第十一話「ミクロ的な、少年少女の戦争」
「私の“時戯の駆り手”としての力は、過去の記録を再現し、任意の相手に見せる事。今ご覧になられている少年は十年前の風花です。まだあどけなくて可愛いですね」
潮の説明に、桜子は桜色の瞳を目一杯ひらいて、周囲を見渡す。
潮が部屋を暗闇に変えたと思えば、今度はどこかの家の中に変わった。
幼い風花が、桜子が手を伸ばせば届く距離にいるが、風花は全く気がつかない。
試しに“G”が触れようとしてみたが、あっさりとすり抜けた。
「見えているのは過去の記録です。触れるわけもなく、こちらの声も伝わりません」
幼い風花が妹弟と共に洗濯を始めた。なんとも微笑ましい光景であった。
「時は開門暦七八〇年四月。獅子王戦争末期。風花は捨て子であり、ご両親は風花を拾い育てました。お二人は傭兵夫婦であり、風花は育ての親の子である妹の涼様と弟の涼次様をとても大切にしていました」
『獅子王戦争』。
自らを“獅子王”と号する獅子頭の獣人族出身の王を筆頭に獣人族・魚人族などの亜人族と、純人族との異種族間戦争のことである。
東方大陸中部を中心に六年間繰り広げられ、純人族側は“鳳の姫”と東方大陸最強の“猛虎剣聖”を中心にまとまり、ついには“獅子王”を討ち取る事で戦争終結となった。
この『獅子王戦争』の影響により、亜人族の地位の低下と排斥へとつながった。
また地政学では、東方大陸北部に割拠する桜濫幕府と、中部に割拠する神楽帝国との国境付近に独立自治区の成立など、様々な面で深い影響を与えた。
その影響は、マクロ的な視点から見ればささやかなレベルであるが、真夏屋家にも及ぼす事となったのである。
場面は変わり、季節が春から夏に変わった。
すでに両親が戦争にでて三ヶ月が過ぎたが、まだ戦争は続いていた。
日に日に粥は薄くなり、見ている桜子は不安にかられる。
風花は自分の住む首都・稟京を歩き回り、ごみ捨てのバイトをしている。バイトといっても手伝いである。もらえる賃金も小遣いに等しい。それでも家にはほとんど金がない今、一銭でも稼いで帰らなければならない。飲食店のゴミ捨てをしていれば、たまに残飯を分けてもらえる。現在の風花にすれば、それはご馳走であった。
「ただいま~」
「おかえりなさい、おにいちゃん」
家に帰ると、涼は飛びつくようにして風花を迎え入れた。
「今日も良い子にしていたかい?」
「うん、涼次も良い子にしていたよ」
涼は風花に抱きついたまま、頬を風花の身体に擦り付けた。
「汚れているから、ほっぺをくっつけない方がいいよ」
「平気だもん」
涼は構わず抱きしめる両手に力を込めた。
「ハイハイ。でも手を洗わせて。涼次も待ってるよ」
「はい!」
涼も涼次の姉である。風花から手を離すと、ヨタヨタと這ってくる小さな弟の元へ行くと、抱き上げた。
「涼次も、おにいちゃんに、おかえりなさい、をしてください」
「おかえりー」
涼次は嬉しそうに、左手を風花の頬に当ててくる。
「はい、ただいま、涼次」
「えへへー」
「さ、今日はお土産があるよ」
「何か貰えたの?」
「うん、これだよ」
ポケットから出てきたのは、紙に包まれた焦げ気味のタイ焼きであった。
「売り物にならないって、くれたんだ」
「わぁ、美味しそう」
「ちょっと焦げてるけどね。三人で食べよう」
「やった~」
「やったー」
三人で、たった一つの焦げたタイ焼きでも、風花には大切な想い出。
しかし、こんな焦げたタイ焼きではない。
自分の力で、何か一つでもいいから、楽しい事をしてあげたいと思った。
四ヶ月が過ぎ、ついに米がなくなった。
涼は一粒残らず無くなった米櫃を見て、悲しそうにしている。
父と母は、まだ帰ってこない。きっと二人は、戦場でやきもきしていると思う。
しかし、ここが頑張りどころだ。
風花には秘密のプランがあった。
きっと二人は喜んでくれる。
八月、夏祭りの日。
風花は左右の手で妹弟の手を引き、街に繰り出した。
真夏屋家は水郷地帯である深川地区にあり、夏祭りは深川八幡宮を中心に開催されていた。
戦争中であっても、夏祭りの賑わいは凶事を遠い別大陸の出来事に感じられる程である。
出店が数百と建ち並び、ふわふわの綿菓子、氷の上の杏子飴、煙を上げる焼き鳥、色とりどりの景品を狙う輪投げ。
本当は色々と買ってあげたいけれども、お金のない風花にはそれがしてあげられない。それがとても悲しかったが、涼をチラリと見ると、待っていたかのようにニッコリ笑う。
「おにいちゃん、とっても楽しいね」
その言葉一つで、風花はとても倖せであった。
そして、本日のメインイベント。
門前仲町の路地にある食い物屋『いむらや』に辿り着いた。裏路地にあるためか、店に入ると祭囃子がとても遠くに聞こえる。
表通りには人が溢れ返っていたが、この店には誰も客は入っていなかった。
「おにいちゃん、だいじょうぶなの?」
不安そうに涼は聞いてくるが、それは他に客がいないからではなく、店がボロボロだったからでもない。お金が足りるかどうかを心配しているのだ。
「だいじょうぶだよ。ちゃんとメニューと価格はチェック済みさ」
すると店の奥から割烹着を着た老婆が、お盆に水を注いだコップを三つ持って出てきた。
「そうだよ、お嬢ちゃん。アンタのお兄さんは、毎日一生懸命に働いて、お金を貯めたんだ。心配いらないよ」
老婆の顔は皺くちゃであったが、顔一杯に微笑みかけているのは、涼にもわかった。
だから、涼も安心したようにニッコリ笑った。
「そうだよね!ありがとう、おばあちゃん!」
「いえいえ」
老婆がコップをテーブルに置くと、涼はさっそく水を飲み始めた。
それを見つつ、風花はオーダーを出す。
「じゃ、焼きそば定食一つ、お願いします」
「あいよ。アンタ、焼きそば一丁!」
「おーぅ」
老婆が威勢よく店の奥へ声を掛けると、奥からは妙に間延びしたような老人の声が返ってきた。その声が可笑しかったのか、聞いていた風花と涼は目を合わせ、クスクス笑い出し、涼次も機嫌よさそうに笑った。
待つこと暫し。老婆は黒いトレイに焼きそば定食を載せて持ってきた。
「わぁ~、良いにおい~」
テーブルの真ん中に置かれた焼きそばからのソースが焦げる香りに、涼が歓声を上げる。
「本当だね。前に来た時から食べたいと思っていたんだ」
しかしながら、風花には金がなく、辺りに漂う香りだけが彼の昼食であった。いつかは食べたいと思っていた焼きそばが目の前にあり、流石に感無量である。
焼きそば定食は、メインの焼きそばにご飯と生玉子と漬物が載ったセットメニューである。ただ、今回の定食には味噌汁が付いているのと、実はひそかに焼きそばの量が倍になっているのは、店の心づくしである。
風花は取り皿に涼次の分の焼きそばをとり、定食の乗ったトレイを涼の方へ押し出した。
「おにいちゃん、食べていいの?」
「もちろんだよ。さ、お食べ」
「いただきま~す!」
涼はお行儀良く両手を合わせると、割り箸を割り、がつっと焼きそばの麺を箸で掴むと勢いよくすすった。
「う~ん、美味しい!」
口元をソースで汚してはいたが、その一言とその笑顔で、風花は十分にお腹一杯だった。
「さ、涼次もどうぞ」
風花が箸で少しだけ取って涼次の口元に運ぶと、するする食べ始めた。
「おいしー」
涼次もご満悦である。思えばしっかりと味のついた食べ物は本当に久しぶりだ。
「良かった。さあ、どんどん食べて」
「ダメ! 今度はおにいちゃんの番だよ」
「いいって、涼が好きなだけ食べて」
すると、涼は首を横に振る。
「違うよ。一人で食べても美味しくないよ。おにいちゃんと涼次と食べるから美味しいし、楽しいんだよ」
涼の瞳を見ていると、風花はいつも何も言えなくなる。涼はいつだって、当たり前の事を当たり前のように言う。
そして、その通りに行動する。
そんな涼は、風花にとって眩しい存在であった。
これより未来で何度想い返しても、その尊さは何よりも代え難いと固く信じている。
「そっか、そうだね。ありがとう、涼。僕もいただくよ」
「うん!」
風花は取り皿に焼きそばを取り分けると、あむっと一口。
「うまい!」
「でしょ?」
涼が何故か自慢げに答え、風花はウンウン頷いている。
そうして、三人は交互に食べ始めた。
「おにいちゃん、この生玉子はどうするの?」
「う~ん、ご飯にかけるか、焼きそばにかけるかのどちらかだね」
「だね」
「どっちにする?」
「う~ん」
涼が箸をくわえたまま深く考えこんでいると、老婆がひょいと生玉子が入った小鉢をもう一つ置いた。
「どっちにも使うといいさ。玉子さんざ、いくらでもある」
ニッと笑う老婆に、涼はパッと目を輝かせた。
「いいの!?」
「ああ、いいとも。元々その玉子は小さくて売れない玉子を、格安で仕入れたものさ。遠慮はいらないよ」
「ありがとう!おばあちゃん!」
「あいよ」
老婆は右手をヒラヒラふると、そのまま奥に引っ込んだ。
「おにいちゃん、玉子割って」
「はいはい」
風花はせがまれるまま玉子をそれぞれの小鉢に割り、勢い良くかき回す。すると涼も真似して、もう一つの玉子をかき回し始める。ご飯にかける玉子には醤油を入れて、焼きそばにかける玉子はそのままに。
「じゃ、こっちの醤油入りをご飯にかけるよ」
「うん!私は焼きそばにかけるね」
「涼次もいいかい?」
「うん!」
そんな三人を、店の老夫婦は暖かく見守っていた。
桜子は、息も届くほどの近い距離で、幼い三兄妹に見入っていた。
幼い三兄妹は楽しそうに焼きそばとご飯に玉子を掛ける。一口食べるごとに「美味しい」と言う。それを聞いた風花は嬉しそうに微笑む。風花も、こんなに慈愛に満ちた笑顔があったのかと思った。
「さして高くもない焼きそばです。たかだか焼きそばと言われるかもしれません」
桜子の足元に、昨日落とした焼きそばが、落ちた音と共に再現される。
「しかし風花にとって、一番頑張った証だったに違いありません」
桜子の瞳からは涙が零れ、床に落ちた焼きそばに落ちていく。
桜子は屈み、落ちた焼きそばを拾おうとしたが、その指は焼きそばに触れる事はなかった。
「その落ちた焼きそばは過去のものです。もはや、永遠に触れる事は出来ません」
わずかに暗さがこもった潮の声に、桜子は呆然と見下ろすことしか出来ない。
再び場所は変わり、そこは見慣れた界廊の見える丘公園であった。
食堂を出た三人は一時間ほど歩き、公園まで辿り着いたのである。当時は深川八幡宮も一望できたし、見晴らしは現在も昔も変わらず最高であった。
「わぁ~!」
涼が瞳を輝かせて、街全体を見下ろす。
近いのに遠くに見える、遠いのに近くに聞こえる街の人々とどよめきが、地鳴りのように響いてくる。風花は地面に腰を下ろすと、背中から涼次を下ろし、前に抱えるようにして街の全景を見せた。
「すごい」
すると涼次は深川八幡宮のそばにある三重塔を指差し、しきりに何かを訴えていた。
「うん? あれが気に入ったのかい?」
「うん」
「そう…いいよ、好きなだけ見続けて」
風花は地面に座ると頬を涼次の頬に寄せて、弟と同じ目線で三重塔を見詰めた。
「わたしもー」
すると涼も側によってくると、自分の頬を涼次の頬にくっつけて、同じ方向を見る。
それからは静かな時間が流れた。
ただ、三人だけの、なんてことのない時間だった。でも、これで良かったのかとも思う。
ろくにお菓子も買ってあげられず、焼きそば定食しか食べさせられない。
二人は自分の事を、どう思っているのだろうか。
兄として認めてもらえているのだろうか。
今日は喜んでもらえたのだろうか。
そんな不安を抱きつつ、そっと二人の横顔をみようとすると、二人の瞳は風花の顔に向けられていた。少しドギマギしつつ、聞いてみた。
「どうしたんだい?」
「おにいちゃん今日はありがとう!とても楽しかったよ!」
「ありがと」
妹と弟のお礼に、
「…ええっと……」
風花は口ごもりながら、そうか、と思った。
二人には自分の考えている事が、全部わかるのだと。
そして、風花にも二人の気持ちがわかった。
風花のために、今日という一日を全力で楽しんでくれた事を。
たとえお菓子を買えなくても、美味しい焼きそば定食が食べられた。
こうして自分の好きな場所で、同じ風景を見ることができた。
この後、どんなに辛い事があっても、今日の日の事は一生忘れないと思った。
「……僕もだよ。ありがとう! 涼! 涼次!」
「「うん!」」
風花は、満足だった。
八ヶ月が過ぎ、十二月。
もはや日課となったゴミ漁りの最中、
「さ、今日はこのくらいにしよう……?」
胸騒ぎがし、漠然と周囲を見渡すと、深川八幡宮の方向がいやに曇って見えた。
「どうしたんだろ? 雨の気配はなかったのに…」
しかし、胸騒ぎが一向に収まらない。いや、さらに高まっている。
「……違う! あれは雲じゃない!」
北側から猛烈な突風が吹いた、その瞬間!
紅蓮の炎が柱となり、天を衝いた!
「か、火事だ!」
まさに火事であり、後に東方大陸三大火事に数えられる『深川大火』の始まりであった。
深川八幡宮は八千坪の敷地を有し、八幡宮を中心にして数多くの茶店や宿舎が建ち並んでいた。そのうちの一角で火が出て燃え広がり、北風が猛烈に煽ることで大火と化したのだ。
結論だけいえば、深川大火は稟京南東部を灰燼に帰し、深川という名を、その大火の冠詞のみに残して消してしまった。
風花たち兄妹は、奇跡的に無事であった。
とりあえず風花は人気のないところに、焼け出された板切れを重ねて作った一メートル四方の小屋に二人を隠し、自分は食事を探しに行く毎日を過ごした。
食事を探すといっても、それは事実上、窃盗である。風花は食べていくために食べ物を盗み、それを涼と涼次に食べさせていた。
「おにいちゃん、昨日もケガをしていたけど……」
「ちょっと転んだだけだよ。心配しないで」
「ねえ、私も行ったらダメ?」
「今は危ないからダメだよ。僕一人なら、なんとか隠れながら逃げる事が出来る。だから…」
「隠れて逃げないといけないことをしているの?」
涼は幼いながらも鋭くて賢い。
恐らく風花が盗もうとして殴られたことにも気がついているのであろう。
とっさに風花も言い訳が思い浮かばない。結局、話をそらすことにした。
「ほら、これ、この前に拾った折り紙だよ。これをね、こうして、こう折ると……ホラ、折鶴の出来上がり」
「わぁ~」
「これをね、千羽作ると、どんな願いも叶うんだよ」
「じゃあ、おとうさんもおかあさんも帰ってくるの?」
「う~ん……、折り紙がこれしかないからなぁ」
風花が弱っていると、涼次が風花の服を掴みゆすった。
「ん、どうしたんだい?」
「にいちゃん、ぼくにも教えて」
「いいよ、一緒にやろうよ」
風花は二人に、丁寧に根気強く教える。二歳児である涼次には折鶴は難しい。しかし、上手くいかなくても癇癪を起こさず、何度も紙を開いて練習を続けた。
「大丈夫だよ、涼次。練習を続ければ作れるようになる。そしたら、僕に見せてくれるかい?」
「にいちゃんにあげる」
「そっか、ありがとう、涼次」
「うん」
「じゃあ、行ってくるね」
「おにいちゃん、これを持っていって」
すると涼は、風花に家の鍵を渡した。
「これは、鍵だね」
「うん、御守り。家は燃えちゃったけど、いつかこの鍵で開けられる家を作りたいから。それまでこの鍵を御守りにするの」
「……そっか。涼はすごいことを考えつくね」
「エヘヘ。だからこの御守りを持っていれば、必ず家に帰れるよ」
笑顔で見送る涼に、風花も笑い返した。
「うん、大丈夫だよ。ちゃんと帰ってくる。もし心配だったら『早く帰ってきて』と思ってくれるだけで、すぐに帰ってくるから」
「………うん。気をつけてね」
そうやって二人に見送られ、街に出掛けて盗みを働く毎日。
しかし、ある日から盗む事が出来なくなってきた。
所詮、六歳の子供である。何度も盗みを働けば目をつけられる。
日に日に警戒が強くなり、すでに最後の食事から一週間以上も食べていなかった。
涼も涼次も、段々弱っていくのがわかる。
なんとかしなければとあせった結果、あっさりと掴まり、殴る蹴るの暴行を受けた。
風花は亀のように地面に縮こまり、暴行に耐える。
「この薄汚いクソガキが! 散々、人様の食い物を盗みやがって!」
「どこから湧いてきたんだ! とっとと、野垂れ死ねばいいものを!」
何度も何度も殴られ蹴られ、風花の意識は朦朧としている。
意識が飛びそうになるたびに、脳裏に浮かぶのは二人の妹弟。
あの二人が待っている限り、何がなんでも帰らなければならない。
だから、ひたすら耐える。
十年後の未来より見下ろす桜子は目の前で。
「貴様等、いい加減にしろ!」
ついに堪えきれず、暴行を加える男達に殴りかかったが、過去の記録である男達には拳が届かない。もちろんわかっていた。それでもなんとかしたかった。
しかし、何も出来ないから、桜子は風花の上に覆いかぶさるようにして重なった。
そして男の一人が、かぶさっている桜子の身体を通過して、縮こまっている風花の襟首を掴み、手を伸ばす桜子に気がつくわけもなく、そのままそばの川に投げ込んだ。
川に投げ込まれた風花はそのまま流されていく。
「風花!」
桜子が叫ぶ。
ボロボロになるまで蹴られていた風花である。まして、真冬の川だ。怪我と低体温症で死ぬ確率が高い。しかし、風花は死ななかった。
自分が死ねば、涼と涼次の二人はどうなる?
その一念だけで風花は泳ぎきり、なんとか岸にあがることが出来た。
岸にあがり、仰向けになって倒れる。もはや体力の限界であった。
もう一週間以上も食べていない。身体の節々が痛む。どうやらヒビが入っているようだ。
雪が降ってきた。その年、稟京の初雪である。雪は時間と共に勢いを増す。早くも身体に雪が積もってきた。
その雪を見て、風花の心は折れた。
もう、疲れた。
小屋に戻らないと……………………もう、いいや。
もしかしたら、父さんたちも帰ってくるかもしれないし……。
とにかく眠いや。
もう…眠ろう。
さらに強くなる吹雪の夜に、粗末な服を一枚だけ着た少年は目を閉じる。
未来の少女が、どれだけ抱きしめようとしても、何一つ温もりを得る事はない。
涼と涼次のいる小屋の中では、涼が涼次を抱きしめ、暖をとっていた。
「……おにいちゃん、今日は遅いね」
涼がポツリと呟くと、涼次は微かに頷いた。
その涼次の手元を見ると、折鶴を一生懸命に折っていた。
「まだ、鶴を折っているの?」
涼次は、また黙って頷く。
「わたしね、おにいちゃんの力になりたかったの……でもダメだった。おにいちゃんのケガ、あれはわたしたちのせい」
涼次は黙々と折鶴に挑み続ける。
「それともわたし、おにいちゃんの力になれたかな?」
「…できた」
か細い声で、涼次は呟く。
そこには、立派に折られた折鶴が完成していた。
「わぁ、すごいね、涼次。おにいちゃんもびっくりするよ。早く見せたいね……」
「………………」
「……涼次?」
涼が涼次に呼びかけると、涼次は座り込んだまま微かに呟く。
「…にいちゃん」
コテンと、涼次は涼の手を離れ、横になった。
「…涼次?」
涼がユサユサと揺らすが、涼次は応えない。いつもなら首を振ったり、目を開けたり、小さくても返事をしたりするのに、何も応えない。
「涼次……寝ないで、お願い、起きて…」
必死になって揺さぶるが、涼次は首を振る事も、目を開けることも、小さい声で返事する事もない。急速に身体が冷えていくのがわかる。
賢い少女は、目の前で弟が死んだ事を、理解した。
「……う、う、う」
涼の瞳からは涙が、口からは嗚咽が零れる。
「……おにいちゃん、はやくもどってきて……おにいちゃん」
そして、そばで見ていた桜子も。
「うわぁあああああ!」
桜子の絶叫が迸り、“G”も山吹も雪蘭もクレハもQタローもまた、泣いていた。
それまで眠っていた風花は、唐突に目を開いた。
「……呼んでいる。きっと涼が呼んでいる」
無意識の内に、涼から渡された御守り代わりの家の鍵に触れていた。鍵に触れていると、どこか遠くから響いてくるような『何か』を感じた。
不思議に思い、風花は鍵を胸のポケットから取り出す。
すると、鍵は手元から消え、替わりに折鶴が現れた。
「……………………!」
何が起こったかわからず、しばらく折鶴を見つめていたが、唐突にその意味を理解した。
「涼次! 涼次! 涼次ぃ!!」
風花は体力が無いにもかかわらず、起き上がり、駆け出した。
鍵と入れ替わりに現れた折鶴は、風花に弟の死を、因果の絃糸を通じて伝えたのである。
これが後に、風花が《彼岸弓・壱式【苧環】》と名付ける乖離調絃律。
互いに心が通じ合った時に、互いに持つ大切な物の距離を“乖離”させ交換し、それを通じて相手の事を知る事象。
風花は一時間以上かけて、ようやく小屋に辿り着いた。
そこには、すでに事切れている涼次と、御守りである家の鍵を握って横たわる涼であった。
風花は涼を抱き上げ、必死に声を振り絞る。
「涼! しっかりして!」
その声に、涼はうっすらと目を覚ます。
「ああ、おにいちゃん、もどってきてくれたんだ」
「何言っているんだよ。そんなの当たり前じゃないか」
「そうだよね……ごめんね、おにいちゃん……涼次が……」
風花は寂しげに首を振る。
「……おにいちゃん、ケガ、しているよ」
「大丈夫、なんでもないよ」
「……痛そうだよ。」
「大丈夫、それにもうどこにも行かないから、心配しなくていいよ」
「……ずっといてくれるの?」
「ずっと一緒にいるよ。絶対にそばにいる」
「……うれしいな………さっきね、わたし、おにいちゃん、はやくかえってきてって、いっちゃったの。そしたら、おにいちゃんがかえってきた………とてもうれしかった」
「うん、うん」
風花は涙を流しながら、妹の細い身体と、すでに眠った弟の痩せた身体を抱きしめる。
「僕もだよ。涼と涼次のそばにいるだけで嬉しいんだ。どんなことがあっても、ずっとそばにいる。どこにいたって必ず見つけるから」
「………そう…………おにいちゃん」
眠そうな涼が、再び目を開いた。
「なんだい?」
「いままでごめんね…そして、ありがと」
涼は最後の力を言葉に託し、全身から力を抜いた。
この日、開門暦七八〇年十二月三十一日の大晦日。
真夏屋涼と真夏屋涼次の幼い妹弟が、芯まで凍える雪の日に、彼岸の彼方へ旅立った。
明けて開門暦七八一年一月一日の正月。
風花は二人を荼毘に付し、その骨を界廊の見える丘公園の大きな樹の根元に埋めた。




