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三、

 不思議な城だ。

 天守と大きな屋根とが一つずつに、大ぶりな屋根がいくつか遠望できるだけなのは、本丸のみの小城でも造ったつもりか。しかし、それにしては廓の造りにしろなにからなにまで巨大で華美だ。

 本丸以外の廓や外堀を一つ残さず破壊されたというのならわかる。城周辺のさら地も説明できる。だが、尋常一様の攻め方では不可能だと、城攻めをいくどとなく経験してきた右之介にはわかった。

 右之介が不思議がっていると、ゆうが待ってましたとばかりに、得意げに話し出した。

「和議が成ったの。外堀を埋めることを代償に、攻め手が引くっていう。

 だけど、攻め手は外堀だけでなく、二の丸もやぐらから出城まで、すべて平らにならしてしまったの。

 その後、和議を守った、っていう体裁で攻め手は引いの」

 当然、次に攻める時を考慮しての算段に違いない。

 お役に立てたかしら、という感じの勝気な目で右之介を見上げ、そこになにを見たのか、ゆうはちょっと身を引いた。

「・・・・・・いやな策だ」

 それにしても、とさら地を歩いて城へ向かいながら、右之介はその広大さに驚くより呆れた。

 外堀の跡だけでも馬鹿みたいに広い。正直、右之介はこれほどの規模の城を見た覚えがなかった。忘れているだけかもしれぬ、などと考えはするものの、城の非常識な巨大さを考えると、造る財力、守る兵力、ともに想像を絶する。

 いやな策、か。右之介は歩きながら頭の中で嘆息した。

 思い出したくもない記憶が、水底から浮き上がってくるように甦ってくる。これがゆうの言う、名前以外のいつか思い出す記憶なのだろう。

 いくさ。汚濁にまみれた手練手管を駆使して戦うこと。

「・・・・・・あなたは、この城攻めの攻め手だったの?」

 右之介の苦い顔の理由を、ゆうはそう想像したらしい。

 右之介は少し考えて、いや、と首を振った。

「どうも、俺はこの城を本当に知らぬらしい。忘れているだけかと思っていたが、これほどの規模の城、思い出した記憶の中に名前の一つもないのはおかしい」

「なにか、思い出したの」

 右之介はますます渋面を広げた。

「どんな思い出なの」

 顔を見ればいやな思い出だと気付きそうなものだが、ゆうは無邪気に訊ねてくる。右之介が今まで彼女を観察したところ、人と話ができるというのがよほど嬉しく、有頂天になっていて、相手の都合などかまう余裕がない、というところだ。

「・・・・・・一揆とのいくさがあった」

「大きないくさだったの」

「単純な土一揆ならすぐに片付くものだが、一向門徒が相手となるとそうもいかぬ。やつらは引くことを知らぬからな。そう、大きないくさだった。何年にも渡った、とてつもなく大きないくさだった」

 何年目だったろうか。決戦に集められた勢力の中に、右之介もいた。

 勢いづいているとはいえ、敵は百姓を主力とする烏合の衆、ひた押しに押し、三つの城塞まで追い込んだ。そして、川の中州にあるこの城塞を、蟻の出る隙間もないほど取り囲み、兵糧攻めで苦しめた。

 敵は、飢えた。

「砦の一つが根を上げた。城を明け渡す条件で助命してれ、と。命乞いだ。老人もいれば女子供もいる勢だ、当然の結果だ。我々は、受け入れた」

 川へ、彼らは小舟を出した。骨と皮だけになり、腹ばかりを突き出した、まるきり幽鬼のような一団。

 命を助けると約束した彼らへ向けて、鉄砲隊は火を噴いた。

 根切り、皆殺し、一人とて逃すな。それが命令だったからだ。

 彼らは激怒した。

 だった今まで、ろくに舟も漕げない半死人だった者たちが、突如水面に没し、まるで川の底から這い上がってきたもののけのように陸へ上がるや、手当たり次第に周囲の陣へ躍りかかっていた。

「鉄砲玉の一つや二つでは死なぬのだ。吹っ飛んでいってもまたやってくる。そいつが果たして男なのか女なのかもわからぬ。歳も、背格好すらも判然とせぬ。悪鬼が真に存在するならば、まさしくあの顔がそうであったろう」

 地獄に住むならこの程度の話には馴れもあろう、と思いながら見やると、ゆうはちょっと青い顔をしてうつむいていた。

「逃すなと言われたからな。鉄砲隊が始末できなかった敵を、俺たちが殺した。残った砦にいたやつらも、みな焼き殺した」

 凄まじい戦闘だった。

 生きていることさえ不思議な、餓死寸前の者らが相手だというのに、幾人もの武将を失うというおよそ予想しえない被害をこうむった。人は己れの命と引き換えに、凄まじい戦闘力を発揮するということか。

 いや、彼らはすでに人ではなかったのかもしれない。

「途中でわからなくなった。相手が生きているのか、死んでいるのか。斬っても斬ってもくたばらぬように思えて。倒れようが頭がなくなろうがむくりと起きてまた襲いかかってきているのではないか。最後は・・・・・・」

 さすがに言葉を飲み込んで、右之介はゆうの表情を盗み見た。

 ゆうに言えるものではない。恐怖にかられて闇雲にわめきあがいていた、など。

 大手門にたどり着くと、右之介はしばらく佇み、説明を求めるようにゆうを見やった。

「なに」

「やぶられている」

「ええ」

「遠くからいくさの音もする」

「だから」

「なのに、ここには人の気配がない」

「それがどうしたの」

 右之介の方が簡単に説明した。

 門の周辺は、攻城戦では最も激しい局地戦域の一つとなる。当然、いくさ直後は死屍が累々と積み重なり、それも五体満足な遺体がろくにないという酸鼻をきわめた光景が残る。

 なのに、ここにはひと一人転がっていない。城内から時折り吶喊や剣戟の音が聞こえているとにうのだから、誰かが片付けるという余裕もあるまい。

 いや、そもそも気に入らない。

 和議がなったと聞いたから、おそらく休戦期間中なのだと思っていた。城の周囲に攻め手側の陣が一つもないのだから。

 これだけの規模の城、本丸だけでも夥しい兵数でなければ攻められず、それなら城外のさら地は人馬で埋め尽くされ、地を黒々と覆っていなければおかしい。

 だというのに、城外にはなにもない。門扉は破壊されている。激しい戦闘の跡さえ生々しい。なのに、死体がない。援護の兵、負傷した兵の往来もない。

 右之介にとって極めて気に入らない話だ。

「ここはじごくなの」

 ゆうはあっさりと言ってのけ、油か火薬か燃えた跡の真っ黒な地面を蹴った。

「大坂城の戦いは一度きりじゃない。何度も何度も。規模も攻め方もみんな違う。実はね、この小さな大坂城のほかに、外堀を埋める前の状態の大坂城が、遠くにあるの。聞いた話だと、あっち、生きている人の世界には、大坂城は一つしかないそうだけど」

 理解できない話だ。節操がないと言おうか、こんな巨大な城を二つも造る無駄な経済感覚を笑えばいいのか。

 そうじゃない、とゆうは難しそうな顔をした。

「生きている人の世界で、たくさんの人が死ぬと、その場所がそのまま地獄に来るみたい。大坂城では二度、たくさんの人が死んだから、二つの大坂城が生まれた」

「生まれた」

「ここの人がそう言っているのを聞いたの。ここでは、人は生まれない。場が生まれる」

「さっきまでここで戦っていたのは確かなようだが」

 塀や柱につけられた刀槍や鉄砲の傷と、黒焦げた門扉のかけらを指差して、右之介は訊ねる。

「では死体は」

「ここで死んだら、人は消えるの」

「消える」

「死んでみればわかるわ。大丈夫、またこの世界に帰ってくるから」

 大丈夫でもなんでもない。

 そう思いはしたものの、死んで帰る話は納得できた。なぜかわからないが、背中を悪寒が走り抜けていく。忘れた記憶の中に、似たような話があるのかもしれない。

 門を入ると枡形の広場があり、直角に曲がって渡りやぐらの下を通る。もっとも、渡りやぐらは半ば以上が焼け落ちていた。

「おお、貴様か」

 聞き慣れた声へ目を向けると、森の中で出合った男が手を振りながら近づいてきていた。

「せん姫は」

 右之介が訊ねると、ほれこの通り、と男はわきを見やり「美しい方であろう」と誇らしげに笑った。

 右之介には、見えない。

「そうか。それは、なにより」

「ここで会ったのもなにかの縁だ。どうだ、わしについて来んか。ほれ、せん姫とてこうおっしゃっておられる」

 なんにも聞こえないわ、とゆうが右之介の後ろでつぶやいていた。彼女にもせん姫は見えないらしい。

 せん姫もゆうと同じなのだろうか。 

「せっかくだが、大坂城を見物するつもりだ。本丸だけでも、そこらの城とは桁か違うらしい」

「さもあろう」

 まるで自分が褒められでもしたかのように男は胸を張り、それではせん姫、と彼女の背中らしい辺りを抱いた。「参りましょう」

 踊るような歩調で門へと向かった男だが、不意に足を止め、突然叫んだかと思うと、刀を抜き放ち虚空を撫で斬り、せん姫の名を叫びながら地面へしゃがみ込んだ。

「なんだ」といぶかしむ右之介に、ゆうが、見ていればわかるわ、と囁いた。

 やがて男は涙を流しながら引き返してきた。

「どうした」

「見ていなかったのか、貴様」

 男の声は慟哭に近い。

「せん姫が足軽づれに斬られるとは。わしがついていながら、わしがいながらなんという」

 右之介は思わずゆうを見た。ゆうがほらねという顔をしていた。

「それで、これからどうするつもりだ。その、せん姫が亡くなってしまっては」

「せん姫をお救いする」

「しかし・・・・・・」

「天守にてせん姫がわしをお待ちあそばしておられる。行かねばならぬのだ」

 どういう意味なのか。さらに問おうとして、右之介はこの男の瞳にやどる光に、ようやく気がついた。

 それは狂気の光だ。

「わしは行く。行ってせん姫をお救いし、姫をめとるのだ」

 少し行って、男は振り返った。そこにはすでに狂気の色はなく、あどけないとも言える無邪気な表情があった。

「そうだ、貴様、手伝ってくれぬか。うまくゆけば、仕官の口を用意してやってもよいぞ」

 右之介はしばらく男を見つめ、横へ小さく首を振った。

「そうか。まあ、それもよかろう。大坂城も落城寸前、功を逃さぬようにな」

 さきほどの涙を忘れたように、男は軽快に笑うと去っていった。

 ここはじごくだったのだな、と右之介はつぶやくようにゆうへ言った。

「あの人、一度も城の外へせん姫を連れ出したことがないらしいの」

「せん姫も、お前と同じく、あの男にしか見えないやからか」

「そうかもしれない。ただ、あたしの勘だけど、少し違うのじゃないかしら」

「なぜ」

 ゆうは肩をすくめて笑った。

「理由はないわ。だから、勘なの」

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