『Bright Loneliness — 明るい孤独』
第1章:15秒の光、1曲の影
都内大手テレビ局の地下にある特設スタジオは、眩いほどのLEDライトと熱気に包まれていた。
クレーンカメラが滑らかな曲線を描いて迫り、真っ赤なRECランプが点滅する。照明の熱が肌をじわじわと焼き、スタジオ特有の乾燥した空気が喉の奥を刺す。
「はい、オッケーです! レンさん、最高の笑顔いただきました! 収録押しナシで終了です!」
フロアディレクターの威勢の良い声が響き渡った瞬間、僕は頬の筋肉をわずかに緩め、深く張り詰めていた呼気をそっと吐き出した。口元に作り上げていたのは、ミリ単位まで計算し尽くされた「プロのスマイル」だ。
テレビ画面越しに見える僕は、世間から「無敵のポップスター」と称される存在だ。
ロックバンド『Whitestart』のフロントマン。僕が作詞作曲を手掛けた楽曲は、ストリーミング再生数でほぼ全曲が1億回を突破し、SNSを開けば僕の歌声に乗せて何十万人もの若者がダンス動画を投稿している。
世間やメディアは、僕のことを「ビジネス陽キャ」と呼んで弄ぶ。実際、番組のトークコーナーではハキハキと声を張り、メンバーをコミカルにいじり倒し、スタジオを大爆笑の渦に巻き込んでみせる。だからこそ、画面の向こうの誰もが、僕の本当の素顔が人見知りで繊細で、人の視線に怯えるような人間だとは思いもしない。
「……ふぅ。お疲れ様でした……」
楽屋のドアを閉めた途端、全身の関節から一気に力が抜け落ちた。僕は重い身体を深めの革張りソファーに預け、そのまま天井を仰いだ。白い蛍光灯の光が、疲弊した網膜にチラチラと残像を結ぶ。
「お疲れ、レン。今日も見事な『ビジネス陽キャ』の完璧なお仕事だったな」
呆れたような、けれどどこか温かい呆れを含んだ声とともに、冷えた缶コーヒーが僕の頬にそっと押し当てられた。冷気に思わず「ひゃっ!」と身をすくめると、ベースの和希がニッと悪戯っぽく笑っていた。
「ちょっとカズくん! 氷みたいで冷たいよ〜! ビックリしたじゃん!」
「ハハッ、リアクションでけぇよ。ほら、飲めよ」
「……ありがと」
プルタブを引くと、微糖コーヒーの甘香ばしい匂いが漂う。一口含むと、緊張でカラカラだった喉に苦味がじわっと染み渡った。
「レン、次のラジオの生放送まで30分くらいあるから、ソファで目をつむっておきな。アラームセットしておくから」
そう言って、ギターの奏が静かな手つきで楽屋の間接照明だけを残し、メインの蛍光灯を消してくれた。薄暗くなった部屋で、ドラムの莉緒が僕の目の前にお気に入りの粒あんパンをそっと置いてくれる。
「レン、甘いもの食べないと頭回らなくなっちゃうでしょ? ひと口でも食べておきなよ」
「リオちゃん……みんな……ありがとう……」
この3人――Whitestartのメンバーの前でだけ、僕は「ポップスター・レン」の重い鎧を脱ぎ捨て、ただの「大塚レン」に戻ることができる。
僕は子供の頃から、自分の内側にある感情を言葉にして人に伝えるのが酷く苦手だった。周囲の顔色を伺いすぎ、言いたいことを胸の奥に押し込め、一人ぼっちの部屋で息を潜めていた。その内側に溜まったどろどろとしたモヤモヤ、寂しさ、胸がぎゅっと締めつけられるような痛みを、ノートに叩きつけるように歌詞やメロディに変換することで、僕はなんとか自分という存在を保ってきたのだ。
僕はポケットから、使い古して角が擦り切れた黒いキャンパスノートを取り出した。
「ねえ、ソウくん、カズくん、リオちゃん……」
消え入るような声で呼びかけると、3人が自然な動作で僕の周囲に集まってくれた。ノートを開くと、そこには整ったフォントではなく、歪んだ筆圧で書き殴られた歌詞とコード進行が並んでいる。ソロ名義『Ren Ohtsuka』として、僕の根底にある痛みを削り出して作っている楽曲のスケッチだ。
「この曲ね……歌おうとすると、胸がぎゅーって苦しくなって、息ができなくなるんだ。世間は僕らに、あの眩しくてポップな『PRISM』みたいな曲ばかりを求めてるのかな。こんな暗くて、生々しい傷跡みたいな曲……誰も聴きたくないのかな」
吐露した僕の弱音に、スタジオの薄暗がりの中で奏がそっと手を伸び、僕の頭をぽんぽんと乱暴に撫でた。
「バカだな、レン。15秒のTikTokでバズるキャッチーなサビも確かに俺たちの強みだけどさ。お前が一人ぼっちの夜に自分の魂を削って書いたその泥臭い言葉に、本当の意味で救われてる奴らが絶対にいるんだよ」
「そうだよ!」莉緒が力強く身を乗り出した。「うちのファンクラブ『WhiteJam』のみんなはさ、レンのそういう繊細で、時に折れそうになる弱さも含めて、全部を愛してくれてるんだから。表のポップさだけがレンじゃないって、みんな知ってるよ」
「お前の歌はな、15秒の切り抜きなんかじゃ収まりきらない本物なんだよ」和希が太い腕を組み、力強く頷く。
メンバーの温かい言葉が、冷え切っていた胸の奥にじんわりと熱を宿していく。
そうか。僕は、一人じゃないんだ。
この3人が僕の「明るい孤独」を理解し、支えてくれている限り、僕はどんな深い暗闇からでも歌を紡ぎ出すことができる。
第2章:画面の向こうの温度差
秋の気配が混じり始めた、賑やかな昼休みの高校の教室。
窓からは心地よい風が吹き込み、プリントの端をカサカサと揺らしていた。
「ねえ葵! 見て見て、今日のホワスタの新しい15秒ダンス動画! レンくんの最後のウインク、超可愛くない!?」
斜め前の席から身を乗り出すようにして、スズがスマートフォンの液晶画面を突き出してきた。
画面の中では、色鮮やかな衣装を纏ったレンが、眩しいほどの笑顔で軽やかにステップを踏んでいる。SNSで何百万回と再生され、街中の若者たちが真似をして動画を投稿しているヒット曲『PRISM』のショート動画だ。
「本当だ、すごく可愛いね……!」
葵は微笑みを浮かべて頷きながらも、胸の奥で小さな、切ない痛みが引き絞られるのを感じていた。
スズは流行に敏感で、今まさに世間を席巻している「ホワスタの軽やかなバズ」が大好きなクラスメイトだ。けれど、葵の胸中にはスズには見えていない別の世界が存在していた。
葵は自分の制服の鞄の底に、大事にしまってあるファンクラブ『WhiteJam』の会員証の感触を確かめる。
去年の冬、進路に悩み、友人関係にも行き詰まり、誰にも本音を言えずに自室のベッドで一人ぼっちで声を押し殺して泣いていた夜。偶然ストリーミングサービスで流れてきたのは、バズっているサビではなく、アルバムの奥深くに置かれた『Ren Ohtsuka』名義のソロ曲だった。
『誰も見ていない夜の隅で
君が流した涙の数だけ
僕は痛みを歌にしよう』
削り出されたような生々しい歌声と歌詞。その時、葵は初めて「自分の孤独を肯定された」と感じ、ボロボロと涙をこぼしながら救われたのだ。
(スズちゃん……この曲、キャッチーな15秒のサビだけじゃなくて、Aメロの『泥だらけの靴のままでいい』って静かに歌う部分に、どれだけの救いがあるか……知ってほしいな)
けれど、その想いを口に出すことはできなかった。言えば「重いよ」と笑われてしまうかもしれない。スズにとって、そして世間の大半にとって、ホワスタは15秒でスワイプして消費される「いま最もイケてるブーム」に過ぎないのだから。
「今度の週末の大型野外フェス、ホワスタがメインステージで出るでしょ? 一緒に行こうよ葵! 有名なバズり曲だけ聴けたら満足だし、映える写真たくさん撮ろうよ!」
無邪気に目を輝かせるスズに、葵は一瞬躊躇しながらも、柔らかく微笑んだ。
「うん、一緒に行こう! すごく楽しみだね」
葵は心の中でそっと祈っていた。
画面越しの15秒の光の裏側にある、レンが魂を削って紡いだ「本物の音」が、あの日自分を救ってくれたあの温かい熱量が、いつかスズの心にも届きますように、と。
第3章:嵐の前夜とプロのスイッチ
野外フェス前日、都内郊外にあるリハーサルスタジオ。
防音壁に囲まれた広い室内には、大量の機材と太いケーブルが縦横無尽に這い回っていた。
「うわぁぁぁぁ! カズくん! 僕、明日の新曲のBメロの歌詞、絶対本番で飛ばす気がする〜〜!! どうしよう、頭が真っ白になったらインスト曲として演奏してね!?」
「落ち着けよレン! 毎回リハの直前になると同じこと言ってジタバタするだろ!」
スタジオのリノリウムの床に背中をつけて大の字になり、足をバタバタと暴れさせるレン。和希が頭を抱えながら、その首ねっこをつまみ上げるようにして抱き起こす。
「ソウ先生〜! カズくんが僕の繊細なメンタルをいじめる〜!」
「いじめてねぇよ! 事実を叩き込んでやってるんだよ!」
「はいはい、二人ともそこまでにしなさい。マイクチェック進まないから」
莉緒がスティックでシンバルを軽くコンと鳴らし、呆れたように笑う。
直前まで小学生のように甘え、騒ぎ立てていたレンだったが――奏が愛用のギターのジャックをアンプに差し込み、低く美しいコードを一音鳴らした瞬間、空気の粒子が一変した。
レンの身体から、ドジで臆病な気配が跡形もなく消え去る。
「……ソウくん。今のCメロの音、もうほんの少しだけアタック感を弱くして、残響を深めにできる? 歌詞の『傷』って言葉を歌う時、聴き手の胸にすっと溶け込むような空間にしたいんだ」
マイクに向かうレンの瞳には、一切の戯れも妥協もなかった。冷徹なまでのプロフェッショナルな光。
楽曲制作と音響における彼のストイックさは、時に周囲が息を呑むほど鋭利だ。耳に残るポップな旋律の裏側に、人間の暗部や孤独を完璧な計算で織り込んでいく。
「了解。音色調整する。……レン、明日のフェス、午後はかなり激しい天候になるって予報が出てる。雨対策の機材セッティングにするが、大丈夫か?」
奏の言葉に、レンはアコースティックギターのネックを愛おしそうに撫でた。
「うん。……世間が僕らを15秒の動画で切り取って消費しようとしても関係ない。明日のステージでは、僕らの魂のすべてをぶつける。そこにいる一人ひとりの、暗い夜を照らすために歌うよ」
第4章:雨の『ECHOES』と五感の覚醒
野外フェス当日。天候の崩れは予想を遥かに超えていた。
午後の開演時刻が近づくにつれ、上空には不気味な黒雲が垂れ込め、やがて視界が真っ白になるほどの激しいゲリラ豪雨が会場全体を叩きつけ始めた。
「うわぁ、最悪! 雨やばすぎ! スマホ濡れて動画撮れないじゃん!」
レインコートのフードを深く被りながら、スズが悲鳴を上げる。会場のあちこちから「中止かな」「濡れて寒いし帰りたい」と不安と不満の声が漏れていた。
だが、雷鳴が轟き、機材トラブルのノイズがスピーカーから走る中――ステージの中央へ、アコースティックギターを抱えて歩み出てきたのは、テレビで見せる「ビジネス陽キャ」の仮面を脱ぎ捨てたレンだった。
びしょ濡れになり、黒髪を顔に張り付かせながら、レンはマイクを固く握りしめた。
「みんな! 雨、すごいね! 風邪ひかないでよ!?」
一瞬、いつもの明るい声。けれど次の瞬間、レンの眼差しがアリーナ全体を鋭く射抜いた。
「世間は僕らのことを『バズりバンド』だって持て囃す! 15秒の動画で僕らを切り取って、手軽に消費していく! ……僕自身、表では『ビジネス陽キャ』なんて笑って、自分の中の弱さや葛藤を隠そうとしてきた!」
雨音を突き破るレンの生々しい叫びに、ざわついていた数万人の観客が一瞬で静まり返った。
「でもさ! 僕の根っこにあるのは、いつだって夜の部屋で一人ぼっちで震えていた、どうしようもない内気な子供の頃の記憶なんだ! 『Ren Ohtsuka』として痛みを吐き出す時も、ホワスタでみんなと歌う時も……僕が届けたいのは、世間の流行なんかじゃない! 15秒の画面越しじゃ絶対に届かない、君の夜にずっと響き続ける『本当の音(ECHOES)』なんだよ!!」
その絶叫と同時に、奏のギターが冷たい雨を切り裂くように轟いた。
和希の重厚なベースが地鳴りを起こし、莉緒の叩き出す力強いドラムが雨の夜空を打ち抜く。
その瞬間、スズの世界が音を立てて塗り替えられた。
【聴覚】 周囲の不満の声や激しい雨音が消え去り、胸の奥を直接揺らす重低音と鋭いギターリフだけが鼓膜を突き破ってくる。15秒のスマホの小さなスピーカーとは次元が違う、圧倒的な生の圧。
【触覚】 氷のように冷たかった雨の感覚が消え、全身の産毛が逆立つほどの猛烈な鳥肌が皮膚を駆け巡る。体内の奥底から湧き上がる熱狂に、スマホを握っていた指先が震えた。
【視覚】 画面の中の「加工された可愛い男の子」はどこにもいなかった。泥まみれの靴でステージを駆け、命を削るように歌う一人の泥臭く美しい表現者の姿が、網膜に焼き付いて離れない。
【嗅覚】 濡れた黒土と焼けたアスファルトの匂い、そして何万人もの観客が発する生の熱気が混ざり合い、強烈なリアリティとなって鼻腔を満たす。
【味覚】 驚きと感動で乾いた唇を、冷たい雨粒と一緒にしょっぱい涙が濡らした。
「……嘘でしょ……」
スズの口からつぶやきが漏れた。スマホを構えていた手がゆっくりと下がり、ポケットに収められる。
「何これ……。画面の15秒と、全然違う……。カッコ良すぎて、鳥肌止まらないよ……」
隣で葵の目から、温かい涙が溢れ出していた。雨と混ざり合いながら、頬を伝っていく。
(ほらね、スズちゃん。レンくんの歌は、15秒でスワイプして消せるようなものじゃないんだよ。私たちの人生を丸ごと抱きしめてくれる、本物なんだから……!)
泥まみれになりながら、葵とスズは顔を見合わせ、弾けたような笑顔で同時に手を高く突き上げた。
第5章:僕らのアンサンブルは続いていく
嵐のような野外フェスから数週間が過ぎた、いつもの放課後の教室。
茜色の夕光が教室の床を長く染め上げ、窓の外からは運動部の威勢の良い声が風に乗って聞こえてくる。
葵が自席でお弁当箱を片付けていると、静かな足取りでスズが近づいてきた。
以前のように「見て見て、この新しいダンス動画!」とスマホをかざしてくることはない。スズは鞄からイヤホンを取り出すと、その片方を葵の手元へそっと差し出してきた。
「葵……これ、聴いてみて。1曲目から最後の曲まで、アルバムの順番通りに聴くとさ、レンくんの気持ちが一本の線で繋がってる気がするんだ」
イヤホンから流れてきたのは、TikTokでバズっているフレーズではなかった。『PRISM』の光の裏側に置かれた、静かで泥臭い『ECHOES』の繊細なイントロだった。
「スズちゃん……」
「私さ、15秒の切り抜き動画だけで満足してたのが、なんだか急に恥ずかしくなっちゃってさ。あの雨の中で聴いたレンくんの歌、ずっと耳から離れないんだよ。あれから昔のアルバムも全部買って、自室で歌詞カード見ながら1曲ずつ聴いてるの。……ホワスタって、本当にすごいバンドなんだね」
そう言って照れくさそうに笑うスズの瞳には、あの雨の日の野外ステージで五感を打ちのめされた時の、熱く真っ直ぐな光が宿っていた。
葵は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じながら、力強く頷いた。
「うん……! 本当に、すごいんだよ!」
画面越しの一瞬のブームとして消費されかけていた音楽が、一人の少女の心に深く根を張り、一生モノの「救い」へと変わった瞬間だった。
同時刻。都内にあるホワスタのプライベートスタジオ。
「ふはは! 見てよソウくん、カズくにゲームで完全勝利〜! プロベーシストのプライド、ここに完敗〜!」
「ちょっとレン! 今のはコントローラーの右レバーの効きが悪かっただけだって! もう一回だ!」
「はいはい、負け犬の遠吠えは聞きませ〜ん!」
楽屋のソファーで和希を煽り倒してゲラゲラと無邪気に笑うレンの姿があった。
莉緒がお腹を抱えて笑い、奏が呆れながらも温かい眼差しでコーヒーを口に運んでいる。
「はいはい、わんぱくスター様。そろそろ次の曲のミーティング始めるよ」
奏の声に、レンは「はーい!」とおどけて見せると、ソファーから跳ね起きるように立ち上がった。
足元に転がっていた黒いキャンパスノートを拾い上げる。そこには、ソロ名義『Ren Ohtsuka』として書かれた深い葛藤の歌詞と、ホワスタとして鳴らす眩しいメロディのスケッチが、表裏一体となって刻まれていた。
「ビジネス陽キャ」としての眩しい光も。
一人ぼっちの夜に抱えてきた繊細な影も。
ゲーマーとしてメンバーと無邪気に笑い合う日常も。
そのすべてがあるからこそ、大塚レンという表現者は今日も歌うことができるのだ。
「みんな、次の曲……ちょっと胸がキュッて締めつけられるかもしれないけど、絶対に誰も置いていかない『本物のポップソング』ができたんだ。聴いてくれる?」
「当たり前だろ」と和希が頼もしく笑い、
「レンの曲なら、いつだって最高だよ」と莉緒が微笑み、
「よし、音を出そう」と奏がギターのピックを構える。
アンプから鳴り響いた透明な一音目が、スタジオの空気を優しく揺らした。
画面越しの15秒の光を遥かに越えて。
僕らのアンサンブルは、どこまでも、どこまでも続いていく。




