つも許さず、一秒ごとに際限なく大気の密度を高めていた。

 

「………………………………………………………………………………………………」

 

 無限に等しい「無」の空間は、さながら割れる寸前の風船そのもの。

 破裂の瞬間は一迅の風によって齎された。

 その風は、桜濫幕府首都稟京を朱に染め上げた紅葉が一葉、両者の視線交叉路を一撫でしたその時!

 

 豪ッ!

 斜ッ!

 

 氷上は大上段からの唐竹斬りを、風花は右袈裟斬りを、交叉路にある紅葉を切断する軌道で放つ。

 

 ヒラリ

 

 紅葉は両者の斬撃をかわすかのように葉を翻し、剣戟は一瞬前の紅葉の位置にて火花を散らす。

 風花の右袈裟斬りは氷上の唐竹斬りの軌道を左にそらしつつ態勢も崩させ、すかさず得意の右下段蹴り、タイ捨流《足蹴》を相手の左脛を狙い放った。

 

「!」

 

 氷上は風花が蹴りを使ってくる情報を聞いていたので、この攻撃は十分に読んでいた。風花の左側を飛ぶようにして回避し、反転して横薙ぎの斬撃で反撃する。

 風花は太刀で受け止めようとしたが、それは氷上の罠だった。

 氷上は風花の太刀を巻き取り、相手の手から太刀を空高く飛ばした。

 

「風花ッ!」

 観戦している同期であり、同じ第五訓練中隊第三小隊、通称『サクラ小隊』所属の桜塚桜子は我知らず声を上げるが、すでに風花は次の行動に移していた。

 奪われた太刀に目を向けず、すぐさま左腰の脇差に手を伸ばす。

 氷上はそれを視認するも、脇差では間合いは遠く、また風花に踏み込ませる余裕も与えずトドメの斬撃を送った。

 

 しかし!

 

「…あッ!?」

 と、観戦者達が驚愕したのは、風花は脇差ではなく、太刀を収めていた鞘を握り、振るった事であった。

 風花は鞘も簡単に取り外せる仕掛けを施しており、鞘による居合いは、氷上のトドメの一撃よりも迅かった。

 この時、氷上が横っ面を鞘で強打される事を怖れずに踏み込んでいれば、勝敗はまた違ったかもしれない。

 しかし、想像以上の速度で襲いかかる鞘による斬撃に対し、氷上の身体は後方回避を選択した。

 

 チッ!

 

 仰け反るようにして回避する氷上のアゴを僅かに掠る。

 桜子は落胆したが、勝負はこの時点で確定した。

 

「!?」

 

 突如、氷上の視界はブレ、自身の位置を見失う不可思議な現象に襲われたのだ。

 これはボクシングでいうところのフックと同じである。

 脳は例えるならば頭蓋骨という箱の中で水に浮いている豆腐である。アゴを起点に揺らす事で、水に浮いた豆腐は箱に当たり破損するように脳震盪を起こしたのだ。

 一瞬の虚脱を、風花が見逃すわけも無く、鞘は正確に喉元を突き、氷上を悶絶させる。

 氷上は一歩後退したものの、無様に倒れる事はなかった。

 なかったが、ただそれだけであった。

 先程、宙に飛ばされていた太刀は、風花が手を伸ばした先に落下してキャッチされ、まだ視点の定まらない氷上の眼前に突きつけられた。

 

「それまで!」

 

 審判の桜濫幕府剣指南役、鵜方閑斎が白扇を上げた。

 一瞬の静寂をもち、風花がゆっくりと切っ先を下ろすと、なんともいえない空気が周囲を満たす。

 身分が最下層である風花の勝利が気に入らないのであろう。

 その空気に反発するように、

「オオオオッ!!」

 まず風花と同室であるレティシア・“G”・ストレリチアが怒号を上げ、桜子と空飛ぶイルカのQタローがバシバシ拍手をし、半瞬遅れて同じ小隊の小隊長である姉小路山吹・香上雪蘭・龍居クレハ、その双子である龍居カエデが「わぁ~~」と歓声を上げながら拍手をする。

 若干疎ら気味ではあったが、後追いで第十三期第五訓練中隊から拍手が起こり、続いて上級生からも腕に覚えがある面々から拍手が沸き起こった。

 すると嫌々ながらも、秋の修練祭会場となっている校庭にいる面々から拍手が沸きあがり、第十三回修練祭は一応の終了を見ることとなった。

 

 

 

 夜。

 一年中といっていいほど訓練漬けの訓練兵にとって、ほぼ唯一くつろげる場所は食堂である。この日はお疲れ様という意味もあり、肉類もふんだんに振舞われ、どの訓練兵たちも明るく賑やかであった。

 無論、食堂右奥のテーブルを占拠する十数人も例外ではなく、もっといえば何処のテーブルよりも賑やかであった。

 

 そのテーブル横で視線を集めつつ立つのは第五訓練中隊中隊長兼第二小隊小隊長である会津月乃である。

「皆様、グラスは持ちましたね…では、真夏屋風花くんの第十三回修練祭トーナメント優勝を祝して」

「そして、『当代最強』の称号に!」

 風花と同じ小隊の姉小路山吹が、横からセリフを挟み込む。

「乾杯!!」

「カンパ~イッ!!」

 一斉に唱和され、互いにグラスをぶつけ合い、一気に飲み干す。

 ちなみに、グラスには山吹の実家がある飛騨藩の名産品である桃ジュースが注がれており、残念ながら酒ではない。

「いやぁ~、風花くん、よく氷上先輩に勝てたわね」

 寡黙に飲む風花に構わず、山吹は顔を不必要なほど近づけてきた。

「…顔が近い。それとオレが剣理クンに負ける前提なのは疑問だ」

 風花は迷惑そうに応えるが、以前のように淑女の顔を無遠慮に押し返すような事はしなかった。もっとも、山吹はそのようなことを気にもしなければ怯みもしないが。

「まぁまぁ、ウチの実家自慢の桃ジュースをもっとグッといってよ。もっとグッと!」

 ニコニコ笑いながら風花のグラスにお替りを注ぐ山吹に、風花は微かに口元に笑みを浮かべ、同席している面々は誰もが目ざとく気がついたが、それは指摘しなかった。

 指摘したのは別の事であった。

 

「風花くんは氷上先輩の事を名前で『クン』付けしているケド、そんなに親しいの?」

 右の人差し指を立てながら聞いてきたのは、桜子と同室で第五訓練中隊第二小隊、通称ムーン小隊所属の榊原良子である。もっとも、彼女の疑問は、やはり同席している少女達の共通疑問であった。風花はあっさりと頷く。

「ああ、そうだ。剣理クンはオレの身分が低い事を知って初めて声を掛けてきた上級生だ。といっても会話するわけではないけど」

 

 

 修練祭トーナメント決勝で対戦した第十一期生である氷上剣理も風花ほどではないが、この身分の高い人間が集まる訓練校では、身分的に下から三番目に低い階層である。ちなみに風花がくるまでは下から二番目であった。ちなみに、現在の下から二番目の階層は、金持ちの商人出身者である。

 氷上も身分の低さでは相応に苦労したが、彼は物心がついたときから剣を学び、十五歳にして溝口派一刀流の皆伝を受けた。現在は溝口派一刀流を定期的に学びつつも無外流修得に努めている。ちなみに、氷上が通っている道場は、桜子が学ぶ片岡道場とは別の山本道場である。

 いずれにせよ、氷上は自身の経験から風花を案じて声を掛けようとしていたらしい。

 その矢先、風花が転入初日にして夜の食堂で、名前は忘れたが『某訓練兵』をはじめ合計五人に囲まれていた。氷上が助けに入るべきかと思案しかけたが、それも一瞬だった。

 

 正に一瞬。

 

 絡んできた某訓練兵の顔面を殴り飛ばし、一撃で昏倒。

 続けて残る四人も一撃必殺。

 食堂も一瞬で静寂に包まれた。

 そして次の日、今度は校舎裏で見かけた。

 風花を囲む人数は十人に増えていた。おまけに腰には刀を差し、今にも抜きかねない殺気を放っていた。

 流石にマズイと思い、走りかけたが、それも無駄足になった。

 

 正に一撃。

 

 風花の右下段蹴りが正面の訓練兵の左足に炸裂し、炸裂した足はへし折れた。

 ソレを見た取り囲む訓練兵たちは反射的に刀を抜いたが、これは大失敗だった。

 丸腰の風花の正当性を補強するのに役立てただけであった。

 風花は切りかかる訓練兵の斬撃を、せせら嗤う様な風情でかわし、拳と蹴りを放ち、全ての相手は一撃で昏倒させた。いずれの訓練兵も手首を折られ、アバラを折られ、足を折られた。

 十人全員を倒した後に、最初に足をへし折ったリーダー格の男の顎を右手で掴んで自分の目線まで持ち上げると、掴んでいた手にギリギリ力を込めた。

「アンタ等が何処の誰だか全く知らないし覚える気はない。しかし、アンタ等は覚えておけ。

 今後、この真夏屋風花の前に立てば出会った回数分、必ず身体のどこかの骨をへし折る。

 こんな風にな」

 風花はためらうことなく、左手で相手の右人差し指を摘むと第一関節からポキリと簡単に折って見せた。

「~~~!」

 悲鳴を上げたかったが、がっちり顎を掴まれていたのでソレすら許されなかった。

「声を上げることもないし、返事をする必要もない。何故ならこれから顎を砕くからだ。それがオレからの最終通告と思え」

「~~!!」

 顎を掴まれている男は涙を流しつつ許しを乞う。

 こんなハズではなかったのだ。少し身分による処し方を教えてやろうと思っただけなのだ。

 しかし、目の前の下民は天地ほど身分の離れた自分を、虫けらを見るような目で虫けらのように捻り潰そうとしている。冗談でも脅しでもなく、顎を潰そうと力を込めている。恐怖と痛みは絶頂に達し、失禁していることすら気がつかなかった。

 あと一秒、力を込められていたら顎を砕かれるというところで、力が緩んだ。

 気がつくと、そばに一人の青年が物静かに風花の右腕をそっと触れていた。

 

「そこまで」

 もちろん、その青年は氷上剣理である。

 風花は当時、氷上の事を知らない。故に相手の増援かと思ったが、目の前の男はあえて無防備に立っている。敵ではない事を示していた。

 だから、

「……………」

 黙って睨みあう形にしかならなかった。

 ややあって、氷上から口を開いた。

「俺は第十一期生の氷上剣理という。この騒ぎの一部始終を見ていた。この男達が卑怯にも十人で一人のお前を囲み、あまつさえ校内で抜刀した。それは俺の名に懸けてキッチリと報告しよう」

 

 至誠と真摯な態度は必ず伝わる。

 それが血に飢えている獣であっても。

 少なくとも風花には伝わった。

 風花はあっさりと右手を離し、掴まれていた男はドサリと地面にだらしなく座り込んだ。

 そして、失禁に引き続き、脱糞した。

 

 結局、この騒ぎで風花は特に罰も訓告も受けなかった。

 間もなく美堂教官をはじめ数名の教官が来たが、状況は一目瞭然であり、また氷上が状況を説明し、襲撃側も反証を行わず氷上の説明内容に了承するだけであった。

 校内で私闘による抜刀は退学だけでは済まない。

 本来であれば軍法に照らし、しかるべき処断を下される。

 ただ、そうなれば後の報復が風花にかかってくる可能性があった。

 美堂教官は風花に説教をすることは無かったが、風花への心配は口にした。

 風花は「気にしない」と口にしたが、美堂教官は悲しげに睨むので、溜息を吐きつつ了見を変えた。

「では、そいつらの親に伝えてほしい。一人二十両で、オレが免罪嘆願書を提出すると」

 名案であった。

 このままであれば、襲撃者達を処断せざるを得ないが、襲撃された側が嘆願書を提出するならば襲撃者側に恩を着せることもできる。その上、襲撃者側が金銭を風花に渡すという事実は、襲撃者側に後ろ暗い事を示している事実を残すことになる。

 美堂教官が各家に申し入れたところ、いずれも即答で応じ、風花の手元には二百両が入り込んだ。ちなみに、当時の一般家庭の年収は十両ほどである。

 脱糞した襲撃者のリーダー格は自主退学した。他は罰こそ受けなかったが、怪我の療養も兼ね、三ヶ月の自主停学を申し出て了承された。

 

 

「へぇ~、転校初日から色々と噂が絶えないと思ったけど、そういう事もあったんだ」

 山吹は感心したように何度も頷く。

「しかし、十人がかりで、それも真剣で囲むとは、同じ訓練兵として情けない!」

 憤慨するのは、正義感の申し子である桜子である。いつもながら、桜色の瞳をメラメラさせて、本気で怒っていた。

「それがきっかけで、氷上様と真夏屋様はお付き合いすることになったのですか?」

 おっとりと上品に聞いてくるのが、龍居カエデというガーベラ族の貴人である。

「お付き合いっていうほどではないけど、まあ会った時に一言くらいは交わすようになったな。たまに夜、屋上で溝口派一刀流の型を見せてもらっている」

「でも、『剣理クン』なのでしょう?」

 これはカエデの双子であるクレハである。

 風花は性格的に「先輩」と呼ぶことに抵抗を覚えるし、氷上も呼び捨てで構わないという。

 しかし、いくら上下関係に頓着しない風花でも、嫌いでもない相手を呼び捨てにできないので気がついたら『剣理クン』と呼ぶようになり、『剣理クン』からは『風花』と呼び合う仲になっていた。

「まあな、剣理クンもあまりしゃべらない方だし、そもそも言葉なんかなくとも剣理クンとは会話が出来るさ」

「言葉がなくても会話が出来る? 言葉がなければ会話にならないだろう」

 桜子ははぐらかされたと思ったのか、少し言葉がキツくなった。

 それに答えたのは、風花ではなく今まで黙っていた“G”である。

 

「本当に心が通じ合えるなら、言葉など寧ろ互いの心を隔てる障害にしかならない。それは風花とうしおが教えてくれた事だ」

 

 潮とは、一ヶ月前に切腹して果てた時詠家当主、時詠潮の事である。

 風花たちサクラ小隊にとって、一週間だけの仲間であり、風花にとって永遠の君主である。

 潮の名前が出て、明るかったテーブルに影が差す。

 桜子も自身の不明を恥じ、会話の接ぎ穂を探すも、正に言葉に出来なかった。

 

「~~♪」

 

 この時、機嫌よさそうに正体不明の鼻歌を歌いながら飛んで来たのは、空飛ぶ不自然なイルカ、その名も『Qタロー』である。

 Qタローはお盆に大量の鳥唐揚げとご飯スペシャル盛りを乗せて、機嫌良さそうにやってきた。

「ん、相変わらずお前は大食いだな。そういえば修練祭が終ってから姿が見えないと思ったが、何処に行ってたんだ?」

 風花が素早く話題を変えつつ、Qタローの席をあけるために、席を移動した。

「ぎゅきゅ!」

 Qタローはお盆をテーブルに置くと、腰から下げていた竹の皮の包みを差し出す。

「ぎゅきゅ!!」

 そこには空飛ぶイルカのバイト先である『鰻の串兜』で焼かれた鰻の蒲焼が大量に包まれていた。

「おぉ、これは豪華ですね」

「とても良い香りです」

 空気の読めるクレハとカエデが会話に乗り、

「美味しそう~」

「た、食べていいのかな、かな?」

 で涎を垂らさんばかりに、鰻に被りつく気配を見せるのが山吹とその幼馴染の雪蘭である。雪蘭の左手には、すでにご飯茶碗を持ち、右手の箸は鰻をロックオン済みである。

「コラコラ、せっかくのQタロー君からの優勝祝いなのよ。一番箸は風花くんでしょ」

 あきれたように月乃が制するが、風花は一向に気にしてはいなかった。

「Qタローありがとな」

「ぎゅきゅ!」

「それでは、Qタローの心づくしだ、みんなでいただこう」

「よっしゃぁ!」

 雪蘭は一番大きい腹の部分を取り、ご飯にのせると、

「うな丼、うな丼♪」

 奇妙な節を付けつつ、鰻とご飯を掻き込んだ。

 

 それぞれ鰻をいただきつつ、風花はその様子を眺めながら、やはり想いは亡き主を偲ぶ。

 きっとここにいれば、満腹であっても無理して食べたであろう、心優しく心強い男装の少女は明るく場を盛り上げてくれたに違いない。

 “紫苑の騎士”である自分は、少しでもそれが出来るであろうか?

 そのような事を考えていると、桜子と“G”がジッと自分を見つめているのに気がついた。

 

「どうした?」

「いや、風花も雰囲気が変わったな、と思っただけだ」

「そのとおりだ。それも、貴様は良い方向に変わった。仲間のために何かをしてあげたいという気持ちは、十分に伝わっている。勿論、ここにいる全員に」

 “G”と桜子の言葉に、誰もが一斉に頷き、Qタローはニシシと笑い、風花は微笑しつつ、Qタローの頭をそっと撫でた。

 

 

「風花」

 しばらくして、話題の半分をさらっていた当の氷上剣理が食堂にくるなり、まっすぐ風花の元へきた。

 風花も含め、一斉に起立した。したが、すぐに氷上から座るように手で示され、すぐに着席した。

「剣理クン、喉はもういいか?」

「ああ、あれは効いた。まだ声が枯れている」

「…いや、普段から剣理クンはしゃべらないから、枯れていても判らないぞ」

「こら、風花」

 桜子が窘めるが、やはり氷上は首を横に振るだけである。

「確かに、俺に声は不要だった。だが、お前の勝利だけは讃える」

「ありがとう、剣理クン」

 互いに口元に笑みを浮かべ、拳をぶつけあった。

 

 

「…何、闘った同士で馴れ合ってんだよ」

「氷上も真夏屋ごときに負けやがって」

「そもそも蹴りなんてありかよ。剣技を競い合っているんだぞ」

 

 聞こえよがしに悪態をつくのは、氷上と同じ三回生であろう。

 “G”と桜子が立ち上がりかけたが、風花の鋭い一瞥を受けて、浮きかけた腰を下ろした。

「相手にするな。無視無視」

 風花にすれば、優勝する前からこの手のことを言われるのは予想の範囲内である。

 “G”と桜子は不満ではあったが、風花本人がそういうならば黙るしかない。

 しかし、相手は調子に乗り、いらないことを言い始めていた。

 

「大体にして真夏屋は本当に強いのか? あいつは転入初日に大量に金を巻き上げたそうじゃあないか。その金を使えば氷上に勝ちを譲らせることも出来るだろ」

「それもそうだな。氷上の家も武士とは言えない郷士風情で、貧乏だからな」

 

 嘩ッ!

 

 勢いよく風花が立ち上がり、なおも悪態をつく三回生に殴りかかろうとして、

「破ッ!」

 氷上に先を越された。

 氷上は一番近い男を殴り飛ばし、次いで座っていた男の顔をテーブルに叩きつけた。

「てめぇ! 何をしやがる!」

 座っていた三回生達はいきりたち一斉に立つが、氷上は全く動じなかった。

「『何をしやがる』の前に、自分の発言を省みる事だな。真夏屋は俺に勝った。それが厳然とした事実だ。そして、俺に負けたお前達は真夏屋よりも弱い。簡単な三段論法だ。真夏屋に喧嘩を売りたいと言うなら止めないが、恥をかくだけだと忠告だけはしといてやる」

 氷上は冷たく言い放ち、言われた方はより頭に血を昇らせる。

「元はといえば、お前がだらしねぇからだろうが!」

「どれだけ怒鳴ろうが、お前達では風花に勝てない」

「上等だ!」

 氷上の正面にいた男が殴りかかるが、そのようなテレフォンパンチ(みえみえの攻撃の事)など氷上クラスに当たるわけが無い。呼吸するよりも簡単にかわし、あっさりとカウンターを叩き込んだ。

「風花、手出し無用」

「了解」

 振り向かずにいう氷上に、風花もテーブルに座ったまま箸を持った手を挙げて応える。

 そうこうしているうちに、右に左にバッタバッタと殴り飛ばす氷上。身分が低かろうが、氷上には誰も触れる事すら適わない。

「クソッ、コイツつぇ……」

「当然だ、オレ以外で勝てると思うほうがどうかしている」

 風花はQタローが買ってきてくれた鰻の蒲焼を食べながら観戦していた。

 また、その態度がふてぶてしく、氷上を囲む訓練兵達を怒らせた。

「女共に囲まれて良い身分だなぁ、オイ!」

「…やめとけ、モテナイ男の僻みにしかきこえないぞ」

 氷上は呆れて呟く。品の無い身分の高い三回生の雑言は続く。

「この後は部屋に時化こんで、ひっかえとっかえ尻軽女達で楽しむのか」

 これを聞いて桜子は激昂するが、机の下で山吹に手を掴まれて動けなかった。

 余裕を見せていたのはクレハとカエデの双子姉妹である。

「キャ、そうしたら赤ちゃんが出来ちゃいます」

「その時は責任をとってもらって、結婚してもらいましょう」

 ウフフと笑う二人を、“G”が翡翠色の瞳で睨みつけるが、それに気づいた双子は面白がってよりキャアキャアしはじめた。

 もはや三回生は怒り心頭である。

 

「真夏屋が一月前に時詠潮に切腹の作法を教えていたらしいが、どうせ扇子や木刀を替わりにした『無様な死に様』だったんだろうさ」

 

 騒いでいたクレハとカエデは黙り、風花を中心にしたテーブルが一瞬で静寂に包まれる。

 いや、イスを蹴り飛ばす勢いで立ち上がった紅一点ならぬ黒一点の男を除いて。

 その静寂は、食堂全域を飲み込むほどの“気”を孕んでいた。

 

 コツ。

 

 風花が一歩踏み出す。

 

「な、なんだよ? なんか文句でもあるのか!?」

 

 コツコツ。

 

 風花は氷上の横を抜け、氷上を殴ろうと固まっている男を脇にどけ、一直線にその男を目指す。

 

「く、くるなよ。あっちでおとなしくメシを喰ってろよ」

 

 コツコツコツ。

 

 狼狽する男の周囲にいる連中も、何故か風花に道を譲る。

 

 コツッ。

 

 風花が、男の正面に立った。

「あ~、こりゃ死んだな」

「ぎゅきゅ」

 山吹が溜息と共に呟くと、Qタローもドンブリを手にしたまま頷いた。

 

「うわぁ~!」

 三回生の男はヤケになったように風花に殴りかかり、風花は殴りかかった拳めがけて、自身の拳を正面から叩きつけた。

 

 バキッ!

 

 身の毛もよだつような音と共に、三回生の男の拳の骨が折れ、肉と皮を破って折れた骨が飛び出してきた。

「ギィヤァアァアア~!」

 男は右手を抑えながら七転八倒したかっただろうが、風花がそれを許さなかった。

 風花は男の頭を掴む。

 

「アンタ、さっきからうるさいよ」

 そのまま頭をテーブルに叩きつけ、テーブルを木っ端微塵に砕いた。

 男は、それっきり静かになった。

「き、貴様、二コ下のくせに!」

 すぐとなりにいた男が殴りかかってきたが、風花が迎撃するよりも早く、その隣りで見ていた別の三回生である女子訓練兵に張り飛ばされた。かなり強く張り飛ばされたのか、あるいは奇襲だったためか、テーブルに手をつくほどの衝撃を受けていた。

「な、何をする……」

 頬を張られた男は痛みと屈辱に耐えながら張り飛ばした女子を睨みつけた。

「アンタ達、さっきからかっこ悪いよ。聞いていてムカついてきたわ!」

 気がつけば、悪態をついていた男達の周りに、別の訓練兵たちが立ちながら睨みつけていた。

「関係ない奴は引っ込んでろ!」

 張り飛ばされた男が女子を殴り飛ばしたが、すぐに別の訓練兵に殴られ、床に転がされた。

 それを合図に、敵も味方も次々に増殖する、敵味方不明の大乱闘が始まった。

 先程から風花の手前、怒りを抑えていた“G”と桜子も参戦し、Qタローは両手…ではなく両ヒレに唐揚げ定食を乗せたお盆を持ち、鰻の蒲焼を広げた大皿は頭に載せてフワフワ天井付近で滞空していた。

 風花は前後左右から殴りかかってくる上級生を片っ端から殴り飛ばし、先程から自分を援護しようとして殴られている女子を中心にした上級生の救援に入る。

 もっとも先輩女子達も訓練兵である。殴られつつも、相手を殴り飛ばし蹴り飛ばし、鼻血を出しつつ互角に闘っていた。

 

「何の騒ぎだッ!」

 

 雷鳴が落ちたかという程の怒号が、食堂の喧騒を貫く。

 何時もの如く、美堂芹教官である。

 大乱闘の場と化した食堂をズカズカと入り、大乱闘の中心部に目を向けると、そこには何時もの真夏屋風花が一人涼しい顔で立っていた。

「また貴様か!」

「また、の意味が不明です。それに原因はオレにはありませんよ」

 その言葉に「そうだ!」という声が飛んだ。

 美堂教官は周りの顔色を見て、その点を認めつつ、しかし厳しい口調で続ける。

「そうであっても、これだけの騒ぎを起こしてただで済むと思うな!」

「タダ? 相変わらず言っている意味が判りません」

「なんだと」

「タダで済む話ですよ。何故ならこれは本日のメインイベントである『後夜祭』、全学年問わず希望者全員出場可能な『根性入れ大会』です。

 その趣旨は、腐った根性をした連中を学年問わず指摘して『矯正』することが許された上下関係を超えた共同イベントです。

 この場にいる全員の賛同の上おこなっているので、教官殿は引っ込んでいてください。ああ、もちろん開催時間は食堂の閉まる九時までです」

 いけしゃあしゃあ語る風花を後押しするように、三回生からも「そのとおりだ! 空気読め!」と幾つも声が飛ぶ。

「…いつそんな許可を得た?」

「必要ないですよ、許可の下りない許可なんて」

「…良い度胸だ、十分に私から矯正してやろう」

「やめといた方がいいですよ」

「なんだと?」

「もちろん、参加者は希望者全員なので教官殿も参加可能ですが…」

 風花はもったいぶって途中で言葉を切り、美堂教官はイライラしながら後を促す。

「どういう意味だ?」

「教官殿が負けるとはいいませんが、ただでさえ『老嬢』扱いされて婚期を逃しかけているのに、この後夜祭にエントリーすれば余計な噂を増やしますよ」

「ぶぷっ」

 風花のすぐ隣にいた女子三回生たちが口元を抑えつつ噴き出した。噴き出したため、鼻から血がぷっと飛んだ。

 ちなみに、噴き出したのは彼女達だけでなく、多くの訓練兵が笑っていた。主として女子であったが。

「…………後夜祭イベントの残り時間はあと十五分ほどか…ギリギリか、全員ハリ倒すのに」

「ハイ、ギリギリですね。もちろん、教官殿の結婚の方の話ですが」

「もう殺す!」

 

 美堂芹、御年二十八歳。野獣と化して後夜祭イベントの中心に殴りこむ。

 再び食堂は狂乱の渦と化し、残る十五分と二十四秒、血の気の多い輩は修練祭の名残を惜しむ。

 


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