夕暮れに、紅く染まっていた
■take2:始まりの日、桜濫暦二四一年七月三十一日、一八:二〇
『東方界廊』の見える丘。通称「界廊の見える丘公園」。
ソコは、正に「修羅の巷」であった。
桜塚桜子の瞳に映る光景は、西の空から照らされる夕陽によって、空だけでなく大地まで真紅に染まっているかのようであった。
否。
夕陽の力を借りるまでもなく、ソコは人血を以って、紅く染まっていた。
悲鳴を上げることも、まして全力疾走で逃げる事も拒絶する、恐るべきリアルがソコに、目の前にあった。
脳が痺れた今、大地に横たわる死体を数えられないが、軽く十を超えているのではないか。着ている服が全員まちまちであり、一体どの死体が敵味方なのか、全く区別もつかない。
その夥しい死体の中心に、全身を返り血で染めた年齢不詳の大男。
その夥しい死体の外側に、全身を黒一色の訓練服を纏った少年が、不気味なほど静かに佇んでいた。
紅く染まった大男の身長は六尺(約180センチ)の巨体。逆光を背負い、頭から血を被っているせいもあり、誰だか判らない。
しかし、黒一色の少年が誰だかは、すぐに判った。
桜子の白い歯がガチガチ震えながら、想像もしなかった風景の中で、唯一知っている少年の名を呟いた。
「ふ、ふうか……」
せっかく誘おうとして探したけれども、すぐに姿を消した自身の所属するサクラ小隊六番目の仲間が、何故こんな処にいるのだろうか?そのような疑問が、桜子の脳裏によぎる。
“ふうか”と呼ばれた少年は、朱に染まった男から目を切らず、ただ淡々と口を開く。
「危険に相対したなら、速やかに立ち去れ。危急の場での停滞は、即死そのものだ」
少年の言葉は桜子と、一緒に来ていた三人の少女に向けられたものだが、向けられた少女達はその言葉の意味を租借する事も出来ず、ただただ震えて立ち尽くすのみであった。
少年と相対する大男は、奇妙に見えるほど白い歯を剥き出しにして鋭く言い放つ。
「抜き討つ私にひとたび相対したなら、決してこの場を離れられない。無駄なことだ」
地の底から聞こえるような低い声と共に、血まみれの太刀を上下に一閃。纏わり付いていた血を、一振りで大地に振り払った。
地面に叩きつけられた血糊は土埃を立ち上げ、夏の熱風に攫われる。他愛ないほど震えている桜子と四人の仲間は、その動作一つで膝から力が抜けた。
この大男は凶悪な猛気を全身に纏わせ、相対した者の戦闘意欲を喪失させる。
しかし、“ふうか”は普段のふてぶてしさを全く損ねることなく、一歩右足を前に踏み出した。
「オレはこの場を一度も離れた事はない。もう一度あったなら、再び迷わずここに来る。三度目があるなら、だ」
“ふうか”は血に染まった男の威圧に動じた気配もなく抜刀し、太刀を右肩に載せるようにして、わずかに前傾姿勢を取る。
大男は自然に刀を下段につける《無形の位》をとる。
「すでに結果が出ている。何度試そうとも結果は変わらない。もし、ここまで言ってわからないのであるなら、再び我太刀筋に―」
“ふうか”は前傾姿勢を、重力に引かれるまま更に倒し、相手の言葉にかぶせた。
「口上無用。答えはオレのタイ捨流に―」
「「聞いてみろッ!」」
双方、人血を吸った大地を同時に踏み、血飛沫を上げ、瞬きより疾く斬撃を繰り出す。
“ふうか”は右肩に担いだまま全力疾走し、交錯の瞬間、右袈裟斬り。
対して、大男は右下段からの逆袈裟斬り。
互いの太刀が両者の中心でぶつかり合い、火花が散る。
大男は“ふうか”よりも体格も体重も上をいっているために、力比べでは勝負にならない。
そのハンデを克服するための、疾走が生み出す運動エネルギーを太刀に乗せて力で押し切ろうとする。
しかし、激突し弾かれたのは“ふうか”。
後ろに飛ばされ、追撃の斬撃を受ける!
…ハズが、“ふうか”は右足を軸にして時計回りに半回転し、ニ撃目を背面ギリギリで回避。その回転する勢いが生み出す遠心力を太刀に乗せた、左逆袈裟斬り《逆風の太刀》を放つ。
対する大男は身軽に後ろに跳躍してかわすが、“ふうか”の攻撃は終わらない。
むしろここからが本領発揮であり、初撃よりも疾い速度で踏み込むと同時に右袈裟斬り。
ガギィン!
大男は太刀の峰に左手を添え、落下と同時に両足を踏ん張り、真正面から“ふうか”の右袈裟を受け止めた上に、あっさりと突き飛ばした。
後ろに押されて転ぶような無様な姿は晒さなかったものの、体力のみならず腕力の差は隠しようがない。
右上段で構えつつ肩で息をする“ふうか”に対し、男は平静そのもの。
もはや“ふうか”が強がりを言える局面では過ぎ去った。少なくとも桜子の目には、そのように映った。“ふうか”の敗北は単純に“ふうか”が死ぬだけでなく、連鎖的に桜子達の命運も絶たれる事になる。かといって、桜子達には逃げるだけの気力も残っていない。
すでに何十人もの返り血を頭から被り、朱に染まった貌から歯を剥き出しにする大男は、正に獣を喰らう魔獣。
魔獣めいた大男の前ではか細く見える黒の少年が、古来より黒の対とされた紅色に染まるのは時間の問題であろう。
しかし、どれだけ桜子の思考がボロボロになっても、自分が逃げる事が出来なくても、それでも“ふうか”に逃げて欲しいという気持ちが確固としてあった。“ふうか”であれば逃げ切れるかもしれない。そのかわりに自分達が殺されるかもしれない。
たとえ覚悟を決めていても、他人が逃げて助かり、代わりに自分が殺されるという局面はつらいものである。それでも桜子という少女は、四ヶ月前に出逢ったばかりで、仲の良くない、正直にいって好きになれない「真夏屋風花」という少年に生きていて欲しかった。
偽らざる気持ちだった。
その「生きていて欲しい」という気持ちは、単に少女の潔癖からなのか、仮にも同じ訓練小隊に配属されたためなのか。或いは別の理由なのかは判らない。
自分の生存すら否定される程の恐怖の中で、最後に残った真心の精髄が「言葉」という形で精製された。
「風花、逃げて、生きて!」
儚く散っていく花びらよりも脆弱な精神でも、強い願いを込めたその言葉は、言霊となって幾重にも少年の胸に反響する。
少年の視線が、視覚以外の目で桜子を確かに観た。
少女は、視覚によらず全身の皮膚感覚で、風花が自分を観た事を、確かに感じた。
その瞬間、大男が踏み込んだ!
「愚か!この間合いで観法を切ったか!」
大上段より振りかぶりつつ襲いかかる大男は、正に大津波。
「このオレに、間合いなど関係ない!」
ほぼ同時に風花も踏み込み、タイ捨流の真髄となって右袈裟斬りに全てを賭ける。
斬!
一瞬で互いの右側をすれ違う二人。
四歩の距離で背中合わせに停止。交錯した瞬間に圧縮された時間がゆっくりと広がる。
桜子の主観で時の流れが正常に戻ると、大男が大上段からの唐竹割りを放った姿勢から身を起こす。
次に桜子の視線が風花に行くと同時に、右肩から右わき腹まで斜めにバッサリと切断され、太刀を持った右腕が音を立てて血まみれの大地に落ちていった。
風花の傷口からは、真っ赤な血と、綺麗に切断された肋骨が見えた。
大男が自分の胸元へ視線を下ろすと、着流しの胸の部分を皮一厘ほど斬り、わずかに血が滲み出ていた。
「まず見事」
自らの身体に、皮一厘斬って見せた少年に賛辞を贈る。
大男は頭部を狙ったが、風花の予想以上の踏み込みの疾さが頭部への斬撃をはずして右肩に当たり、そのまま右わき腹へ抜けた。
大男が振り返ると、すでに風花は体ごと男へ向き、そっと残った左腕を、拳を握ったまま差し出す。
風花の眼差しに悔恨や憎悪はない。
あるのは何処か困ったような、今にも泣きそうな眼をしており、年長者である男は迷子の子供に出逢ったような遣る瀬無さが襲う。
そのせいで一瞬だけ反応が遅れた。
開かれた左の掌には、オニギリサイズの爆裂弾が乗っている事に。
太刀の平で打ち払おうと、横に振るうよりも早く爆裂弾は爆発し、中から飛び出した無数の鉛球が、大男と風花の頭部を木っ端微塵に吹っ飛ばし……。
風花と、風花を取り囲む世界の全ては乖離し、桜子は気がつくと――
この「世界」。
この世界を構成する四方大陸。
世界の中心に、八百万の竜が棲む「竜央海」があり。
大海原の東西南北に四方大陸があり。
大陸名は、それぞれの方角を冠詞に戴き呼称される。
四つの大陸は気候も文化も戦闘方式も全てが違い、その特色によって大陸の形容詞が決定された。
即ち、
凶悪な魔獣の跋扈する極寒の雪原と、鍛えられし強兵の北方大陸。通称「傭兵大陸」。
数百年に渡る戦乱と不毛の砂漠、万能なる魔力に溢れた西方大陸。通称「魔導大陸」。
数千の多島で構成され、豊富な資源と優れた技術を持つ南方大陸。通称「工匠大陸」。
四季の変化と緑に恵まれ、豊穣故に権謀と剛剣豪溢れる東方大陸。通称「剣嵐大陸」。
この世界の最も古い記録は一二〇〇年前とされ、それ以前の記録は伝承の類で、正確な記録はない。
この世界は常に戦乱と混沌に満ち溢れていた。
何故ならば、この世界を構成するシステムが、安定を拒む働きを持っていたからである。
四方大陸にそれぞれ一つある、超巨大建造物。
それは、この世界を産み出した創造者が造ったとされる、四つの『次元界廊』。
高さ約一町(約一〇五メートル)、横幅約二町(約二一〇メートル)、縦約一里(約四キロ)。ただし縦の長さに関して、東方大陸なら東側へ伸びており、その先端は途中で霞がかかったかのように消えている。
仮にその先端まで歩いてその先に行こうとしても、回廊は途中で途絶えているので、当然のことながら落下する。
それもそのはず、『次元界廊』は四百年に一度しか開かれない。
『次元界廊』は北方→西方→南方→東方→北方と百年ごとに順を巡り、四百年周期で別次元へ繋がり様々な災厄、『未知なる脅威』が界廊を通過してくる。
界廊が別次元に繋がっている期間はランダムであり、すぐに閉じる時もあれば、何年も開きっぱなしの時もある。
いずれにせよ、界廊が開かれれば未知なる脅威にさらされ、大陸全土が混沌に包まれる。
しかし、妙なところでバランスをとるかのように、未知なる脅威は災厄を齎すと同時に、これまでなかった「技術」も齎した。
四百年前、南方大陸の次元界廊が開通した際には「精銃兵団」と名付けられた全身機械の大軍団に襲われ、あわや壊滅寸前まで追い詰められた。しかし、その大戦争の中で『銃火器』という強力な兵器の開発に成功し、「精銃兵団」を撃破したのである。
そして、南方大陸諸国はその強力な火力を持って東方大陸に侵略を開始。結果、東方大陸は三分の二を占拠される事となる。
しかし三百年前、今度は東方大陸の次元界廊が開通し、異世界より“叡智のヨグ・ソトース”が機動型要塞都市と共に登場した。
『新たなる混沌』と共に。
『新たなる混沌』、それは世界の理に介入し、望む事象を引き起こす力。
その名も“絃律”。
それこそが、現在の東方大陸の力の源。
圧倒的火力の前に、磨き上げた剣技と闘気が悲しいほど無力であった中、絶望の中で抗い続けた者達に答えてくれた、煉獄に咲く一輪の希望。
この物語は、『新たなる混沌』の担い手による、抗い続ける者の物語。
想いと乖離した世界で生きる、誇り高き少年の物語。
少年は多くの死に触れながら、自ら呼吸する意味を問う。
運命と呼ばれる概念に死力を尽くして挑むため、「修羅の巷」に全力で踏み込む。
「修羅の巷」で少女達が少年と邂逅した時、少女達は少年の咆哮を聞く。
「このオレに、『距離』など関係ない!」




