外伝「Qタロー就活をする」
■八月五日、一一:〇〇
齋藤養一郎、今年で五十歳。背丈は一五五センチほどで、小柄である。
現在は、ここ「猛省堂書店池袋店」で店長を務めている。数多くの店舗の店長を歴任し、勤続二十四年の大ベテランである。
二十四年も働けば、良くも悪くも色々な客に出会うものだが、その経験豊富な齋藤店長をして驚愕させる『お客様』が来店中であった。
それは、
「ぎゅ、キュ~」
時々、困ったような声を上げながら、店舗外側壁面のスペースに置いてある無料配布の求人冊子を片っ端から読む、ふわふわ浮かぶイルカであった。
このイルカは、開店時間である十時に一番で入店し、現在に至る。
池袋は稟京西部に位置し、商店をはじめ、居酒屋や風俗店が犇めき合う、最も栄えているエリアの一つである。
その一角に、坪数二百坪の書店があるが、そこが今、浮かぶイルカがいる場所でもあった。
齋藤店長は新刊雑誌を並べ、補充品の書籍を棚に差し込んでいたが、やはり気になるのは求人情報に首っ丈なイルカだ。
この浮かぶイルカを、齋藤店長はとりあえず「青吉くん(仮称)」と名付けた。
青吉くん(仮称)は尾ヒレを左右に振りつつ、隅から隅まで求人情報を読みふけり、たまに冊子にペンでマルをし、あるいは望む情報が見つからず、次の冊子をヒレに取り、ページを開く。
齋藤店長の明敏な記憶力の中には、お客様からの質問に対応するための様々な知識や情報が蓄えられている。その中には求人情報関係もあるが、「初心者大歓迎!」というフレーズは軽く千件は見たと思うが、「イルカもオッケー!」という記述はなかったと思う。
いや、それよりも、海に生息しているはずの哺乳類がフワフワ浮いて、本屋で立ち読みしている事に、何故誰も不思議に思わないのであろうか?
この世知辛い昨今、他人への興味が薄れているとはいえ、常識的に考えれば、イルカが陸の上にいれば驚くのが普通ではないだろうか?
それとも、昨日の歓送迎会で呑みすぎて、まだ二日酔いの影響が残っているのであろうか?
青吉くん(仮称)は読み終わると溜息をつくものの、それでもめげずに新しい求人冊子を開く。
齋藤店長はすでに白髪で髪は薄いが、人情には篤かった。
若そう(?)なのに、溜息をつくイルカをほっとけなかった。
首から掛けているエプロンのポケットには、娘達から貰った桃味の飴玉があった。それを一つ掴むと青吉くん(仮称)に歩み寄り、そっと差し出す。
イルカは差し出された飴玉と、次いで差し出した齋藤店長の顔を見上げた。
「きゅ?」
「どうぞ、店内は飲食厳禁ですので、こっそり食べてください」
オズオズといった風情で、青吉くん(仮称)は飴玉を受け取り、シュルッと捻り式の飴玉を開いて口に入れた。
「きゅ~~」
朝食を食べてから何も飲み食いをせず、一心不乱に求人情報を探していたせいか、お腹が空いていた。桃味の飴玉は疲れ切った脳も大歓迎であったのか、思わず幸せそうな声を上げた。
「喜んでいただけましたか?」
「ギュキュ!」
「そうですか。それは良かったです」
素直なイルカに、齋藤店長も嬉しくなる。
「お仕事は見つかりそうですか?」
「ぎゅ~・・・・・・」
イルカは一番重要なことを聞かれて、元気がないような声を上げたが、それでも一冊手に取り、予め折っておいたページを開くと、齋藤店長の目の前に掲げて見せた。
「ふむふむ、短期の飲食業ですか。いいと思います」
「きゅ?」
「厳しい世の中で大変ですが、頑張ってください」
「ギュキュ!」
齋藤店長に後押しされた青吉くん(仮称)は元気よく応えると、求人冊子を片手・・・ではなく片ヒレに、店を飛び出していった。
その後姿に、手を振りながら見送る齋藤店長。
「・・・・・・・・・大丈夫かな」
背中を押した方も、不安は一杯ある。あるが、それでも頑張って欲しいと心から願う。
「店チョー!ちょっと来て下さい!」
「ああ、今、行く」
齋藤店長は店内に戻りつつ、一度だけイルカが飛び去った方向に目を向けたが、すでにその姿は何処にも見当たらなかった。
青吉くん(仮称)、もといQタロー(正式名称)は、絶賛求職活動中であった。
■同日、一四:二〇
「あ~、いい天気だ」
本屋の齋藤店長はすぐ近くの定食屋で遅い昼食を摂り、公園のベンチでお茶を喫しつつ休憩中であった。
この日は快晴。日向ぼっこにはもってこいである。
そんなのどかで平和な日常のひとコマに、不景気そうな溜息をつきつつ徘徊する空飛ぶイルカが一匹。
「あれ?」
フラフラ~と、心あらずな様子で齋藤店長の目の前を横切り、同じベンチに腰(?)掛けた。
見ただけで大体の事情がわかったが、そこはあえて聞いてみる事にした。
「青吉くん、元気がありませんね。どうかしましたか?」
「ぎゅきゅ……………」
泣きそうな声で鳴くと、ノロノロとポシェットからコッペパンを取り出し、パクリと一口齧った。
このコッペパンは、出掛けに昼ご飯代にと潮がくれた一銭(約10円)で買ったものである。
「………」
齋藤店長は、そんなイルカを悲しげに見詰めていたが、ふと目についたイルカが手にしていた無料求人情報冊子を手にとる。開いてみると、十数か所のマルをしてあった全ての求人情報にバッテンがしてあり、イルカの求職活動の結果が一目でわかった。
「う~ん、これは苦戦中ですね」
「ぎゅきゅ」
思わず齋藤店長も呻き、イルカも元気のない一声。
イルカのコッペパンを食べている姿は、美味しそうにしている様子には見えない。
得てして、食べている様子がその人の心理状態を物語るが、イルカの心理に疎い人でも、現在の心理を誤解するのは困難であろう。
「これは困りましたね」
別段、齋藤店長がそんなに親身になる必要はないのだが、何故だか真剣に悩み始めた。やはり、途方にくれたイルカに同情したのであろうか。
それはさておき、イルカの就職活動は齋藤店長にとっても難事である。自分の店で雇えればいいのだが、昨日、新人を迎えたばかりで、現在のところ空きがない。そもそも、このイルカに何が出来るかも不明である。
「青吉くん、君の特技はなんでしょうか?」
すでに齋藤店長の脳内では、空飛ぶイルカの名前が「青吉くん」で正式に決定したようだ。
聞かれた青吉くんは訓練校から持ってきた水筒の水を飲んでいたが、しばらくしてフワリと浮かび上がった。
「なるほど、確かに飛ぶ特技がありますね」
齋藤店長は感心したが、それが何に役立つか、とっさに思い浮かばない。荷物を運ぶ「イルカの宅急便」をやるにしても、それほど重たいものを持てそうもない。
「う~ん、身体が小さいから、運べるものも限られているし・・・・・・」
「きゅ~・・・・・・」
「いや、まて、小さい身体なら、狭い空間でも自由に動ける」
「きゅ?」
「よし、それだっ!」
「ぎゅきゅ!?」
齋藤店長は叫ぶなり、青吉くんの両肩・・・というか、両ヒレの付け根を掴んだ。
青吉くんは、ただつぶらな瞳を丸くして、熱い瞳をした齋藤店長を映す。
■同日、二一:一〇
この日、齋藤店長は二十一時に店をあがり、急ぎ足で池袋の居酒屋街に来ていた。
池袋界隈は大小の居酒屋が数百件建ち並ぶ、稟京でも屈指の居酒屋街である。
池袋居酒屋街も色々と毛並みがあるが、その中にある一際薄暗い通り、通称『パチパチ横丁』に来ていた。
「ハアハア、なんで俺、こんなに急ぎ足なんだ?」
何故か自問自答する齋藤店長。
理由は無いがとにかく気が急く。
いや、立派な理由がある。
その理由は、その視線の先にいる。
「青吉ィ! 鰻串一通り、二丁上がり!」
流線型のボディにフィットした半被に捻り鉢巻をしたイルカが、狭い居酒屋を飛びまわっていた。
「ぎゅきゅ!」
威勢の良い声と威勢の良い鳴き声が、夕暮れの雑踏に響き渡る。
ここは居酒屋『鰻の串兜』。
齋藤店長の行きつけに、青吉くんと命名したイルカを連れてきた。
この居酒屋は五坪ほどの、それこそ鰻の寝床のような狭い店であるが、常に客が入れ替わり立ち替わりやってくる大人気店である。
店のメインの食材は、店名からも判るとおり、鰻串を用意している。というよりも、それしかないと云うべきか。ただ鰻串は蒲焼や肝焼き、えり焼きなど、鰻を頭から尻尾まで楽しめるのが売りであり、秘伝の特製醤油タレが焦げる香りは全く以ってたまらない。
客達は熱々の串焼きを、キンキンに冷やされた地酒『雪の小町』という辛口純米酒で喉を通すのだ。
余談であるが、稟京における居酒屋の歴史は浅い。
というのも、十年ほど前までは北方大陸との戦さで、桜濫幕府首都といえども非常に治安が悪く、居酒屋を開いても食い逃げや人傷沙汰が絶えなかったためである。
しかし、北方大陸との講和がなり、治安が改善されると商人や旅人が増え、必然的に彼らを相手にする商売も増えてくる。
その中で、居酒屋の前身とも言うべき持ち帰り用の枡酒を量り売りする『枡酒屋』があちこちに出店され、適当な摘みとして豆腐田楽などを店先で焼いて出す『立ち飲み屋』が生まれ、最後にイスを置いてゆっくりと食事や酒を楽しむ『居酒屋』が出来上がった。
稟京のみならず、桜濫幕府領域では居酒屋は加速度的に出店数を増やしており、それは桜濫幕府の政治的安定を表しているともいえる。
さて、元気よく働く捻り鉢巻の青吉くんに目を向けると、この空飛ぶイルカは飾り用の小さい半被を纏い、両手・・・ではなく両ヒレに持つお盆に枡酒と串焼きの皿を載せ、スイスイ天井付近を飛んで、注文品を待つ客の下へと届ける。この狭い店は、小さなテーブルとイスを無理矢理入れ込み、客は客同士肘をぶつけあいながら酒と串焼きを頬張る。
つまり、注文した品を運ぶのも難しく、客から客へと渡されるのであるが、その際に零れたりひっくり返したり、果ては喧嘩になったりが日常茶飯事である。店主である八郎も弱りきっていたが、今日、常連客である本屋の齋藤店長が空飛ぶイルカを連れてきて、これまでの問題が解決した。
「青吉ィ! 肝焼き三丁、たのまぁ!」
「ぎゅきゅ!」
空飛ぶイルカであれば、障害物のない頭上を悠々と行き来できる上に、
「すみませ~ん、オーダーいいですかぁ?」
「ぎゅきゅ!」
「大将、お会計!」
「青吉、頼めるかぁ!?」
「ぎゅきゅ!」
このイルカは読み書き計算も出来るようで、オーダーは綺麗な字でメモに書いて出すし、会計もすばやく算盤を弾いて、正確に釣銭を渡す事が出来た。
それに、よく気が効くイルカで、客が帰れば枡と皿を素早く片付けてテーブルを布巾で拭い、洗い場では皿洗いも請け負ってくれるので、店主・八郎は串焼きの焼き加減に集中する事ができた。
「八郎さん、入るよ」
「おお、齋藤さん、よくきたねぇ」
「きゅ!」
Qタローもすぐに気がつき、飛びつくようにして齋藤店長の眼前で急停止した。
「ぎゅきゅー、ぎゅきゅ!」
齋藤店長はQタローに導かれるままカウンターに座る。
「はは、ありがとう。さっそく冷やをもらうよ」
「ぎゅきゅっ!」
Qタローは威勢よく応えると、檜枡に冷酒グラスを差込み、酒瓶を持って飛んできた。
コトッと枡をテーブルに置くと、ポンっと気持ちのいい音を鳴らしつつ酒瓶から栓を抜き、トクトク銘酒『雪の小町・純米あらばしり』を注ぐ。
思わず齋藤店長は、そして周りの客達も、イルカが酒を注ぐ姿に注目し、固唾を呑む。
酒は冷酒グラスから溢れ、受け皿代わりの檜枡に酒が流れ、ついに酒嵩は表面張力限界まで満たされる。
見事!
Qタローは緊張感漂う中、酒を一滴も零すことなく、芸術的に注ぎきった。
「あれ? なんかいつもより量が多くないかい?」
齋藤店長の注がれた酒の量は、明らかに他の客よりも多い。
「まあ、そういうことは、思っていても口にしないのが、粋ってことさ」
店主の八郎は含み笑いしつつ粋なイルカに目をやり、イルカは酒瓶を抱えてウンウン頷いていた。
「昨日も呑みに来てくれたのに、毎日悪いねぇ」
八郎は焼きあがった『串一通り』を差し出した。
『串一通り』には鰻の身だけではなく、珍味の肝焼きをはじめ、鰻の全部位を楽しめる。
「いやぁ~、今日は人(?)を紹介した手前ね」
「はは、それにしても、齋藤さんも面白い友達を持ったものだねぇ」
機嫌良く鼻歌を歌いつつ皿を洗う空飛ぶイルカを見つつ、鰻串と冷酒を交互にいただくのは、新体験でなかなか乙である。
「頼んでいてナンだけど、最初はどうなるか心配したけど、役に立っているようで何よりだよ」
「俺も最初に青吉を紹介された時は、どうしようかと思ったけど、いやいや、よく働くわ~」
「そう言ってもらえて助かるよ。ま、八郎さんには悪いけど、しばらく面倒見てやってよ」
「応よ! 齋藤さんもまた来てくんねぇ」
「あはは、わかったよ」
空飛ぶイルカの青吉くん、もといQタローは、かくして職にありつき、温かく見守られながら懸命に働いていた。
「それじゃぁ、今日はちょっと寄っただけだから、一杯で帰るよ」
「応よ」
「ぎゅきゅ!」
すると、Qタローがぴゅーと飛んできて、お会計盆の上に料金を書いて持ってきた。
「おお、ありがとう。それじゃあ…これでちょうどね」
「ぎゅきゅ!」
Qタローは齋藤店長からお金を受け取ると、カウンターの上に置いてあった竹の皮の包みを差し出した。
「これは」
「ぎゅきゅきゅ!」
齋藤店長は不思議そうにQタローを見ると、隣にいた八郎はにやっと笑う。
「お土産だとよ。Qタローの一時間分の時給プラスちょい包んでいるよ」
「そんな……いいのに」
齋藤店長は鰻串の包まれた竹の皮とQタローの間に視線を行ったり来たりさせる。
「まっ、青吉の就職のお礼だろ、気持ちよく受け取りねぇ!」
「きゅ!」
齋藤店長はそっと微笑む。
「では、そのお気持ち、頂戴します」
「ぎゅきゅきゅ!」
嬉しげにQタローは鳴いた。
齋藤店長は財布から銅銭(約五百円)を一つ出した。
「きゅ」
Qタローは返そうとするが、それは押し返した。
「チップだよ。後で甘いものでも買ってください」
「きゅ~」
イルカは尾ヒレをパタパタさせて喜ぶと、チラリと店主を振り返る。
「遠慮なく貰っときな!」
「ぎゅきゅ~!」
手を上げて立ち去る風花の後姿に、Qタローはブンブン右ヒレを回して見送った。
齋藤店長は竹の皮に包まれた鰻串を片手に、宵闇と並ぶ店からの灯りと喧騒に照らされる『パチパチ横丁』をほろ酔い加減で歩み去る。
路地の狭い夜空を見上げてみれば、今日も月が綺麗だ。




