第十五話「このオレに距離など関係ない」
同刻。
風花の足止め及び暗殺のため流蝉騎士団の二人が追跡していた。
二人の名は遠見目太郎と宮川猟平。
遠見目太郎は一目見たら忘れられない馬面の男であり、三日前に平戸藩の二人組にからまれ、風花に助けられた男である。本来ならば、平戸藩のナマクラ武士如きに遅れはとらないが、密偵という立場上、黙って暴行を受けざるを得なかった。
遠見は名前の通り、鍛えた視力で遠くを見る事が出来る“遠見”の術を心得た忍者であり、また一人限定で視覚情報を共有できる邂逅調絃律《第三の眼》の遣い手である。
そして、連れの宮川猟平は邂逅調絃律《匂いの軌跡》の遣い手である。
その因果は、目を閉じると一度嗅いだ匂いを何処までも辿れる事象を齎す。
あらかじめ追跡対象の私物を手に入れ、それを嗅ぐだけで匂いを記憶し、永続的に追跡可能となる。この絃律の欠点は、発動に時間が掛かる事と、匂いを追跡するために目を閉じなければならない事である。そのために、追跡中は人除けと足元を確認する相棒が必要不可欠である。そこで遠見の《第三の眼》が役に立つ。遠見の見たものを宮川が情報共有することで街を走り回れるのだ。
風花の匂いを追跡するにあたり、蝶野が風花の汗のついたタオルを用意しておいた。
宮川は風花の汗の匂いが付着したタオルを嗅ぐ事三十分。毎度のことながら異様な光景である。役人がいたら、変質者として引っ張られてもおかしくはない。
ようやく《匂いの軌跡》が発動し、宮川は目を閉じたまま街を走り出し、発見した。
時同じくして、奇しくも三日前、遠見目太郎の顔が気に入らないと、白昼堂々と暴行を加えていた山田&鈴木の平戸藩チンピラ武士コンビである。
この日、二人は三日前に風花から受けた制裁による怪我の痛みがようやく引いたので、街を徘徊し始めた。不機嫌そうな顔をしながら街行く人々を威嚇し、実際に不機嫌なので肩がぶつかれば殴り飛ばし、金も払わず店先の焼き団子を勝手に取って食べる始末である。
「あー、くそったれ、まだムカつくっちゃねーよ。あーイテー」
山田は強奪した焼き団子を、クッチャクッチャと品悪く食べつつ、悪態をついていた。
「あのクソガキはタダじゃおかねぇ。たとえ七回生まれ変わってもブチ殺す」
鈴木も道に痰を吐きつつ、天下の往来を練り歩いていた。
するとどうであろう。
「オイ、あれはこの前の」
山田が指を差した先に、件のムカつくクソガキがぼんやりと歩いていた。
「間違いねぇぞ、山田。あの時のガキだ」
「応よ。どうする? やっちゃうか?」
「当然ヤルに決まってるだろ?」
「当然だな」
「ああ、でも危険だから、人気のないところで襲おう」
「そうだな。まともにいったら、逆にヤラれるかもしれないからな」
こういったところに、二人の小悪党ぶりが伺える。いや、ある意味、自分達の実力をよく認識している証拠なのかもしれない。そうこうしているうちに、二人の期待しているとおり、風花は人気のない薄暗い通りに入っていく。
「しめた! この辺は俺のしっているあたりだ。もうちょい進めば行き止まりの路地だ。反対側から人が来ることもない」
「ヤるか、鈴木」
「ヤレるぞ、山田。だから、お前が後ろからバシッと行け」
「……え、俺か?」
「そうだ。こういうことは、お前の方が得意だろ?」
「こういうことって、どういうことかわからんが…わかった。俺がいこう」
「さすがだ。そして怯んだところで、俺がトドメを差す!」
この鈴木と言う男、本当の意味でクズである。そのためか、物陰から物陰へコソコソと移動する姿は、黒い例の虫を連想させるのに十分であった。
「宮川、もう目を開いていい。ここから先は行き止まりだ」
遠見の声に、宮川は目を開いた。
「随分、薄暗い通りだな。蝶野からの情報では、小隊内でイザコザがあったらしいが…真夏屋の心理が人のいないところを望んでいるのかもな」
言いつつ、そっと鯉口を切り、襲撃態勢をとった。
「遠見、次の角だ。俺が真夏屋を殺る。お前は後詰についてくれ」
「了解した」
二人の視線の先で、風花は最後の行き止まりに向かう角に差し掛かる。
そのまま直進すれば、人通りのある明るい道。
しかし、左に曲がれば、そこは正に運命の袋小路。
奇しくもというべきか、ここは先日、唐綿が最後を迎えた場所である。
そして今、風花は最後の角を、左に曲がった。
(今だ!)
暗殺は古来より斬殺ではなく刺殺すべしという。その格言どおり、宮川は刺殺用の直刀を抜き、背後から風花の心臓を狙う。
風花は未だに宮川の殺気に気づかず、無防備な背中を晒す。
(もらった!)
宮川は音もなく風花の背後に風の如く忍び寄り、逡巡することなく直刀を突き出した。
「ギャッ!」
薄暗い行き止まりの路地に悲鳴が上がる。
ただし、悲鳴は風花ではなく、宮川の悲鳴であった。
「な、何だ、お前達は!」
襲撃者としてあるまじき事に、遠見目太郎は目の前の光景に愕然として、正体不明の闖入者、平戸藩の山田に叫んだ。
事態はこうだ。
風花を背後から殺そうとした宮川に、同じく背後から襲おうとした山田の攻撃が誤爆したのだ。
山田は宮川には全く気がつかず、そのことは宮川の隠行が見事な証拠ではあるが、今回の場合は不幸なことである。それはさておき、襲撃者である宮川は、まさか自分が襲撃されると思ってもいなかったため、ひとたまりも無かった。
山田の刀が、浅くはあったが宮川の背中を斬り、その呻きが風花の剣士としての本能が抜刀させ、反射的に宮川を逆袈裟に斬った。
「お前達!?」
抜刀と同時に風花は正気に戻ったが、斬りかかってきた男の真後ろにいる山田ともう一人の顔を見て、一体誰が敵味方か混乱した。
一方、もう一人の襲撃者である遠見はその隙を見逃さなかった。一瞬の空白時間を掻い潜るかの様に、鈴木の横を駆け抜け、さらには山田の横を駆け抜けようとした。
「山田ぁっ!」
鈴木からすると、もう一人の襲撃者が仲間を斬った山田に復讐をしようとしているように見えた。山田は山田で誤爆の衝撃から立ち直っておらず混乱していた。
「えっ、あ、あ…」
意味の無い事を口にしつつ、何故か襲撃者と風花の間に入るような位置にスライドした。
見ていた鈴木は驚愕したが、それ以上に驚いたのは襲撃者と襲撃される側の風花である。
「邪魔だ!」
襲撃者である遠見からすれば、山田と鈴木は風花の仲間であり、それを庇おうとしている『敵』である。
一方の風花からすると、三日前に制裁を加えた二人組の片割れである。何故、自分を庇おうとするのか、三日前の不埒から考えると想像すらできなかった。
当たり前である。何故なら、これは『事故』の成せる業なのだから。
しかし、そのような事情を神ならぬ風花が知る由もない。風花から見た状況は、鈴木と山田の二人組が、正体不明の襲撃者から身体を張って庇おうとしている、という事実である。
「邪魔立てするな!」
遠見は真横に刀を振るい、あっさりと山田を斬り捨てようとしたが、一瞬早く風花の太刀が受け止めた。
「オレを狙っているんだろ?なら、オレだけを狙え!」
風花は鍔迫り合いをしながらそう言ったが、遠見だって始めからそのつもりである。彼からすれば、これは不幸な事故だ。そして不幸な事故は、やはり不幸な形で終焉を迎えた。
「でや!」
我に返った鈴木は、鍔迫り合いで身動きの取れない遠見の背中を斬り、地面に倒した。
「お、おのれ、卑怯な…」
「お前に言われたくない」
鈴木の常識的なセリフが、この襲撃の幕引きとなり、遠見は気を失った。
「ふぅー」
鈴木は刀を下ろし、大きく息をつくと、そこでようやく風花を襲おうとした事を思い出した。あわてて刀を構えなおそうとしたが、先に風花が口火を切った。
「何故、オレを助けた?」
「「えっ!?」」
鈴木と、寄ってきた山田の声がハモる。
「お前達二人からすれば、オレを斬りたいと思っても不思議ではないと思う。にも関わらず、何故オレを助けた?」
正に誤解の極地。山田&鈴木ペアにそんな気はサラサラ無い。無いにもかかわらず、何故か鈴木が、
「ふっ、何を言うか。我らは武士だ。武士たるもの危急に陥った、それも年少の武士を助けるのは当然だ」
と、得意気にのたまった。
(お、おい鈴木、なに言ってんだ。さっきまで七回生まれ変わってでも叩っ斬るって)
(うるさい、黙って話を合わせろ)
実はこの二人、邂逅調絃律士である。邂逅調絃律士では割とポピュラーである《以心伝心》と呼ばれる絃律の使い手だ。この二人の場合は、二人だけの間だけでしか使えず、二人の絆という絃糸が心の声やある程度のイメージを伝える因果である。
「…武士?」
風花がそう聞き返したのも、初めて会った時の態度からして違和感を覚えたためだ。
「我ら平戸藩は十年前までは北方大陸からの猛威に対する最前線。仲間達と剣を並べて戦い、互いに助け合い、今日の平和を築いてきたのだ」
ちなみに、もっともらしく語る鈴木と、その隣りで内心呆れている山田は一度も戦場に出た事がない。
「たとえお前にわだかまりを抱いていたとしても、我らがお前を助ける事は、なんら矛盾していないのだ。そうだろ?山田」
「お、オウ、ソノトオリダ」
いきなり振られて棒読み状態の山田であったが、まさか鈴木に諭されるとは思わなかった風花は非常な衝撃を与えられたために、その事に全く気がつかなかった。
(さっきから、なに良い人ぶってるんだ!?)
(この状況で『お前を襲おうとしたら間違って別口の襲撃者を攻撃してしまったのでやり直させてください』って言えるかよ!)
風花の目の前で見えざる遣り取りする二人を前に、ごく自然に桜子の、そして他のサクラ小隊のメンバーの言葉の数々が甦り、その全てが胸の内に落ちてくる。
『ただ一度でも、貴様の身分の事で、私達サクラ小隊の仲間が貴様を攻撃したことがあったか!』
判っている。そんな事はただの一度もない。でも解っていなかった。いや、解ろうとしなかった。サクラ小隊の面々が、いや、第五中隊の大多数のみんなが自分を仲間として扱ってくれていた事に。
サクラ小隊長の山吹が、その幼馴染で屈託のない雪蘭が、双子の亜人貴種であるクレハとカエデが、中途編入してきた新入りを、すでに出来上がっている集団に馴染ませようと一生懸命であったことに。
“G”に対しても同じである。毎日一緒に食事を摂っているにもかかわらず、風花は一度も『仲間』として認識していなかった。ただ、自分と同じく一匹狼がたまたま同じ餌場にいる感覚であった。しかし、今であれば理解できる。“G”なりに風花の事を防波堤となって守ろうとし、黙って自分にくっついてくれていた事に。
毎回ケンカをする桜子にしても、あれだけぶつかり合えば普通は無視するであろう。
そうしなかったのは彼女のお節介な性格もあるが、誰よりも風花を仲間として迎え入れようとして、でもその気持ちを素直に伝えられない不器用さ故に衝突を繰り返した。
風花は桜子を成長できない貴族のお姫様として捉えていたが、その実、自分こそが相手を見ることをしない子供であったと気がついた。
「全く、桜塚の事を馬鹿にしていた自分が、一番の大馬鹿者だっただけか」
地面に視線を落していた風花は、真っ直ぐに鈴木と山田に顔を向けた。
「助けてくれてありがとう。流石は平戸の武士。その気高さを見失わない魂に感服しました」
「お、おう」
調子に乗っていた鈴木も、改まって礼を言われると、とっさに返す言葉も浮かばない。
「オレも、わだかまりを捨て、オレの仲間達を助けてきます」
決然と言い放つ風花に、鈴木は大きく頷いた。
「そうだ、人助けは大事だ。この場はこちらで始末するから行ってこい!」
「まあ、助けに遠慮は無用だろう。それが偶然や気まぐれであっても、相手は喜ぶものだ」
山田はジロリと鈴木を見ながらも、風花にエールを送った。
「了解!それと、そこに倒れている二人は殺さないで!」
言うや否や、風花は路地裏から駆け出し、燃えるような夕陽に照らされる向こう側へと飛び出した。
風花は走る。全力で奔る。
自分を襲った二人組は北辰の仲間だと察しがつく。となれば、自分だけが襲われて潮が襲われていないわけが無い。ならば急いで潮の下へ戻らなければならない。
大人しく訓練校にいてくれれば問題は起きないかもしれないが、潮たちの事だ。絶対に飛び出した風花を探そうとするはずだ。
時刻はかわたれ時。
人の顔が見えづらくなり、人通りも減る。襲撃の機会も場所もとりやすいであろう。しかし、この広い稟京の何処に行けばいいか。気持ちに任せて闇雲に走っても出会える確率は低い。
(潮、“G”、桜子、みんな!)
街を徘徊していた半日が重たい。もしかすれば、すでに襲撃は完了し“G”や桜子が斬られ、潮が連れ去られているかもしれない。
焦りだけが募る。
周囲は夕暮れの雑踏。
夕飯の買い物をする女達。
急ぎ足で仕事から帰る男達。
集団で歓声を上げながら家路につく子供達。
その流れの中で、ただ一人、風花だけが足を止める。
「くそ、みんな何処にいるんだよ」
絞り出すような声を出しつつ、これまで一度もサクラ小隊の面々を探した事が無い事に気がついた。いや、サクラ小隊のみんなが、近くにはいるが心の距離は遠い場所にいた自分を探していた事に気がついた。
いつだって自分は周りを無視していた。これはその報いなのだろうか?
『おにいちゃんは、どんな時でも、いてほしい時には必ずそばにいてくれる人だよ』
それは唐突に耳を打った。
「この声は、涼?」
その声は自分の内に沈めていた、遥かなる記憶の果てからの声。
真夏屋風花の大切な妹である真夏屋涼と、弟の涼次。
自らの内に、懐かしい笑顔が二つ、甦る。
涼と涼次。
守りきれなかった妹弟。
風花の痛みの根源。
そして、自己を律する、最後の矜持。
「忘れてない、ずっと覚えている。オレがお前たちの兄だ」
同刻。
界廊の見える丘公園では、潮はとらわれ、“G”は打ち倒され、桜子は殴り倒され、山吹・雪蘭・クレハも制圧された。無理もない。流蝉騎士団は桜濫幕府きっての精鋭である。“G”のように優れた才能を持ったメンバーで構成されるサクラ小隊でも、幾多の実戦を潜り抜けた猛者が相手では勝負にならない。
「そこまでだ、少女達よ」
北辰は穏やかに見下ろしつつ語りかける。
「大人しくしていれば、これ以上の攻撃はしない。ただ、時詠殿のみをいただく。ただ、それだけだ」
「それが呑めないからこそ、今、戦う!」
桜子は地面に倒れ伏しながら気勢を上げるが、足に力が入らない。金城の正拳突きで脳震盪を起こしているのだろう。
「桜色の姫よ。其方の勇ましさは認めよう。だが、勝負はついたのだ。人死には時詠殿も望むところではあるまい」
血を流し、地に這いつくばる仲間達の姿に涙を流しつつ、潮もまた穏やかな声で諭す。
「桜子、それにみんな、もう十分です。私のためにありがとうございます。でも、もう戦わないで下さい。初一念を達成できず残念ではありますが、私にとって初めての仲間の命には替えられません。だから、みんなの戦いは終りなのです」
「「終っていない!」」
吼えたのは桜子と“G”と、
「ぎゅきゅ!」
Qタローだ。
「負けたのは私達だけだ!私達の仲間はあと一人いる!最後の一人がいる限り、私達に終わりはない!」
桜子は必死に上半身を起こしつつ叫ぶ。
「桜色の姫様の言葉尻に乗るのは癪だが、そのとおりだ。こちらには切り札が残っている。アイツが負けない限り、お前達の勝利宣言は無効だ」
“G”は顔面の痛みに耐えつつ、ゆっくりと、しかし決然と立ち上がる。
「ぎゅきゅきゅ!」
桜子も“G”もQタローも、他の仲間達もあきらめてはいない。瞳には力が宿り、鋼の意思は傷ついた身体に立ち上がることを命ずる。
「最後の仲間? 真夏屋風花のことか? だが彼はここにはいない。また、この周辺は私の手勢によって守られている。決して誰も立ち入る事は出来ない」
「いや、来る!」
淡々と事実を述べる北辰に対し、桜子は立ち上がり、そして背筋を伸ばして断ずる。
「何があっても、風花はここに来る! 何故なら」
桜子はリュックから飛び出しかけていた千羽鶴を引っ張り出す。
「このみんなで折った千羽鶴に誓って、桜塚桜子が最期の最後まで共に剣を並べて戦いぬくと決めたからだ! 当然の如く、風花は剣を並べるために、ここに来る!」
なんたる暴論。なんたる上から目線ぶり。
今、まさに生殺与奪を握られている状況で、私情に基づく論理といえない理屈を並べ立てる少女に、周囲は半ば呆れ、半ば圧倒された。
「桜色の姫よ。彼の者が来て、何が出来るというのだ?」
北辰の言葉がもっともであろう。金城や流蝉騎士団からすれば、子供一人来たところで痛痒に感じるとは思えない。
「決まっている。」
しかし、桜子は揺るがない。
「時詠潮の道を塞ぐ者を蹴散らし、その願いを全うさせる事だ! 今からみせてやる!」
稟京市街地にて街中の人波に立つ、夕陽に照らされその半身を朱に染める少年。
「忘れてなんかいない」
風花は胸元のポケットから、古くボロボロな折鶴を取り出す。これは涼次が一生懸命に折ってくれた、大切なもの。
「いつだって、そばにいる。何処にいたって、そこに行く」
懐かしい二つの笑顔と共に脳裏に浮かぶのは、共に四ヶ月を過ごした初めての『仲間達』。
「そして、オレは本当に、涼と涼次と同じくらい、アイツらのことを大切に想っている。何一つしていないのに、何一つ返せないのに、オレの為に心を砕いてくれたアイツらだから。だから」
風花は手の平でお皿を作るようにして折鶴を乗せ、天に向かって吼える。
急ぎ足で歩く全ての人が振り向くほどの絶叫が、風花の口から迸る。
「何処にいたってすぐにそこに行く! だから! 今すぐオレを全力で呼んでくれ!」
桜子は握った千羽鶴をバッと前にかざすと、左側に見える稟京の街並みに向かって叫ぶ、咆哮する。
「風花ッ! 私はここだ! ここにいる!」
その姿はある種の滑稽さが付きまとうものであろう。どれだけ桜子が真剣であろうと、真剣であるほどに。
しかし、そんな事は桜子には関係ない。真夏屋風花は桜塚桜子の『仲間』だ。どれだけ嫌われようとも、仲間だからピンチであれば堂々と助けを呼び、いなければさらなる声で呼び寄せる。
「ここに来て私と共に闘ってくれ!風花ッ!」
二人の距離は、直線にして約二十キロ。物理的に声が届く範囲を超えている。
しかし、声を越えた絆という名の絃糸は、物理的な距離を乖離させ互いの想いの込めた折鶴を『跳ばす』。
桜子と、桜子を取り囲む全ての敵味方が見ている前で千羽鶴が消失し、一羽の折鶴が桜子の右の掌に舞い降りた。
桜子をはじめ、サクラ小隊の面々には事態が理解できた。
桜子の持っていた千羽鶴は風花の手に、風花の持っていた折鶴は桜子の手の中に入れ替わったのだ。
それは、風花と桜子の心が通じ合った証。互いの距離を乖離させ、互いに大切な物を贈りあう、繋ぐ絆が奏でる絃律。
その名も《彼岸弓・壱式【苧環】》。
「桜塚、オレにはちゃんと判る。お前は今、オレの視線の向こうにいる」
風花は稟京東側、界廊の見える丘公園へ真っ直ぐと視線を向けた。
そして、桜子もまた、手元に舞い降りた折鶴が、風花の在りかを伝えていた。
「風花、判るぞ、お前が今、私を見ていてくれていることに」
例え互いの姿が見えずとも、結ばれた絃糸を辿り、距離に関わらず二人の視線は真っ直ぐにぶつかり絡み合う。
風花は桜子の視線を全身で感じた時、世界の理に因果を含める。
「今こそ行こう、お前がオレを見える処へ――《彼岸弓・弐式【一期一会】》」
瞬間、二人を隔てる距離という概念が乖離した。
一瞬で、風花は桜子の眼前に立っていた。
その手には桜子達が半日で折った千羽鶴を下げ、これまでにないほどの穏やかな眼で、桜子を見ていた。
「風花、きてくれたのか」
「桜塚」
風花の呼びかける声も凪のように穏やかであり、桜子は初めて聞く声音に、我知らず目を潤ませる。
「オレはお前が、何も見ていないと思ったが、それは誤りだった」
「そんなことない。私はお前の立場や歩いてきた道のりの事を、一度も思い遣る事をせず、ちゃんとお前を見ていなかった。悪かったと思っている」
そうだ、桜子はいつだって過ちに対して素直に詫びていた。そんなところも、風花はこれまで黙殺していたのだ。視線を落す桜子に、風花はゆっくりと首を横に振った。
「違うさ。お前は見ていなかったんじゃない。見えなかったんだ。何故なら、オレはただの一度もオレ自身を見せようとしなかったから」
風花は桜子から一瞬たりとも視線を逸らさず、静かに伝えた。
「桜塚、オレは今初めて、お前に出逢ったと思う」
それは闇色の空が朝陽に照らされ色づく様に、風花の顔に満面の微笑が浮かんでいた。
「…はは、風花。お前、初めて私に笑ってくれたな」
「今まで悪かったな、桜塚」
風花はニッコリ笑うと、周囲の仲間達に視線を向けた。
「みんなも待たせた。今やっと、オレはここに辿り着けた」
「遅いぞ」
短く端的なのがいつもの“G”らしい。字面にするとそっけなく思えるが、四ヶ月間、同じ部屋で生活し、共に一日三度の食事を共にしたルームメイトのその声音には喜びの色があることを、少なくとも風花には判る。
「来ると信じていたわ」
「私も、どんなに遅れても、必ずきてくれるって」
そういうのはサクラ小隊長の姉小路山吹と、その幼馴染の香上雪蘭。
「ありがとう。今まで信じられるようなことをしてこなかったのに、信じていてくれて」
思えばこの小隊長とその幼馴染コンビは、何かと自分にまつわる周囲の悪評に対して庇い続けてくれた。一度も感謝した事はなかったと思ったが、今でこそ嬉しかった事を認められるし、心から感謝したいと思う。
「ええ、風花様は世間で言うところのツンデレです。ですがツンツンしていても、何気ない仕草と言動に、優しさと思い遣りがあります」
いつもながら持ち上げてくれるのは、桜濫幕府の賓客であるガーベラ族の龍居クレハ。
「ツンデレってなんだ?いや、いつも思うんだが、お前はオレを買いかぶってないか?」
「それはありません」
クレハにハッキリと断言してもらえるほどに、風花は自分自身が優しくて思い遣りがあるとは確信できない。しかし、クレハの信頼には応えたいと思う。
そして、何よりもう一人。刃を突きつけられても毅然とし、自らの信念に殉じるために生きている男装の少女、時詠潮に。
「風花、貴方もちゃんと笑えるのですね」
「そうか、オレは今、笑っているのか……もう何年も笑っていなかったから、笑い方を忘れていたよ。オレにはすごく難しい事だ」
「風花、知っていますか?貴方がいつもしていたしかめっ面は三十対ある顔の筋肉のうち二十も使いますが、笑顔はたった八つの筋肉で作れるのですよ。とてもカンタンな事です」
そういって微笑む潮の笑顔は、なんの見得も衒いもなく、純粋に風花を思ってくれる、風花だけに贈られた最高の笑顔だった。
「そんな簡単なことも忘れるほど、オレは馬鹿な生き物だよ。それでも、お前が成そうとしている事が、とても尊い事だと知っている。誰にも邪魔はさせたくないと思っている」
「風花、そんなことはいいのです。私は貴方が他人に惑わされず、自分の道を歩いてくれるだけで十分です」
「ああ、そうさせてもらうよ。オレの歩くべき道を、歩かせてもらう」
待ち構えていたかのように、背後より立ち昇る殺気未満の稚気。
豪ッ!
闘気による不可視の一撃が一陣!
風花は振り向きざまに無造作に抜刀し、ソレを一閃。
斬った衝撃は猛烈な風圧と共に風花の周囲を駆け抜け、左肩に掛けるようにしていた千羽鶴を散らした。
「《百歩神拳》、大した威力だな」
舞い上がる千の折鶴を横目にしつつ、放った姿勢のままでいる大柄な男に目をやる。男はニヤリと笑い、拳を下げた。
「ちゃんと手加減している。もっとも、手加減した攻撃で倒れたなら、それまでだけどな」
「それはどうも。今後は存分に放つといい…ええっと」
「金城弾丸丸。お前のタイ捨流と同じ、東方大陸南方出身だ」
「そんな端っこからよくこんな寒い地域までいるな。お前も流蝉騎士団か?」
「ただの武者修行さ。旅をするために行く先々で雇われている」
「なるほど、雇われて人攫いの片棒か。いい商売だな」
「………」
風花の一言に、自覚のある金城の額に青筋が入った。
「とはいえ、オレ達の出逢いを邪魔しなかった事には感謝しよう」
「なぁ~に、青臭い青春の仲直りも、たまに見るなら面白いものさ」
「そういわれると、ちょっと恥ずかしいな」
本当に照れたように笑う風花は、十代半ばの年齢相応に見える。
「だが、オレの仲間達を痛めつけた事はまた別だ」
猛烈な闘気と共に、ギンッ! と聞こえてきそうなほどの眼光を放つ。
「キッチリお礼をさせてもらおうか」
「楽しみだ」
金城は満面の笑みを浮かべると、右拳左足を前に、左拳を引く。
「なあ、真夏屋風花よ。お前は信じないかもしれないが、こちらは一番人死にが少ない方法を選んでいるつもりだ。ハッキリ言うが、時詠潮が腹を切ったところで、長鳴藩が潰れないという保障はない」
風花と潮は無言。その表情に漣もたたない。
「オレも時詠潮とは初対面に等しいが立派な人だとは思う。俺はその気持ちのいい振る舞いだけでも、助けたいと思える。お前も本心では生きていて欲しいと同じように思っているはずだ。にもかかわらず、何故、協力出来ない?」
「お前は今日まで一度でも、手に届かないと思うようなことに、一生懸命祈った事があるか?」
「何?」
風花の意図が解らず怪訝そうに聞き返す金城に対し、風花は視線で飛び散らされ空からヒラヒラと落ちてくる色とりどりの折鶴へ目を向けた。
「確かに何にもならないかもしれない。でも、違うかもしれない。変わるかもしれない。その行為が鶴を折る程度の些細なことであっても、千羽折れば人の心は変わるかもしれない」
風花は思う。
これまで『変わらない』と感じた時、全てをぶち壊したいと思っていたが、なんて子供じみた振る舞いだっただろうか。
今、舞い降りてきた一羽の紅い折鶴の下に、そっと左手を置くようにして受け止めた。
「叶わないかもしれないから、何もしないんじゃない。適うかもしれないから願って、鶴を折るように出来る事をするんだ」
次いで風花は右斜め前、金城から見て左斜め前にいる潮を見る。
「アイツの命一つで何が出来るか、それはアイツの結末を見れば解る事。オレは潮の全てを受け入れ、潮が自分の命で全てを終らせるという願いを叶えるべく全力を尽くす!」
風花は左手の紅い折鶴を胸元のポケットにそっと落とし、柄元を握る。
「金城、そして北辰、オレが時詠潮の騎士だ。たとえ何処にもオレの名が無くとも、時詠潮の名の影にオレがいる。オレの生きた証はそこにある」
風花は抜き払った太刀を下段につけ、疾走に備えてわずかに前傾姿勢をとりつつ、北辰に呼びかけた。
「北辰」
「なにかね?」
「オレがこの男に勝ったら、オレと立ち会え」
身分を弁えない風花の物言いに、北辰よりもその配下達が色めきたった。北辰は軽く右手を上げて部下を抑える。
「構わないぞ。勝てたら、だが」
それは金城への信頼からか不敵に笑う北辰であったが、風花はニヤリと笑い返した。
「聞いたぞ、武士の一言を」
釘をさす風花であったが、その真意は目前の金城との対決を邪魔されないためである。正直に言って、風花自身も金城に勝てるという確信があるわけではない。北辰から一騎打ちの言質を取り付けたのは、相手のプライドを刺激し、互いに一騎打ちを尊重する空気を作り出すためであった。
「心配せずとも、誰も邪魔しないさ」
もっとも、百戦錬磨の金城にはあっさりと見通されていた。
「それはどうも」
そこで悪びれる性格であったなら、風花のツンデレ比率も逆転していたであろう。
可愛げのない風花は、会話しつつも練り続けていた闘気を開放し、周囲の水分を一瞬で蒸発させ大気を揺らす。
「どうせ、お前の歩幅では俺に届かない」
同じく、金城もまた溜め込んでいた闘気を一斉開放し、その勢いだけで風花の前髪を揺らした。闘気の総量でいえば、金城が風花を遥かに勝っていた。それは風花のみならず、共に闘気を学んでいる“G”や、闘気にさほど通暁していない桜子達ですら判る程のレベル差である。しかし、風花にいわせれば『今更な事』である。
ヒラリヒラリと舞い降りる色とりどりの折鶴の中、ただ心気を凝らし、間合いを計る。
双方、ただその刻を待つ。
暗夜に霜が降りるが如く、ごく自然に、目前の敵を必殺する刹那の邂逅を。
ヒラリヒラリ。
千の折鶴は、一人の男装の少女と、少女を取り囲む全ての男女の視線の中で、最後の青い一羽が舞い降りた。
捨ッ!
先手は風花の一歩目。
タイ捨流の誇る脚力を以って、全力疾走。
上体は低く、しかし目線は正面。
風花と金城の距離は九歩の間合い。
「《百歩神拳》!」
左逆突きからの闘気と拳圧による遠隔攻撃。
先程、風花が斬り払ったのとは別格的な威力。
風花は地面の上を滑空するように身を屈めつつ疾走することで回避。
金城は右正拳下段突きで風花を迎撃に入る。
(殺った!)
と、金城は思った。
(殺られた!)
と、桜子は思った。
桜子の脳裏に、風花が斬り上げるよりも早く、金城の一撃が炸裂する未来が浮かぶ。
しかし!
「俺の一歩はデカイぞ!」
風花は金城の拳が放たれる直前に、右足の裏側から闘気を噴射し加速した。それは《百歩神拳》を参考に考案した闘気による加速術。
金城の驚愕を他所に、加速した風花は髪を散らされつつもギリギリで下段突きをかわし、その勢いのまま股の下を潜り抜けると同時に反転しつつ、金城の背中を逆袈裟に斬り上げた。
「がぁあッ!?」
「秘技《潜り袈裟》!」
風花は残心を怠らず刀を八双に構える前で、背中を斬られた金城はゆっくりと前のめりに倒れた。
金城の闘気が消え、通常に纏っている気が霧散したのを確認すると、風花は一息ついた。
「……完敗だ、真夏屋風花」
倒れた金城はうつ伏せになりながらも、目線だけを風花に向けていた。
「まだ意識があるのか。アンタも呆れた頑丈さだな」
「お前が加速して見せた技は…」
「亜流《一歩神脚》…と今、名付けた」
「そんな隠し技があったとは……いや、何故、瞬間移動を使わなかった?」
「《一歩神脚》はさっきの《百歩神拳》を斬った時に思いついただけで、ぶっつけ本番だ。お前の言う瞬間移動をオレは《彼岸弓》と呼んでいるが、便利な技であっても待ち構えている相手には使いにくかった」
戦闘において、如何に相手の思考の裏を衝くかが勝利へ繋がる道である。
風花の乖離調絃律《彼岸弓・弐式【一期一会】》は、対象となる人物に対して一生に一度だけ、視線の合った瞬間に相手の眼前へ移動する因果を導く。対象に対して一度だけという縛りがあるものの非常に便利であるが、金城ほどの拳士が予見していれば迎撃も可能だと思われた。だとすれば、《彼岸弓》を陽動にして思う壺に嵌め、慮外の一手を打つことに全てを賭けた。
《一歩神脚》が成功したのは、風花の日々の鍛錬と闘気に対する天賦である。
しかし、それ以上に潮の大願成就と倒された仲間達の仇を討ちたい一心による、風花自身の意思の成せる業であった。
「そうか……良い勝負だった、悔いはない。俺はお前を認めよう」
金城の飾り気のない賞賛に、風花はニッと微笑む。
「ありがとう、金城。お前ほどの拳士に褒めてもらえた事、それはオレの誉れだ」
金城も目だけで笑うと、そのまま気を失った。




