第一話「岐路にて、少年少女は歩みを止めず」
■物語七ヶ月前:桜濫暦二四一年一月
桜濫幕府北東部に位置する長鳴藩にて反乱の兆しがあり。
幕府は直轄軍を派遣して長鳴城制圧に成功する事により、反乱を未遂で終らせた。
■物語三日前:桜濫暦二四一年七月二十八日
その日、真夏屋風花が“そよかぜ先生”の小屋に行くと、いかにも身分が高そうな少年武士がいた。
見た目の年齢で六、七歳ほどであろうか。
名前を聞くと「時詠潮」と名乗った。
風花は驚いた。
一月に反乱未遂事件を起こし、その後始末に桜濫幕府中で賑わっている最中に、その藩主が目の前にいるのである。何故ここにいるのか先生に尋ねると、
「人助けだよ」
と、あっさりとした返事を返してきた。
“そよかぜ先生”は間もなく外出する旨を伝え、その上で少年藩主の世話をする事を命じた。
風花と潮が二人きりになり、特にすることもなかったので話しかけてみた。
「先生は人助けだといったけど、それは確かか?」
すると少年は、ジロリと風花を見て答えた。
「その質問に対する回答で、貴方の行動を左右すると言うならば、お答えします」
少年はむしろ切り口上であり、いうだけいうと小屋にあった本を読み始めた。
その態度に風花はカチンときたが、自分よりも年少の相手だったので堪える事にした。
「オレの道はオレのモノ。誰がなんといおうと、オレの行動は誰にも左右できない」
「……私もそうしたいと思います。それが出来ればそうしたい」
「すりゃいいだろ」
「ここでは出来ません。成すべき事を成すためには、選ばれた時間と場所にいなければなりません」
「いつのどこだよ」
「八月八日、姉小路家上屋敷」
「成すべき事って、なんだよ」
「長鳴藩五十六万石に生きる人々のために死んで見せること。それが私の願い」
風花は沈黙した。風花も長鳴藩反乱未遂事件には興味を持ち、自分なりにニュースを集めていた。集めていたが、はっきりいって窓の外の風雨である。それが目の前に幼き藩主が現れ、風花の心を波打つこととなった。
「真夏屋さん、私は死にたいわけではありません。しかし、長鳴藩主として生まれたからには死ぬべき時には死ななければならない。そうしなければ生きていけないのです」
「……死ななければ、生きていけないなんて、矛盾しているぞ」
「していません。大切な人達のために何も出来ないまま生きることは、死んでいるのと同じです。人は、何も成さないままには生きられないのです」
風花は胸を衝かれ、何も言い返せない。
風花の年齢は十五才。目の前の少年藩主とは倍くらいの年齢差があるのに、その心には確たるものがあった。何より、少年の言葉は、風花の胸の内に眠っていた何かを揺り起こしかけていた。
「真夏屋さん、何もしなかった事と、成そうとして成しきれなかった事とは雲泥の差があります。人は神様ではありません。自ずと限界があります。ですが、限られた中で全力を尽くす事を無駄だと断ずるか、価値を見出すかで、人の生死が別れます」
少年はまるで自分の過去を見抜いたかのように、言葉で切り込んでくる。風花は少年の目を見ることが出来ず、目をそらした。
「真夏屋さん、貴方にお願いがあります」
「……え?」
再び風花の目は少年の、時詠潮の目を捉えた。
「私の願いを、叶えていただけませんか」
この一言が、八年もの間、止まっていた風花の時間を、失くしていた感情を、ゆっくりとだが確実に動かし始めた。
『願い』を受取り、黙考すること一晩。
ただ一度だけの、それもほとんど一瞬だけの邂逅。
しかし、自分に願う者は、自分の半分しか生きていないのに、その眼差しに秘めた気高さは否定しようが無いほどに眩しかった。
眠ることも適わず、繰り返し脳裏に甦るその輝きを、もう一度見たいと思った。
だから、彼は決めた。
■始まりの日の始まり:七月三十一日、一八:一〇
「見て、あそこにイルカみたいなのが飛んでいるよ」
桜塚桜子の美しい桜色の瞳は、目のいい香上雪蘭が指差す方向に、真夏の空に浮かぶソレを映した。
夏の夕暮れを歩く四人の少女達は、王下親衛訓練学校の第十三期第五訓練中隊に所属する訓練兵である。年齢は十五才~十六才であり、今年の三月に三年に及ぶ予科を卒業し、四月から本科に入学した高級士官候補生である。
訓練兵の制服の色は黒であり、襟元には下弦の月と刀をあしらった紋章を付けている。
王下親衛訓練学校は、東方大陸の北方二十三州を領土とする『桜濫』幕府筆頭、征騎大将軍の近辺にあって護衛を務める親衛隊を輩出することを目的とする。その訓練兵はいずれも有力な諸侯・譜代武家・貴族出身者で占められおり、ここにいる四人も身分が高い家の出身である。
そしてこの四人、桜塚桜子・姉小路山吹・香上雪蘭・龍居クレハは「女組」と呼ばれる第五訓練中隊の第三小隊に所属している。
第三小隊は、通称「サクラ小隊」と呼称され、小隊長は姉小路公爵家の次女である姉小路山吹が任命されている。サクラ小隊にはあと二人いるが、そのうちの“G”は誘ってみたものの、自主訓練をすると言って断られ、残りの一人は半日休暇を申し渡された瞬間に姿を晦ませた。
桜子は二人の態度に内心と言わず、顔に出して憤慨した。
“G”の熱心さは、三年も一緒にいたので素っ気無さも含めてよくわかる。
しかし、「残りの一人」は今年の四月一日から編入してきたばかりの、出逢って間もない新入りである。四ヶ月間、桜子なりに気を遣ってきたが、一度として彼女の気遣いに対して反応や、まして感謝の念を示した事はなかった。
同じ小隊に所属しているのに全く心を開かず、また自ら歩み寄る努力の欠片も見せない。
果たしてそれでも軍人の端に連なる者の態度か!
桜子の言い分は極めてもっともであるが、結局は「いつものこと」だと山吹や雪蘭に宥められたものである。
予定にない突然の半日休暇である。いつまでも怒っていても勿体ないので、小隊長以合計四名は徒歩二十分の距離を歩き、街まで下りてきた。
四人はしゃべって、歩いて、食べて、歩いて、たくさん笑って、訓練漬けの日常とは違う非日常を大いに満喫した。
夕方五時を回り、ゆっくりと往来の商店と人々の賑わいの中を、縫う様にして歩く帰り道。
山吹と並んで先頭を歩いていた雪蘭が指した先を見上げると、確かに「イルカみたいな」のが飛んでいた。
夏の空は、どこまでも高く、透き通るように蒼く、そして遠い。
夕暮れの東の空は蒼く、西の空は紅く染まる。
桜子の桜色の瞳が、「空を飛ぶイルカみたいな生き物」の、更にその頭上にある二色の空を映すと、その瞳の色も美しいグラデーションを作り出す。
「今日の空は、私達の真上で蒼と紅がくっきり分かれているみたいで、とても綺麗です」
不思議であった。
その日、空の色は蒼と紅が混じり合った紫ではなく、まるで見えざる垣根があるかのように、色の境目がくっきりと浮かび上がり、空の長城を成していた。
少女達が見上げる空の上で、「空飛ぶイルカ」はスィーと気持ちよさげに蒼から紅の空へ入っていった。
「おぉ~、空飛ぶイルカが空の境目を横切っていく」
山吹が感嘆したように言うや否や、満面の笑みを浮かべてみんなに振り返った。
「ちょっと追いかけてみない? 凄く珍しいよっ」
隊長はみんなに問いかけているようであるが、その可否に関わらず、今にも飛び出しそうな気配である。
しかし、桜色の瞳をした少女は思案していた。
果たしてイルカは、空を飛ぶ生き物であっただろうか?
ペンギンが空を飛ぶよりも不思議な事ではないだろうか?
いや、今はそれよりも、もっと大事な事がある。
「門限まで時間がありませんよ?」
生真面目な少女は時間的注意喚起をするが、案の定、却下された。
「あの向こうは丘の上までだから、本当にすぐだよ」
山吹が勢いよく否定すると、幼馴染でもある雪蘭も山吹に賛同する。
「そそ。そのくらいだったら大丈夫ダイジョウーブ。あそこの丘からは街が一望できるし、それに今日はお城も『東方界廊』もよく見えるよ」
雪蘭も山吹に負けないくらいに、珍しがりである。
規律にうるさい桜子であるが、山吹や雪蘭は自分よりも身分が高い。故に強くは出られなかった。味方してくれる仲間を捜そうと思ったが、さして多くもないグループの空気は、すでに空飛ぶイルカの高さまで浮いている事を感じずにはいられなかった。
結局、桜子はため息と共に肯定する事しかできなかった。
「わかりました。その代わり丘の上までです。帰りは当然、全力疾走で!よろしいですね?」
釘を刺す事を忘れないのが、桜子がサクラ小隊副隊長たる所以である。おおらかな隊長である山吹が拙速に行動に移し、細かい副隊長である桜子が小隊の行動を締めるという、いつものパターンが今回も再現されていた。
そんな胃の痛くなるような事をしている副隊長を労わりもせず、隊長は相変わらず元気に号令をかける。
「みんなの意見が一致したところで―」
桜子の人形のように整った顔が一瞬引きつったが、気にした風もなく、
「丘の上まで―」
いつものように、積み重ねた日常の続きへ向かう。
「空飛ぶイルカを追いかけろ!」
「「「「応!」」」」
駆け出した四人の少女達は、自分で自分の行く道を選択して駆け出していた。
そこは岐路だった。
少なくとも、「桜塚桜子」にとっては、決定的に分岐する道だった。
地理的には、右が訓練校への帰り道で、左が丘の上へ進む道。
運命的には、右が貴族士官への道で、左が苦難の物語へ続く道。
今日この日、左への道を選択した事を、積み重ねた日常の中に埋没した人生の岐路と識る事もなく、全力で岐路を駆け抜けていた。
駆け抜けた先に、少女達の思い描いていた未来とは全く違う時間が、四ヶ月程前に新しく入隊した一人の少年と共にあった。
時を遡る事、十分前。
少年もまた、訓練校と丘の上への分岐点、物語へ続く岐路に差し掛かる。
そこが運命の分岐点と気がついている少年は、それでも立ち止まることなく、ただ一言だけを残す。
「待っていろ」
それは誰への言葉であろうか。
少年は左への道へと進む。




