予言師2
岩手県盛岡市の大通りの一角に、粗末な椅子に腰掛けた一人の老婆がいた。
彼女の前には小さなテーブルがあり、テーブルの向かいには、これまた粗末な椅子があり、座る者が来るのを今か遅しと待っているようだった。
一見すると、老婆は『占い師』のように見えたが、粗末なテーブルの上に置かれた小さな行灯に書かれた文字は、『占い』ではなく、『予言』であった。
新年が明けた日曜日の昼間、盛岡市の大通りを歩く人々の姿は多かったが、寒空の下、老婆の姿に目を止める者はなかった。
そして、小さな行灯の中で燃える小さな蝋燭の火も、昼間の日差しに遮られて、効果的な宣伝効果をもたらす程、目立ってはいなかった。
「ねえ、あれ、占い師じゃない? 私たち家族の事を占ってもらいましょうよ」
仲良さそうに腕を組んで歩いていたカップルの女性が、老婆を指差しながら傍らの男性に向かって囁いた。
「占うって、必要ないんじゃない? 僕らの未来は幸せに決まってるんだから」
苦笑する男性の手を引っ張りながら、女性は「いいから、いいから」と老婆の前に行き、小さな古ぼけた椅子に腰掛けた。
「寒いから、早く家に帰ろうよ。身体を冷やしたら大変じゃないか」
心配する男性をよそに、女性は早くも老婆に向かい、鑑定料金三千円をテーブルの上に置いて、「私たち家族を占って下さいな」と陽気に言った。
「わしは占いは、せん」
老婆の嗄れた声が、そう応えた。
「占い師さんじゃなかったら、お婆さんは何をする人なの? 」
目を丸くした女性が聞くと、老婆は「わしか? わしは、『未来』を観る予言師だ」と答えた。
「ねえ、未来を観てくれるんだって。面白そうじゃない? 」
女性はますます興味を持った様子だが、男性の方は露骨に顔をしかめて「胡散臭げじゃないか。多分、口から出任せを言って、日銭を稼ぐつもりなんだよ」と言い放った。
「わしを信用出来ぬのなら、二人の『今』を観てやろう」
老婆はそう言うと、二人の顔を交互に見詰めた。
「まず、お二人は夫婦じゃな。旦那さんは巫正人、三十三歳。料理人じゃな。奥さんは、巫美春、二十八歳、結婚式関係の仕事をしておったが、現在は専業主婦じゃ。盛岡市内の不来方ホテルに勤めてた時に、旦那さんと知り合った。間違いあるまい」
老婆の発言に、二人は息を飲んだ。そして、二人目配せをして、大きく頷いた。
「お婆さん、私は今日、夫に大事な事を報告したの。それが何だか、私たちの素性を当てたお婆さんなら、分かるわよね? 」
巫美春は、真剣な顔をして、老婆を見詰めていた。
「お腹の子供の事じゃろう? 」
もう二人には、老婆を疑う理由はなかった。巫美春が老婆に観てもらいたかった事ーーそれは夏に生まれるであろう、我が子の未来であったからだった。
「お婆さん、教えて。お腹の子は、無事に生まれてくるわよね? 」
巫美春の問いに、老婆は「まだ生まれていない赤子の運命は、未確定な事も多いがの・・・」と前置きした上で、「生まれてくるとすれば、無事にうまれるじゃろう。そして、『花』ちゃんはすくすくと育ち、美春さん似のきれいな娘さんになり、結婚し、子供をもうけて、幸せに暮らすじゃろう」と言った。
「えっ、ちょっと待って。『生まれてくるとすれば』って、どういう事? 」
老婆の言葉を聞いて、始めは喜んだ二人だったか、巫美春は老婆の言葉にある、刺を聞き逃さなかった。
「どうしても知りたいか。それはな、美春さんとお腹の子供の関係に問題があるからじや。美春さん、貴女は幼い時から身体が弱い子供じゃったようだの。貴女の身体について、医師から告げられた言葉を、旦那さんにまだ話せずにいるのではないかな?」
「美春、君は僕に隠している事があるのかい? 」
老婆と夫に見詰められて、巫美春はしばらくの間、沈黙していた。
「正人さん、お願い。聞いて」
暫しの沈黙の後、巫美春は話し出した。
「正人さんには言わなかったけど、私は幼い頃、病弱で身体が弱い子供だった。私の両親も医者から『この子は、大人になるまで生きられないかもしれません』と言われ、私も漠然とそうだろうと思いながら育ったの。だから、私は、子供の頃、大人への憧れを大きく持っていた。大人になって恋をして、結婚して子供を産み、家族みんなで幸せに暮らす。叶わないと思っていた、私には理想すぎる暮らしだった・・・」
巫美春はそこで大きく深呼吸をすると、胸の支えを吐き出すかのように、独白を続けた。
「私は、運良く大人になれた。なれたけど、結婚する幸せは無理だと思った。だから、自分じゃない他人の幸せのお手伝いが出来ればと、ウェディングプランナーの仕事を選んだ。でも、私の予想は良い方に外れたの。貴方が現れたから・・・」
巫美春の潤んだ瞳は、まっすぐ、夫の正人に向けられていた。
「医師は、君に、君の身体の事をなんて伝えたんだい? 」
夫の正人の問いに、巫美春は俯きながら「内蔵の数値が悪い。これ以上悪くなるようだったら、子供は諦めた方が良いって。でも、私はどうしても産みたかったから・・・」
「なあ、婆さん、僕たち夫婦には子供を生まない未来もあるんだろう? 」
夫の正人は、妻の訴えをわざと無視して、老婆に聞いた。
「勿論だとも。『未来』には『運命』と『宿命』の二つがある。『運命』は、自身の行動により、良くも悪くも変えられる。一方、『宿命』は、自身がどう足掻こうとも変えられぬ確定した未来じゃ。子を産むか産まぬかという選択は、宿命ではなく運命じゃからな。子供を諦めたという傷は残るが、二人仲良く暮らしていけるだろう」
「二人とも助かる道はないのか? 」
「それはない。美春さんと赤子との関係は宿命。右の命を取れば左の命が消え、左の命を取れば、右の命が消える。そういう定めじゃ」
老婆は残酷にも、正人の問いをきっぱりと否定した。
「近代医学が発展したとはいえ、今も昔も、子供を産むという行為は、女にとっては命懸けの作業だからな。危険を避けて生きる事の何が恥ずかしかろうか」
老婆は同性の美春に、同情の念をみせた。
「いや! 私、産みたい! 産みたいの! この子の命を犠牲にして、自分が助かるなんて、あり得ない! 私が産まなきゃ、誰がこの子を産んであげられるの? 私は産むの! だって、私はこの子の母親なんだから! それに・・・」
激昂していた巫美春は急に大人しくなって、老婆を見た。
「ねえ、お婆さん、教えて。お腹の子は、女の子なの? 」
巫美春の静かな問いに、老婆は「いかにも」と答えた。
「そして、その女の子の名前は『花』っていうの? 」
母親の再度の問いに、老婆は「女の子の運命では、そうなっておる」と答えた。
「正人さん、幼い頃結婚に憧れてた私は、小学六年生になると自分の将来の子供の名前を考えたの。男の子だったら『樹』、そして、女の子だったら『花』って・・・。それは誰にも言ってない、私だけの秘密。ねえ、どうしてこのお婆さんがその名前を知ってるの? 答えは簡単。このお婆さんには、本当に未来が観えるからだわ。このお婆さんは言ったわ。生まれてくる『花』の人生は幸せだって。だから! 私はこの子を産まなきゃいけないのよ! 」
「いい加減にしないか! もっと冷静になって、話し合おう。医者と僕たち三人で相談し合おう! さあ、此処にいたら身体に毒だ。タクシー、タクシー、さあ、家に帰ろう! 」
辺りには人だかりが出来ていた。巫正人は、半狂乱の妻をタクシーに押し込むと、行き先も告げずに、ただ、この場所から離れてくれと、運転手に告げたのだった。
それから、雪の季節が過ぎ、春が来て、夏が来て、冬の足音が聞こえそうな秋半ばの昼下がり、盛岡市大通りの予言師の粗末な客用椅子に、おんぶ紐で赤子を背負った、中年男性が腰掛けた。
「お婆さん、まだ此処にいたんだ」
「久しぶりだの」
老婆が声を掛けた相手は、今年の始めに夫婦で老婆の元を訪れた、巫正人だった。
「その子が『花』ちゃんか? 」
老婆が声を掛けると、巫正人は背中でぐっすり眠っている赤子を振り返り、「はい。妻の忘れ形見です」と紹介した。
「ということは、美春さんは? 」
「はい。娘を産んで、亡くなりました。娘の出産が、妻の最後の仕事になりました」
巫正人は、そう言って寂しげに笑った。
「お婆さん、僕たち夫婦は、あれ以来、真剣に何度も話し合いました。でも、妻の意思は堅かった。最後は、娘の為なら、死ぬ事なんか怖くないとまで言い切りました。母親は強いですね。父親の僕には、勝てやしませんでした」
巫正人はそう言うと、何かを探すように、空を見上げた。
「お婆さん、僕、ホテルの料理人を辞めたんですよ。本当は、定年後に叶えようとしていた夢を前倒しに実現して、妻と一緒に居られるように、自宅で男性客限定の料理教室を開いたんです。今は夫婦共働きの時代でしょう。これでも、料理を習いたいって男性客で人気があるんですよ。こうして、娘とも過ごせますしね。
娘を妊娠中、妻は自分は抱けない娘の為に、いろいろ残すんだって、手先が不器用なくせに、慣れないミシンで赤ちゃん用から成人した時用まで、ワンピースだの浴衣だのを縫って・・・。画用紙にクレヨンで絵を描いて、絵本を作ったり。娘が誕生日の時に寂しくないようにって、一歳から二十歳までのバースデーカードを用意したり。それがね、楽しいんですよ。妻は笑いながら、『二十歳の花ちゃんには、もう彼氏がいるのかな? 』って言うんです。その姿を見ていると、『ああ、この選択で良かったのかな』って、思えてきて・・・。不思議ですよね」
老婆は何も言わなかった。巫正人の方も、老婆の言葉を必要とはしていなかった。
「とにかく、花を幸せにするのが、今の僕の使命です。妻との約束ですしね」
巫正人は、それだけ言い残すと、盛岡の街の雑踏の中に消えていった。《終わり》